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一章

3話 事情

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『お父さん、お母さんへ。突然のことで驚かせてしまってごめんなさい。でも私は元気です』

 夕暮れ時。宿をとるために立ち寄った町の、小さな郵便集配所で、リセナは現状報告のための手紙を書いていた。

 豪商の娘として裕福な家庭に産まれ、王太子の婚約者となり、今度は婚約破棄からの訳の分からない人たちに奪い合いをされている――。でも、その大変な事実を、なるべく明るく脚色しようと思った。

『今は、迎えに来てくれたレオと一緒に旅行をしています。強くて優しいガイドのお兄さんたちもいます。もうしばらく、羽を伸ばしてから帰ります』

 そこで、彼女の手が止まった。
 隣にいたレオンが小声で尋ねる。
「どうしたの? 逃げる? 今なら、裏の窓から出れば、バレないかもしれない」

 彼の言う通り、ガイドのお兄さんたち――メィシーは空いている宿を探しに行っていたし、グレイは集配所の前で通行人の親子から「ママ~あの人、」「シッ! 見ちゃいけません!」をされていた。

「いや、そうじゃなくて……私が婚約破棄された本当の理由、伝わってないかもしれないし、書いた方がいいのかなって」
 それは、レオンも気になっていたことだった。一年前、学園の視察で王太子が訪れた時に気に入られて以来、彼女は問題なく城で暮らしていたはずなのに。
「まあ、どうせあいつの心変わりとかだろ。私は真実の愛を見つけたんだ~ッ! とか言って」
 段々腹立たしくなってきて雑な物真似をするレオン。けれど、リセナは「いえ……私が悪いんです」と言って、ぽつぽつと経緯を話し始めた。

 ベンジャミン・グランディオール王太子は、ブロンドの髪をきっちりと七三に分けた、二十八歳にしては老け込んでいる神経質そうな男だった。

「私が城で暮らし始めてすぐ、殿下はひとつ約束をしてくださいました。私が十八歳になるまでは、寝室に呼ばない、と……」
「ふ、ふ~~~~ん。ま、まあ? 大人として最低限のアレだよな」
「殿下には元々許嫁がいて、その方と夜を共にしていたようなんです。だから私はこのまま、ただのお話相手になるのかもと安心してしまっていて……」
「え?」
 ――他に女がいるのにリセナを……? オレにはリセナしかいないのに……? やっぱり殴っとけばよかった。

 一人で百面相をしているレオンに対し、リセナは口元に手を当てて言いよどんでいた。
「でも、私がこの歳になって……その、お聞かせするのも心苦しい話なんですが……」
「あっ」
「昨日の晩に、はじめて殿下の寝室に呼ばれて……」
「うっ」
「キ、キスを、されて……」
「ぐっ」
 今度はなにかのダメージを受けているレオン。彼女の話は、予想外の方向に続いた。

「そしたら、私、急に気持ち悪くなってしまって。は、吐いちゃったんですよね、本人の前で」

「…………」

 初恋の人の唇が奪われたのを悲しむというか、恨むというか、殺意というか。生理的に拒否されているのを喜ぶというか、嘲笑うというか、勝ち誇るというか。
 情緒がぐちゃぐちゃになった彼は、聖人のような顔で「うん、そっか……」とつぶやいていた。

 最後に彼女は、手紙の続きを書きながら言う。
「殿下がお怒りになるのも当然です。私は、婚約を受け入れた時点で、何もかも覚悟を済ませておくべきだったんだから」

『殿下は、王室入りの決心がつかないという私の意思を、尊重してくださいました』――本当は緊張のせいだなんて言い訳をして、謝罪して、なんとかすがりつこうとした挙げ句、城から蹴り出されたのだけれど。やっぱり、王太子が作った嘘の理由だけを告げておくことにした。

「こんなことになったのも、きっと、言われるままに流されて、人の気持ちを傷付けた罰なんです」
 ペンを置くリセナに、考えあぐねたレオンが言えたことは、たったひとつだった。

「オレなら、きみが吐いちゃったら、まず体調を心配するけどね」

「――でしょうね」

 彼女は、ふっと息を吐き出して、彼に寄りかかるかのように少し首を傾けた。

 ◆

 嘘をついた。もし自分がキスをしたせいでリセナに吐かれてしまったら、ショックと罪悪感で心停止するかもしれない。
 だなんてことを考えながらレオンが建物を出ると、戻って来ていたメィシーがこちら――正確にはリセナを振り向いた。

「あっ、空いている宿がありましたよ! ……でも、実は、僕って一文無しなんですよね……」
「えっ」
「いやあ……あなたの力の目覚めを探知してから、急いで来たのでお金を忘れてしまって」

「実は……」と、レオンも手をあげる。
「オレも、慌ててたから、何も持たずに出て来ちゃったんだよね」

 そして、リセナにふっと見られたグレイも黙って首を横に振る。彼も持ち合わせがないらしい。

「だ、大丈夫です……! まだ二部屋借りられるくらいのお金は残ってますから」
 リセナがちいさな収納魔法から財布を取り出す。メィシーは彼女に深々と頭を下げた。
「ありがとうございます……! それでは、あなたは一人部屋で、僕らは三人で相部屋にしましょうか」

「えっ、オレやだよ!?」
 すぐにレオンから猛抗議が飛んできた。
「お前もまあまあイヤなのに、あいつなんて魔王の手先だからな!? 絶対に悪じゃん!」

 争いの種をまき散らかすレオンに、リセナがおろおろする。
「レオ……そんな、頭ごなしに決めつけなくても」
 彼女は仲を取り持とうとするけれど、彼は意見を曲げなかった。
「いいや、リセナ、魔王が何をしてきたか知ってるでしょ? 自分の領土を増やすために、人間の村や町を魔物に襲わせて――。こいつと関わったって、力を悪用されるだけだよ。第一、こいつずっと鎧のままでる気満々じゃないか! 隙を見せたらられるって!」
 しかも、メィシーまで便乗し始めた。
「そうだ、リセナからも何か言ってやってくださいよ。彼、ただでさえ大柄なのに、鎧姿は悪目立ちするんですって」
 メィシーの言う通り、たしかに通行人がグレイをチラチラ見たり、彼から距離を取って歩いているように見えるけれど。

 ――いや、私の言うことなんて聞くかな……。

 メィシーたちのことなど、どうでも良さそうに突っ立っているグレイを、リセナはそっと見上げる。

「あの、ここは町中なので……」

 すると、数秒の沈黙のあと、グレイは魔力で形作っていた鎧をあっさりと解いた。

 ――素直……!

 まるで狼を思わせるような男だが、ここに来て、でっかいワンちゃん説が浮上する。

 レオンが「騙されるな、そういう作戦だ……!」と叫び、メィシーが「邪悪、邪悪~!」と野次を飛ばす。それらには無関心を貫いているグレイだったが、リセナの困り顔をじっと見つめると、静かに口を開いた。

「……たしかに、魔王は軍力の増強のために、お前の力を手に入れるよう命令した。だが――」

 こちらへ向けられている赤い瞳は、ずっと、少しも揺らがない。

「――俺の目的は、その力を使って、魔王をたおすことだ」

 魔王軍の暗黒騎士が明かした、その心中。
 リセナの理解が追いつく前に、彼は手短に付け加えた。
「俺は初めから、魔王の命を狙って配下になっている」
 グレイの言葉を信じるべきか否か。信じたいと思ったけれど、彼女にはまだ判断を下すことができなかった。

 代わりに決断をしたのはメィシーだ。
「よし、わかった。少なくとも、彼女に危害を加えるつもりなら、とっくに実行しているだろうし」
 そして、胡散臭いほどのニッコリ笑顔。
「ここは、僕たち三人が、交代でリセナと寝ることにしよう」

「は?」大人しく話を聞いていたレオンが、ガラの悪い声を出す。
「なんでそうなるんだよ!? 頭どうかしてんのか!」

「まあまあ、落ち着いてくれ。僕たちは、それぞれ正当な理由があって彼女と仲良くしたいと思っている――。なら、チャンスは等しく与えられるべきだろう?」
「べきじゃない! べきじゃない!」
「あ、ひとまず今日はレオくんの番でいいよ。僕は最後で構わない」
「お前~話聞いてないだろ!!!!」
「もちろん、リセナが良いと言うのであれば、だけれど」
 急に話を振られたリセナは、ひとしきり困惑したあと、これだけを絞り出す。
「と、とりあえず……今日は、レオ、一緒の部屋でいい?」

「は~い!!!!!!」

 気が付けば、レオンは今までの何もかもが頭から飛んで、とても元気な返事をしていた。
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