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「あたしね、両親が五歳の時に亡くなってるの」
いきなり昔話を始めたあたしに、カイルが意表を突かれた顔をする。
「…そうなのか」
「うん。頼れる親戚もいなくて、お店の手伝いとか頼み込んでやらしてもらって9歳くらいまで生きてた」
路上で生活していても誰も見向きもしてくれない。
こんなに大人が居るのに、誰一人可哀想なあたしに手を差し伸べてくれない恨みをずっと腹の内に燻らせて生きて来た。
あたしみたいな子供は珍しくも無いから優しさを見せていたらキリがないのだろうと、この歳になってからやっと解る。
港町には漁師や渡航者が多く、気の荒い者がよく道端で喧嘩をして、それに巻き込まれることもしばしば。
あたしと同じ境遇の子たちは皆、大人を怖がってひっそり生活していた。
そうすると、子供には子供独自の関係性が出来上がる。
どこの店がパンくずをわけてくれるとか、お金を恵んでくれる夫人が居るとか、仕事を手伝わせてくれるとか、そういう情報は皆で分け合った。
たまに盗んできたものを分けてくれる子も居たけど、あたしはそれを絶対受け取らなかった。
また盗みもやらなかった。
中でも要領のいい子供は、国境を越えると税金が掛かる品物を運ぶのに子供は警戒されにくいから運び屋をやってる子もいた。
路上で暮らす子たちの中でも運び屋をやってる者は実入りがとても良かったが、それもやらなかった。
街で禁止されている毒草を森から摘んで来て捌くのだって――。
あたしは、あたしが悪い子になることが怖かった。
悪い子になったことで、もうこの世にいないお父さんとお母さんが「悪者の親」扱いされるのが怖かった。
生きるか死ぬかの瀬戸際で盗みを働たら怒るような二人じゃ無かったけど、なかったからこそお父さんとお母さんがあたし越しに悪く思われるのが嫌でその意地で生き残って来た。
学のない子供が真っ当に生きようとしても難しくて、とうとうひもじくて動けなくなって、死にかけていた所をエマさんに拾われたのだ。
そして拾われてきたあたしに馬鹿みたいに優しくしてくれたのがホルスト君で、しっかり仕事を叩きこんでくれたのが親方だ。
「あたし、一生かけてアンゲルス鍛冶屋の利益になりたいの。報えないなら死んでもいいくらいに」
浅く息を吸って、小さく吐きだす。
あの意地を買ってくれたエマさんが拾ってくれたのだ。だからそれだけは捨てられない。
「カイルといると駄目なの、馬鹿になるのよあたし。そんな自分を許容できない」
エマさんは生きていくのに必要な、いや必要以上のものを教えてくれた。
多分あたしに何か教えるのが楽しくて仕方ないんだと、自惚れだけどそう思ってる。
ようやく話し終えると、酸素が足らないのかくらくらした。
緊張しすぎかしらね。
そう言えば過去の話なんて人に初めてしたかも。
しばらく沈黙の後、カイルの目からどんどんと涙が溢れた。
「堂々と泣くのね」
「お前は…どっかにこういうの、面白おかしく漏らす奴じゃねえだろ…」
「当たり前」
何を話してよくて何なら話しては駄目かくらいの分別は付いているつもりだ。
あたしを大切にしてくれてる優しい人達からしっかり学ばせてもらった。
それから、カイルもぽつりぽつりと昔話を始めた。
お母さんがクズ男に引っかかって身持ちを崩したこと。
おかしくなってしまった母親の面倒を見ながら生きてきたこと。
だから恋愛に嫌悪感しか無かったこと。
……なのに付き纏われて迷惑だったはずのあたしのことを好きになってくれたこと。
「好きだ。別れたくない。チャンスをくれ」
「無理よ。さようなら」
「お前が好きにさせたんだろ?近寄って来なきゃ知らずに済んだのに、余計な事しておいて逃げやがるのか」
「ええ。別れましょう」
「劇の…チケットも、あるんだ。お前と見ようと思って」
「他の人を誘ってね」
「もうすぐお前の誕生日だろ…プレゼントだって、今までの分を込めて、選んで…」
「受け取れないわ。でもありがとう」
「――結婚、しようと思ってた」
「それは素敵ね。早くいい人が見つかるといいわね」
縋ってくれるカイルを切って捨てていく。
これ以上隙は見せない。
好きだと恥も外聞もなく泣いてくれるこの男が、ただでさえ愛おしくて仕方ないのだから。
カイルが泣き終わるまでたっぷり半日以上カフェのその席を占領してしまった。
飲み物のお替りを聞こうかどうか迷っている店員さんがおろおろしていて気の毒だった。
彼が涙を止めるまで付き合ったのは、最後の未練だ。
これで本当に終わり。
*
リックさんの事件があってから、変に知名度が上がってしまい仕事が増えたアンゲルス鍛冶屋。
たまに冷やかしや注文するだけして逃走する愉快犯なんかも混じっていて困ったが、まぁ概ね客足が伸びたことに違いはない。
今日も親方がリックさんをどやしているが、前よりも作業効率が上がり、専念したい仕事にも打ち込めるようになったせいか親方はどことなく楽し気だ。
「エマニュエルのお嬢さん、もうすぐ結婚式を挙げるらしいぞ」
「ほんと?凄い早さね」
「何か大きいこと仕出かす前にって根性が丸出しだな。迷惑を被ったこっちとしては助かるが」
カイルと別れて五カ月。
別れ話をしていた時に婚約発表だったから、かなり焦った結婚ね。
準備期間でギリギリってとこかしら。
「いやぁ、あの時は本当にご迷惑をおかけしました」
「全部未然に防げてたからいいが、一歩間違えば店の信用問題にかかわるような騒ぎばかりだったからな」
あれ?なんかホルスト君、珍しく言い方に棘ある?
「悪ガキどもに恨みを買って友達もずいぶん減った」
「あ…ごめん」
そうだろうな、ああいう子供たちの大体は盗みを働く理由があるから。
両親が揃ってる子はそれだけで周りから嫉妬を買うし。
ホルスト君はそれでも他の子たちと上手くやってきていたのに、あたしのせいでバランスを崩してしまった。
店に迷惑をかけ7歳も年下の男の子に苦労させて、その理由が男に血迷ってたせいなんて笑い話にもならない。
「…あたしになんか、できることある?」
「お、言ったな」
不穏な雰囲気から一転、ホルスト君があたしを見てにやりと笑った。
今日ちょっと変ね。
「俺が16になるまでの5年、絶対に男作るなよイーリィ」
「い!?5年!?そ、それは長すぎじゃないかしら…」
男のせいで店に迷惑を掛けた罰にしては、五年は長い。
あたし完全に行き遅れ年齢になっちゃうわ。
せめてもっと刑期を短く…と詰め寄るもびた一文まけないと言い返される。
23になってから結婚相手探すなんて難易度高過ぎよ。無理無理。
そんなに器量良くないのに。
「俺はお前の人生なら背負えるぞ。もう少し背中が大きくなるまで待ってろ」
え、うそ、そういう意味?
どうしようエラさんに殺されちゃう。
親方には拳骨されちゃうかしら。いや、年上をそう気にする人たちでもないか…?
困惑しながら、カイルとの別れ際に「お前、俺と別れて何年も男がいなかったらどうなるかわかってんだろうな」とよくわからない脅しをされたのを思い出していた。
いきなり昔話を始めたあたしに、カイルが意表を突かれた顔をする。
「…そうなのか」
「うん。頼れる親戚もいなくて、お店の手伝いとか頼み込んでやらしてもらって9歳くらいまで生きてた」
路上で生活していても誰も見向きもしてくれない。
こんなに大人が居るのに、誰一人可哀想なあたしに手を差し伸べてくれない恨みをずっと腹の内に燻らせて生きて来た。
あたしみたいな子供は珍しくも無いから優しさを見せていたらキリがないのだろうと、この歳になってからやっと解る。
港町には漁師や渡航者が多く、気の荒い者がよく道端で喧嘩をして、それに巻き込まれることもしばしば。
あたしと同じ境遇の子たちは皆、大人を怖がってひっそり生活していた。
そうすると、子供には子供独自の関係性が出来上がる。
どこの店がパンくずをわけてくれるとか、お金を恵んでくれる夫人が居るとか、仕事を手伝わせてくれるとか、そういう情報は皆で分け合った。
たまに盗んできたものを分けてくれる子も居たけど、あたしはそれを絶対受け取らなかった。
また盗みもやらなかった。
中でも要領のいい子供は、国境を越えると税金が掛かる品物を運ぶのに子供は警戒されにくいから運び屋をやってる子もいた。
路上で暮らす子たちの中でも運び屋をやってる者は実入りがとても良かったが、それもやらなかった。
街で禁止されている毒草を森から摘んで来て捌くのだって――。
あたしは、あたしが悪い子になることが怖かった。
悪い子になったことで、もうこの世にいないお父さんとお母さんが「悪者の親」扱いされるのが怖かった。
生きるか死ぬかの瀬戸際で盗みを働たら怒るような二人じゃ無かったけど、なかったからこそお父さんとお母さんがあたし越しに悪く思われるのが嫌でその意地で生き残って来た。
学のない子供が真っ当に生きようとしても難しくて、とうとうひもじくて動けなくなって、死にかけていた所をエマさんに拾われたのだ。
そして拾われてきたあたしに馬鹿みたいに優しくしてくれたのがホルスト君で、しっかり仕事を叩きこんでくれたのが親方だ。
「あたし、一生かけてアンゲルス鍛冶屋の利益になりたいの。報えないなら死んでもいいくらいに」
浅く息を吸って、小さく吐きだす。
あの意地を買ってくれたエマさんが拾ってくれたのだ。だからそれだけは捨てられない。
「カイルといると駄目なの、馬鹿になるのよあたし。そんな自分を許容できない」
エマさんは生きていくのに必要な、いや必要以上のものを教えてくれた。
多分あたしに何か教えるのが楽しくて仕方ないんだと、自惚れだけどそう思ってる。
ようやく話し終えると、酸素が足らないのかくらくらした。
緊張しすぎかしらね。
そう言えば過去の話なんて人に初めてしたかも。
しばらく沈黙の後、カイルの目からどんどんと涙が溢れた。
「堂々と泣くのね」
「お前は…どっかにこういうの、面白おかしく漏らす奴じゃねえだろ…」
「当たり前」
何を話してよくて何なら話しては駄目かくらいの分別は付いているつもりだ。
あたしを大切にしてくれてる優しい人達からしっかり学ばせてもらった。
それから、カイルもぽつりぽつりと昔話を始めた。
お母さんがクズ男に引っかかって身持ちを崩したこと。
おかしくなってしまった母親の面倒を見ながら生きてきたこと。
だから恋愛に嫌悪感しか無かったこと。
……なのに付き纏われて迷惑だったはずのあたしのことを好きになってくれたこと。
「好きだ。別れたくない。チャンスをくれ」
「無理よ。さようなら」
「お前が好きにさせたんだろ?近寄って来なきゃ知らずに済んだのに、余計な事しておいて逃げやがるのか」
「ええ。別れましょう」
「劇の…チケットも、あるんだ。お前と見ようと思って」
「他の人を誘ってね」
「もうすぐお前の誕生日だろ…プレゼントだって、今までの分を込めて、選んで…」
「受け取れないわ。でもありがとう」
「――結婚、しようと思ってた」
「それは素敵ね。早くいい人が見つかるといいわね」
縋ってくれるカイルを切って捨てていく。
これ以上隙は見せない。
好きだと恥も外聞もなく泣いてくれるこの男が、ただでさえ愛おしくて仕方ないのだから。
カイルが泣き終わるまでたっぷり半日以上カフェのその席を占領してしまった。
飲み物のお替りを聞こうかどうか迷っている店員さんがおろおろしていて気の毒だった。
彼が涙を止めるまで付き合ったのは、最後の未練だ。
これで本当に終わり。
*
リックさんの事件があってから、変に知名度が上がってしまい仕事が増えたアンゲルス鍛冶屋。
たまに冷やかしや注文するだけして逃走する愉快犯なんかも混じっていて困ったが、まぁ概ね客足が伸びたことに違いはない。
今日も親方がリックさんをどやしているが、前よりも作業効率が上がり、専念したい仕事にも打ち込めるようになったせいか親方はどことなく楽し気だ。
「エマニュエルのお嬢さん、もうすぐ結婚式を挙げるらしいぞ」
「ほんと?凄い早さね」
「何か大きいこと仕出かす前にって根性が丸出しだな。迷惑を被ったこっちとしては助かるが」
カイルと別れて五カ月。
別れ話をしていた時に婚約発表だったから、かなり焦った結婚ね。
準備期間でギリギリってとこかしら。
「いやぁ、あの時は本当にご迷惑をおかけしました」
「全部未然に防げてたからいいが、一歩間違えば店の信用問題にかかわるような騒ぎばかりだったからな」
あれ?なんかホルスト君、珍しく言い方に棘ある?
「悪ガキどもに恨みを買って友達もずいぶん減った」
「あ…ごめん」
そうだろうな、ああいう子供たちの大体は盗みを働く理由があるから。
両親が揃ってる子はそれだけで周りから嫉妬を買うし。
ホルスト君はそれでも他の子たちと上手くやってきていたのに、あたしのせいでバランスを崩してしまった。
店に迷惑をかけ7歳も年下の男の子に苦労させて、その理由が男に血迷ってたせいなんて笑い話にもならない。
「…あたしになんか、できることある?」
「お、言ったな」
不穏な雰囲気から一転、ホルスト君があたしを見てにやりと笑った。
今日ちょっと変ね。
「俺が16になるまでの5年、絶対に男作るなよイーリィ」
「い!?5年!?そ、それは長すぎじゃないかしら…」
男のせいで店に迷惑を掛けた罰にしては、五年は長い。
あたし完全に行き遅れ年齢になっちゃうわ。
せめてもっと刑期を短く…と詰め寄るもびた一文まけないと言い返される。
23になってから結婚相手探すなんて難易度高過ぎよ。無理無理。
そんなに器量良くないのに。
「俺はお前の人生なら背負えるぞ。もう少し背中が大きくなるまで待ってろ」
え、うそ、そういう意味?
どうしようエラさんに殺されちゃう。
親方には拳骨されちゃうかしら。いや、年上をそう気にする人たちでもないか…?
困惑しながら、カイルとの別れ際に「お前、俺と別れて何年も男がいなかったらどうなるかわかってんだろうな」とよくわからない脅しをされたのを思い出していた。
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ロクな扱いしてこなかったクセに別れた途端に首を舐めてくるとか激キショすぎて吐いた。
ラブラブな恋人がベッド中で〜ならともかく別れてからとかめちゃくちゃキショすぎて吐く。
全体的に迫り方がデートDVみたいで気分悪い。
こんなクズとモトサヤにならなくて本当に良かったわ。
うっかり結婚したら多産DV待ったナシだったと思う。
主人公が恋愛脳に陥って迷惑撒き散らし害悪になるの辟易しているから、現実を見据えて判断できて本当に良かった。
親方もだけどエラさんがカッコイイ、女傑だ。
バカな恋愛より、こんな人達がそばに居ることが一生の宝物!
7歳も年下の子が既にイイ男の器だし、じっくり口説かれても良いんじゃないかな。
クズはとにかく傲慢すぎて駄目駄目駄目すぎ。
感想ありがとうございます。
恋愛話のようでそうでないような、どっちつかずになってしまったのを悩んでいたんですが、そのように予想を交えつつ感想を頂けると刺激にも参考になります。
番外編、どうもプロットというものを組むのが苦手なようで、一度完結させたものに手を入れられるかどうかは話が思いつき次第になるかと。直答できず申し訳ありません。
感想ありがとうございます。
ヒロインが肝っ玉に成長しつつあるのでデカい器の年下に手綱握られるくらいが丁度いいのかもしれません。
奥様は義母にすると緊張と安心感があるタイプ