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3ー2章 落ち人たちの罪と罰

二十一話 引きこもり生活を言い渡されました。

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 ふわふわと漂うように温かくて、ふかふかのお布団。
 朝の冷たい空気のせいで、いつまでも猫のように丸くなっていたいと思うのは、異世界だろうと万国共通なのです。あ、この世界に猫さんは残念ながらいません。私が勝手に思うには、彼らは警戒心が強く異変に敏感なせいで、哀れな犠牲者が出ることなく、あちらの世界を満喫しているに違いないのです。……犬はほら、なんと言いますか。お茶目さんだし、うん。
 まぶたを閉じたまま、体温を含んでほかほかの羽枕に顔をすり寄せると、ゆっくりですが寝台のクッションが重みでかすかに沈みます。
 誰かいるの?
 額に触れる何かに気づいたのは、ほぼ同時です。

「気づいたか、カズハ」
「……アルベリックさん?」

 額に触れていたのは彼の大きな手でした。

「熱はないようだが……身体に異変はないか」
「異変?」
「覚えていないのか?」

 不安そうなアルベリックさんを見ていたら、徐々に意識を失う前のことを思い出しました。
 結衣さんの涙の滴がきっかけで、私の加護が久しぶりに発動したんですよね。
 当然ながら衰える気配のまるでない加護の力。そればかりか今回の現象は……
 あのスケッチブックに描いてあったアルベリックさんの絵は、かなり前のものです。そう、王都で彼を戦に送り出す前、仕事を持ち込んで帰ってきた彼の邪魔にならないよう、こっそり。ほんの少しの逢瀬の合い間に描いたものです。
 短時間で必死に描きとめたその姿には、きっと私の彼への想いがあふれていたのだと思います。だけどそのせいで彼の元へジャンプしたというのでしょうか?

「私、どれくらい寝ていたんでしょうか?」
「まる一日近く」
「へ?」

 驚いたことに、私は加護が起きてから一晩と少し眠り続けたのだそうです。今は翌日の朝です。

「じゃあ皆さんに心配をおかけしたんですね。あの、結衣さんたちは?」
「無事に戻ってきた。初めて加護を見たせいか、ユイは少しパニックを起こしていたが、夜には少し落ち着いたと聞いている」

 結衣さんはさぞ驚いたでしょうね。目の前から人が消えたのですから。

「じゃあ、早く安心させないと」

 アルベリックさんの手を借りながら起きて座ってみても、特に体の不調は感じられません。それを伝えると、アルベリックさんがようやく安心したように頷きました。

「アルベリックさんにも、心配かけてすみませんでした」
「無事なら、それでいい」

 私の加護は、絵に描いた人を見るだけのものでした。それがまさか、移動してしまうなんて。これはいつものパワーアップと言うには、少々首を傾げる現象なのです。

「今更ですけれど、アルベリックさんを描いておいて良かったです。あのスケッチブックの中にあるのは、お母さんや向こうの授業で描いたクロッキーばかりで、あとはノエリアで最初に描いた馬さんや野菜、ラウール亭です。その中からアルベリックさんへ繋がるんですから、私の運も捨てたものではない……で、す?」

 話し終わる前に、寝台の端に座るアルベリックさんに腕を引かれ、彼の胸の中へ倒れ込みました。
 そして痛いくらいに抱き締められていて。

「アルベリックさん?」
「事もなげに恐ろしいことを言う」
「……え? あ」

 硬い腕の中に囲われながら、髪にかかる彼のため息が熱くて、私の頬に熱が移ります。

「もし、元の世界に繋がって同じ現象が起きたとしたら……カズハはどうしたい?」
「……え」

 私が、元の世界へ?
 深く考える暇がなかった私は、言われるまで理解できていなかったのです。
 もし、同じ現象がお母さんの絵で起こるとしたら……それはこの世界とのお別れを意味していて。
 私は慌ててアルベリックさんを見上げます。
 碧の瞳が、まっすぐ私を見おろしていて。そこに映る私の顔は、酷く不安で歪んでいるのです。

「すまない。答えなくていい、だから……頼む、泣くな」

 すぐに返事ができなかった私を責めることなく、再び抱きしめるアルベリックさん。
 答えられないことが、どんなに彼にとって酷いことなのか分かるのに、私の喉はまるで貼りついたように動かないんです。
 それが悲しくて辛いのに、泣くなというアルベリックさんの方がまるで泣いているようで、私はそんな彼にしがみつき、必死に頭を振るしか方法はありませんでした。
 お母さんが、お父さんや幹が恋しい。
 でも、アルベリックさんと離れたくない。
 今このときほど、彼のものになっていない自分を、宙ぶらりんに感じたことはありませんでした。
 家族は恋しい。だけどアルベリックさんと離ればなれで生きるなんて、嫌。だから必死に涙をこらえるしかありません。
 どうか、加護が起きないように。それだけを今は願って。
 
 どれくらい二人でそうしていたでしょうか。
 少しだけ落ち着いた私は、もぞもぞとアルベリックさんの腕の中から逃れようとするのですが……身動きがとれません。

「あの、もう涙は引っ込みましたから、大丈夫ですよ?」

 見上げるアルベリックさんは何かを考えている様子でしたが、私の様子に気づいて解放してくれました。しかし安心したのもつかの間、手を、握られちゃってます。
 ええと、今すぐはどこにも行きませんよ?

「要因を、考えていた」
「え?」
「加護が再び変化したのは、なぜかと」

 それは私も疑問に思うのです。
 最後の加護は、私たちの結婚式で起こった、お母さんたちの様子を見ることができたあの時です。そのときでさえも、期間が少し空き始めていたのです。こちらの世界にいる時間が長くなればなるほど、加護は自然と薄れてゆくのだと聞かされていたから、そんなものなのかなと……。
 でも期間が空いていただけで、まだ進化途中だったのでしょうか。

「一つ考えられる要因がある」
「何ですか?」
「ユイの存在だ」

 それは私にとって予想していなかったものでした。

「だって結衣さんは加護がないって言ってましたよね?」
「顕在しない理由があるのかもしれない。もしくは、認識できていなかっただけか」
「……よく分かりません。でも関係があるとしても、どうしたらいいのでしょう?」

 そんな私の問いに答えたのは、アルベリックさんではありませんでした。

「ユイとおまえの接触を避けるしかないだろう」
「サミュエルさん!」

 私が宿泊している部屋の扉を押し開けるサミュエルさん。どうやら話に夢中で、私たちはノックに気づかなかったようです。

「避けるって……せっかく打ち解けはじめたばかりですよ?」
「分かっている、だが考えられる可能性、全てに対処する」
「そうだカズハ、調べが終わるまでだ」

 アルベリックさんまで、サミュエルさんの考えに賛成のようでした。

「昨日のうちに詳しく聞き出したかったが、彼女もパニックを起こしていた。それでもいくつか返ってきた言葉がある」
「まさか彼女に酷い言葉を投げつけてないでしょうね、サミュエルさん!」
「いいから聞け。お前は自分の加護について話してきかせたのか。ユイはしきりに怯えていた『怖い、私のせいじゃない、許して』と。そして『帰りたくない』とも」
「どういうことだ」
「分からないから、これからじっくり聞き出すことにする……厄介だが、ユイがもしかしたら自分の加護について、知っている可能性もある」
「まさか」
「一年以上も我々には心を開かず、何もかも胸にしまって過ごすことができる女だぞ。なにがそんなに頑なにさせているか、それすらも分からないのだからな。どのような可能性を考えても、おかしくはなかろう」

 結衣さんがパニックの中で言ったという言葉を聞かされ、最後に彼女が話してくれたことを思い出します。
『私が彼を死に追いやった……恋人である彼に、酷仕打ちをして』と──
 あんなにこの世界を拒絶して頑なだったのは、最初は帰りたいと切望していたからだとばかり思っていました。でも……あの言葉を聞いてからなら、結衣さんの本当の気持ち……恐れているものが何なのか、少しだけ掴めそうな気がするのです。

「結衣さんの失くした手帳と写真をまずは取り戻すことが、きっと一番の近道だと思います」
「どういうことだ?」

 私は二人に話して聞かせました。
 結衣さんが失った恋人について酷く罪の意識をもっていること。そしてここに落ちた事がそんな結衣さんにとっての罰だと、自らに言い聞かせていたことを。
 まるで地獄に落ちたのは自分のせいだから仕方がない。そう言っているかのように聞こえたのです。でもそれは間違いで、ここは地獄でもなんでもなくて、ただ人々が毎日を必死に生きている、向こうと何ら変わらない世界なのだと教えたい。そう思った矢先だったのです。
 だから今、彼女から離れたくはない。そう伝えたのですが……

「いいや、まだ完全に落ち着いたわけではない。少し時間をみた方がいいだろう」

 無碍もなく言い放ったのはサミュエルさんですが、どうやらアルベリックさんも同意見のようです。
 この二人に反対されてしまうと、私には全く打つ手がありません。
 何か二人を説得するいい案がないだろうかと唸っていると。サミュエルさんから、結衣さんの私物の件についての報告がありました。

「先程、エーデ支部からユイが保護された時の業務日報などが届いた。精査はこれからだが、ユイの私物に関しての記載が一切ない。保護に携わった人物等の聞き取り調査では、それらしい物を記憶に留めている者がいたので、エーデで何者かが奪ったことは間違いない。だがそれ以上詳しい事情を知る者はいなかった。つまり誰かが意図的に、情報を握りつぶした可能性もあるということだろう」
「それなら当時の隊長さんは? どこかにいるって言ってませんでしたか?」
「ああ、その元隊長が運んだとも考えられるが、証拠はない。ただ、エーデの街でそのような事をやってのけられる人物は限られる。後ろで糸を引いているのが、今その元警備隊長を雇いいれている者、またはその上にいるカロン・クロヴレ──そう、お前の加護に目をつけてきた輩だ──だとしたら、かなり厄介だ」

 次第に私の件と結衣さんまでが繋がり、複雑になってくる周辺事情に、私はついていくのが精一杯でした。なのにサミュエルさんときたら!

「しかしまあ、次から次へとお前は……ふん縛って牢屋にでも入れておきたいところだが、そうもいかん。もう少し情報が集まるまでは外出禁止だ」
「えええっ酷い、横暴です!」

 サミュエルさんの説明を引き継ぐように、アルベリックさんが難しい顔で続けました。

「少しの間だ」
「じゃあそういう事だ。ユイのことはこちらに任せて、お前は頼むから大人しくしていてくれ、いいな!」

 サミュエルさんはそう言い捨てて部屋をさっさと出て行ってしまいました。
 だいたいですね、ユイさんをあなたに任せるのが、一番心配なんですよ!
 そんな事をブツブツと呟いていると、サミュエルさんが大股で出て行った扉を、ためらいがちにノックする音がしました。
 アルベリックさんがすぐに招き入れた来訪者は、なんとカーラさんでした。

「カズハ、起きてて大丈夫なの? 隊長さんから寝込んでいるって聞いたんだけど」
「カーラさん、到着の日以来ですね」

 私は大丈夫だとアピールしようと、寝台の上から降りて見せます。
 するとアルベリックさんもお仕事に向かうつもりなのでしょうか。手にしていた手袋をはめています。そういえば、休暇というのに本日もまた隊長服のままですよ。

「もう行くんですか?」
「ああ、カーラにはしばらく相手を頼んである、ここを決して出ないように。用があれば外に待機している者に伝言をしてくれ」

 やっぱり引きこもりは決定ですか?
 そんな風に苦笑いで聞いてみたのですが、否定してくれることはありませんでした。
 それに加えて、アルベリックさんが私の画材道具が入った鞄を手に掲げます。ああ良かった、持って帰ってきてくれたんですね。両手を上げて受け取ろうとしたら、ひょいと避けられましたよ!
 なんで?

「やむを得ない、数日預かる」
「ええええ!」

 思わず悲鳴が出た私の頭をくしゃっと撫でてから、アルベリックさんはそのまま出かけて行きました。きっと、さっきサミュエルさんが届いたという、エーデの業務日報を確認しに行ったのでしょう。
 ああ、私の大事な道具が……!
 肩を落とす私に、カーラさんがそっと教えてくれました。

「酷い顔をした隊長さんに頼まれたから、仕方なく相手してあげるんだからね、本当に世話のやける人ね、あんたは」

 いつものツンデレ具合に痺れますが、酷い顔の隊長さんという言葉が気になります。

「ここではカズハが気を許す相手が他にいないからって、話を聞いてやって欲しいんだって言っていたわ」
「アルベリックさんが……そんなことを」
「忙しいだろうけれど頼むって頭を下げたのよ、どう見ても普段のレヴィナス隊長らしくなくって……ねえ、私の知らない間にいったい何があったの?」

 アルベリックさんの不安は、もう痛いほど知っているのです。
 最後まで放してくれなかった手に残る温もりが、彼の愛情と不安、全てを物語っているようでした。
 そして今も、事の顛末を話し終えたらなんと、取って変わるかのように私の服の端を掴むカーラさん。その顔は不機嫌にも見えて、でも心配してくれているのが分かり、とても愛おしいのです。

「愛されているのですね、私」
「馬鹿、勘違いしないで! 私はレヴィナス隊長の心配をして、捕まえておいてあげてるのよ! あの歳でお嫁さんに逃げられたなんてことになったら、ダメージ大きすぎるわよ、心労で禿げたらどうするの!」

 ああ、ツンデレ最高。
 アルベリックさん言われ放題ですが、真っ赤になって否定するカーラさんは美味しすぎます。
 やっぱり私、カーラさんが大好きです。
 そんな風にカーラさんとアルベリックさんの愛情に守られながら、私の引きこもり生活がスタートしました。ほんのしばらくの間と思って、気を抜いていたのは確かです。
 だから、つい考えが足りなかったのです。
 まさか、結衣さんがそんな大胆な行動に出るなんて……。
 私はすぐに後悔するはめになるのでした。
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