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1.王女と異世界と転生使い
Remember-33 異世界の真相/奥底に迷い込む
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「ッ――、も……もうちょっと離れた位置でやるべきだったか……」
上着で顔を覆って爆発の衝撃で飛んで来た礫などから身を守りながらポツリと呟く。
距離はそこそこ離れているのに礫や砂は勢い良く壁や屋根に命中して、「ああ、コレ当たったら痛いじゃ済まないなぁ」なんて思えるぐらいに派手な音を出しているし、俺自身にも何個か上着越しに命中していたりする。こうした方が確実だったのは間違いないのだが、自分すら巻き込むのは攻撃手段として少々マズい。
俺の魔法は自由が利く癖に、何かと使い勝手が難しい気がする……いや、気がするんじゃなくて絶対に使い勝手が悪い。今度シャーリィから何か良い魔法とか教えて貰えたりしないだろうか……?
『わ、あわわっ。今二個ぐらい石が当たったぞ! わ、割れるかと……』
「この上着、結構分厚くて固い布だから小石程度なら当たっても大丈夫……だと良いな」
『そんな無責任な!?』
「……それよりも、アイツはどうなったんだ」
顔を覆っていた上着を剥がして――やっぱり口元を覆う。砂煙がここまで立ち込めていて、下手に目を見開くと目に砂が入ってしまいそうだ。流石にこのままだと反ギルド団体の男たちやベルホルトがどうなったのか分かりそうにない。
『……流石にこれじゃ分からないな』
「ちょっと待ってくれ……こうすれば、っと」
巻き上げられた砂煙に手で触れて魔法で形を与える。形無く漂うだけの砂煙は、触れた途端に形を持ち、自重で下へ下へと沈み始める。
そうして、一呼吸ついたころに砂煙は層のように屋根の上や地面に積もり、視界は綺麗さっぱりに見通し良くなってくれた。が――
「……! 居ない」
『居ないって……あの男か!?』
下には重傷を負ったり、衝撃波で押し飛ばされた反ギルド団体の男たちが倒れている。だが、肝心のベルホルトの姿が何処にも見当たらない。ベルと共に周囲を見渡すが、それらしい姿は何処にも見当たらなかった。
「まさか、逃げられたのか? 当たってすらいなかったのか……?」
『……いや、違うみたいだ。あそこを見てくれ』
ベルが指差す方向を見ると……ここから離れた場所で何かが反射している。チラチラと金属のように光を反射する何か。恐らくだけど、あれは……
「……ひょっとして、血か?」
よく目を凝らして、ようやくそれが血痕だと気がついた。テラテラと生々しく篝火の光を反射している血痕は、他でもなく人間が流したものだろう。
「……もしかしてだけど、あの血って」
『ああ、違いない。ユウマの攻撃は当たってたんだ。さっきの砂煙で視界が遮られている間に傷を負ったままあそこまで逃げたんだろうな』
傷を負ったベルホルトが砂煙で視界が遮られている隙に逃げ出したというベルの推測は概ね正しいのだろう。だが、ベルホルトは一体何処に逃げたのだろうか……?
ここが本拠地なのだから、これ以上逃げる場所などもう無い筈だ。この状況で逃げるということは反ギルド団体そのものを手放すことを意味するのに――
「……逃げて自分だけ助かろうとしているか、あるいは何か目的があるのかも」
『ん、どちらにせよここで逃がすのは良くないな。追いかけよう、ユウマ』
「ああ、もう見失ってるから、急いで探し出さないと――」
「ッ……! 待ちやがれ……!」
屋根から飛び降りると、怒鳴りつけるような力強い声が後方からして俺は思わず振り返る。
さっきまで倒れていた男たちが落ちていた武器を拾ったり、重傷を負った仲間の肩を担いで立ち上がらせたりしてゾロゾロと立ち上がり、戦意を見せてくる。
「……なんだってまだ、戦おうとするんだ……?」
考えもしていなかった状況に、思わずそんな言葉が漏れる。気を失っているのか死んでいるのかは分からないが、完全に動かない人を除いて全員があり合わせの武器を手にして俺を睨みつけていた。
……どうしてなのだろうか。こんな状況でもまだ戦おうとする理由が分からない。力の差は圧倒的で、既に戦意喪失していてもおかしくない筈なのに、どうしてまだ――
『どうして、どうしてまだ戦おうとしているんだ……? あんなに傷を負ってるのに……』
「……お前らのリーダーはあんたらを置いて逃げ出したんだ。俺がするのは反ギルド団体の鎮圧で、関係者をみんな殺すとかそういう訳じゃない……何もしなければ、俺は何もしない」
「うるせぇ……ギルドの犬が何を偉そうに言ってやがんだ……あのお方は俺たちを見捨てたりはしねぇ……捨てたとしても、ここで足止めとして死んでやる……!」
「……ベル、応戦するから暫く引っ込んでもらうぞ」
困惑した様子で呟くベルに一声かけてからガラスをポケットに突っ込む。和解……なんて穏やかなことが出来るとは思ってはいなかったが、相手に敵意があるならこちらの対応は一つだけ。
まだ体力には余裕があるから負けることは無いと思うが、今はベルホルトを追わないといけない。だが、この人数を相手にするとすれば相当な時間がかかってしまう。
『でも、でも! ベルホルトはどうするんだ……!? 全員を相手にしていたら本当に逃げられるぞ!』
「……ああクソ、逃げるか……? でも逃げながらベルホルトの行方を捜すのは無理な気が――」
全員を相手にするか、逃げてベルホルトを追いかけるか。どちらを選んでも必ずリスクは付いてくる上に、どちらが正しい選択なのか全く見当が付かない。
……いや、正解が分からないのはなくて、そもそも正解がないのでは……? この状況に陥った時点で、俺は詰んでしまったのではないだろうか――
「……あああああッ! もう意地と自棄だ! 全員纏めてぶっ飛ばして、早くアイツを追いかけて――」
弱気な思考をかき消すように大声を吐き出して、空気をかき集める。口にしたことが出来るか出来ないかなんて考えないで、今はただ、できる限りのことをやって一番良い結果を目指すだけ。
……そう覚悟をがむしゃらに固めたその時、どこからともなく何かが爆発して砕け散る重い音が鳴り響いた。
「!? 何だ……!?」
『今、何か凄い音がしたんだが!?』
……いや、今のは“鳴り響いた”だなんてものじゃなかった。ベルホルトが使った謎の力のように、音そのものが衝撃波のように空気を振わせるほどのものだった。
ポケットの中からそんなベルの慌てる声がするが、俺も突然の事なので彼女に応える暇もなく、黙って音のした方を眺めるしか出来ない。
「――全軍進め! 前衛は隊列を崩さず敵を後退させて、残りは横から取り囲むわよ!」
「……! 今の声は……」
地響きのような音に紛れて、凜とした心地の良い声。
まるで達観しているみたいに、他人事のように現状を受け止めていた意識が、“彼女の声”だと分かった途端にハッキリと鮮明なものに切り替わった。
「な……今の音、門からだよな……?」
「待て、何か聞こえないか……蹄の、音?」
反ギルドの男たちの間にもザワザワと動揺が広がる。臨戦態勢の俺から目を離して、周囲を不安げに見回していた。
「――そこまでよ! 全員武器を捨てて降伏なさい!」
「うおっ!? 空からシャーリィ!?」
『……どういう驚き方なんだそれ』
頭上から響き渡った声に続いて、ストン、と地面に突き刺さるような勢いでシャーリィが目の前に着地した。
転生して、急いで跳んで来たのだろう。露出した腕や太ももには赤い一本線の擦り傷がついていた。まるで森の中を慌てて駆け抜けて、枝に引っかかったかのように――
「ごめんなさい、ユウマ。随分と待たせたわね」
「めっちゃ待った」
「あー……言い訳させてもらうと、貴方の行動がとんでもなく早すぎたからこっちも合わせられなかったと言えば良いのか……」
頬を人差し指で掻きながらシャーリィは俺から目を逸らして申し訳なさそうに、銀色の毛先を指で弄りながら独り言のようにもにょもにょと言い訳を呟いた。
「まさか、こっちが地形を把握して“さあやりますか”って時には爆発させているとは……工作員として優秀なのか恐れ知らずなのか……まあいいや――話は戻すけど、貴方たちは今、騎士兵に包囲されているわよ」
俺に背を向けてシャーリィは反ギルドの男たちの前に数歩前に出ると、さらりとそう告げた。
……その一瞬の間に、何処に隠れていたのか騎士兵達があっという間に反ギルドの男たちを取り囲んでしまった。馬に乗っている兵もいれば大きな盾を持って前に出ている兵もいて、隙の無い包囲網を作り上げている。
「大人しく連行されて貰おうか。シャーリィ様はお前達を殺すことを望んではいないが、殺害許可は下りている。抵抗するならこの場でその首、落として貰う」
「…………ッ」
騎士兵の隊長なのか、他の兵士と比べて一際立派な鎧を着た女性の騎士兵が反ギルドの男たちに向けて冷静に告げる。
「こんな首幾らでも差し出してやる! それで刺し違えられるなら十分――」
「……もう止めようよ」
反ギルドの男たちの一人が武器を握り締め、今にも騎士兵の一人に飛びかかりそうな勢いで前に出たその時、もう一人の男が諭すように止めにかかった。
「ッ! 何故止める!? 俺に仲間の犠牲を無駄にさせる気か!?」
「団長の言葉を忘れたの? “無駄な犠牲は糧にもならない、敗北してでも生き残れ”。なんて言うんだろう、進んで死のうとするのは間違ってる気がする……」
「だ……だが! それで俺たちの理想はどうなる!? それは諦めても良い時の話で、今は諦めたら駄目な時だろ! ここで負けたら、何もかも無駄になる――」
「いいや、負けたら無駄になるんじゃない……僕たちはもう、とっくに負けているんだ」
「…………クソッ」
血の気の多かった男は吐き捨てるようにそう呟くと、固く握り締めていた武器を落とすように捨てた。それに続いて、他の男たちも続いて武器を捨て始めた。これで反ギルド団体の残党は完全に戦意を無くし、鎮圧したと言えるだろう。
「ねえユウマ、反ギルド団体のリーダーって誰か分かる? この中に居るのよね?」
「……! そうだ、ベルホルトって奴! さっき逃げ出して……何処に行ったのか探さないと――」
「ん? 逃げ出した? ……ちょっと待って」
肝心なことを思い出して慌てる俺に対し、相変わらず落ち着いた様子のシャーリィは目を瞑って小さく唸る。が、すぐに目を開いて首を横に振った。
「そのベルホルト……? って奴、この基地から逃げてないわよ」
『シャーリィ、分かるのか?』
「伊達に準備に時間かけてないわ。基地を囲むように簡単な結界みたいなルーンを刻んでおいたから、簡単には逃げられないし、強引に壊して逃げようとすれば居場所が分かる。で、基地の中で隠れられる場所と言えば……もう分かったようなものよ」
「! 本当に?」
「ええ、当然じゃない。もっと私を信じなさいな。さあ、行くわよユウマ! ギルドと反ギルドの争いに決着を付けにね!」
リボンで束ねられた銀色の髪をふわりと舞わせて、いつもの得意げで強気な表情を浮かべてながらシャーリィは“次で決着を付けに行く”と宣言した。
■□■□■
「第二騎士兵は反ギルド団体の監視に付いて。第一は……そうね、閉所の作戦と罠の解除が得意な人を三人ほど集めて頂戴。残りは入り口付近で待機かな。それから――」
反ギルド団体の連中を取り押さえた後の基地は、騎士兵達の手によって物資の補給所となっていた。
少し前に運び込まれた水と食料、武器や治療道具が仮設のテントの周りにズラリと並べられていて、これからベルホルトを追い詰めに行く前の準備を満足に整えることが出来る状態だろう。
……で、指示を飛ばしているシャーリィを中心に騎士兵が忙しそうに走り回っている中で、俺は座って何もせずボーッと眺めているのだった。
『やっぱり王族なだけあって、ああして指示を飛ばす姿は貫禄があるな』
「よくも迷わずテキパキと指示を決められるよなぁ……えっと……この辺?」
『もうちょっと上……もうちょっと、あっ行き過ぎた。うん、そこそこ』
貰った塗り薬を頬に塗りながらそんな会話を交える。話によれば傷に良く効く塗り薬らしい……が、正直言うと薬草の青臭さとスースーする清涼感が合わさって少々気になる。クソッ、鼻摘まんでも臭いを感じるってどういうことだ。毛穴から染み込んでくるのかこのなんとも言い難い嫌な臭いは。
気流を操れば臭いを気にしなくて済みそうだが、そんなことに魔法を使うのもちょっとどうかなぁ、なんて抵抗感があったり。めちゃくそ辛いですこの臭い。
「ふぁ……お待たせユウマ。治療は済んだ?」
腕を上に伸ばしつつ、シャーリィは欠伸をしながらこちらにやって来てそう声をかけてきた。騎士兵達への指示をし終えたのだろう。
「打ち身と擦り傷ぐらいだし、もう大丈夫だと思う」
擦り傷は気にならない程度だし、打ち身も患部を強く押さなければ痛みを感じない程度のものだ。空中から叩き落とされたり足がおぼつかなくなったりして、結構ボロボロになったと思ったのだがその程度で済んだのは運が良い。
「良かった。あ、そうそう。お腹は減ってたりする? 食べ過ぎで動けなくなるのは問題だけど、ちゃんと食べられる間に食べておかないと」
「あー……何がある?」
「干し肉とか」
「ぬ゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッ」
「なんて声を出してるのよ。いやまぁ、気持ちは分かるけど……」
『凄く絶望した声だな……』
食べた人ならこの気持ちが分かると思うのだ。食べ物ってのは噛み締めたら普通味がする。なのにあの干し肉は噛んだら口の水分を根こそぎ奪っていく上に、味がとんでもなく薄い。ただ単に肉を乾燥させただけである。香辛料とか調味料の類いはどうも口に合わず苦手なのだが、今回ばかりは欲しいと思ってしまう。
「じゃあ……水だけ貰える?」
「はい、どうぞ。あとコレも」
「! コレって……拾ったのか?」
「ほら、大事にしなさいな」
シャーリィは俺の隣に座ると、水筒と一緒に斧を差し出した。俺が投げたままにしていた斧は誰かが汚れを拭ってくれたらしい。流石に錆は落ちていないのでピカピカではないが十分綺麗になっている。
「騎士兵が拾ってくれたのよ。ってか、もうちょっと丁寧に扱った方が良いんじゃないの? 木の幹に柄の方から深々と突き刺さってたらしいわよ」
「ゑっ、柄の方から? この金属の……刃の部分からじゃなくて?」
「うん、柄の方から、ブッスリと」
「……確かに、よく見たら柄に傷が付いてる」
柄から突き刺さるって、どんな勢いで飛んでいったんだ……転生してぶん投げたらそこまで勢い良く飛んでいくと言う訳か。
よく無事だったなこの斧。間違いなく本来の運用方法の領域を軽く飛び越している。
「歪んでなーい……軋まなーい……欠けてな……まあ誤差だよ誤差。よし大丈夫」
「予備でも買っといた方が良いんじゃないかしら……絶対その斧、先は長くないわよ」
「……正直思った。コイツもこんな扱いされるとは思わなかっただろなぁ……」
シャーリィは水筒を両手で持ってチミチミと飲みながら警告する。確かにこんな使い方してたらそう長くはないよなーと思いながら、俺も水を口に含むのだった。我ながらえらく他人事である。
「……ふぅ、早速だけどもう出発できる? 休憩は必要だけど、あんまりのんびりしすぎると本当に逃げられちゃうかもしれないから」
「ん……俺は大丈夫。まだ魔法も使える」
「そう。じゃあ付いてきて。騎士兵も誰か来るか決め終わっただろうしね」
そう言うとシャーリィはピョン、と立ち上がって俺の前に立つ。そして、相変わらず白磁器みたいにスラッとした腕を差し出して、彼女はニコリと微笑んだ。
「やっぱり、貴方が居てくれて良かったわ。だから私も、貴方に“私が居てくれて良かった”って思って貰えるよう頑張らないと」
「…………」
……なんだろう。シャーリィが口にした言葉で、自分が認められたような達成感を覚えた。自分の行ってきたことに意味があったと分かる安心感で心が満たされる。
「……なんかもう、帰って良い気がしてきた」
「気が早い!?」
『どうしてそう思い立ったんだ……』
「なんだろう……こう、心が達成感で満たされた」
「あー……やっぱり貴方って何考えてるのか分からない人ね。ま、それがユウマの良い部分なんだろうけど」
「……なんか色々ごめん」
シャーリィの手を握ってひょい、と引き上げて貰う。俺とシャーリィでは体格差が大きいので引き起こせるのか不安だったが、一瞬だけ転生して上手いこと引き起こしてくれた。むしろ勢いが余って前のめりに倒れてしまいそうだった。
『私からすればとっくの昔から二人とも居てくれて良かったって思ってるよ。……まあ、そういう私は何も出来ないんだけど』
「あら? 当然ベルも居てくれて良かったって思ってるわよ。というか、ベルが居ないとユウマが何するか分からなくて不安なところがあるし……」
何だと貴様。
■□■□■
「……ここがベルホルトの逃げ込んだ場所だって?」
「ええ。此処以外に隠れたり逃げる場所はないもの」
松明を片手に持ちながらシャーリィは答えた。顔つきは真剣なもので、さっきまでの柔らかな少女のものではない。
シャーリィの言うベルホルトが逃げた場所とは、ぽっかりと大きく空いた洞窟のことだった。
ある程度は人工的な加工がされている様子だが、洞窟に明かりは無く真っ暗で、ここに松明がなければ転がる石に足を取られてしまいそうだ。
それに松明で中を照らしても洞窟はまだまだ奥まで続いているらしく、奥は真っ暗なままだ。袋小路という点に目を瞑れば、確かに逃げ込むには良い場所だろう。
「行くわよ。騎士兵もユウマも離れないでね」
「了解しました。ユウマさんもお気を付けて」
「えっと、ありがとうございます」
左右に鎧を着込んだ騎士兵が立っているので若干窮屈な感覚を覚えるが、俺は肩身狭く彼女の後ろを歩く。
……鎧の擦れ合う音。石を蹴って転がる音。何処からか聞こえる水滴の音。風が耳元を走る風音。松明の燃える音。会話が無いと周りの音に対して敏感になってしまう。怯えている訳では無い筈なのだが、どうしても気になってしまう。
『……なあ、ユウマ』
「? ……なんだベル」
突然、ベルから小さな声で話しかけられて俺も小さな声で答える。騎士兵はベルのことを知らないので、堂々と会話すると要らない混乱を招いてしまいそうなので、騎士兵に気づかれない程度の声で会話を続ける。
『なんだろう……気のせいかもしれないんだ。だけどなんか……』
「……? なんなのさ」
……ベルにしては妙に濁った言い方をする。だが、ベルの話は何かと重要な話が多いのでしっかりと聞いておきたいので、こっそりとポケットの中からガラスを取り出した。
ガラスを取り出してベルの様子を伺うと、何処か顔色が悪いように思える。気のせいかもしれないと思える程に微かな変化なのだが、顔が青い気がする。
『……なんだか、寒くないか』
「寒い……?」
そんなベルが口にした言葉も、また妙なものだった。ベルは寒さも暑さも感じない。空腹も満腹も感じないし、寝ることは出来るが眠気も感じないとのことだ。
その彼女が“寒い”と口にしたのは珍しいなんてそんな呑気な話じゃない。正体は分からないが、何かベルに寒さを感じさせる原因があるに違いない――と、
「……! シャーリィ様!」
「ええ……分かってる!」
不意に、緊迫した会話が聞こえて緩んだ意識が締め上がる。隣の騎士兵とシャーリィが焦った表情を浮かべて、松明を地面に落とすように捨てた。
「お、おい。なんで松明を捨て――っ! な、なんだこれ……!?」
何故松明を捨てたのかと困惑したが、足下に転がってきた松明を見てその理由が分かった。騎士兵とシャーリィが手にしていた松明。それが音も煙も出さずに消えてしまっていた。
風に煽られて消えたとか松脂が燃え切ったとか、そういう消え方ではなく、正体不明の不気味さを感じてしまう消え方だった。
「……! ッ、ぐ……!」
「! 大丈夫か!? しっかりし……ろ……ッ、うっ……」
『!? どうしたんだ!? 今何が起きてるんだユウマ!?』
「分からない! 急に騎士兵が倒れて……大丈夫か!?」
両隣の騎士兵が突然、力なく崩れ落ちてしまう。意識はある様子だが、体は死にかけの虫のように弱々しく震えていて、今にも息絶えてしまうのではないかと不安になる。
俺は慌てて騎士兵の倒れた体を起こすが、返事は無く呻き声を漏らすばかりか、目の焦点が合っていない。原因は分からなくても危険な状態だとなんとなく分かってしまう。
「ッ、騎士兵は今すぐ撤退! ここからは私とユウマだけで行くわ」
「ですがシャーリィ様、危険です! 私なら異世界でも多少なら動くことが――」
「! 異世界……!?」
唯一倒れていない女性の騎士兵が口にした単語に思わず耳を疑う。
異世界……ここが異世界だというのか!? いや、それよりも騎士兵達が倒れたことと異世界に、一体何の関係が――
「良いから早く! 多少なんかじゃ足りないの! その多少の間に仲間を連れて撤退しなさい!」
「ッ……了解です。シャーリィ様、御武運を!」
女性の騎士兵はそう言い残すと倒れていた騎士兵二人を両肩に担いで颯爽と来た道を駆け抜けて行った。とんでもない身体能力だが、お陰で必要な戦力を割く事無く、二人をこの場から離すことが出来た。
「……ユウマ、先に言っておくけど絶対に深追いはしないで。今回は以前と違って、スモッグ――いや、異世界を抜け出すんじゃなくて異世界に突入するの。万が一の時はすぐに離脱できないことを忘れないで」
「分かった……気をつける」
今回は異世界の奥に突き進むのだから、進めば進むだけ引き返すのには時間が掛かる。最深部で一刻を争うような重傷を負ってしまえば……そこまで考えればシャーリィの指示が如何に重要なのかは理解できた。
「……まさか、反ギルド団体の基地に異世界が隠されていたなんて……でもそうなるとベルホルトって奴は転生使いなんじゃ……いや、魔術って可能性もあるし……」
『シャーリィ。さっきは伝える暇が無かったが、やっぱりあの男は妙な力を使っていた。詳しくは分からなかったが恐らく魔法だと思う』
「前にユウマの言っていた、馬車を襲った雷の話か……やっぱり、ただ者じゃなさそうね」
シャーリィは小声でボソボソと小さな声で呟く。聞き慣れない単語が混ざっていたが、ベルホルトが俺たちと同じように異世界に踏み込む手段を持っているのは確かだろう。
ベルホルトが何処に隠れているのか、どのような奥の手を隠しているのか……まだまだ分からない事が多い。俺は精神を研ぎ澄ませて異世界と化している洞窟を身長に進む――と、
「…………!」
「……うわっ!? な、何々、どうしたの急に止まって」
上着越しに軽い衝撃が背中に伝わったが、俺は何も答えずに精神を更に研ぎ澄ませて耳を澄ませる。
「……まさか」
『どうかしたのかユウマ。何かあったのか?』
「ちょっと! 一人で先に行っちゃ危ないわよ!」
……大丈夫、そこまで遠くはない筈だから。きっとこの洞窟の先――あの曲がり角を少し進んだぐらいだろう。
俺は駆け足で洞窟の先へ――当然、周りに警戒を続けながら――進む。目的地の曲がり角。その先に足を踏み入れて、思わず足が止まる。
「………………」
さっきまでの狭い洞窟とは変わって大人が何十人も入れそうな広い空間。
聞こえていたから理解こそしていたが、にわかに信じられないその光景を見て、思考が止まった頭に反して口が現状をシャーリィたちに伝えようと動き出した。
「……シャーリィ、ベル。人だ……人がいる……」
上着で顔を覆って爆発の衝撃で飛んで来た礫などから身を守りながらポツリと呟く。
距離はそこそこ離れているのに礫や砂は勢い良く壁や屋根に命中して、「ああ、コレ当たったら痛いじゃ済まないなぁ」なんて思えるぐらいに派手な音を出しているし、俺自身にも何個か上着越しに命中していたりする。こうした方が確実だったのは間違いないのだが、自分すら巻き込むのは攻撃手段として少々マズい。
俺の魔法は自由が利く癖に、何かと使い勝手が難しい気がする……いや、気がするんじゃなくて絶対に使い勝手が悪い。今度シャーリィから何か良い魔法とか教えて貰えたりしないだろうか……?
『わ、あわわっ。今二個ぐらい石が当たったぞ! わ、割れるかと……』
「この上着、結構分厚くて固い布だから小石程度なら当たっても大丈夫……だと良いな」
『そんな無責任な!?』
「……それよりも、アイツはどうなったんだ」
顔を覆っていた上着を剥がして――やっぱり口元を覆う。砂煙がここまで立ち込めていて、下手に目を見開くと目に砂が入ってしまいそうだ。流石にこのままだと反ギルド団体の男たちやベルホルトがどうなったのか分かりそうにない。
『……流石にこれじゃ分からないな』
「ちょっと待ってくれ……こうすれば、っと」
巻き上げられた砂煙に手で触れて魔法で形を与える。形無く漂うだけの砂煙は、触れた途端に形を持ち、自重で下へ下へと沈み始める。
そうして、一呼吸ついたころに砂煙は層のように屋根の上や地面に積もり、視界は綺麗さっぱりに見通し良くなってくれた。が――
「……! 居ない」
『居ないって……あの男か!?』
下には重傷を負ったり、衝撃波で押し飛ばされた反ギルド団体の男たちが倒れている。だが、肝心のベルホルトの姿が何処にも見当たらない。ベルと共に周囲を見渡すが、それらしい姿は何処にも見当たらなかった。
「まさか、逃げられたのか? 当たってすらいなかったのか……?」
『……いや、違うみたいだ。あそこを見てくれ』
ベルが指差す方向を見ると……ここから離れた場所で何かが反射している。チラチラと金属のように光を反射する何か。恐らくだけど、あれは……
「……ひょっとして、血か?」
よく目を凝らして、ようやくそれが血痕だと気がついた。テラテラと生々しく篝火の光を反射している血痕は、他でもなく人間が流したものだろう。
「……もしかしてだけど、あの血って」
『ああ、違いない。ユウマの攻撃は当たってたんだ。さっきの砂煙で視界が遮られている間に傷を負ったままあそこまで逃げたんだろうな』
傷を負ったベルホルトが砂煙で視界が遮られている隙に逃げ出したというベルの推測は概ね正しいのだろう。だが、ベルホルトは一体何処に逃げたのだろうか……?
ここが本拠地なのだから、これ以上逃げる場所などもう無い筈だ。この状況で逃げるということは反ギルド団体そのものを手放すことを意味するのに――
「……逃げて自分だけ助かろうとしているか、あるいは何か目的があるのかも」
『ん、どちらにせよここで逃がすのは良くないな。追いかけよう、ユウマ』
「ああ、もう見失ってるから、急いで探し出さないと――」
「ッ……! 待ちやがれ……!」
屋根から飛び降りると、怒鳴りつけるような力強い声が後方からして俺は思わず振り返る。
さっきまで倒れていた男たちが落ちていた武器を拾ったり、重傷を負った仲間の肩を担いで立ち上がらせたりしてゾロゾロと立ち上がり、戦意を見せてくる。
「……なんだってまだ、戦おうとするんだ……?」
考えもしていなかった状況に、思わずそんな言葉が漏れる。気を失っているのか死んでいるのかは分からないが、完全に動かない人を除いて全員があり合わせの武器を手にして俺を睨みつけていた。
……どうしてなのだろうか。こんな状況でもまだ戦おうとする理由が分からない。力の差は圧倒的で、既に戦意喪失していてもおかしくない筈なのに、どうしてまだ――
『どうして、どうしてまだ戦おうとしているんだ……? あんなに傷を負ってるのに……』
「……お前らのリーダーはあんたらを置いて逃げ出したんだ。俺がするのは反ギルド団体の鎮圧で、関係者をみんな殺すとかそういう訳じゃない……何もしなければ、俺は何もしない」
「うるせぇ……ギルドの犬が何を偉そうに言ってやがんだ……あのお方は俺たちを見捨てたりはしねぇ……捨てたとしても、ここで足止めとして死んでやる……!」
「……ベル、応戦するから暫く引っ込んでもらうぞ」
困惑した様子で呟くベルに一声かけてからガラスをポケットに突っ込む。和解……なんて穏やかなことが出来るとは思ってはいなかったが、相手に敵意があるならこちらの対応は一つだけ。
まだ体力には余裕があるから負けることは無いと思うが、今はベルホルトを追わないといけない。だが、この人数を相手にするとすれば相当な時間がかかってしまう。
『でも、でも! ベルホルトはどうするんだ……!? 全員を相手にしていたら本当に逃げられるぞ!』
「……ああクソ、逃げるか……? でも逃げながらベルホルトの行方を捜すのは無理な気が――」
全員を相手にするか、逃げてベルホルトを追いかけるか。どちらを選んでも必ずリスクは付いてくる上に、どちらが正しい選択なのか全く見当が付かない。
……いや、正解が分からないのはなくて、そもそも正解がないのでは……? この状況に陥った時点で、俺は詰んでしまったのではないだろうか――
「……あああああッ! もう意地と自棄だ! 全員纏めてぶっ飛ばして、早くアイツを追いかけて――」
弱気な思考をかき消すように大声を吐き出して、空気をかき集める。口にしたことが出来るか出来ないかなんて考えないで、今はただ、できる限りのことをやって一番良い結果を目指すだけ。
……そう覚悟をがむしゃらに固めたその時、どこからともなく何かが爆発して砕け散る重い音が鳴り響いた。
「!? 何だ……!?」
『今、何か凄い音がしたんだが!?』
……いや、今のは“鳴り響いた”だなんてものじゃなかった。ベルホルトが使った謎の力のように、音そのものが衝撃波のように空気を振わせるほどのものだった。
ポケットの中からそんなベルの慌てる声がするが、俺も突然の事なので彼女に応える暇もなく、黙って音のした方を眺めるしか出来ない。
「――全軍進め! 前衛は隊列を崩さず敵を後退させて、残りは横から取り囲むわよ!」
「……! 今の声は……」
地響きのような音に紛れて、凜とした心地の良い声。
まるで達観しているみたいに、他人事のように現状を受け止めていた意識が、“彼女の声”だと分かった途端にハッキリと鮮明なものに切り替わった。
「な……今の音、門からだよな……?」
「待て、何か聞こえないか……蹄の、音?」
反ギルドの男たちの間にもザワザワと動揺が広がる。臨戦態勢の俺から目を離して、周囲を不安げに見回していた。
「――そこまでよ! 全員武器を捨てて降伏なさい!」
「うおっ!? 空からシャーリィ!?」
『……どういう驚き方なんだそれ』
頭上から響き渡った声に続いて、ストン、と地面に突き刺さるような勢いでシャーリィが目の前に着地した。
転生して、急いで跳んで来たのだろう。露出した腕や太ももには赤い一本線の擦り傷がついていた。まるで森の中を慌てて駆け抜けて、枝に引っかかったかのように――
「ごめんなさい、ユウマ。随分と待たせたわね」
「めっちゃ待った」
「あー……言い訳させてもらうと、貴方の行動がとんでもなく早すぎたからこっちも合わせられなかったと言えば良いのか……」
頬を人差し指で掻きながらシャーリィは俺から目を逸らして申し訳なさそうに、銀色の毛先を指で弄りながら独り言のようにもにょもにょと言い訳を呟いた。
「まさか、こっちが地形を把握して“さあやりますか”って時には爆発させているとは……工作員として優秀なのか恐れ知らずなのか……まあいいや――話は戻すけど、貴方たちは今、騎士兵に包囲されているわよ」
俺に背を向けてシャーリィは反ギルドの男たちの前に数歩前に出ると、さらりとそう告げた。
……その一瞬の間に、何処に隠れていたのか騎士兵達があっという間に反ギルドの男たちを取り囲んでしまった。馬に乗っている兵もいれば大きな盾を持って前に出ている兵もいて、隙の無い包囲網を作り上げている。
「大人しく連行されて貰おうか。シャーリィ様はお前達を殺すことを望んではいないが、殺害許可は下りている。抵抗するならこの場でその首、落として貰う」
「…………ッ」
騎士兵の隊長なのか、他の兵士と比べて一際立派な鎧を着た女性の騎士兵が反ギルドの男たちに向けて冷静に告げる。
「こんな首幾らでも差し出してやる! それで刺し違えられるなら十分――」
「……もう止めようよ」
反ギルドの男たちの一人が武器を握り締め、今にも騎士兵の一人に飛びかかりそうな勢いで前に出たその時、もう一人の男が諭すように止めにかかった。
「ッ! 何故止める!? 俺に仲間の犠牲を無駄にさせる気か!?」
「団長の言葉を忘れたの? “無駄な犠牲は糧にもならない、敗北してでも生き残れ”。なんて言うんだろう、進んで死のうとするのは間違ってる気がする……」
「だ……だが! それで俺たちの理想はどうなる!? それは諦めても良い時の話で、今は諦めたら駄目な時だろ! ここで負けたら、何もかも無駄になる――」
「いいや、負けたら無駄になるんじゃない……僕たちはもう、とっくに負けているんだ」
「…………クソッ」
血の気の多かった男は吐き捨てるようにそう呟くと、固く握り締めていた武器を落とすように捨てた。それに続いて、他の男たちも続いて武器を捨て始めた。これで反ギルド団体の残党は完全に戦意を無くし、鎮圧したと言えるだろう。
「ねえユウマ、反ギルド団体のリーダーって誰か分かる? この中に居るのよね?」
「……! そうだ、ベルホルトって奴! さっき逃げ出して……何処に行ったのか探さないと――」
「ん? 逃げ出した? ……ちょっと待って」
肝心なことを思い出して慌てる俺に対し、相変わらず落ち着いた様子のシャーリィは目を瞑って小さく唸る。が、すぐに目を開いて首を横に振った。
「そのベルホルト……? って奴、この基地から逃げてないわよ」
『シャーリィ、分かるのか?』
「伊達に準備に時間かけてないわ。基地を囲むように簡単な結界みたいなルーンを刻んでおいたから、簡単には逃げられないし、強引に壊して逃げようとすれば居場所が分かる。で、基地の中で隠れられる場所と言えば……もう分かったようなものよ」
「! 本当に?」
「ええ、当然じゃない。もっと私を信じなさいな。さあ、行くわよユウマ! ギルドと反ギルドの争いに決着を付けにね!」
リボンで束ねられた銀色の髪をふわりと舞わせて、いつもの得意げで強気な表情を浮かべてながらシャーリィは“次で決着を付けに行く”と宣言した。
■□■□■
「第二騎士兵は反ギルド団体の監視に付いて。第一は……そうね、閉所の作戦と罠の解除が得意な人を三人ほど集めて頂戴。残りは入り口付近で待機かな。それから――」
反ギルド団体の連中を取り押さえた後の基地は、騎士兵達の手によって物資の補給所となっていた。
少し前に運び込まれた水と食料、武器や治療道具が仮設のテントの周りにズラリと並べられていて、これからベルホルトを追い詰めに行く前の準備を満足に整えることが出来る状態だろう。
……で、指示を飛ばしているシャーリィを中心に騎士兵が忙しそうに走り回っている中で、俺は座って何もせずボーッと眺めているのだった。
『やっぱり王族なだけあって、ああして指示を飛ばす姿は貫禄があるな』
「よくも迷わずテキパキと指示を決められるよなぁ……えっと……この辺?」
『もうちょっと上……もうちょっと、あっ行き過ぎた。うん、そこそこ』
貰った塗り薬を頬に塗りながらそんな会話を交える。話によれば傷に良く効く塗り薬らしい……が、正直言うと薬草の青臭さとスースーする清涼感が合わさって少々気になる。クソッ、鼻摘まんでも臭いを感じるってどういうことだ。毛穴から染み込んでくるのかこのなんとも言い難い嫌な臭いは。
気流を操れば臭いを気にしなくて済みそうだが、そんなことに魔法を使うのもちょっとどうかなぁ、なんて抵抗感があったり。めちゃくそ辛いですこの臭い。
「ふぁ……お待たせユウマ。治療は済んだ?」
腕を上に伸ばしつつ、シャーリィは欠伸をしながらこちらにやって来てそう声をかけてきた。騎士兵達への指示をし終えたのだろう。
「打ち身と擦り傷ぐらいだし、もう大丈夫だと思う」
擦り傷は気にならない程度だし、打ち身も患部を強く押さなければ痛みを感じない程度のものだ。空中から叩き落とされたり足がおぼつかなくなったりして、結構ボロボロになったと思ったのだがその程度で済んだのは運が良い。
「良かった。あ、そうそう。お腹は減ってたりする? 食べ過ぎで動けなくなるのは問題だけど、ちゃんと食べられる間に食べておかないと」
「あー……何がある?」
「干し肉とか」
「ぬ゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッ」
「なんて声を出してるのよ。いやまぁ、気持ちは分かるけど……」
『凄く絶望した声だな……』
食べた人ならこの気持ちが分かると思うのだ。食べ物ってのは噛み締めたら普通味がする。なのにあの干し肉は噛んだら口の水分を根こそぎ奪っていく上に、味がとんでもなく薄い。ただ単に肉を乾燥させただけである。香辛料とか調味料の類いはどうも口に合わず苦手なのだが、今回ばかりは欲しいと思ってしまう。
「じゃあ……水だけ貰える?」
「はい、どうぞ。あとコレも」
「! コレって……拾ったのか?」
「ほら、大事にしなさいな」
シャーリィは俺の隣に座ると、水筒と一緒に斧を差し出した。俺が投げたままにしていた斧は誰かが汚れを拭ってくれたらしい。流石に錆は落ちていないのでピカピカではないが十分綺麗になっている。
「騎士兵が拾ってくれたのよ。ってか、もうちょっと丁寧に扱った方が良いんじゃないの? 木の幹に柄の方から深々と突き刺さってたらしいわよ」
「ゑっ、柄の方から? この金属の……刃の部分からじゃなくて?」
「うん、柄の方から、ブッスリと」
「……確かに、よく見たら柄に傷が付いてる」
柄から突き刺さるって、どんな勢いで飛んでいったんだ……転生してぶん投げたらそこまで勢い良く飛んでいくと言う訳か。
よく無事だったなこの斧。間違いなく本来の運用方法の領域を軽く飛び越している。
「歪んでなーい……軋まなーい……欠けてな……まあ誤差だよ誤差。よし大丈夫」
「予備でも買っといた方が良いんじゃないかしら……絶対その斧、先は長くないわよ」
「……正直思った。コイツもこんな扱いされるとは思わなかっただろなぁ……」
シャーリィは水筒を両手で持ってチミチミと飲みながら警告する。確かにこんな使い方してたらそう長くはないよなーと思いながら、俺も水を口に含むのだった。我ながらえらく他人事である。
「……ふぅ、早速だけどもう出発できる? 休憩は必要だけど、あんまりのんびりしすぎると本当に逃げられちゃうかもしれないから」
「ん……俺は大丈夫。まだ魔法も使える」
「そう。じゃあ付いてきて。騎士兵も誰か来るか決め終わっただろうしね」
そう言うとシャーリィはピョン、と立ち上がって俺の前に立つ。そして、相変わらず白磁器みたいにスラッとした腕を差し出して、彼女はニコリと微笑んだ。
「やっぱり、貴方が居てくれて良かったわ。だから私も、貴方に“私が居てくれて良かった”って思って貰えるよう頑張らないと」
「…………」
……なんだろう。シャーリィが口にした言葉で、自分が認められたような達成感を覚えた。自分の行ってきたことに意味があったと分かる安心感で心が満たされる。
「……なんかもう、帰って良い気がしてきた」
「気が早い!?」
『どうしてそう思い立ったんだ……』
「なんだろう……こう、心が達成感で満たされた」
「あー……やっぱり貴方って何考えてるのか分からない人ね。ま、それがユウマの良い部分なんだろうけど」
「……なんか色々ごめん」
シャーリィの手を握ってひょい、と引き上げて貰う。俺とシャーリィでは体格差が大きいので引き起こせるのか不安だったが、一瞬だけ転生して上手いこと引き起こしてくれた。むしろ勢いが余って前のめりに倒れてしまいそうだった。
『私からすればとっくの昔から二人とも居てくれて良かったって思ってるよ。……まあ、そういう私は何も出来ないんだけど』
「あら? 当然ベルも居てくれて良かったって思ってるわよ。というか、ベルが居ないとユウマが何するか分からなくて不安なところがあるし……」
何だと貴様。
■□■□■
「……ここがベルホルトの逃げ込んだ場所だって?」
「ええ。此処以外に隠れたり逃げる場所はないもの」
松明を片手に持ちながらシャーリィは答えた。顔つきは真剣なもので、さっきまでの柔らかな少女のものではない。
シャーリィの言うベルホルトが逃げた場所とは、ぽっかりと大きく空いた洞窟のことだった。
ある程度は人工的な加工がされている様子だが、洞窟に明かりは無く真っ暗で、ここに松明がなければ転がる石に足を取られてしまいそうだ。
それに松明で中を照らしても洞窟はまだまだ奥まで続いているらしく、奥は真っ暗なままだ。袋小路という点に目を瞑れば、確かに逃げ込むには良い場所だろう。
「行くわよ。騎士兵もユウマも離れないでね」
「了解しました。ユウマさんもお気を付けて」
「えっと、ありがとうございます」
左右に鎧を着込んだ騎士兵が立っているので若干窮屈な感覚を覚えるが、俺は肩身狭く彼女の後ろを歩く。
……鎧の擦れ合う音。石を蹴って転がる音。何処からか聞こえる水滴の音。風が耳元を走る風音。松明の燃える音。会話が無いと周りの音に対して敏感になってしまう。怯えている訳では無い筈なのだが、どうしても気になってしまう。
『……なあ、ユウマ』
「? ……なんだベル」
突然、ベルから小さな声で話しかけられて俺も小さな声で答える。騎士兵はベルのことを知らないので、堂々と会話すると要らない混乱を招いてしまいそうなので、騎士兵に気づかれない程度の声で会話を続ける。
『なんだろう……気のせいかもしれないんだ。だけどなんか……』
「……? なんなのさ」
……ベルにしては妙に濁った言い方をする。だが、ベルの話は何かと重要な話が多いのでしっかりと聞いておきたいので、こっそりとポケットの中からガラスを取り出した。
ガラスを取り出してベルの様子を伺うと、何処か顔色が悪いように思える。気のせいかもしれないと思える程に微かな変化なのだが、顔が青い気がする。
『……なんだか、寒くないか』
「寒い……?」
そんなベルが口にした言葉も、また妙なものだった。ベルは寒さも暑さも感じない。空腹も満腹も感じないし、寝ることは出来るが眠気も感じないとのことだ。
その彼女が“寒い”と口にしたのは珍しいなんてそんな呑気な話じゃない。正体は分からないが、何かベルに寒さを感じさせる原因があるに違いない――と、
「……! シャーリィ様!」
「ええ……分かってる!」
不意に、緊迫した会話が聞こえて緩んだ意識が締め上がる。隣の騎士兵とシャーリィが焦った表情を浮かべて、松明を地面に落とすように捨てた。
「お、おい。なんで松明を捨て――っ! な、なんだこれ……!?」
何故松明を捨てたのかと困惑したが、足下に転がってきた松明を見てその理由が分かった。騎士兵とシャーリィが手にしていた松明。それが音も煙も出さずに消えてしまっていた。
風に煽られて消えたとか松脂が燃え切ったとか、そういう消え方ではなく、正体不明の不気味さを感じてしまう消え方だった。
「……! ッ、ぐ……!」
「! 大丈夫か!? しっかりし……ろ……ッ、うっ……」
『!? どうしたんだ!? 今何が起きてるんだユウマ!?』
「分からない! 急に騎士兵が倒れて……大丈夫か!?」
両隣の騎士兵が突然、力なく崩れ落ちてしまう。意識はある様子だが、体は死にかけの虫のように弱々しく震えていて、今にも息絶えてしまうのではないかと不安になる。
俺は慌てて騎士兵の倒れた体を起こすが、返事は無く呻き声を漏らすばかりか、目の焦点が合っていない。原因は分からなくても危険な状態だとなんとなく分かってしまう。
「ッ、騎士兵は今すぐ撤退! ここからは私とユウマだけで行くわ」
「ですがシャーリィ様、危険です! 私なら異世界でも多少なら動くことが――」
「! 異世界……!?」
唯一倒れていない女性の騎士兵が口にした単語に思わず耳を疑う。
異世界……ここが異世界だというのか!? いや、それよりも騎士兵達が倒れたことと異世界に、一体何の関係が――
「良いから早く! 多少なんかじゃ足りないの! その多少の間に仲間を連れて撤退しなさい!」
「ッ……了解です。シャーリィ様、御武運を!」
女性の騎士兵はそう言い残すと倒れていた騎士兵二人を両肩に担いで颯爽と来た道を駆け抜けて行った。とんでもない身体能力だが、お陰で必要な戦力を割く事無く、二人をこの場から離すことが出来た。
「……ユウマ、先に言っておくけど絶対に深追いはしないで。今回は以前と違って、スモッグ――いや、異世界を抜け出すんじゃなくて異世界に突入するの。万が一の時はすぐに離脱できないことを忘れないで」
「分かった……気をつける」
今回は異世界の奥に突き進むのだから、進めば進むだけ引き返すのには時間が掛かる。最深部で一刻を争うような重傷を負ってしまえば……そこまで考えればシャーリィの指示が如何に重要なのかは理解できた。
「……まさか、反ギルド団体の基地に異世界が隠されていたなんて……でもそうなるとベルホルトって奴は転生使いなんじゃ……いや、魔術って可能性もあるし……」
『シャーリィ。さっきは伝える暇が無かったが、やっぱりあの男は妙な力を使っていた。詳しくは分からなかったが恐らく魔法だと思う』
「前にユウマの言っていた、馬車を襲った雷の話か……やっぱり、ただ者じゃなさそうね」
シャーリィは小声でボソボソと小さな声で呟く。聞き慣れない単語が混ざっていたが、ベルホルトが俺たちと同じように異世界に踏み込む手段を持っているのは確かだろう。
ベルホルトが何処に隠れているのか、どのような奥の手を隠しているのか……まだまだ分からない事が多い。俺は精神を研ぎ澄ませて異世界と化している洞窟を身長に進む――と、
「…………!」
「……うわっ!? な、何々、どうしたの急に止まって」
上着越しに軽い衝撃が背中に伝わったが、俺は何も答えずに精神を更に研ぎ澄ませて耳を澄ませる。
「……まさか」
『どうかしたのかユウマ。何かあったのか?』
「ちょっと! 一人で先に行っちゃ危ないわよ!」
……大丈夫、そこまで遠くはない筈だから。きっとこの洞窟の先――あの曲がり角を少し進んだぐらいだろう。
俺は駆け足で洞窟の先へ――当然、周りに警戒を続けながら――進む。目的地の曲がり角。その先に足を踏み入れて、思わず足が止まる。
「………………」
さっきまでの狭い洞窟とは変わって大人が何十人も入れそうな広い空間。
聞こえていたから理解こそしていたが、にわかに信じられないその光景を見て、思考が止まった頭に反して口が現状をシャーリィたちに伝えようと動き出した。
「……シャーリィ、ベル。人だ……人がいる……」
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