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子供のひったくりにあった後、ホルスト君が指示した時間と場所には盗られた荷物があった。
どうやらホルスト君の脅しが効いたらしい。
このナイフは奥さんから貰った仕事が軌道に乗ったお祝いに貰ったものだと聞いている。
お金では弁償できなかっただろう。
痴話喧嘩で済まされる話はとっくに過ぎてしまった。
「お邪魔します」
土産を引っ提げ、不安定な吊り橋を渡るかのような覚悟で親方の奥さん、エラさんを尋ねる。
「いらっしゃい。よく来たわね」
「大変な時期に突然申し訳ありません」
「あらぁ、そんな畏まっちゃって。やっぱり厄介ごとなの」
「……はい」
「それで、あたしを使って早々に解決したいと」
「……はい」
「はは、いい度胸ねえ。ほらそんなとこ突っ立ってないで入んなさい」
エラさんは懐に入れた相手には歪曲な表現をされて時間を取らされるのが好きではないらしく、こちらの動向を端的な言葉で表現してくる。
それを謙遜で言葉を塗り返すと話を聞いてくれない時があるので、こちらから下手に訂正できない。
エラさんが重そうなお腹で椅子に座り「紅茶は上の戸棚の二段目ね」と指示して来た。
自分で茶を淹れろということだ。
親方のご自宅に来たことはこれが初めてではなく、むしろ何度となく招かれているので、勝手知ったる他人の家とばかりに戸棚を空け茶葉を取り、お湯を沸かした。
テーブルにお土産で買ってきたドライフルーツ入りのクッキーを飲み物と一緒に出し、妊娠中のエラさんの分はミルクを温めたものを用意すると、合格とばかりにティーカップを持ち上げてくれて飲んでくれた。
この時点でしくじるとやはりこちらの話は聞いてくれない。
大事な話を、しかもエラさんに頼み事となると、交渉をする前に指先一つの動きから査定をされる。
食えぬ古狸の商人たちを相手にした時のための練習だそうだ。
日頃から慣れておけと言う事らしい。
しかも今回は自分の弱ってる肚を見せるような相談事だ。
エラさんの機嫌を損ねたが最後、と綱渡りをするような心持で挑む。
「で、用件は」
優雅に茶請けを摘まみながら質問され、今までの経緯を掻い摘んで話す。
あまり長話にならないよう、また自分の感情が入り過ぎないように慎重に。
それからエマニュエルについて今の時点でわかっていることをまとめた資料を渡す。
「いやだねえ。色恋沙汰にウチの店巻き込んだの。やってくれるじゃない」
「申し訳ありません」
「まあ男関係でどの程度自分に不備が出るのか、しっかり観察しておきなさい」
「はい」
「半端な金持ち相手に小競り合いするのもいい勉強になるわ。しっかり学びな」
「はい」
教育熱心なエラさんは、今回の面倒事をあたしの予習復習くらいに捉えているようだ。
ここまで面倒を見てくれて、というかどんな厄介ごとも経験も糧に消化させようとしているエラさんは、あたしを最終的にどうするつもりなのか。怖くて聞けない。
港街でこの人に拾われた時からずっと、一生この人に頭が上がらないのだろう。
もう既に手綱を握られていることに絶対の信頼を置いてしまっている。
「エマニュエルのお嬢さんはヤーコブ商会の娘さんだわね。あそこ、最近変な物件を買ってたから噂が耳に入って来てたのよ」
「物件ですか」
「羽振りのいい店が並び過ぎたせいでちょっとした店が入っても商売が長続きしない立地があるの。ほんと、立地条件だけなら一等地扱いなんだけど」
「ああ、大きな店に囲まれてるせいで日当たりが悪い、あの?」
「しかもお嬢さんが新聞社に熱心に通ってるってオマケつき。怪しいもんよ」
「物件に、新聞社…」
細々嫌がらせをするだけでは済まなかったのだろう。嫌な予感しかしない動きに頭が痛くなってくる。
今までの嫌がらせが未遂で終わってる分、過激になってきているのだろうか。
「いーい?あたしはアンタが調べろといったことしか調べないし、あんたが指示した動きしかしない。あたしを有効活用するんだ」
「はい」
「それと伝手を広げるように努力しな。得られる情報が偏ってる。旦那に言っとくから、旅行者が来るお祭りなんかは屋台を出すか休みを取って積極的に参加しな。旅芸人や商人とは仲良くするんだよ」
「はい」
じわりじわりと、エラさんが声を発するたび脂汗が背中を伝う。
この人、もし親方に惚れてなかったらもっと別の舞台で活動していたんじゃないだろうか。
「はい。説教終わり」
ぱん、と手を軽く叩くエラさん。
公私を切り替えるときの癖なんだとか。
「ねー聞いて頂戴!三食肉しか食べたくなかったあたしがこの子のお陰で毎日野菜生活よ、トマトがうまい!」
「妊娠すると食の好みが変わるって聞きますからね。エラさん、そのタイプだったんですね」
「それでねぇ、久しぶりにイーリィのポテトサラダと豆のシチューが食べたいのよー」
「勿論、ぜんぜん作りますって!材料揃ってます?買って来ましょうか?」
「今日あんたが来るって聞いてたから揃えてあるわ。そら豆のいいのが手に入ったからお願いねえ」
どうやらホルスト君の脅しが効いたらしい。
このナイフは奥さんから貰った仕事が軌道に乗ったお祝いに貰ったものだと聞いている。
お金では弁償できなかっただろう。
痴話喧嘩で済まされる話はとっくに過ぎてしまった。
「お邪魔します」
土産を引っ提げ、不安定な吊り橋を渡るかのような覚悟で親方の奥さん、エラさんを尋ねる。
「いらっしゃい。よく来たわね」
「大変な時期に突然申し訳ありません」
「あらぁ、そんな畏まっちゃって。やっぱり厄介ごとなの」
「……はい」
「それで、あたしを使って早々に解決したいと」
「……はい」
「はは、いい度胸ねえ。ほらそんなとこ突っ立ってないで入んなさい」
エラさんは懐に入れた相手には歪曲な表現をされて時間を取らされるのが好きではないらしく、こちらの動向を端的な言葉で表現してくる。
それを謙遜で言葉を塗り返すと話を聞いてくれない時があるので、こちらから下手に訂正できない。
エラさんが重そうなお腹で椅子に座り「紅茶は上の戸棚の二段目ね」と指示して来た。
自分で茶を淹れろということだ。
親方のご自宅に来たことはこれが初めてではなく、むしろ何度となく招かれているので、勝手知ったる他人の家とばかりに戸棚を空け茶葉を取り、お湯を沸かした。
テーブルにお土産で買ってきたドライフルーツ入りのクッキーを飲み物と一緒に出し、妊娠中のエラさんの分はミルクを温めたものを用意すると、合格とばかりにティーカップを持ち上げてくれて飲んでくれた。
この時点でしくじるとやはりこちらの話は聞いてくれない。
大事な話を、しかもエラさんに頼み事となると、交渉をする前に指先一つの動きから査定をされる。
食えぬ古狸の商人たちを相手にした時のための練習だそうだ。
日頃から慣れておけと言う事らしい。
しかも今回は自分の弱ってる肚を見せるような相談事だ。
エラさんの機嫌を損ねたが最後、と綱渡りをするような心持で挑む。
「で、用件は」
優雅に茶請けを摘まみながら質問され、今までの経緯を掻い摘んで話す。
あまり長話にならないよう、また自分の感情が入り過ぎないように慎重に。
それからエマニュエルについて今の時点でわかっていることをまとめた資料を渡す。
「いやだねえ。色恋沙汰にウチの店巻き込んだの。やってくれるじゃない」
「申し訳ありません」
「まあ男関係でどの程度自分に不備が出るのか、しっかり観察しておきなさい」
「はい」
「半端な金持ち相手に小競り合いするのもいい勉強になるわ。しっかり学びな」
「はい」
教育熱心なエラさんは、今回の面倒事をあたしの予習復習くらいに捉えているようだ。
ここまで面倒を見てくれて、というかどんな厄介ごとも経験も糧に消化させようとしているエラさんは、あたしを最終的にどうするつもりなのか。怖くて聞けない。
港街でこの人に拾われた時からずっと、一生この人に頭が上がらないのだろう。
もう既に手綱を握られていることに絶対の信頼を置いてしまっている。
「エマニュエルのお嬢さんはヤーコブ商会の娘さんだわね。あそこ、最近変な物件を買ってたから噂が耳に入って来てたのよ」
「物件ですか」
「羽振りのいい店が並び過ぎたせいでちょっとした店が入っても商売が長続きしない立地があるの。ほんと、立地条件だけなら一等地扱いなんだけど」
「ああ、大きな店に囲まれてるせいで日当たりが悪い、あの?」
「しかもお嬢さんが新聞社に熱心に通ってるってオマケつき。怪しいもんよ」
「物件に、新聞社…」
細々嫌がらせをするだけでは済まなかったのだろう。嫌な予感しかしない動きに頭が痛くなってくる。
今までの嫌がらせが未遂で終わってる分、過激になってきているのだろうか。
「いーい?あたしはアンタが調べろといったことしか調べないし、あんたが指示した動きしかしない。あたしを有効活用するんだ」
「はい」
「それと伝手を広げるように努力しな。得られる情報が偏ってる。旦那に言っとくから、旅行者が来るお祭りなんかは屋台を出すか休みを取って積極的に参加しな。旅芸人や商人とは仲良くするんだよ」
「はい」
じわりじわりと、エラさんが声を発するたび脂汗が背中を伝う。
この人、もし親方に惚れてなかったらもっと別の舞台で活動していたんじゃないだろうか。
「はい。説教終わり」
ぱん、と手を軽く叩くエラさん。
公私を切り替えるときの癖なんだとか。
「ねー聞いて頂戴!三食肉しか食べたくなかったあたしがこの子のお陰で毎日野菜生活よ、トマトがうまい!」
「妊娠すると食の好みが変わるって聞きますからね。エラさん、そのタイプだったんですね」
「それでねぇ、久しぶりにイーリィのポテトサラダと豆のシチューが食べたいのよー」
「勿論、ぜんぜん作りますって!材料揃ってます?買って来ましょうか?」
「今日あんたが来るって聞いてたから揃えてあるわ。そら豆のいいのが手に入ったからお願いねえ」
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