6 / 10
第六話 取り憑かれたものの最後
しおりを挟む
翌日の午前十時ごろ、私たちはマダムにもらった地図を頼りにそのアパートメントへと向かった。
そのアパートメントはタイル張りの建物であった。かつての空襲の傷跡だろうか、タイルがほとんど剥がれていた。タイルが剥がれていなければ、きっと美しい建物だったのだろう。
タイルのアパートメントに私たちは入る。人の気配はほとんど感じられない。
マダムが言っていた小鳥の一人、夜の春を売る女性がいるのは一番奥の部屋だ。
学はその部屋の扉をノックする。
どうぞという弱々しい声が聞こえる。
私たちはその部屋に入った。
その部屋の窓際にベッドが置かれている。
そのベッドに一人の女性が寝ている。彼女はうっすらとまぶたを開け、ぼんやりと外を見ていた。ときどき思い出したかのように咳き込む。
黒髪の美しい女性であった。
だが彼女の表情がどこかおかしい。
皮膚がわずかにふくらんではへこんでを繰り返している。
その皮膚の下になにかいるかのようだ。
いやな予感しかしない。
「馬鹿なことを……」
学はその女性の顔を見て、言った。
「あなたがたは……」
黒髪の女性はそう言い、咳き込む。
「マダムの友人です」
学はそういった。
「そうですか……ぐふっげほっ……」
女がまた咳き込むと数匹の虫を吐き出した。その虫はあのアメリカ人将校の死体にとりついていた虫と同じものだ。
「あの男たちはどうなりましたか?」
苦痛にその端正な顔をゆがめながら、女は言った。
「あいつらなら死んだわよ」
学のかわりに私が女に言う。
「それはよかった。げほっげほっ……」
今度は先程よりも多くの虫を吐き出した。
学が失礼すると言い、ベッドの布団を剥ぎ取る。
黒髪の女性はネグリジェ姿であった。彼女の体のいたるところで、凸凹と皮膚が膨れたりへこんだりしている。今にもあの虫が皮膚を食い破り、外に出ようとしているようだ。
学はその様子を歯を食いしばり、見ていた。
「もうゆっくり休むがいい。僕が楽にしてやるよ。妹さんがあっちで待っているから」
学はそう言い、黒髪の女性のまぶたをとじさせた。
「力を貸せ、朱天童子」
学は言った。
「ふんっ学よ。おまえも甘いのう。まあそこがお前らしいわい」
どこからともなく声が聞こえる。
その声は男なのか女なのか。子供なのか老人なのか。そのすべてが混じったような不思議な声であった。
「鬼道術鬼灯」
学は静かに言い、手指を複雑に組む。
そうするとどうだろうか、あれだけ皮膚の下でうごめいていたものが静かになった。吐出されて床をはっていた虫も消し炭になっていた。
学は魔術、いや東洋の秘術を用い、その虫を焼き殺したのだ。
黒髪の女性は安らかに眠っていた。
彼女の体はまだきれいなものであった。
アメリカ人将校のように虫に醜く、食い破られることはなかった。それだけが唯一の救いとも言えた。
「やはり彼女は自身を媒介にして、あの吸精虫を将校らにうえつけたのだろう」
学は言った。
「でもどうして、彼女のほうが遅く虫が成長したのかしら」
私は学に疑問をなげかけた。
黒髪の彼女から虫を移したのなら、彼女のほうが先に死ぬのではないか。
「おそらくだが、やつらのほうが栄養価の高いものをとっていたんだろうな。この女は痩せていて、虫がはやく成長するだけの栄養がかけていたのだろう。この国が戦争に敗れて、ろくに食べるものがなくなった。結果的に数日ではあるが、この女のほうが生きながらえてしまった。そのぶん苦痛の時間も長かっただろう」
学は言った。黒髪の女性の手を胸の上であわせてあげる。
眠っているようだが、その顔には明らかに生気がない。やはり死んでいるのだ。
「たしか東洋の言葉にこんなのがあったわね。人を呪わば穴二つと」
「ああそうだね。彼女は責任をとった。さて赤毛のアン、この事件の黒幕にも責任を取らせに行こう」
学は言い、私の手をとった。
そのアパートメントはタイル張りの建物であった。かつての空襲の傷跡だろうか、タイルがほとんど剥がれていた。タイルが剥がれていなければ、きっと美しい建物だったのだろう。
タイルのアパートメントに私たちは入る。人の気配はほとんど感じられない。
マダムが言っていた小鳥の一人、夜の春を売る女性がいるのは一番奥の部屋だ。
学はその部屋の扉をノックする。
どうぞという弱々しい声が聞こえる。
私たちはその部屋に入った。
その部屋の窓際にベッドが置かれている。
そのベッドに一人の女性が寝ている。彼女はうっすらとまぶたを開け、ぼんやりと外を見ていた。ときどき思い出したかのように咳き込む。
黒髪の美しい女性であった。
だが彼女の表情がどこかおかしい。
皮膚がわずかにふくらんではへこんでを繰り返している。
その皮膚の下になにかいるかのようだ。
いやな予感しかしない。
「馬鹿なことを……」
学はその女性の顔を見て、言った。
「あなたがたは……」
黒髪の女性はそう言い、咳き込む。
「マダムの友人です」
学はそういった。
「そうですか……ぐふっげほっ……」
女がまた咳き込むと数匹の虫を吐き出した。その虫はあのアメリカ人将校の死体にとりついていた虫と同じものだ。
「あの男たちはどうなりましたか?」
苦痛にその端正な顔をゆがめながら、女は言った。
「あいつらなら死んだわよ」
学のかわりに私が女に言う。
「それはよかった。げほっげほっ……」
今度は先程よりも多くの虫を吐き出した。
学が失礼すると言い、ベッドの布団を剥ぎ取る。
黒髪の女性はネグリジェ姿であった。彼女の体のいたるところで、凸凹と皮膚が膨れたりへこんだりしている。今にもあの虫が皮膚を食い破り、外に出ようとしているようだ。
学はその様子を歯を食いしばり、見ていた。
「もうゆっくり休むがいい。僕が楽にしてやるよ。妹さんがあっちで待っているから」
学はそう言い、黒髪の女性のまぶたをとじさせた。
「力を貸せ、朱天童子」
学は言った。
「ふんっ学よ。おまえも甘いのう。まあそこがお前らしいわい」
どこからともなく声が聞こえる。
その声は男なのか女なのか。子供なのか老人なのか。そのすべてが混じったような不思議な声であった。
「鬼道術鬼灯」
学は静かに言い、手指を複雑に組む。
そうするとどうだろうか、あれだけ皮膚の下でうごめいていたものが静かになった。吐出されて床をはっていた虫も消し炭になっていた。
学は魔術、いや東洋の秘術を用い、その虫を焼き殺したのだ。
黒髪の女性は安らかに眠っていた。
彼女の体はまだきれいなものであった。
アメリカ人将校のように虫に醜く、食い破られることはなかった。それだけが唯一の救いとも言えた。
「やはり彼女は自身を媒介にして、あの吸精虫を将校らにうえつけたのだろう」
学は言った。
「でもどうして、彼女のほうが遅く虫が成長したのかしら」
私は学に疑問をなげかけた。
黒髪の彼女から虫を移したのなら、彼女のほうが先に死ぬのではないか。
「おそらくだが、やつらのほうが栄養価の高いものをとっていたんだろうな。この女は痩せていて、虫がはやく成長するだけの栄養がかけていたのだろう。この国が戦争に敗れて、ろくに食べるものがなくなった。結果的に数日ではあるが、この女のほうが生きながらえてしまった。そのぶん苦痛の時間も長かっただろう」
学は言った。黒髪の女性の手を胸の上であわせてあげる。
眠っているようだが、その顔には明らかに生気がない。やはり死んでいるのだ。
「たしか東洋の言葉にこんなのがあったわね。人を呪わば穴二つと」
「ああそうだね。彼女は責任をとった。さて赤毛のアン、この事件の黒幕にも責任を取らせに行こう」
学は言い、私の手をとった。
11
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
江戸の夕映え
大麦 ふみ
歴史・時代
江戸時代にはたくさんの随筆が書かれました。
「のどやかな気分が漲っていて、読んでいると、己れもその時代に生きているような気持ちになる」(森 銑三)
そういったものを選んで、小説としてお届けしたく思います。
同じ江戸時代を生きていても、その暮らしぶり、境遇、ライフコース、そして考え方には、たいへんな幅、違いがあったことでしょう。
しかし、夕焼けがみなにひとしく差し込んでくるような、そんな目線であの時代の人々を描ければと存じます。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー
ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。
軍人になる為に、学校に入学した
主人公の田中昴。
厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。
そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。
※この作品は、残酷な描写があります。
※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。
※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。
上意討ち人十兵衛
工藤かずや
歴史・時代
本間道場の筆頭師範代有村十兵衛は、
道場四天王の一人に数えられ、
ゆくゆくは道場主本間頼母の跡取りになると見られて居た。
だが、十兵衛には誰にも言えない秘密があった。
白刃が怖くて怖くて、真剣勝負ができないことである。
その恐怖心は病的に近く、想像するだに震えがくる。
城中では御納戸役をつとめ、城代家老の信任も厚つかった。
そんな十兵衛に上意討ちの命が降った。
相手は一刀流の遣い手・田所源太夫。
だが、中間角蔵の力を借りて田所を斬ったが、
上意討ちには見届け人がついていた。
十兵衛は目付に呼び出され、
二度目の上意討ちか切腹か、どちらかを選べと迫られた。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
織田信長に育てられた、斎藤道三の子~斎藤新五利治~
黒坂 わかな
歴史・時代
信長に臣従した佐藤家の姫・紅茂と、斎藤道三の血を引く新五。
新五は美濃斎藤家を継ぐことになるが、信長の勘気に触れ、二人は窮地に立たされる。やがて明らかになる本能寺の意外な黒幕、二人の行く末はいかに。
信長の美濃攻略から本能寺の変の後までを、紅茂と新五双方の語り口で描いた、戦国の物語。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる