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3ー2章 落ち人たちの罪と罰
十七話 お茶会をしました。
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サミュエルさんが執務室を出ていった後、各方面へ手紙を送るべく慌ただしく筆をとったアルベリックさんをおいて、結衣さんとともに街へ出ることに。
置き去りにされたのはアルベリックさんか、それとも私の方なのか……。
私らしくなく気持ちがスッキリしないままでしたが、午前中に訪れたのとは反対の方向へ向かうことに。
そこは以前来たときに泊まった宿があるあたりで、相変わらず綺麗な花が咲き乱れています。近々花祭りとやらがあるらしく、通りと広場を鮮やかに染める花たちが、少し重くなった私を迎えてくれます。
もう少し行ったら美味しいハムサンドのお店に着くんですよ、なんて結衣さんを振り向けば、彼女もまた頼りなく微笑んでいて……。
結局、二人して言葉少ないまま軽食を買って広場のベンチに座ります。
塩漬けの肉はとっても美味しくて、少し固めだけど味のしっかりしたパンとみずみずしい野菜を引きたてています。思わず食レポのように絶賛したくなるこの味は、以前来たときにカーラさんに連れてきてもらった以来。今回の訪問で、再び味わうのを楽しみにしてたのです。
結衣さんも気に入ってもらえると嬉しい。そう思って結衣さんに感想を求めれば、美味しいと言ってはくれるものの、心ここに在らずです。
かくいう私もまた、同じなのかもしれませんが……。
そうして食べ終わっても、花壇に囲まれたベンチに座ったまま。
ですが、そんな空気を払うように切り出したのは結衣さんでした。
「あの、さっきのは誤解しないでね……」
さっきと言われてすぐに思いつくのは、手を握り合う結衣さんとアルベリックさんの姿です。
なにも浮気現場を目撃したわけではあるまいし。そもそも誰も頼らず閉じこもってきた結衣さんが、私たちを頼ってくれてきているのですから、距離が縮まることは歓迎すべきことです。やっと少しずつですが、彼女から打ち解けてくれてきたのですから。
「誤解なんて、そんなことありません、大丈夫ですよ。アルベリックさんはとっても頼りになります、きっと結衣さんの大切なものを探し出してくださいます。安心してくださいね」
「そう……それが本当ならよかった」
ホッとした様子の結衣さんに、私の方が心底ホッとしたのです。些細なことで変に動揺しまった事をちょっぴり恥じていると、結衣さんは続けます。
「まだ少ししか話してないけれど、彼は誠実だったわ。あなたが騙されてるんじゃないかだなんて、まだ知りもしないのに、いきなり失礼なことを……ごめんなさいねカズハさん」
「あはは、アルベリックさんは見た目が厳ついので、よく誤解されるんです。でも、ノエリアの人々にはとても慕われているんですよ」
「意外だったわ、あなたたちってベッタリした風でもないから、どうなんだろうって思っていたのよ。でも、和葉さんにとって自慢の恋人なのね、羨ましいわ」
ああ、結衣さんには私たちは恋人同士に見えなかった? 保護者にしか見えないって、そういう意味だったのですね。
照れて頬を染めている私に、結衣さんは柔らかい笑顔を向けてくれました。
そして私にというより、どこか遠いところに向けて呟いたのです。
「私にも、そんな人がいたの」
ぽつりと呟いたその言葉が、かすれていて。感情を抑えた話し方なのに、そこに含まれる哀しさに、私の胸はぎゅうっと痛みを感じます。
「……結衣さん」
「写真の人……付き合ってたの。結婚することになっていたのに……でももう会えないわ、二度と」
そんな結衣さんに、返す言葉もありませんでした。
人生を切り取られるかのように落ちた私たち。だけどそれがどんなに酷いことなのか、私は忘れそうになっていたのです。
「そんなに悲しい顔をしないで? カズハさんだって、家族と別れて二度と会えない辛さは一緒でしょう」
「……私は」
大切な家族と二度と会えないけれど、でも、私はまだマシです。つかの間とはいえ、家族の様子を垣間見ることができたのですから。
加護の力で私の意図するところではなかったとはいえ、もたらしてくれた幸運そのもの。その加護のない結衣さんに、なんだか申し訳ないような気がしたのです。
「私ね、少しだけ前向きになろうと思えたの。ほら、分からない?」
「……あ」
そういえば結衣さんの話す言葉が、すんなりと私の耳に入ってくるのです。いつしかほとんどがこちらの言葉にすり替わった、私の耳に……。
「言葉が、日本語だけじゃない……です」
「受け入れなくちゃいけないことは、受け入れていこうと思う。でも、まだ譲れないものもあるわ、私は失くしたものを取り戻したいの、そのためなら出来る事はする。……協力してくれるかしら、カズハさん?」
「もちろんです! 私に出来ることなら、なんだって!」
「ありがとう」
彼女が失ったもの、それによる深い悲しみと怒り、そしてこの世界の人たちへ感じていた絶望感を知りました。それなのに彼女からの歩み寄りに、私は嬉しくなって結衣さんの手を取って握ります。
そうです、私にこそできることがあるかもしれないのです。
「結衣さん、私の加護の話をしましたよね」
「え、ああ。絵がどうとか」
「はい、私の描いた対象が、絵を通して『今』を知らせてくれることがあるんです。それでですね、結衣さんの……」
私は彼女に自分の経験してきた加護の力を説明しようとしたのですが、ちょうどそれを遮るように、突然声をかけられたのです。
それは、宝飾店で会った人。確か名は……
「ルネルさん」
そうそう──、って結衣さん、私と違って覚えるの早いですね。
優しい笑みをたたえたルネルさんが、私たちのいた花壇の向こうから顔をのぞかせていました。彼はお供の男性を一人連れて、そこから声をかけてきたのです。
「奇遇ですね、お嬢さん方。こうしてまた偶然会ったのもなにかの縁です。お茶などご一緒にどうかな」
とても柔和な彼に、微笑む結衣さん。
ねえ、どうしましょう? ……そんな風にはにかんで聞かれましたが、予定外の行動となります。
躊躇している間もなく、結衣さんに手を引かれて行だす私たち。それを微笑みながら、私たちを手招きして歩きはじめるルネルさん。
どうしよう……本当は、心配そうなアルベリックさんの顔を思い浮かべたのだけれど、その一瞬のちには机に向かう背中に変わるのです。
それに振り向いても、着いてきていると思っていた護衛の方が見当たりません。
仕方ないです、遅くならなければ、きっと大丈夫。
そんな軽い気持ちで、ルネルさんの申し出をいつの間にか受け入れていました。
連れて来られたそこは、まるで植物園のような中庭でした。
ルネルさんが案内してくれたのは、私たちがいた広場のすぐ脇を入ったお店。いえ、店とはいっても看板は出ていません。
ルネルさんが言うには、特定の方々を相手にした、特別な空間なのだそうです。
背の高い木の扉を抜けると、レンガでできた回廊。そこを少し歩けば、中庭のような土のある場所に出ました。壁を覆って隠すように高い樹が植えられ、そこを蔦が這い、南国を思い出させるような大きな葉が、屋根を伝うように広がっています。とても高い位置に窓が張られ、そこから柔らかい光を足元まで届けています。
そのおかげでしょうか、苔のようなふかふかの絨毯が、とても気持ち良さそう。
四方には煉瓦を伝うようにして、ほんのり湯気の立つ水が落ちる人口の滝。
循環する空気が、深い緑の匂いを運んできてくれます。
「こちらへ」
ルネルさんに導かれて、中央に誂えられたテーブルにつきます。
天井はとても高く、まるで温室のようです。
口を開けて見上げる私に、ルネルさんがクスリと笑いながら、お茶をすすめてくださいました。
「これは?」
「近くで採れる茶葉を発酵させたものだと聞く。香ばしくて美味しいと評判らしいが……きみは知っているのかな、ユイ?」
「私たちの世界でいう、紅茶にそっくりです」
「そうか。ではきっと、落ち人の一人がもたらしたのだろう。ここはきみたちの世界の恩恵を、象徴したような街なのだから」
その言葉を、まるで自分が褒められたかのように、はにかんで見せる結衣さん。
二人の側で、私は黙って耳を澄まします。
どうやらこの中で鳥も放されているのでしょう。美しい声が樹の向こうから聞こえて、囲む緑とあいまってとても心地よい空間です。
ふとよく見れば、木漏れ日のように差す日の中に、小さな茸。それから目をこらさねば分からないほどの、可憐な花が。点在するそれらを追いかけるように奥へと視線を誘われて見れば、木々の根元に、蘭のような可愛らしい花の群生までありました。
その黄色の花弁には、たっぷり蜜があるのでしょうか。美しい声の主であろう小鳥が数羽、花に頭を入れています。その姿が可愛らしくて、うずうずと我慢できなくなるのは、絵描きの性分なのです。
「どうしたの、カズハさん?」
「ええと……とても創作意欲を刺激されました。あんまり素敵な場所なので」
「気に入ってくれて嬉しいよ。いつでもここで描けるよう、頼んでおく」
「え、いいんですか?」
「もちろんだ。ここの主人とは懇意にしているから、話を通しておこう」
「ありがとうございます!」
ルネルさんは結衣さんにも、その時はまたぜひ一緒に来て自分の話し相手になって欲しいと言います。なんといいますか、そつのない方です。
真に人を魅了する方とは、ルネルさんのような人を言うのだろうなと思うのです。事実、あれほど固くなだった結衣さんを、すっかり可愛らしい少女のようにしてしまうのですから。
その後、美味しいお菓子に舌鼓を打ちながらお茶をいただきました。加えるなら、たっぷり美しい庭とハンサムな男性の話術を堪能して……。
そうしてお茶会はお開きとなりました。
「お送りしよう」
そう言うルネルさんのお言葉を丁寧にお断りし、私たちは帰路につきました。
気づけば日が傾きはじめています。
「楽しかったですね、結衣さん」
「ええ、とても。ルネルさんはきっと博識なのね。とても紳士だし……そういえば、肖像画の依頼のこと言ってなかったけれど、どうするの和葉さん」
「そうですね……私の一存では。それにここへの滞在はあと一週間ほどしかありませんし」
「そうなの?」
「はい、アルベリックさんの夏の休暇を兼ねて来ていますから。あ、そうだ。結衣さんもよかったら一緒にノエリアに来たらどうですか? とても良いところですよ」
「……私が? でも、そんな勝手をしていいのか分からないわ。今のところ身元引受があの人だし」
「サミュエルさん! でも、彼の実家もノエリアにあるので、大丈夫じゃないですか?」
「そうなの?」
そのあたりは全く聞いてなかったようです。
ですから、帰りがてらノエリアで彼のお母様であるコリーヌ婦人の依頼で、絵を描いたことを話しました。そして加護で何があったのかをかんたんに説明しました。
自分で話していても、未だに信じがたい現象なのですが、コリーヌ婦人の前に姿を現した旦那様が、既に亡くなられていたのは確かな事実。加護が時を超越したのか、それともあの時まで残っていた旦那様の心だったのか……。それは今でも分からず仕舞いです。
「……それ、本当に?」
「はい」
驚きながら、そう聞き直す結衣さん。
そりゃそうですよね、当時は、私も腰が抜けるかと思ったくれいですから!
ですが、結衣さんは俯いて何かを考えているようです。
「ねえ、和葉さん。私にも絵を、あなたの絵を見せてもらってもいいかしら」
「それはもちろん、かまいませんよ。その時の絵ではありませんが、宿にスケッチブックがあります。何枚かは描いたのがありますから」
じゃあ明日にでも宿に、なんて話をしていたら。
「カズハ!」
私を呼ぶ声に振り向けば、そこに立っているのはアルベリックさんでした。
いえ、正確に言うとですね。非常に怖い顔をした旦那様です。
ズンズン大股であるいてくるその迫力の姿に、猛特訓中のノエリアの兵隊さんたちのように直立して動けなくなるのですよ。それは結衣さんも同じだったようで、言葉を失って立ち尽くしています。
「どこに行っていた、カズハ」
ひいぃ。
それを問われてようやく、暗くなりつつある空模様と、そういえば最後に分かれたのがお昼前だったなんて情報が、目の前の迫力のアルベリックさんと結びつきました。
あははは……やばいです、確実に叱られコースです。
「あ、あの、お茶をしていました」
「こんな時間までか? 昼過ぎにお前たちを目の前で見失ったと知らせがきて、探していた」
「心配かけてごめんなさい、アルベリックさん」
「ちょっと、見失ったって、まだ私たち監視をされてたの?」
結衣さんが驚いたように声を上げました。
「ユイ、監視ではなく護衛だ」
「一緒よ、酷いわ。私たちをなんだと思っているの。こうして帰る途中でしょう、子供じゃないんだから」
「必要だからだ」
結衣さんが憤慨するのも分かるのですが、アルベリックさんたちの心配もまた、私には分かるのです。
分かるというか、思い出しました。昨年……まさにこの街で攫われたんでした私。
あの時迎えに来てくれたアルベリックさんを思い出し、猛烈に反省です。
「結衣さん、すみません。アルベリックさんは私たちを心配してくれてるんです、だから」
「だけど! ルネルさんのせっかくの招待が、全部台無しな気分よ」
「……ルネル?」
一瞬ですが、アルベリックさんが眉をひそめ更に眼力が上がったような……
そこへ助け舟なんだか泥船なんだか、サミュエルさんまでも登場です。黒服の兵隊さんたちを引き連れて。
「いたか、二人とも。しのごの言わず帰るぞ、ほらアルベリックお前もだ」
有無を言わせず、私たちを追い立てるサミュエルさん。
皆さんに探させてしまったのは、失敗だとは思います。ですがこう、囲まれるようにして帰る道すがら思うのです、結衣さんが憤慨するのも仕方ないかなと。
無骨な軍人であるアルベリックさんと、毒舌かつ傍若無人なサミュエルさん。そして働き者の兵隊さんたち。
……先ほどまでのスマートなエスコートとは、確かに天と地ほどの違いがありますよ、ははは。
無言で前をゆくアルベリックさんの背中を、とぼとぼ歩きながら眺める私。
結局、きちんと謝れなかったような……。だから宿に帰ったら、今度こそちゃんと謝って今日の出来事を聞いてもらわなくちゃ。そう心に誓ったのです。
でも……
なんだか広いと感じるこの距離が、簡単に埋まるものだと、私はこの時まで微塵も疑ってはいませんでした。
置き去りにされたのはアルベリックさんか、それとも私の方なのか……。
私らしくなく気持ちがスッキリしないままでしたが、午前中に訪れたのとは反対の方向へ向かうことに。
そこは以前来たときに泊まった宿があるあたりで、相変わらず綺麗な花が咲き乱れています。近々花祭りとやらがあるらしく、通りと広場を鮮やかに染める花たちが、少し重くなった私を迎えてくれます。
もう少し行ったら美味しいハムサンドのお店に着くんですよ、なんて結衣さんを振り向けば、彼女もまた頼りなく微笑んでいて……。
結局、二人して言葉少ないまま軽食を買って広場のベンチに座ります。
塩漬けの肉はとっても美味しくて、少し固めだけど味のしっかりしたパンとみずみずしい野菜を引きたてています。思わず食レポのように絶賛したくなるこの味は、以前来たときにカーラさんに連れてきてもらった以来。今回の訪問で、再び味わうのを楽しみにしてたのです。
結衣さんも気に入ってもらえると嬉しい。そう思って結衣さんに感想を求めれば、美味しいと言ってはくれるものの、心ここに在らずです。
かくいう私もまた、同じなのかもしれませんが……。
そうして食べ終わっても、花壇に囲まれたベンチに座ったまま。
ですが、そんな空気を払うように切り出したのは結衣さんでした。
「あの、さっきのは誤解しないでね……」
さっきと言われてすぐに思いつくのは、手を握り合う結衣さんとアルベリックさんの姿です。
なにも浮気現場を目撃したわけではあるまいし。そもそも誰も頼らず閉じこもってきた結衣さんが、私たちを頼ってくれてきているのですから、距離が縮まることは歓迎すべきことです。やっと少しずつですが、彼女から打ち解けてくれてきたのですから。
「誤解なんて、そんなことありません、大丈夫ですよ。アルベリックさんはとっても頼りになります、きっと結衣さんの大切なものを探し出してくださいます。安心してくださいね」
「そう……それが本当ならよかった」
ホッとした様子の結衣さんに、私の方が心底ホッとしたのです。些細なことで変に動揺しまった事をちょっぴり恥じていると、結衣さんは続けます。
「まだ少ししか話してないけれど、彼は誠実だったわ。あなたが騙されてるんじゃないかだなんて、まだ知りもしないのに、いきなり失礼なことを……ごめんなさいねカズハさん」
「あはは、アルベリックさんは見た目が厳ついので、よく誤解されるんです。でも、ノエリアの人々にはとても慕われているんですよ」
「意外だったわ、あなたたちってベッタリした風でもないから、どうなんだろうって思っていたのよ。でも、和葉さんにとって自慢の恋人なのね、羨ましいわ」
ああ、結衣さんには私たちは恋人同士に見えなかった? 保護者にしか見えないって、そういう意味だったのですね。
照れて頬を染めている私に、結衣さんは柔らかい笑顔を向けてくれました。
そして私にというより、どこか遠いところに向けて呟いたのです。
「私にも、そんな人がいたの」
ぽつりと呟いたその言葉が、かすれていて。感情を抑えた話し方なのに、そこに含まれる哀しさに、私の胸はぎゅうっと痛みを感じます。
「……結衣さん」
「写真の人……付き合ってたの。結婚することになっていたのに……でももう会えないわ、二度と」
そんな結衣さんに、返す言葉もありませんでした。
人生を切り取られるかのように落ちた私たち。だけどそれがどんなに酷いことなのか、私は忘れそうになっていたのです。
「そんなに悲しい顔をしないで? カズハさんだって、家族と別れて二度と会えない辛さは一緒でしょう」
「……私は」
大切な家族と二度と会えないけれど、でも、私はまだマシです。つかの間とはいえ、家族の様子を垣間見ることができたのですから。
加護の力で私の意図するところではなかったとはいえ、もたらしてくれた幸運そのもの。その加護のない結衣さんに、なんだか申し訳ないような気がしたのです。
「私ね、少しだけ前向きになろうと思えたの。ほら、分からない?」
「……あ」
そういえば結衣さんの話す言葉が、すんなりと私の耳に入ってくるのです。いつしかほとんどがこちらの言葉にすり替わった、私の耳に……。
「言葉が、日本語だけじゃない……です」
「受け入れなくちゃいけないことは、受け入れていこうと思う。でも、まだ譲れないものもあるわ、私は失くしたものを取り戻したいの、そのためなら出来る事はする。……協力してくれるかしら、カズハさん?」
「もちろんです! 私に出来ることなら、なんだって!」
「ありがとう」
彼女が失ったもの、それによる深い悲しみと怒り、そしてこの世界の人たちへ感じていた絶望感を知りました。それなのに彼女からの歩み寄りに、私は嬉しくなって結衣さんの手を取って握ります。
そうです、私にこそできることがあるかもしれないのです。
「結衣さん、私の加護の話をしましたよね」
「え、ああ。絵がどうとか」
「はい、私の描いた対象が、絵を通して『今』を知らせてくれることがあるんです。それでですね、結衣さんの……」
私は彼女に自分の経験してきた加護の力を説明しようとしたのですが、ちょうどそれを遮るように、突然声をかけられたのです。
それは、宝飾店で会った人。確か名は……
「ルネルさん」
そうそう──、って結衣さん、私と違って覚えるの早いですね。
優しい笑みをたたえたルネルさんが、私たちのいた花壇の向こうから顔をのぞかせていました。彼はお供の男性を一人連れて、そこから声をかけてきたのです。
「奇遇ですね、お嬢さん方。こうしてまた偶然会ったのもなにかの縁です。お茶などご一緒にどうかな」
とても柔和な彼に、微笑む結衣さん。
ねえ、どうしましょう? ……そんな風にはにかんで聞かれましたが、予定外の行動となります。
躊躇している間もなく、結衣さんに手を引かれて行だす私たち。それを微笑みながら、私たちを手招きして歩きはじめるルネルさん。
どうしよう……本当は、心配そうなアルベリックさんの顔を思い浮かべたのだけれど、その一瞬のちには机に向かう背中に変わるのです。
それに振り向いても、着いてきていると思っていた護衛の方が見当たりません。
仕方ないです、遅くならなければ、きっと大丈夫。
そんな軽い気持ちで、ルネルさんの申し出をいつの間にか受け入れていました。
連れて来られたそこは、まるで植物園のような中庭でした。
ルネルさんが案内してくれたのは、私たちがいた広場のすぐ脇を入ったお店。いえ、店とはいっても看板は出ていません。
ルネルさんが言うには、特定の方々を相手にした、特別な空間なのだそうです。
背の高い木の扉を抜けると、レンガでできた回廊。そこを少し歩けば、中庭のような土のある場所に出ました。壁を覆って隠すように高い樹が植えられ、そこを蔦が這い、南国を思い出させるような大きな葉が、屋根を伝うように広がっています。とても高い位置に窓が張られ、そこから柔らかい光を足元まで届けています。
そのおかげでしょうか、苔のようなふかふかの絨毯が、とても気持ち良さそう。
四方には煉瓦を伝うようにして、ほんのり湯気の立つ水が落ちる人口の滝。
循環する空気が、深い緑の匂いを運んできてくれます。
「こちらへ」
ルネルさんに導かれて、中央に誂えられたテーブルにつきます。
天井はとても高く、まるで温室のようです。
口を開けて見上げる私に、ルネルさんがクスリと笑いながら、お茶をすすめてくださいました。
「これは?」
「近くで採れる茶葉を発酵させたものだと聞く。香ばしくて美味しいと評判らしいが……きみは知っているのかな、ユイ?」
「私たちの世界でいう、紅茶にそっくりです」
「そうか。ではきっと、落ち人の一人がもたらしたのだろう。ここはきみたちの世界の恩恵を、象徴したような街なのだから」
その言葉を、まるで自分が褒められたかのように、はにかんで見せる結衣さん。
二人の側で、私は黙って耳を澄まします。
どうやらこの中で鳥も放されているのでしょう。美しい声が樹の向こうから聞こえて、囲む緑とあいまってとても心地よい空間です。
ふとよく見れば、木漏れ日のように差す日の中に、小さな茸。それから目をこらさねば分からないほどの、可憐な花が。点在するそれらを追いかけるように奥へと視線を誘われて見れば、木々の根元に、蘭のような可愛らしい花の群生までありました。
その黄色の花弁には、たっぷり蜜があるのでしょうか。美しい声の主であろう小鳥が数羽、花に頭を入れています。その姿が可愛らしくて、うずうずと我慢できなくなるのは、絵描きの性分なのです。
「どうしたの、カズハさん?」
「ええと……とても創作意欲を刺激されました。あんまり素敵な場所なので」
「気に入ってくれて嬉しいよ。いつでもここで描けるよう、頼んでおく」
「え、いいんですか?」
「もちろんだ。ここの主人とは懇意にしているから、話を通しておこう」
「ありがとうございます!」
ルネルさんは結衣さんにも、その時はまたぜひ一緒に来て自分の話し相手になって欲しいと言います。なんといいますか、そつのない方です。
真に人を魅了する方とは、ルネルさんのような人を言うのだろうなと思うのです。事実、あれほど固くなだった結衣さんを、すっかり可愛らしい少女のようにしてしまうのですから。
その後、美味しいお菓子に舌鼓を打ちながらお茶をいただきました。加えるなら、たっぷり美しい庭とハンサムな男性の話術を堪能して……。
そうしてお茶会はお開きとなりました。
「お送りしよう」
そう言うルネルさんのお言葉を丁寧にお断りし、私たちは帰路につきました。
気づけば日が傾きはじめています。
「楽しかったですね、結衣さん」
「ええ、とても。ルネルさんはきっと博識なのね。とても紳士だし……そういえば、肖像画の依頼のこと言ってなかったけれど、どうするの和葉さん」
「そうですね……私の一存では。それにここへの滞在はあと一週間ほどしかありませんし」
「そうなの?」
「はい、アルベリックさんの夏の休暇を兼ねて来ていますから。あ、そうだ。結衣さんもよかったら一緒にノエリアに来たらどうですか? とても良いところですよ」
「……私が? でも、そんな勝手をしていいのか分からないわ。今のところ身元引受があの人だし」
「サミュエルさん! でも、彼の実家もノエリアにあるので、大丈夫じゃないですか?」
「そうなの?」
そのあたりは全く聞いてなかったようです。
ですから、帰りがてらノエリアで彼のお母様であるコリーヌ婦人の依頼で、絵を描いたことを話しました。そして加護で何があったのかをかんたんに説明しました。
自分で話していても、未だに信じがたい現象なのですが、コリーヌ婦人の前に姿を現した旦那様が、既に亡くなられていたのは確かな事実。加護が時を超越したのか、それともあの時まで残っていた旦那様の心だったのか……。それは今でも分からず仕舞いです。
「……それ、本当に?」
「はい」
驚きながら、そう聞き直す結衣さん。
そりゃそうですよね、当時は、私も腰が抜けるかと思ったくれいですから!
ですが、結衣さんは俯いて何かを考えているようです。
「ねえ、和葉さん。私にも絵を、あなたの絵を見せてもらってもいいかしら」
「それはもちろん、かまいませんよ。その時の絵ではありませんが、宿にスケッチブックがあります。何枚かは描いたのがありますから」
じゃあ明日にでも宿に、なんて話をしていたら。
「カズハ!」
私を呼ぶ声に振り向けば、そこに立っているのはアルベリックさんでした。
いえ、正確に言うとですね。非常に怖い顔をした旦那様です。
ズンズン大股であるいてくるその迫力の姿に、猛特訓中のノエリアの兵隊さんたちのように直立して動けなくなるのですよ。それは結衣さんも同じだったようで、言葉を失って立ち尽くしています。
「どこに行っていた、カズハ」
ひいぃ。
それを問われてようやく、暗くなりつつある空模様と、そういえば最後に分かれたのがお昼前だったなんて情報が、目の前の迫力のアルベリックさんと結びつきました。
あははは……やばいです、確実に叱られコースです。
「あ、あの、お茶をしていました」
「こんな時間までか? 昼過ぎにお前たちを目の前で見失ったと知らせがきて、探していた」
「心配かけてごめんなさい、アルベリックさん」
「ちょっと、見失ったって、まだ私たち監視をされてたの?」
結衣さんが驚いたように声を上げました。
「ユイ、監視ではなく護衛だ」
「一緒よ、酷いわ。私たちをなんだと思っているの。こうして帰る途中でしょう、子供じゃないんだから」
「必要だからだ」
結衣さんが憤慨するのも分かるのですが、アルベリックさんたちの心配もまた、私には分かるのです。
分かるというか、思い出しました。昨年……まさにこの街で攫われたんでした私。
あの時迎えに来てくれたアルベリックさんを思い出し、猛烈に反省です。
「結衣さん、すみません。アルベリックさんは私たちを心配してくれてるんです、だから」
「だけど! ルネルさんのせっかくの招待が、全部台無しな気分よ」
「……ルネル?」
一瞬ですが、アルベリックさんが眉をひそめ更に眼力が上がったような……
そこへ助け舟なんだか泥船なんだか、サミュエルさんまでも登場です。黒服の兵隊さんたちを引き連れて。
「いたか、二人とも。しのごの言わず帰るぞ、ほらアルベリックお前もだ」
有無を言わせず、私たちを追い立てるサミュエルさん。
皆さんに探させてしまったのは、失敗だとは思います。ですがこう、囲まれるようにして帰る道すがら思うのです、結衣さんが憤慨するのも仕方ないかなと。
無骨な軍人であるアルベリックさんと、毒舌かつ傍若無人なサミュエルさん。そして働き者の兵隊さんたち。
……先ほどまでのスマートなエスコートとは、確かに天と地ほどの違いがありますよ、ははは。
無言で前をゆくアルベリックさんの背中を、とぼとぼ歩きながら眺める私。
結局、きちんと謝れなかったような……。だから宿に帰ったら、今度こそちゃんと謝って今日の出来事を聞いてもらわなくちゃ。そう心に誓ったのです。
でも……
なんだか広いと感じるこの距離が、簡単に埋まるものだと、私はこの時まで微塵も疑ってはいませんでした。
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「私もあなたたちの真実の愛の前には敵いそうもないもの。
私は急ぎ神殿にこの書類を持っていくわ。
手続きが終わり次第、あの人にあなたの元へ向かうように伝えるわ。
そうだわ、私からお祝いとしていくつか宝石をプレゼントさせて頂きたいの。リボンもお付けしていいかしら。可愛らしいあなたととてもよく合うと思うの」
こうして一つの夫婦の姿が形を変えていく。
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※架空のお話です。
※設定が甘い部分があるかと思います。「仕方ないなぁ」とお赦しくださいませ。
※現実世界とは異なりますのでご理解ください。
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