鬼が啼く刻

白鷺雨月

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第六話 取り憑かれたものの最後

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 翌日の午前十時ごろ、私たちはマダムにもらった地図を頼りにそのアパートメントへと向かった。

 そのアパートメントはタイル張りの建物であった。かつての空襲の傷跡だろうか、タイルがほとんど剥がれていた。タイルが剥がれていなければ、きっと美しい建物だったのだろう。

 タイルのアパートメントに私たちは入る。人の気配はほとんど感じられない。
 マダムが言っていた小鳥の一人、夜の春を売る女性がいるのは一番奥の部屋だ。
 学はその部屋の扉をノックする。
 どうぞという弱々しい声が聞こえる。
 私たちはその部屋に入った。
 その部屋の窓際にベッドが置かれている。
 そのベッドに一人の女性が寝ている。彼女はうっすらとまぶたを開け、ぼんやりと外を見ていた。ときどき思い出したかのように咳き込む。
 黒髪の美しい女性であった。
 だが彼女の表情がどこかおかしい。
 皮膚がわずかにふくらんではへこんでを繰り返している。
 その皮膚の下になにかいるかのようだ。
 いやな予感しかしない。

「馬鹿なことを……」
 学はその女性の顔を見て、言った。
「あなたがたは……」
 黒髪の女性はそう言い、咳き込む。
「マダムの友人です」
 学はそういった。
「そうですか……ぐふっげほっ……」
 女がまた咳き込むと数匹の虫を吐き出した。その虫はあのアメリカ人将校の死体にとりついていた虫と同じものだ。
「あの男たちはどうなりましたか?」
 苦痛にその端正な顔をゆがめながら、女は言った。
「あいつらなら死んだわよ」
 学のかわりに私が女に言う。
「それはよかった。げほっげほっ……」
 今度は先程よりも多くの虫を吐き出した。
 学が失礼すると言い、ベッドの布団を剥ぎ取る。
 黒髪の女性はネグリジェ姿であった。彼女の体のいたるところで、凸凹と皮膚が膨れたりへこんだりしている。今にもあの虫が皮膚を食い破り、外に出ようとしているようだ。
 学はその様子を歯を食いしばり、見ていた。
「もうゆっくり休むがいい。僕が楽にしてやるよ。妹さんがあっちで待っているから」
 学はそう言い、黒髪の女性のまぶたをとじさせた。

「力を貸せ、朱天童子しゅてんどうじ
 学は言った。
「ふんっ学よ。おまえも甘いのう。まあそこがお前らしいわい」
 どこからともなく声が聞こえる。
 その声は男なのか女なのか。子供なのか老人なのか。そのすべてが混じったような不思議な声であった。

「鬼道術鬼灯ほおずき
 学は静かに言い、手指を複雑に組む。
 そうするとどうだろうか、あれだけ皮膚の下でうごめいていたものが静かになった。吐出されて床をはっていた虫も消し炭になっていた。
 学は魔術、いや東洋の秘術を用い、その虫を焼き殺したのだ。
 黒髪の女性は安らかに眠っていた。
 彼女の体はまだきれいなものであった。
 アメリカ人将校のように虫に醜く、食い破られることはなかった。それだけが唯一の救いとも言えた。

「やはり彼女は自身を媒介にして、あの吸精虫を将校らにうえつけたのだろう」
 学は言った。
「でもどうして、彼女のほうが遅く虫が成長したのかしら」
 私は学に疑問をなげかけた。
 黒髪の彼女から虫を移したのなら、彼女のほうが先に死ぬのではないか。

「おそらくだが、やつらのほうが栄養価の高いものをとっていたんだろうな。この女は痩せていて、虫がはやく成長するだけの栄養がかけていたのだろう。この国が戦争に敗れて、ろくに食べるものがなくなった。結果的に数日ではあるが、この女のほうが生きながらえてしまった。そのぶん苦痛の時間も長かっただろう」
 学は言った。黒髪の女性の手を胸の上であわせてあげる。
 眠っているようだが、その顔には明らかに生気がない。やはり死んでいるのだ。

「たしか東洋の言葉にこんなのがあったわね。人を呪わば穴二つと」
「ああそうだね。彼女は責任をとった。さて赤毛のアン、この事件の黒幕にも責任を取らせに行こう」
 学は言い、私の手をとった。
 
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