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一章
5話 手加減
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財布をひっくり返して、リセナの手のひらに落ちてきたのは、小さな硬貨が一枚だけだった。
四人で輪になってそれを見つめ、メィシーが高らかに宣言する。
「よし、今日は労働の日にしましょう! 魔物討伐の依頼を探しますよ!」
そんなわけで『誰がリセナの心を奪えるのか選手権(仮)』という行くあてもない旅の資金を得るため、一行はそれなりに規模の大きな街へと移動するのだった。
歩き始めてすぐ、リセナはグレイが馬上から自分の首根っこをつかもうとしている気配を察知する。昨日は馬に乗せてもらったが、体格差がありすぎて完全に子ども向け乗馬体験(保護者同伴)になっていたのだ。
「あっ、その、歩けます! 今日は自分で歩きます!」
「……お前に合わせていると、到着が遅くなる」
「ひぃ……ごめんなさい、自分で登ります……」
しかし馬自体が大きすぎて、リセナではよじ登ることもできない。結局、見かねたグレイに両脇をつかまれ、また彼の前に乗せられていた。
その一部始終を、苦虫を噛み潰したような顔で見ていたレオンがうめき声をあげる。
「あぁあ~なんで~お前までぇ、リセナにベタベタ触るんだぁ……」
「……? 今日は俺の番だろう」
彼は、メィシーが提案した『僕たち三人が、交代でリセナと寝ることにしよう』のことを言っている。一番手になっておきながら、レオンがいまいち了承できていないやつだ。
「順番を守る意識があるのかよクソ! というか別に、触っていいってわけじゃないからな!」
悪態をつくレオンのおかげで逃げ出さずに済んでいるけれど、リセナは自分のすぐ後ろにある大きな体にまだ慣れることができずにいた。手綱を握るために背後から回された両腕も、血管の浮き出た手も、包み込まれるような安心感よりは押し潰されそうな恐怖感が勝っている。
――とにかく、早く着きますように……!
彼女の心臓は、歩いていないのに、いつもより速く鼓動していた。
◆
近くの森に、マーダーベアが出て困っている。街に着き、そんな内容のよくある討伐依頼を受けた四人は、薄暗い木々の間を進んでいた。
馬で移動するには都合の悪い地形だったので降ろされたのだが、すぐにレオンがリセナの横に走り寄ってくる。
「ねえ、本当に街で待ってなくて大丈夫? マーダーベアって、普通のクマよりずっと大きくて凶暴なんだろ。オレ、昨日わりと魔力使っちゃったから、いざという時に役に立てるかわからないよ?」
「ええ。でも、メィシーさんが来てほしいって」
視線の先のメィシーは「そうですね、あなたにも力の使い方を練習してほしいんです」と言って説明を始めた。
「まず、僕たちの体を流れる魔力は、世界樹が放出した魔素を取り込んで作られているというのはご存知ですね?」
「はい。普段は血液と一緒に体を巡っていると習いました。魔法は、魔力を外に向けて使うか、体を強化するかの二つだって」
「ええ。それが一般的な話なのですが……ごくまれに、他人の魔力まで急速に増やせる者が現れるんです。あなたのようにね」
リセナには、未だに実感がわかなかった。
「どうして私が急に、そんな力を……」
「うーん。なにか、身の危険を感じたりしませんでしたか? 敵を倒すために力に目覚めるというのは、あり得ると思います」
一応、心当たりはあった。
――でも、殿下に寝室で迫られただけなのに……。もしかして、私が攻撃魔法を使えてたら、とっさに亡き者にしてた……?
彼女の頬を冷や汗が伝う。不敬罪とか事故とかで済む話ではない、反逆罪で断頭台行きだ。
「実は僕も仕組みは知らないんですが、まあ、実際にやってみましょうか」
メィシーはレオンに指示をして、剣を構えさせる。柄から吹き出る炎は、剣身を維持するのがやっとだった。
レオンがメィシーに視線を投げる。
「今はこれが限界かな。で、どうすればいいんだ?」
「リセナ、彼の魔力を受け取って、増やして返すイメージでやってみてください。こう、ぶわぁーっと」
具体的なことが何もわからない指示に戸惑いながら、彼女はレオンの空いた左手を軽くにぎる。
「えっと……こう、かな」
魔力の受け入れを開始する。先程まで肝が冷えるような思いだったが、今度は、なんだか物理的に温まってきた。炎属性の魔力だからだろうか。それとも、彼の人柄がそうさせるのだろうか。
「レオ、なにか変わりました?」
すると、レオンの持つ炎の剣身が、わずかに勢いを増して火花を散らし始めた。
「わっ、すごいやリセナ! 飲み込みが早いね!」
本人よりも、レオンの方が嬉しそうにはしゃぐ。メィシーも、やや照れくさそうな彼女に称賛の拍手を送った。
「さすがです! それじゃあ、心配なさそうなので、討伐依頼はあなたたちにお任せしますね」
「えっ? メィシーさんは?」
「いやあ、僕の戦い方だと森林破壊まっしぐらなので、ちょっと街の方で稼いできます。依頼を受けた場所で集合しましょう」
森を燃やさないように気をつけて、とだけ言い残して、彼はトコトコと街へ戻って行った。自由すぎるメィシーに呆然としていたら、今度はグレイが「あっちにいる」とだけつぶやいて、ずんずん森の奥へ分け入ってしまう。
リセナと共になんとか後を追うレオンは、ふと、こんなことに思い至った。
――そうだ。もしかして、グレイがマーダーベアを倒す瞬間……あいつの背後、がら空きになるんじゃないか? 隙をついて首を落とすくらいは、オレにも、できるんじゃないか……?
レオンは思う。あの男は危険だ。本当に彼が魔王を倒すつもりで配下に加わったのだとしても、すでに何かしらの呪いを受けている可能性だってある。たとえば――いつでも、自由に、彼の精神や行動を支配することができる呪いであるとか。
緊張で胸が締め付けられる。でも、
――今だ。今のうちに、オレがやるんだ。正面から戦っても勝てない。リセナを守るために、いま……!
グレイの言った通り、何かの肉をむさぼり食うマーダーベアがそこにいた。体長は彼の三倍ほどあるだろうか。しかし、彼が剣を構え、地を蹴り出し、マーダーベアの胸を斬り裂くまでそう時間はかからなかった。
あとは、今この瞬間、レオンがグレイの首を狙うだけ。
「ッ――!!!!」
跳ねる心臓に突き動かされるように、レオンが剣を振り上げる。
しかし。次の瞬間には、もう、グレイの剣が彼の喉元に突き付けられていた。マーダーベアを仕留め、ほとんど同時だった背後からの攻撃に対応しきったのだ。
切っ先に触れた皮膚が裂け、レオンの首から少量の血が流れ出る。身動きが取れない彼に、グレイは冷たく言い放った。
「邪魔をするのなら消す。俺にとって、お前にはなんの価値もないことを忘れるな」
その光景は、リセナにとってはあまりに唐突なことだった。
「や、やめて……」
仲裁の言葉など思いつかず、ただただグレイに駆け寄って彼を見上げる。
いつも通りの無表情で彼女を見つめたグレイは「戻るぞ」とだけ言って剣を引いた。
討伐の証としてマーダーベアの頭部だけを斬り取り、片手で鷲掴みにしたグレイがレオンとすれ違う。そうしてやっと、緊張の糸が切れたレオンは膝から崩れ落ちた。
「レオ……!」
リセナが、彼の傷の具合や顔色をのぞき込む。
「っ……リセナ、あいつ、絶対にやばいよ。オレ、あと一歩前に出てたら死んでた」
自分から仕掛けておいて、まだ手が震える。
――ああ、不意打ちでも勝てないのかよ……くそっ……!
先ほどまで緊張で締め付けられていた彼の胸が、今度は焦りや無力感に苛まれる。
彼女は、そんなレオンの手を両手で包み込んで、グレイが立っていた場所を見た。
――あれは……一歩下がった足跡がある……。致命傷にならないように、距離を調整した……?
全くの偶然かもしれない。それでも、不意打ちに対して怒りを見せることもなかったグレイの静かな瞳が、リセナの脳裏には焼き付いていた。
四人で輪になってそれを見つめ、メィシーが高らかに宣言する。
「よし、今日は労働の日にしましょう! 魔物討伐の依頼を探しますよ!」
そんなわけで『誰がリセナの心を奪えるのか選手権(仮)』という行くあてもない旅の資金を得るため、一行はそれなりに規模の大きな街へと移動するのだった。
歩き始めてすぐ、リセナはグレイが馬上から自分の首根っこをつかもうとしている気配を察知する。昨日は馬に乗せてもらったが、体格差がありすぎて完全に子ども向け乗馬体験(保護者同伴)になっていたのだ。
「あっ、その、歩けます! 今日は自分で歩きます!」
「……お前に合わせていると、到着が遅くなる」
「ひぃ……ごめんなさい、自分で登ります……」
しかし馬自体が大きすぎて、リセナではよじ登ることもできない。結局、見かねたグレイに両脇をつかまれ、また彼の前に乗せられていた。
その一部始終を、苦虫を噛み潰したような顔で見ていたレオンがうめき声をあげる。
「あぁあ~なんで~お前までぇ、リセナにベタベタ触るんだぁ……」
「……? 今日は俺の番だろう」
彼は、メィシーが提案した『僕たち三人が、交代でリセナと寝ることにしよう』のことを言っている。一番手になっておきながら、レオンがいまいち了承できていないやつだ。
「順番を守る意識があるのかよクソ! というか別に、触っていいってわけじゃないからな!」
悪態をつくレオンのおかげで逃げ出さずに済んでいるけれど、リセナは自分のすぐ後ろにある大きな体にまだ慣れることができずにいた。手綱を握るために背後から回された両腕も、血管の浮き出た手も、包み込まれるような安心感よりは押し潰されそうな恐怖感が勝っている。
――とにかく、早く着きますように……!
彼女の心臓は、歩いていないのに、いつもより速く鼓動していた。
◆
近くの森に、マーダーベアが出て困っている。街に着き、そんな内容のよくある討伐依頼を受けた四人は、薄暗い木々の間を進んでいた。
馬で移動するには都合の悪い地形だったので降ろされたのだが、すぐにレオンがリセナの横に走り寄ってくる。
「ねえ、本当に街で待ってなくて大丈夫? マーダーベアって、普通のクマよりずっと大きくて凶暴なんだろ。オレ、昨日わりと魔力使っちゃったから、いざという時に役に立てるかわからないよ?」
「ええ。でも、メィシーさんが来てほしいって」
視線の先のメィシーは「そうですね、あなたにも力の使い方を練習してほしいんです」と言って説明を始めた。
「まず、僕たちの体を流れる魔力は、世界樹が放出した魔素を取り込んで作られているというのはご存知ですね?」
「はい。普段は血液と一緒に体を巡っていると習いました。魔法は、魔力を外に向けて使うか、体を強化するかの二つだって」
「ええ。それが一般的な話なのですが……ごくまれに、他人の魔力まで急速に増やせる者が現れるんです。あなたのようにね」
リセナには、未だに実感がわかなかった。
「どうして私が急に、そんな力を……」
「うーん。なにか、身の危険を感じたりしませんでしたか? 敵を倒すために力に目覚めるというのは、あり得ると思います」
一応、心当たりはあった。
――でも、殿下に寝室で迫られただけなのに……。もしかして、私が攻撃魔法を使えてたら、とっさに亡き者にしてた……?
彼女の頬を冷や汗が伝う。不敬罪とか事故とかで済む話ではない、反逆罪で断頭台行きだ。
「実は僕も仕組みは知らないんですが、まあ、実際にやってみましょうか」
メィシーはレオンに指示をして、剣を構えさせる。柄から吹き出る炎は、剣身を維持するのがやっとだった。
レオンがメィシーに視線を投げる。
「今はこれが限界かな。で、どうすればいいんだ?」
「リセナ、彼の魔力を受け取って、増やして返すイメージでやってみてください。こう、ぶわぁーっと」
具体的なことが何もわからない指示に戸惑いながら、彼女はレオンの空いた左手を軽くにぎる。
「えっと……こう、かな」
魔力の受け入れを開始する。先程まで肝が冷えるような思いだったが、今度は、なんだか物理的に温まってきた。炎属性の魔力だからだろうか。それとも、彼の人柄がそうさせるのだろうか。
「レオ、なにか変わりました?」
すると、レオンの持つ炎の剣身が、わずかに勢いを増して火花を散らし始めた。
「わっ、すごいやリセナ! 飲み込みが早いね!」
本人よりも、レオンの方が嬉しそうにはしゃぐ。メィシーも、やや照れくさそうな彼女に称賛の拍手を送った。
「さすがです! それじゃあ、心配なさそうなので、討伐依頼はあなたたちにお任せしますね」
「えっ? メィシーさんは?」
「いやあ、僕の戦い方だと森林破壊まっしぐらなので、ちょっと街の方で稼いできます。依頼を受けた場所で集合しましょう」
森を燃やさないように気をつけて、とだけ言い残して、彼はトコトコと街へ戻って行った。自由すぎるメィシーに呆然としていたら、今度はグレイが「あっちにいる」とだけつぶやいて、ずんずん森の奥へ分け入ってしまう。
リセナと共になんとか後を追うレオンは、ふと、こんなことに思い至った。
――そうだ。もしかして、グレイがマーダーベアを倒す瞬間……あいつの背後、がら空きになるんじゃないか? 隙をついて首を落とすくらいは、オレにも、できるんじゃないか……?
レオンは思う。あの男は危険だ。本当に彼が魔王を倒すつもりで配下に加わったのだとしても、すでに何かしらの呪いを受けている可能性だってある。たとえば――いつでも、自由に、彼の精神や行動を支配することができる呪いであるとか。
緊張で胸が締め付けられる。でも、
――今だ。今のうちに、オレがやるんだ。正面から戦っても勝てない。リセナを守るために、いま……!
グレイの言った通り、何かの肉をむさぼり食うマーダーベアがそこにいた。体長は彼の三倍ほどあるだろうか。しかし、彼が剣を構え、地を蹴り出し、マーダーベアの胸を斬り裂くまでそう時間はかからなかった。
あとは、今この瞬間、レオンがグレイの首を狙うだけ。
「ッ――!!!!」
跳ねる心臓に突き動かされるように、レオンが剣を振り上げる。
しかし。次の瞬間には、もう、グレイの剣が彼の喉元に突き付けられていた。マーダーベアを仕留め、ほとんど同時だった背後からの攻撃に対応しきったのだ。
切っ先に触れた皮膚が裂け、レオンの首から少量の血が流れ出る。身動きが取れない彼に、グレイは冷たく言い放った。
「邪魔をするのなら消す。俺にとって、お前にはなんの価値もないことを忘れるな」
その光景は、リセナにとってはあまりに唐突なことだった。
「や、やめて……」
仲裁の言葉など思いつかず、ただただグレイに駆け寄って彼を見上げる。
いつも通りの無表情で彼女を見つめたグレイは「戻るぞ」とだけ言って剣を引いた。
討伐の証としてマーダーベアの頭部だけを斬り取り、片手で鷲掴みにしたグレイがレオンとすれ違う。そうしてやっと、緊張の糸が切れたレオンは膝から崩れ落ちた。
「レオ……!」
リセナが、彼の傷の具合や顔色をのぞき込む。
「っ……リセナ、あいつ、絶対にやばいよ。オレ、あと一歩前に出てたら死んでた」
自分から仕掛けておいて、まだ手が震える。
――ああ、不意打ちでも勝てないのかよ……くそっ……!
先ほどまで緊張で締め付けられていた彼の胸が、今度は焦りや無力感に苛まれる。
彼女は、そんなレオンの手を両手で包み込んで、グレイが立っていた場所を見た。
――あれは……一歩下がった足跡がある……。致命傷にならないように、距離を調整した……?
全くの偶然かもしれない。それでも、不意打ちに対して怒りを見せることもなかったグレイの静かな瞳が、リセナの脳裏には焼き付いていた。
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