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3:罪に追われる姫

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 広大な海原を走る帆船。
 四本の大マストすべてに横帆を持ち、高い船尾楼を誇る、典型的なガレオン。安定性にやや難があるものの、搭載量が大きいために外洋航海にも用いられる大型帆船である。
 魔術装具などをふんだんに使用した最新型とまではいかないが、思考錯誤と蛮用の末に完成された「枯れた」技術で構成された、頑健な作りをしている。
 ただ、この規模の船であれば国なり商会なり、それなりの規模の組織の所有であるはずで、それならば所属を示す旗をかかげているのが通例であるはずだった。それは事故を防ぐためでもあり、ある種の示威行動でもある。しかし、それに類するものは見当たらない。それが奇妙といえば奇妙であった。
 風は順風。船足は速い。
 晴れていれば青に埋めつくされる南の海は、残念ながら曇天。それを写して海面もまたどこまでも深く暗い。
 それは、この船に乗る人々の内心を表すかのようでもあった。
 船尾楼の中でも奥まった部屋。高級船員のものとはまた別に、普段は幹部が用い、めったにないことではあるが賓客を乗せる場合に提供される、船室としては広く、そこそこ豪華な一室。その頑丈な扉が叩かれる。
 ノックというには少々重く大きな音。それが相手なりの敬意であり、本来は中の人間にお伺いを立てるなどという殊勝な性格ではないことを知っている部屋の主は、粗野な所作をとがめたではしなかった。
「どうぞ」
 かたわらの従者が眉をしかめるが、無視。
 最初の音が聞こえた時点ですでに扉を開き始めているせっかちさ。断られるとは思ってもいない、ただの確認。
 そうした思考がありありと感じられることに、従者の眉がさらに寄る。
 いいかげんに慣れればいいものを、という主の呆れを感じ取れないまま。
「おう、姫さん。邪魔するぜ」
 野太く潮枯れた声は美声とはいえまい。いささかだるそうな響きとなればなおさらに。
 それでもなお、この男の声は深く耳にはいりこんで来る。
 身体はとにかく太い。身長よりも横幅の方があるのではないかと思わせる体躯だ。腕も、胸も、腹も、足も。すべてが大造りであった。
 顔もその例にもれず、太くがっしりした顎から続く頬はえらが張り、団子鼻にぎょろりとした目玉、太い眉。顎から口周りにかけてもじゃもじゃと密生した髭がもみあげとつながり、潮にさらされ続けて太く荒っぽくなった髪と、とにかく体積があり、ありていにいって暑苦しい。
 ゴーズ・ハルハリス。この帆船ワーズメリー号の船長だ。
 船というスペースが限られる世界では狭苦しそうに見えるものの、この道30年以上というベテランだ。
 その、実質的な船上の最高位者から「姫」と呼ばれた人物は、まだ成人前の少女であった。
 金髪碧眼に白い肌というのは帝国貴族主流の特徴に合致するが、アップにして編みこんだ髪の一房が赤く、簡素ながら素材の良い機能的なシャツとズボンにつつまれた肢体は、年齢からはいささか不相応なほどにグラマラス。華奢な北方人の特徴からははずれるものだった。
 顔立ちは幼さを残しつつもよく整っており、しっかりとした気概によってひきしまった表情と、知性が宿る瞳によって、子供という印象を与えない。
 シュリーヴィア・フレグ・フレフト。大陸南部アルフレフト王国フレフト王家の第四子で次女。身分的にも確かに姫と呼ばれるにふさわしい人物である。それだけであるならゴーズは敬意など表さなかったが。
 そう、例えば。
「船長! 何度いえば分かるのか! 姫様に対してその物言い! 態度! 不遜だというのだ!」
 船内で長剣を佩き、主に窘められなければ帷子すら身につけようとし、相手がいま少し悪辣な性格であれば夜闇にまぎれて船桁から放りだされかねない荒くれ船乗りだということを認識できない、この従者へ対するように。
「黙ってろ小娘。ちいっとばかり重要な話だ」
 視線すら向けずにいい放つゴーズの態度に、相手の顔が真っ赤に染まる。
 従者、といっているがそれはシュリーヴィアの視点からの話であって、身分としては騎士だ。貴族と平民の間、準貴族、当人達は末席とはいえれっきとした貴族といいはる身分。
 もっとも、彼女――アラルルラ・ハーデンバークの場合は王族子女の護衛として貴族の娘が一代限りとして任じられるものにすぎない。末端中の末端である。
 しかし吹けば飛ぶようなものであるだけに、主張しなければ本当に無視されてしまうという危機感がある。余裕がない。状況が重なっている今はなおさらに。
 思わず剣の柄に手が伸びかけたところで、それに気付いたシュリーヴィアが
「アルル」
 いたって平坦な声音で機先を制する。
 鋭くも高くもない、しかし命令に威を与えることになれた音声が、興奮を妨げる。
 無言のまま踏み出した足を戻し、姫の斜め前で直立不動の態勢を取る。
 肩口あたりでそろえられた赤毛に黒い瞳は貴族内では珍しい部類にはいる。顔立ちは悪くないが、眉間のしわで台無しだ。
 剣に手が伸びたところで一応警戒したゴーズは、その様子を目の端におさめて捨て置くことにする。
 普段ならからかって遊ぶかもしれないが、いまはそれどころではない。
「で、何事でしょう。船長」
 シュリーヴィアはしっかりとゴーズの目を見て話す。
 王族として傲慢にふるまうでもなく、圧倒的な実力者に対して委縮するでもなく。
 船の名目上の責任者としての義務感と、船長の力量に対する敬意を等分に。王族としての自負と気概をその上に。
 成人前、まだ14だというのに歳だけ重ねた大人などおよびもつかない自主自立自尊。
 若さゆえのいたらなささえ自覚しているその在りようは、すれっからしの荒くれにはいささか眩しいものだ。
 それだけに現状は心苦しい。
「当初の予定は覚えてるか?」
 忘れていると思っているわけではないが、まくらというものだ。
「ええ。嵐の領域をかすめて西へ、でしたね?」
 向こうも承知して簡潔に答えてくる。
 嵐の領域とは、大陸南方の海域に存在する「はれない嵐」が支配する海域だ。
 文字どおり、いつ至っても強い嵐が吹きすさび、その中心へ船が向かうことを許さない。うっかり囚われようものならなす術もなく海の藻屑にされる、魔の海域だ。周辺の海ですら常に雲がかかり、近づくほどに羅針盤すら狂い出す。
 この世界において、こうした超自然的現象は強大な存在力によってもたらされる。それが自然発生的なものであれば周期があったり、短時間で終わったりするのだが。
「そうだ。名乗りはあがっちゃいねぇが十中八九は神の仕業。それも相当な力があるヤツのだ。こいつをかすめればアレの追跡をごまかしやすいだろうとふんだわけだが……」
 いつもはっきりと豪放磊落な物言いをするゴーズにしては珍しく語尾が鈍る。
 その案についてはシュリーヴィアも成算ありとして許可を出したものだ。
 神が猛威をふるう世界において、人間など知的種族はただおびえるだけの存在であるのか?
 そんなことはない。
 まずもって、大きな種には「種を司る神」が存在する。また人間など知的種族は生活に多様性があり、例えば芸術の諸守護神はこれを行う者に加護を与える。ただ生きる野生動物の守護神より数が多くなるのは当然だろう。規模は違っても同じ神同士なら数は力だ。
 そして、神の御機嫌をとるという行動ができるのも知的種族ならではである。神の好みを探り出して歓待し、いい気分にさせる。神の性質をつきとめてあるていど制御する。それらに長じた祭祀・神官・巫女・神権王といった存在が重要な地位を占める由縁だ。もちろん、けっこうな綱渡りである。祟り神を祭って害を逃れるとかに近い。
 敵対する神同士をぶつけて自分たちは逃げる、という事例もある。むしろ全面対決にならないようにしつつ、敵の下には部下がいるんだからこちらも部下を持ちましょうよと双方に働きかけ、相手とはそこそこ戦うが、それ以外の神の干渉からは守ってもらうといった形態さえある。
 圧倒的な脅威が存在する世界でも、人は強かに生きのび、繁栄しているのだ。
 シュリーヴィアは王族であり、そちらについては専門家といっても過言ではない。彼女にいわせれば所詮比較の問題だが、ゴーズあたりにとっては、あんな化物とまがりなりにも会話を成立させていたというだけで畏敬の念を抱くには十分だ。
強大な神の力にかき乱されて、他の神の超常的な感覚が妨げられた例は伝承などにもあり、計画の素案を練る際に参考意見としてそれをのべたのはそもそも彼女だった。船長はそれを基に実際に使えそうな海の現象と、航路設定を考えた。
 姫が無言で小さくうなずいたことで、先を続ける。
「どうも、妙だ。雲の範囲にはいって結構たつ。そろそろ嵐が見えてきていいはずなんだが……、雲はあっても嵐がない」
 はれない嵐。その範囲は一定で、多少の誤差はあっても台風のように奔放に動き回ったりはしない。
 そして、雲は依然存在している。ということは現在位置が大きく間違っているというわけでもない。ならば色々と危ない橋を渡る過程で何度も嵐をかすめる航路をとった経験のある船長の勘が狂っているのか。
 それはそれで危険なことだが、より以上の問題の可能性が存在した。
「嵐の領域に異常が発生している、と?」
 天を衝く嵐を広範囲に発生させ、しかも一定領域に留めおくなどという超常現象の原因は、強大な神格ぐらいしかありえない。雲の位置は想定どおりであるとすると、相手が完全に場を去ったわけではない。
 ならば相手が存在したうえで、常ならぬことが起こっているということ。
 それは、予想の中にない最悪中の最悪だ。
「……そうでなきゃぁいいんだがなぁ」
 渋面を浮かべる船長の言葉とは裏腹に、その内側ではすでに異常が起きているという確信があるようだった。
 自分のとった針路がまちがっていないという自信と、剣呑なものをかぎつける嗅覚、その両方から。
「なら、進む先を西に変えましょう。当初の計画の効果は見込めなくても、もっと大きな災厄に飛びこむよりはましです」
 玄人の判断を見て即決したのは英断といえるだろう。能力に信を置いたら、相手から情報を読み取って的確に判断する。優れたリーダーの資質といえる。
 問題は、それでもすでに手遅れだということだったが。
「か、頭ぁ!!」
 身軽で無駄のない動きをする水夫が、普段ならしない乱暴な足音とともに駆けこんでくる。
 ノックもなしに扉を開け放って突き出した顔面へ、ゴーズの拳がめりこんだ。
「頭じゃねぇ、船長と呼べっつってんだろ! それと姫さんの部屋に挨拶もなしにはいるんじゃねぇ。吊るすぞゴラァ!!」
 至近距離で大砲が炸裂したような迫力を持つ船長の怒声に、ひっくりかえった水夫はあわてて姿勢を正した。
 そうしないと今度は蹴りが飛んでくることを身体が覚えているのだ。条件反射ともいう。
「すっ、すいまっせん。ですがか、じゃねぇ船長! 一大事です!」
 うなりをあげて威嚇する猛犬のような形相を見せていたゴーズも、これ以上ひっぱって手遅れなどという事態は避けたいので頭を切り替える。
「一大事は分かった。なにがあった?」
 こういう時、水夫が独断で伝令には来ない。副船長か航海長か、上にいた上級船員がいい含めて伝令によこしたはずだ。
「し、島です!」
 ゴーズのドングリ眼が見開かれる。
「針路の先、まだ遠いですが、島が見えます! おまけに強い風と海流につかまって、船がそっちへ突っこんでます! 向きが変えられねぇと操舵士が!」
 嵐をかすめようとしてドロ沼にはまる。
 そんなイメージが、姫と船長の脳裏に広がった。
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