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1.王女と異世界と転生使い
Remember-16 王国内散策/これから先は
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……あれからしばらくの間、さまざまな場所で聞き回ってみたが、コーヒーハウスで得た情報以上の成果を見つけることは叶わなかった。
『記憶を失う前と繋がりのある情報がユウマの名前以外に無いから仕方ないよ』とベルは慰めのつもりで言ってくれたが、ここまで全て空振りに終わったのは中々堪えるものがある。
そんな空振りも続けているうちに、気がつけば日は少しずつ赤熱し始める時間帯になっていた。体感的な感想だが、一昨日にスモッグを歩いた時よりも長く歩いたかもしれない。ギルドの入り口をくぐった頃には疲労感で足がまともじゃなかった。足全体の感覚がすごく遠くに感じる。
「あら、お帰りなさい……って、大丈夫? 如何にも疲れましたって顔してるけど」
ギルドの中に入ると、賑やかな男たちの会話が酒場の中を響いている中、レイラさんが空になった食器を運びながら声をかけてくれた。
両手に頭一つ分の高さにまで積み上げられた食器を乗せたトレーを持ったまま、俺の顔を覗き込んでくる。
「……レイラさん、ただいまです。確かに疲れたけど大丈夫です……はい」
「そ、そう。なんか心なしか顔もゲッソリしてるような……まあ、取り敢えず自室に戻ってしばらくゆっくりしてて。今日はいつもより早めに酒場を閉める予定だけど、まだまだ客が残ってるのよこれが」
そう言うとレイラさんはふさがった手の代わりに顎を使って客で埋まった長テーブルを指す。こうして俺と話している間にもテーブルからレイラさんを呼ぶ声が聞こえてくる。
聞こえてくるのは……追加の注文とか酔っ払いの絡みとか、そういった内容だった。
「ハァ……いつもこの時間になるとシャーリィさんの言ってた“副業の規模が大きすぎる”って意見がどれだけ正しいかよく分かるわ……あーはいはい、おーけー。分かってるわ-! ピーター! ジョッキに酒注いで! あと手が空いてたらこっち手伝う! バーンは早く料理作って!」
「ま、まだジョッキが洗い終わってないよ!」
「レイラ、まだ肉が生焼け。このままだと腹壊す」
「……大丈夫。相手は酔ってる。多少なら大丈夫、誤差の範囲よ誤差。そのまま行きなさい」
『飲食店でアレは問題すぎる……』
ギルド従業員三人のやり取りを聞いていたのか、ポケットの中でベルが小さくため息を吐いていた。俺も同意見なので小さく頷く。不衛生な環境や殺菌が不十分な生ものは食中毒を引き起こすことぐらい、流石に記憶喪失の俺でも分かっている。
このギルド職員の中で料理担当のバーンさんは、見た目こそ屈強な大男で口数も少ない人なのだが、レイラさん曰く実は繊細で気弱な人らしい。自分の意見こそ出すが、あんな感じに丸め込まれてしまう。つまりこのままだと衛生面がヤバイってこと。
「レイラさん、人手が足りていないなら俺も手伝いますよ。料理とかは作れるか分からないけど、食器洗いとか料理を運ぶぐらいならできると思います」
今もなお、あーだこーだと指示を飛ばしているレイラさんに俺は小さく挙手しながらそう提案した。
聞いたところではギルドを運営しているのは基本的に三人で、ギルドマスターは責任者として色々な場所に呼び出されることが多いとか。この酒場の規模を考えると、三人で運営するのは正直言って厳しい気がする。
俺なんかが手伝ったところで負担が軽くなるとは思えないが、ほんの少しでも手伝えないだろうか――などと考えての提案だったが、レイラさんは首を横に振った。
「だーめ。ユウマ君は今はまだお客様みたいなものなんだから。お客様に店のお手伝いなんて任せられないわ。ああ、でも――」
レイラさんはヒールの高いブーツをコツコツと鳴らして台所へと向かいながら、いたずらっぽい笑みを浮かべて、
「……もしもユウマ君が職員としてここで働くことになったら、その時はいっぱい頼らせてもらうかもね」
ニッコリと微笑みながら、「それじゃあ、まかないが出来たら呼びに行くわ」と言い残すとレイラさんは台所の奥に消えてしまう。その直後、台所からピーターさんとレイラさんが忙しそうに言い合っているのが聞こえてきた。
……その言い合いを聞いた感じ、ペーターさんの良心的な意見によって衛生面は保証されそうである。何処かオドオドとしていて頼りない雰囲気をしている人だが、従業員の中ではペーターさんが一番しっかりしている。
「…………」
『……ユウマ。鼻の下を伸ばしてる』
「ポケットの中じゃ見えてないでしょ」
何を言っているんだ、と俺はため息混じりに否定して、酒場の邪魔にならないように借り部屋へと向かった。
当然、鼻の下なんか伸ばしていない。伸ばしていないのだが……まあ、確かにレイラさんの言葉はなんだか嬉しいと思ったのは間違いないけど――
『――この心情を例えるなら』
「……なにさ」
『信頼している助手かあるいは相棒が、仕事中に偶然会った異性にナンパされているのを見てしまったような心情だよ、今の私は』
「……なんなのさ」
そんなことを言われても、俺は一体どうすればいいのさ一体。
■□■□■
薄暗い部屋の照明器具に火を灯して、それを部屋の天井から吊り下がる金具に取り付ける。
照明器具が不安定な明かりで室内を照らす中、俺はあくびとも溜め息とも言えないなんとも中途半端な一息をついて、静かにベッドに倒れかかった。
……ああ、なんか脱力できて良いなこれ。シャーリィがやっていた時はだらしないとかズボラとか考えていたけど、これは確かに癖になる。疲労感が抜けていく感覚が心地良い。
『どうかしたのかい、ユウマ』
「……疲れた。心がポキッと疲れた」
『その擬音は間違ってるけど、挫折したって意味なら案外間違えてないかも』
「……そういう冷静な答えじゃなくて、慰めの言葉が欲しかった」
枕に顔を埋めながら、ポケットの中を探ってガラスを取り出す。ガラスの中でベルは“ま、自分の力で頑張ってくれ”と言いたげに笑みを浮かべていた。
「……なあベル、正直に言うとさ」
『ん? 正直に言うと?』
「うん、正直に言うとさ……ここまで情報収集が難しいとは思わなかった。この王国、優しい人が多いから忙しい時じゃない限り俺の聞き込みにつきあってくれるけどさ……誰からも聞き出せないだなんて」
はぁ、と少し大きめな溜め息が思わず出てしまった。
質問して回ったが成果は無し。ついでに反ギルド団体に関する情報も聞いてみたが、コーヒーハウス以上の情報は得られなかった。襲撃の被害で苦しい思いをしている~とか、そういう被害者側の話なら幾つか聞けたのだが。
『そりゃ事情が特殊だからなぁ。事情を全て隠さずに話せば、もしかしたら心当たりがある人がいたりして』
「いや、それは無理だろ……気がついたらスモッグの中で倒れていてしかも記憶喪失で、唯一分かっているのは名前と現役魔法使いだということです。どなたか俺のことを知っていませんか――なんて、今の台詞に突っ込みどころ幾つあった?」
『幾つどころじゃなくて、全部だよ。そういう訳だから聞き込みじゃ今後も期待できそうになさそうだ。自分と関係ありそうな情報が出るまで待って、出てきたところを食いつく感じにやった方がずっと体力を節約できるんじゃないかな』
「……節約ねぇ」
……まあ確かに。じんわりと疲労が溜まっている足をさすりながら俺はベルの言葉に頷く。
俺は記憶喪失でも当然ながら人間で、やっぱり辛いことよりもできることなら楽な方を選びたくなる生き物なのである。
『ああでも、そうなるとどうやって情報を待つのかって話になるし……ただ待つだけじゃユウマが言ってたみたいに時間を有効に使ってるとは言えないから……うーん、計画、計画……』
ブツブツと今後の方針を考えているベル。いつの間にか日程管理が彼女の役割みたいになっているが、こうして疲れて頭が回らない時に色々考えてくれるのは大変有難い。
……今更考えてみると、こんなに疲れているのに酒場の手伝いをしようとしたのはかなり無謀だったのでは。
『……ユウマ、眠いのか?』
「ちょっと眠い。でも寝ないつもりで気をつける」
『そっか。それなら眠気晴らしにお話でもしないか?』
ガラスを片手に寝返りを打つと、ベルはガラス表面に手のひらを貼り付けて嬉しそうな表情を浮かべていた。尻尾があったら振っていそうな反応は見ていて心が落ち着く気がする。
「……話、か」
照明の光があまり当たっていなくて薄暗い部屋の天井をガラス越しに眺めながら、俺はなんとなく呟く。
今日は一日中一緒に行動していた訳だから、ベルが知らない出来事とか話題になる話は生憎と持ち合わせていない。
「……俺はこのままどう暮らしていくんだろう」
だからその代わりに、考えていたこととか悩んでいることを俺は話すことにした。
「こうしてギルドに引き取って貰ってさ。それで一日全ての時間を情報集めのためだけに使う訳にはいかないだろ? 何時までもギルドの人たちに迷惑をかける訳にはいかないし、仕事を見つけて働きつつ、情報集めをすることになると思う」
『ん、確かに生活のことも考えないといけないな。お金が無いとまず何もできない訳だし』
改めて考えると今まで一文無しで生活していたのか……シャーリィとギルドの方々にどれだけ助けて貰っていたことか。
最低限、一人で暮らしていける程度の経済力は手に入れないといけないだろう……記憶喪失な奴を救う神はいても、野垂れ死ぬ奴を拾う神はいないのである。
『その辺はユウマに任せるよ。というか、そういう“選択を決める時”に私の都合云々は気にしないでくれ。ユウマって変に他人主義っていうか、優柔不断なところがあるからさ……』
「でもベルだって仲間だし、そういう訳には――」
『ほらそこ。やっぱりユウマはフニャフニャの優柔不断だ』
「む……」
口を尖らせたベルからジト目で睨まれる。確かに今のはベルに言われたように優柔不断だった気がする……ベルの意見は聞いて自分の意見は挙げていなかったし。客観的に必要なことを挙げただけだ。
だが、ベルのことを気にするのはおかしいのだろうか? ベルだって人間だし、彼女の意見だって尊重するべきだと俺は思っているが――
『そもそもの話だが……私のことを“人間”だって思ってないか?』
「え――」
『私は……自分が何者なのか分からないんだ。でも普通じゃないことだけは分かる。ユウマやシャーリィは不思議な力――魔法が使えるけど人間だ。でも私は私そのものが不思議な存在なんだ。もしかしたら私は幽霊の類いかもしれない。だって――』
『――ほら。こんなこと、普通の人間ができるか?』
ベルはそんなことを語りながら、手元のガラスから窓ガラスに移ってそうは語った。突然そんなことをするから少し驚いた。確かに、ガラスの世界に居るのは普通ではない――と、認めてしまうより先に、諦めのような、寂しい表情をベルが浮かべていることに気づいてしまった。
……何が幽霊の類いだ。何が普通の人間じゃないだ。そんなことを言うベルの顔を見ていると、酷く悲しい気持ちと怒りが静かに沸き上がってきた。
「でもそうじゃない可能性だってあり得るだろ。例えば――ベルは意識だけがここにあって、この世界のどこかに抜け殻になっている体があるとか――」
『……ああ。ユウマの言う通り、もしかしたら人間だったのかもしれないけど……今は違うだろ? 普通じゃないことには変わりは無い』
「――ッ……どっちが」
自分から悲しい話をしているのに、それを受け入れて笑っているベルを見て、感情の箍が外れた。
「ッ――どっちがフニャフニャだ! 俺が優柔不断のフニャフニャだったら、今のベルは弱気のフニャフニャじゃないか!」
『ゆ、ユウマ?』
「俺はベルにそんな顔されると、あんまり良い気分じゃなくなる。頼むから、そんな自虐的に言うのはやめてくれ。それができないのなら、せめて笑い飛ばしながら言ってくれよ……頼むからさ」
そこで言葉を止めるが、それでも胸の奥には吐き出したくなる胸焼けのようなものが溜まっていて、それを吐き出さないように喉の奥に飲み込んだ。これ以上感情のままに言ってしまうと、いらないことまで言ってしまうような気がする。
……ああ、くそ。どうしたらこの気持ちは収まるんだろうか。こっそりと歯を食いしばって俺は堪え忍んだ。
「とにかく、ベルのことは絶対に一人の人間として扱うからな。大切な仲間として」
『……どうかしてた』
一言。今度は諦めて受け入れるような声ではなく、ほんの少し前向きな声だった。
『私、どうかしてた。何を一人で弱気になっているんだろう』
「……弱気になるのは別に変なことじゃないと思う。俺だってそういう“自分が何者なのか分からない不安”ってのはよく分かる」
『でもこんな弱い部分を見せちゃうなんて……今までユウマに弱いところを見せていられない、って思って振舞っていたのに……迷惑はかけたくないって思っていた筈なのに』
ベルは少し恥ずかしそうに橙色の髪の毛先を弄りながら呟く。
自分が知らぬ間に弱気になっていた理由を不思議そうに考えていた……が、間もなくしてベルは何かが分かったらしく、夕焼けのような鮮やかな瞳で俺の顔を見つめて、
『……もしかしたら、私もユウマにこの寂しい気持ちを、ちょっとだけでも慰めて欲しかったのかもしれない――なんて』
髪の毛を両手で寄せ集めて顔を隠しながら、何故か弱々しくそんな事を言ったのだった。
「ベル……?」
『……いや、今のなし。恥ずかしいから今のはなしだ、なしっ』
……そんな照れ隠しに顔を背けているベルを見て、胸の中に溜まっていた感情がようやく収まるのを感じた。
高ぶっていた感情が落ち着いていくのと同時に、強い眠気が出てくる。どうやら心が落ち着いた際に、眠気を抑えていた気力も一緒に抜けたようだ。
「……悪い、ベル。やっぱり少し寝る」
『眠くなったの?』
「…………かなり、眠い」
瞼は俺の意思に関係なく、徐々に力なく閉じていく。頭もなんだがぼんやりしていて……
『……今日はお疲れ様、ユウマ』
「…………もしもさ。また心細くなったり、慰めて欲しくなったらさ。気軽に言ってくれ。どんなわがままだって聞くつもりなんだ。力になれるよう頑張るよ」
小さく、少し気恥ずかしさを覚えながら独り言のように答える。枕元に置いたガラスの中でベルが微笑んでいるのが見えたような……
『おやすみ。そして、ありがとう、ユウマ』
「…………あぁ」
思考はぼやけていて瞼が重い。絞り出した声は思っていたよりも小さかった。
気がつけば、俺の意識は、そのままゆっくりと暗く――暗く――
『記憶を失う前と繋がりのある情報がユウマの名前以外に無いから仕方ないよ』とベルは慰めのつもりで言ってくれたが、ここまで全て空振りに終わったのは中々堪えるものがある。
そんな空振りも続けているうちに、気がつけば日は少しずつ赤熱し始める時間帯になっていた。体感的な感想だが、一昨日にスモッグを歩いた時よりも長く歩いたかもしれない。ギルドの入り口をくぐった頃には疲労感で足がまともじゃなかった。足全体の感覚がすごく遠くに感じる。
「あら、お帰りなさい……って、大丈夫? 如何にも疲れましたって顔してるけど」
ギルドの中に入ると、賑やかな男たちの会話が酒場の中を響いている中、レイラさんが空になった食器を運びながら声をかけてくれた。
両手に頭一つ分の高さにまで積み上げられた食器を乗せたトレーを持ったまま、俺の顔を覗き込んでくる。
「……レイラさん、ただいまです。確かに疲れたけど大丈夫です……はい」
「そ、そう。なんか心なしか顔もゲッソリしてるような……まあ、取り敢えず自室に戻ってしばらくゆっくりしてて。今日はいつもより早めに酒場を閉める予定だけど、まだまだ客が残ってるのよこれが」
そう言うとレイラさんはふさがった手の代わりに顎を使って客で埋まった長テーブルを指す。こうして俺と話している間にもテーブルからレイラさんを呼ぶ声が聞こえてくる。
聞こえてくるのは……追加の注文とか酔っ払いの絡みとか、そういった内容だった。
「ハァ……いつもこの時間になるとシャーリィさんの言ってた“副業の規模が大きすぎる”って意見がどれだけ正しいかよく分かるわ……あーはいはい、おーけー。分かってるわ-! ピーター! ジョッキに酒注いで! あと手が空いてたらこっち手伝う! バーンは早く料理作って!」
「ま、まだジョッキが洗い終わってないよ!」
「レイラ、まだ肉が生焼け。このままだと腹壊す」
「……大丈夫。相手は酔ってる。多少なら大丈夫、誤差の範囲よ誤差。そのまま行きなさい」
『飲食店でアレは問題すぎる……』
ギルド従業員三人のやり取りを聞いていたのか、ポケットの中でベルが小さくため息を吐いていた。俺も同意見なので小さく頷く。不衛生な環境や殺菌が不十分な生ものは食中毒を引き起こすことぐらい、流石に記憶喪失の俺でも分かっている。
このギルド職員の中で料理担当のバーンさんは、見た目こそ屈強な大男で口数も少ない人なのだが、レイラさん曰く実は繊細で気弱な人らしい。自分の意見こそ出すが、あんな感じに丸め込まれてしまう。つまりこのままだと衛生面がヤバイってこと。
「レイラさん、人手が足りていないなら俺も手伝いますよ。料理とかは作れるか分からないけど、食器洗いとか料理を運ぶぐらいならできると思います」
今もなお、あーだこーだと指示を飛ばしているレイラさんに俺は小さく挙手しながらそう提案した。
聞いたところではギルドを運営しているのは基本的に三人で、ギルドマスターは責任者として色々な場所に呼び出されることが多いとか。この酒場の規模を考えると、三人で運営するのは正直言って厳しい気がする。
俺なんかが手伝ったところで負担が軽くなるとは思えないが、ほんの少しでも手伝えないだろうか――などと考えての提案だったが、レイラさんは首を横に振った。
「だーめ。ユウマ君は今はまだお客様みたいなものなんだから。お客様に店のお手伝いなんて任せられないわ。ああ、でも――」
レイラさんはヒールの高いブーツをコツコツと鳴らして台所へと向かいながら、いたずらっぽい笑みを浮かべて、
「……もしもユウマ君が職員としてここで働くことになったら、その時はいっぱい頼らせてもらうかもね」
ニッコリと微笑みながら、「それじゃあ、まかないが出来たら呼びに行くわ」と言い残すとレイラさんは台所の奥に消えてしまう。その直後、台所からピーターさんとレイラさんが忙しそうに言い合っているのが聞こえてきた。
……その言い合いを聞いた感じ、ペーターさんの良心的な意見によって衛生面は保証されそうである。何処かオドオドとしていて頼りない雰囲気をしている人だが、従業員の中ではペーターさんが一番しっかりしている。
「…………」
『……ユウマ。鼻の下を伸ばしてる』
「ポケットの中じゃ見えてないでしょ」
何を言っているんだ、と俺はため息混じりに否定して、酒場の邪魔にならないように借り部屋へと向かった。
当然、鼻の下なんか伸ばしていない。伸ばしていないのだが……まあ、確かにレイラさんの言葉はなんだか嬉しいと思ったのは間違いないけど――
『――この心情を例えるなら』
「……なにさ」
『信頼している助手かあるいは相棒が、仕事中に偶然会った異性にナンパされているのを見てしまったような心情だよ、今の私は』
「……なんなのさ」
そんなことを言われても、俺は一体どうすればいいのさ一体。
■□■□■
薄暗い部屋の照明器具に火を灯して、それを部屋の天井から吊り下がる金具に取り付ける。
照明器具が不安定な明かりで室内を照らす中、俺はあくびとも溜め息とも言えないなんとも中途半端な一息をついて、静かにベッドに倒れかかった。
……ああ、なんか脱力できて良いなこれ。シャーリィがやっていた時はだらしないとかズボラとか考えていたけど、これは確かに癖になる。疲労感が抜けていく感覚が心地良い。
『どうかしたのかい、ユウマ』
「……疲れた。心がポキッと疲れた」
『その擬音は間違ってるけど、挫折したって意味なら案外間違えてないかも』
「……そういう冷静な答えじゃなくて、慰めの言葉が欲しかった」
枕に顔を埋めながら、ポケットの中を探ってガラスを取り出す。ガラスの中でベルは“ま、自分の力で頑張ってくれ”と言いたげに笑みを浮かべていた。
「……なあベル、正直に言うとさ」
『ん? 正直に言うと?』
「うん、正直に言うとさ……ここまで情報収集が難しいとは思わなかった。この王国、優しい人が多いから忙しい時じゃない限り俺の聞き込みにつきあってくれるけどさ……誰からも聞き出せないだなんて」
はぁ、と少し大きめな溜め息が思わず出てしまった。
質問して回ったが成果は無し。ついでに反ギルド団体に関する情報も聞いてみたが、コーヒーハウス以上の情報は得られなかった。襲撃の被害で苦しい思いをしている~とか、そういう被害者側の話なら幾つか聞けたのだが。
『そりゃ事情が特殊だからなぁ。事情を全て隠さずに話せば、もしかしたら心当たりがある人がいたりして』
「いや、それは無理だろ……気がついたらスモッグの中で倒れていてしかも記憶喪失で、唯一分かっているのは名前と現役魔法使いだということです。どなたか俺のことを知っていませんか――なんて、今の台詞に突っ込みどころ幾つあった?」
『幾つどころじゃなくて、全部だよ。そういう訳だから聞き込みじゃ今後も期待できそうになさそうだ。自分と関係ありそうな情報が出るまで待って、出てきたところを食いつく感じにやった方がずっと体力を節約できるんじゃないかな』
「……節約ねぇ」
……まあ確かに。じんわりと疲労が溜まっている足をさすりながら俺はベルの言葉に頷く。
俺は記憶喪失でも当然ながら人間で、やっぱり辛いことよりもできることなら楽な方を選びたくなる生き物なのである。
『ああでも、そうなるとどうやって情報を待つのかって話になるし……ただ待つだけじゃユウマが言ってたみたいに時間を有効に使ってるとは言えないから……うーん、計画、計画……』
ブツブツと今後の方針を考えているベル。いつの間にか日程管理が彼女の役割みたいになっているが、こうして疲れて頭が回らない時に色々考えてくれるのは大変有難い。
……今更考えてみると、こんなに疲れているのに酒場の手伝いをしようとしたのはかなり無謀だったのでは。
『……ユウマ、眠いのか?』
「ちょっと眠い。でも寝ないつもりで気をつける」
『そっか。それなら眠気晴らしにお話でもしないか?』
ガラスを片手に寝返りを打つと、ベルはガラス表面に手のひらを貼り付けて嬉しそうな表情を浮かべていた。尻尾があったら振っていそうな反応は見ていて心が落ち着く気がする。
「……話、か」
照明の光があまり当たっていなくて薄暗い部屋の天井をガラス越しに眺めながら、俺はなんとなく呟く。
今日は一日中一緒に行動していた訳だから、ベルが知らない出来事とか話題になる話は生憎と持ち合わせていない。
「……俺はこのままどう暮らしていくんだろう」
だからその代わりに、考えていたこととか悩んでいることを俺は話すことにした。
「こうしてギルドに引き取って貰ってさ。それで一日全ての時間を情報集めのためだけに使う訳にはいかないだろ? 何時までもギルドの人たちに迷惑をかける訳にはいかないし、仕事を見つけて働きつつ、情報集めをすることになると思う」
『ん、確かに生活のことも考えないといけないな。お金が無いとまず何もできない訳だし』
改めて考えると今まで一文無しで生活していたのか……シャーリィとギルドの方々にどれだけ助けて貰っていたことか。
最低限、一人で暮らしていける程度の経済力は手に入れないといけないだろう……記憶喪失な奴を救う神はいても、野垂れ死ぬ奴を拾う神はいないのである。
『その辺はユウマに任せるよ。というか、そういう“選択を決める時”に私の都合云々は気にしないでくれ。ユウマって変に他人主義っていうか、優柔不断なところがあるからさ……』
「でもベルだって仲間だし、そういう訳には――」
『ほらそこ。やっぱりユウマはフニャフニャの優柔不断だ』
「む……」
口を尖らせたベルからジト目で睨まれる。確かに今のはベルに言われたように優柔不断だった気がする……ベルの意見は聞いて自分の意見は挙げていなかったし。客観的に必要なことを挙げただけだ。
だが、ベルのことを気にするのはおかしいのだろうか? ベルだって人間だし、彼女の意見だって尊重するべきだと俺は思っているが――
『そもそもの話だが……私のことを“人間”だって思ってないか?』
「え――」
『私は……自分が何者なのか分からないんだ。でも普通じゃないことだけは分かる。ユウマやシャーリィは不思議な力――魔法が使えるけど人間だ。でも私は私そのものが不思議な存在なんだ。もしかしたら私は幽霊の類いかもしれない。だって――』
『――ほら。こんなこと、普通の人間ができるか?』
ベルはそんなことを語りながら、手元のガラスから窓ガラスに移ってそうは語った。突然そんなことをするから少し驚いた。確かに、ガラスの世界に居るのは普通ではない――と、認めてしまうより先に、諦めのような、寂しい表情をベルが浮かべていることに気づいてしまった。
……何が幽霊の類いだ。何が普通の人間じゃないだ。そんなことを言うベルの顔を見ていると、酷く悲しい気持ちと怒りが静かに沸き上がってきた。
「でもそうじゃない可能性だってあり得るだろ。例えば――ベルは意識だけがここにあって、この世界のどこかに抜け殻になっている体があるとか――」
『……ああ。ユウマの言う通り、もしかしたら人間だったのかもしれないけど……今は違うだろ? 普通じゃないことには変わりは無い』
「――ッ……どっちが」
自分から悲しい話をしているのに、それを受け入れて笑っているベルを見て、感情の箍が外れた。
「ッ――どっちがフニャフニャだ! 俺が優柔不断のフニャフニャだったら、今のベルは弱気のフニャフニャじゃないか!」
『ゆ、ユウマ?』
「俺はベルにそんな顔されると、あんまり良い気分じゃなくなる。頼むから、そんな自虐的に言うのはやめてくれ。それができないのなら、せめて笑い飛ばしながら言ってくれよ……頼むからさ」
そこで言葉を止めるが、それでも胸の奥には吐き出したくなる胸焼けのようなものが溜まっていて、それを吐き出さないように喉の奥に飲み込んだ。これ以上感情のままに言ってしまうと、いらないことまで言ってしまうような気がする。
……ああ、くそ。どうしたらこの気持ちは収まるんだろうか。こっそりと歯を食いしばって俺は堪え忍んだ。
「とにかく、ベルのことは絶対に一人の人間として扱うからな。大切な仲間として」
『……どうかしてた』
一言。今度は諦めて受け入れるような声ではなく、ほんの少し前向きな声だった。
『私、どうかしてた。何を一人で弱気になっているんだろう』
「……弱気になるのは別に変なことじゃないと思う。俺だってそういう“自分が何者なのか分からない不安”ってのはよく分かる」
『でもこんな弱い部分を見せちゃうなんて……今までユウマに弱いところを見せていられない、って思って振舞っていたのに……迷惑はかけたくないって思っていた筈なのに』
ベルは少し恥ずかしそうに橙色の髪の毛先を弄りながら呟く。
自分が知らぬ間に弱気になっていた理由を不思議そうに考えていた……が、間もなくしてベルは何かが分かったらしく、夕焼けのような鮮やかな瞳で俺の顔を見つめて、
『……もしかしたら、私もユウマにこの寂しい気持ちを、ちょっとだけでも慰めて欲しかったのかもしれない――なんて』
髪の毛を両手で寄せ集めて顔を隠しながら、何故か弱々しくそんな事を言ったのだった。
「ベル……?」
『……いや、今のなし。恥ずかしいから今のはなしだ、なしっ』
……そんな照れ隠しに顔を背けているベルを見て、胸の中に溜まっていた感情がようやく収まるのを感じた。
高ぶっていた感情が落ち着いていくのと同時に、強い眠気が出てくる。どうやら心が落ち着いた際に、眠気を抑えていた気力も一緒に抜けたようだ。
「……悪い、ベル。やっぱり少し寝る」
『眠くなったの?』
「…………かなり、眠い」
瞼は俺の意思に関係なく、徐々に力なく閉じていく。頭もなんだがぼんやりしていて……
『……今日はお疲れ様、ユウマ』
「…………もしもさ。また心細くなったり、慰めて欲しくなったらさ。気軽に言ってくれ。どんなわがままだって聞くつもりなんだ。力になれるよう頑張るよ」
小さく、少し気恥ずかしさを覚えながら独り言のように答える。枕元に置いたガラスの中でベルが微笑んでいるのが見えたような……
『おやすみ。そして、ありがとう、ユウマ』
「…………あぁ」
思考はぼやけていて瞼が重い。絞り出した声は思っていたよりも小さかった。
気がつけば、俺の意識は、そのままゆっくりと暗く――暗く――
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巻き込まれ召喚されたおっさん、無能だと追放され冒険者として無双する
高鉢 健太
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とある県立高校の最寄り駅で勇者召喚に巻き込まれたおっさん。
手違い鑑定でスキルを間違われて無能と追放されたが冒険者ギルドで間違いに気付いて無双を始める。
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よっしぃ
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9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です!
僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。
つねやま じゅんぺいと読む。
何処にでもいる普通のサラリーマン。
仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・
突然気分が悪くなり、倒れそうになる。
周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。
何が起こったか分からないまま、気を失う。
気が付けば電車ではなく、どこかの建物。
周りにも人が倒れている。
僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。
気が付けば誰かがしゃべってる。
どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。
そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。
想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。
どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。
一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・
ですが、ここで問題が。
スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・
より良いスキルは早い者勝ち。
我も我もと群がる人々。
そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。
僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。
気が付けば2人だけになっていて・・・・
スキルも2つしか残っていない。
一つは鑑定。
もう一つは家事全般。
両方とも微妙だ・・・・
彼女の名は才村 友郁
さいむら ゆか。 23歳。
今年社会人になりたて。
取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。
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