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3ー1章 故郷

三話 盛況なのは良いことばかりではありませんでした。

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 目の前で私に怒りをぶつける男性。彼を怒らせたのは何が原因なのかと考えると、些細なことなのではないかと思うのです。
 例えば、目につく。たくさんの観客の中で一人だけスケッチに励む、楽しそうな私。たまにスケッチブックを持ち上げて、ステージと見比べては悦に入っている、阿呆っぽい顔した私。

「おい、人に迷惑かけて、知らん顔はねぇだろ」

 色々とツッコミたいですが、何か言って更に激昂されても困ります。言葉を選んで躊躇していると、そのチンピラさんは足元の椅子を蹴り飛ばしました。

「聞いてんのか、迷惑したんだよ、こっちは!」

 残り少なくなったお客さんが、一斉にこちらを向きます。そんな人たちにも、チンピラさんは威嚇して追い払うと、再び私たちに向き直ります。
 どうやら、狙いを定められたようですね。

「えぇと、何が望みなんですか?」
「カズハ、言いがかりだ。まともに取り合うな」

 とりあえずチンピラさんがどうしたいのか聞いてみたのですが、アルマさんに呆れられました。

「誠意を見せてもらおうじゃないか。あんた絵描きなのか、なら少しは金目にはなるんだろう、それで勘弁してやる」
「絵は差し上げられません……私のせいで演目に集中できなかったのだとしたら、申し訳ありませんでした」
「ちっ、そんな言葉くらいじゃ収まりがつくわけねぇだろ! グダグタ言ってねぇで、物がないんなら金を出せよ!」
「いえそうではなくてですね、あなたに金品を要求されても、応じる必要はないかと」
「はあ? お前馬鹿か?」

 チンピラさんが、ジャラジャラと束の中から一つ、引きちぎるように取り外し、広げて向けてきたのはナイフでした。アルマさんが身構え、私とセリアさんは息をのんで抱き合います。

「か……カツアゲは犯罪なのですよ!」
「なんだと、こ…………うあっ」

 怒鳴り声が止み、見上げるとそこにはチンピラさんを羽交い締めにしている大きな影。

「うちのテントでみっともねえ真似してんじゃねえ!」
「デディエさん!」

 チンピラさんの手からナイフが落ちて、テント内に金属音が響きました。同時に、エトワールの芸人さんたちと、警備隊の面々が駆けつけてくれました。私とセリアさんは心底ホッとして、へなへなと椅子に崩れ落ちます。

「大丈夫か?」
「はい、ビックリしましたが私たちに怪我はありません」
「アルマさん、デディエさん、ありがとうございます」

 そんなやり取りの間も、ディディエさんから警備隊兵に引き渡されたチンピラさんが、不満を爆発させて暴れています。何事もなかったとはいえ、それは結果論です。他所でまた悪さをされても困りますので、一旦は警備隊宿舎まで連行されることになったようです。

「くそっ! だいたいあいつが、目障りなのがいけないんだろうが」
「そこまでにしとけよ、穏便にすませたかったらな」
「覚えてろよっ」

 捨て台詞を吐いて連れて行かれるチンピラさん。それを見送って、ディディエさんが申し訳なさそうな顔をしてます。

「すまねえな、迷惑かけちまって」
「ディディエさんが謝る必要はないですよ!」
「いや、ここんとこ俺たちの巡業中に、ガラの悪い連中が多くてな。よく客がイチャモンつけられたり、客同士のトラブルも絶えないんだ。悪いな、そんな連中まで引き入れちまったようで……あんたには今度から別の座席を用意させるから、見に来るときは遠慮なく言ってくれ」
「そんな、悪いですよ。私の方こそ、もう少し控えめにして他のお客さんに気を付けます」

 ディディエさんらしからぬ殊勝な申し出でした。
 お祭り時期には、他所から大勢の方々がノエリアにやって来ます。それは良い人だけでなく、お祭り気分に便乗して一儲けしようという輩もいるのだと、アルベリックさんからも聞いています。
 私が初めて経験した昨年のお祭りでは、不祥事事件のせいもあり、ノエリアにやって来る人の数も少なくなっていたようです。ですがベルクムントとの終戦も決まり、物資が西側辺境を流れるせいもあってか、最近は祭りに限らず賑わっているのだそう。
 当然、警備隊の本領が発揮されることも多くなってしまった、という訳なのです。

「そういや、宿の客も様変わりしてきたよ。繁盛するのはいいけどね、揉め事はノエリアには似合わないよ」
「セリアんとこもかい? 市場の連中も、頭の痛い問題だと、この前の会合でも話題になってたよ」

 商店街や市場の人たちも、様々なトラブルに頭を抱えているようです。辺境は魔獣の危険が多い代わりに、街中の治安は良いものなのですが。
 チンピラさんを連れていった警備隊兵のうち一人が戻ってきました。誰かと思えば下っぱさんです。

「帰るんだろう、送っていくよ。マダム方」
「ああ、そうしてもらえ。あんたに何かあったら隊長さんの手前、営業しづらくてかなわんからな!」

 ディディエさんにそう押し切られ、私たちはオランド亭まで引き上げることになりました。もう少し、楽屋裏まで描きに行きたかったのですが、仕方ありません。
 下っぱさんが荷物を持ってくださいます。

「下っぱさん、あのチンピラさんは、どうなるんでしょうね」
「おい、俺の名はソランだって言ってるだろう……あいつなら前科持ちだろうからな、余罪を吐かされて数日牢屋行きだろうな。今頃、あんたの旦那が隊長だって誰かに聞かされて、青くなってる頃じゃねえかな」
「そんな事、言う必要ないじゃないですか」
「あぁ、そりゃ気の毒に!」

 アルマさんまで苦笑いを浮かべてます。それを受けて、下っぱさんが説明してくれました。

「ああいう輩は、他の罪を隠して逃れようとするからな。手っ取り早く吐かせるために、脅しも必要なわけよ。些細な罪なら認めたほうが、何倍も得だと思わせるんだ」
「……脅しだけ? 私に絡んだ件が、他の人への恐喝より罪が重くなること、無いんですよね?」

 一瞬、下っ端さんが私を見て驚いたような顔をしたのですが、すぐに鼻で笑って否定しました。

「そういう贔屓や狡賢い事できるような隊長だったら、俺たちはもっと楽なんだがな」
「あ、それもそうですよね」

 ノエリア隊長は馬鹿正直が売りでした。余計な心配でしたね。

「そこは否定してやれよ」

 皆で笑いながらオランド亭にたどり着くと、勤務中の下っぱさんとは別れました。後程、改めて調書を取りに来ると言い残して。
 三人でセリアさん特製ミートパイに舌鼓を打ちながら、ファビアンさんの美しさについて激論を交わします。お茶を入れて下さったラウールさんの表情がイマイチすぐれないのは、ファビアンさんを語るセリアさんの目が、ハートになっているせい。それに気づかないセリアさんの視
界に、ちょくちょく入るようにうろつくラウールさんが可愛らしくて、微笑ましいです。
 それからアルマさんとともに「オランド亭」の手伝いをして、夜はセリアさんとアルマさん、それから私で女子会。楽しくてつい夜更かしですよ。お互いの旦那様の話から、流行りの食べ物、それから街の奥さま方の噂話。

「でも良かったよ、アルマが仲直りしてくれて。そうじゃなかったら誘えなかったからね」
「……あ、あいつがいつも情けないことばっかり言うから……」

 いつもは精悍な狩人のアルマさん。だけどセザールさんのことになると赤くなる彼女は、とても可愛いのです。きっとこんな彼女にセザールさんは惹かれ、そしてつい焼きもちをやいてしまうんでしょうね。

「まあ男女のことは、当人同士でなんとかするしかないさ。あんたたちもそのうち喧嘩したりしてね、カズハ」
「え、私ですか?」
「あんまり想像できないね、どうなんだいカズハ?」
「あ、アルマさんまで。今のところはそんな喧嘩してる余裕ありませんよ」 

 二人は私とアルベリックさんの新婚生活も聞き出したかったようですが、そこはほら、上手く誤魔化さないと。
 でもアルベリックさんとの生活には、不自由なんて少しもありません。彼はいつだって慣れない私を気遣ってくれますから、そういったことを話せば、二人も少し野暮だったねえと納得してくれたようです。
 日付が変わる頃、私たちは話し疲れてようやく就寝。
 今日は多少のゴタゴタはありましたが、ノエリアは相変わらず平和です。
 いえ、平和だと信じて疑わなかったのです。
 少しずつ、だけど変わらないものなどない。ノエリアだっていつまでも同じじゃないって、このときは気づかなかっただけかもしれません。


 それから数日後。私はアルベリックさんとともにお祭りで賑わう市場へやってきています。
 昨年の賑わいも祭りとしては十分だとは思っていましたが、それが間違いだったことを実感します。
 今年の人混みは尋常ではありませんでした。他所からの観光客や帰省してきた人たちなど、昨年の倍近い人たちが集まっているのではないかと思われます。
 今日は、交代の休暇をもらったアルベリックさんと祭りの露店めぐりをしようと思ったのです。でも祭りはまだ開始から九日目。これからが本番だというのに、まっすぐ歩くことすら困難な中央広場は、黒山の人だかり。いえ、決して黒くはありません。ですが言いたい事は通じますよね。
 広場の入り口付近では、なんとか揚げ芋と飴を買えたのに、もう店先に近寄れません。

「はぐれるぞ」

 伸ばされた手を掴むと、ぐっと引き寄せられます。アルベリックさんの大きな体の影に隠れるようにして、私は何とか目的の場所までたどり着きました。
 そこは、たくさんある露店のうちのひとつ。
 孤児院の子供達が作った小物を販売している、修道院の出すお店。ここに並んでいたのは、可愛らしい刺繍の入ったハンカチから、人形、小さな押し花の栞など。
 品物を眺めるのもそこそこに、私は売り子たちの様子をじっと見回します。
 すると、白い修道服の中に、白いエプロンを着けた少女が一人。茶色い髪を丁寧に編み、頭に巻き付けて緑のリボンで止めてある、きっちりとしたその後ろ姿。
 私は自然と顔が緩みます。

「カーラさん!」

 予定より二日早く、昨夜ノエリアに着いたカーラさんは、今日からまたしばらく孤児院の手伝いをして過ごすのだそうです。
 振り向くカーラさんに、私は駆け寄ります。
 久しぶりの再会に、胸をおどらせながら。
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