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一章

8話 怪

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「リセナはね、格好いいんだよ。でも後で親から怒られた時は、もう、ぐしゃぐしゃに泣いててさ。やっぱり、オレが守らなくちゃって」
 レオンは、その時のことを思うと、今でも胸がきゅっと締めつけられる。

 地面に座って話を聞いていたメィシーは、やわらかく微笑んだ。
「なるほど、リセナは命の恩人なんだね。彼女は優しくて、仲間を何より大切にできる――。納得がいったよ」

 壁によりかかって特に話を聞いていなかったグレイは、メィシーに問う。
「それより、お前、いつまで黙っているつもりだ? おかしな噂を聞いたんだろう」
「……まあね。リセナを不安にさせたくないから、彼女にはまだ内緒にしておいてほしいのだけれど」

 そう前置きして、メィシーは昨日、お茶会と称して街で聞き込みした成果を語りだした。

「ある男性が、山菜を採りに山へ入ったきり、帰ってこなくなったらしい。そして数日後、彼は変死体となって発見された」
 レオンが顔をしかめる。
「山って、もしかしてオレたちがいた……?」
「うん。魔物が相手なら君たちだけで大丈夫だと思っていたけれど、どうにも様子がおかしい。彼の遺体は、両膝と両手のひらこそ擦り傷でいっぱいだったけれど、なにが致命傷だったか全くわからないんだ。ただただ、見つかった時には絶命していた」
「病気とかじゃなくて?」
「その可能性もある。けれど、彼が行方不明になった直後、彼らしき生き物を遠目に見たという目撃情報があってね」

 彼らしき生き物。妙な表現だった。

「ソレは、地面に腹ばいになって、獣か虫かもわからない異様な動きで這い回っていたそうだ。意味不明なうめき声をあげながら、ね」

 想像すると、悪寒が走った。レオンが力なくつぶやく。
「だ、誰かの趣味の悪い魔法……というか、呪いのせいとか……」
「わからない。今はまだ、ただの噂話だ。……でも、この前襲ってきたあの甲冑は、謎の原理で動いていた。魔法じゃなさそうだったんだ」
「えっ……!?」
「そうだ、あの破片も調べてもらおうと思っていたんだ。きみたち、大人しく待っていてね。勝手に歩き回ったり、殺し合いしたらダメだからね」
 そう言い残して、メィシーは建物の中へ入って行った。

 彼が来たとき、ちょうどリセナは採血中で、ダンにこんな質問をされていた。

「そういえば、一緒にいた男の子って彼氏?」
「えっ? いやいや、ただの友達です……!」

 笑顔で否定されていたので、さすがにちょっと可哀想になってメィシーは口をはさむ。
「でも、彼、あなたのことをすごく大切にしているでしょう?」
「あ、メィシーさん――。いえ、レオは誰にでも優しいから、私が特別というわけでは……」
 優しくされた覚えのないメィシーが首をひねる。

 ダンは注射針を抜くと、純粋な好奇心で言った。
「まあ彼じゃなくてもいいんだけどさ。魔力増幅アンプリフィエが子どもに遺伝するものなのか知りたいから、パートナーができたら教えてくれ」
「えっ、あ、ハイ……」
「そうだ、メィシーなんてどう? ちょっと気持ち悪いやつだけど、ほら、顔は嘘みたいに綺麗だろ」
「ダン……」
 メィシーからジトッとした目で見られても、彼はお構いなしだ。
「それかあの、後ろにいた大男でもいいよ。なんかヤバそうだったけど、性能的には一級だろアレ」
「ダン。交配実験じゃないんだ、レディに対して失礼だろう。やめなさい」

 珍しく強めの口調で言うメィシー。彼の隣で、リセナはやり場のない目を伏せていた。

 ――パートナー、か……。私、どうしたいんだろう。婚約破棄されて少し経つけど、まだ、何も考えられないな……。

 ◆

 今日はメィシーと同室になる日だ。適切な距離感を保ってくれる彼とは、比較的穏やかな時間を過ごすことができる。

「明日にも検査結果が出るでしょうから、もう少しお付き合いくださいね。あ、パートナー云々という話は忘れていいですよ」

 ベッドに腰かけたリセナへ、彼はホットミルクのマグカップを渡す。
「でも、まあ、僕とグレイのどちらに力を貸すか――もしくはレオくんと二人で家に帰るか、そろそろ考えておいてくださいね。僕は、無理強いなんてせずに、あなたの意思で選んでもらいたいので」
「は、はい……ありがとうございます」

 ふと、王太子から婚約の申し入れをされた時のことを思い出した。リセナの両親は嫌なら断ってもいいと言っていたけれど、身分の違いがそれを許さないことは彼女も承知していた。

 ――メィシーさんは、選ばせてくれるんだ……。

 彼の顔をちらりと見ると、長いまつげで飾られた翡翠色の瞳と目が合った。
「そうだ、リセナにひとつ提案がありまして。少々、レッスンというか……どうやら、あなたの魔力回路はまだ開いていないようなので、開けるお手伝いをしたいんです」
「魔力回路……」学園の授業で、少しだけ聞いたことがあった。「血管を流れる魔力だけじゃ足りないとき、そっちの通り道も使うんですよね」
「はい。普段の生活ではまず使わないんですが、魔力増幅アンプリフィエを最大限に活用するためには必要かと」
「……わかりました。お願いします」

 まだよくはわかっていないけれど、メィシーが無理を強いることもないだろうとリセナは了承する。

「ありがとうございます、本当に。僕は、どうしても、里の試練を乗り越えて一人前だと認めてもらいたくて」
 彼は空になったマグカップを受け取ると、彼女にあお向けになるよう促した。
「まあ、あなたと二人で一人前なのだけれど。ああ、そのまま、楽にしていてくださいね」
 かたわらに腰を下ろしたメィシーが、リセナの右手にそっと触れる。

「これから僕の魔力を流します。あなたはいつも通り力を使ってください。少しずつ量を増やすから、痛かったら言ってくださいね」

 じわりと温かさを感じ、体の中へ魔力が流れ込んでくるのがわかる。次第にそれは熱感へと変わり、右腕が痛み始めた。狭い通り道を、無理やりに押し広げられる感覚。

「っ……いたい、です」
「……少しペースを落としますね。慣れれば良くなりますから、大丈夫」

 彼の声は穏やかで甘く、その姿は絵画のように美しい。

「リセナ、力を抜いてください。全てを受け入れる気持ちで。安心して、大丈夫だから」

 大量の魔力を巡らせるために、リセナの鼓動は速く大きくなっていく。呼吸が乱れる。このままだと、何かがおかしくなりそうだった。

「メィシーさん……」
「おや、まだ怖いかな。いいですよ、ゆっくり進めましょう」

 火照った顔でメィシーのことを見上げると、彼は、この上なく優しく微笑んだ。

 いつも自分に向けられている、レオンの笑顔とは違う。まだ自分が知らない高い所から導いて、全てを受け止めてくれる余裕のある笑み。

 この胸の高鳴りが一体何のせいなのか、少しずつ、わからなくなってくる。
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