鬼が啼く刻

白鷺雨月

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第一話 その男との再会

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 大日本帝國がポツダム宣言を受諾してから、約一月が過ぎようとしていた。
 十回ほど転属願いを出し、ようやく通訳の仕事を得た私はこの国を再び訪れることができた。

 私の名前はアン・モンゴメリーという。年齢は二十代後半、性別は女である。国籍はアメリカだ。今はであるが。赤い髪に青い瞳をしている。身長は百七十五センチメートル、体重はまあ秘密にしておこう。痩せてはいないな。自分でいうのもなんだが、男好きのする豊かな体をしていると思う。時として、私はこの美貌と豊満な体を武器とする事がある。
 武器といえば、愛用の銃はワルサーだ。ナチス・ドイツは大嫌いだが、このドイツの銃はものに執着しない私の数少ないお気に入りだ。

 私の来日の目的はとある人物の釈放である。
 私が入手した情報によると大阪という都市に戦犯として囚われているという。
 なぜ、私がそのジャップのために焼け野原だらけの日本に来たと言うと、彼に惚れているからだ。

 彼の名前は渡辺学といった。
 私の記憶が正しければ、学は今年で二十六歳になるはずだ。
 かつての帝国陸軍の将校であった。
 階級は中尉でとある特務機関の所属していた。
 日本が降伏したため、彼は連合国の捕虜となっている。

 彼とはヨーロッパ時代に知り合い、懇意といっていい関係になった。
 私の来日の目的は捕虜となった渡辺中尉を解放することである。
 学は国の命令で戦ったのであって、けっして連合国側が言うような戦争犯罪に加担したわけではない。
 早くしなければ、彼は連合国、正確にはアメリカ合衆国の復讐心の生贄になりかねない。


 私は渡辺学が囚われているというビルディングを訪れた。
 このビルディングは連合軍が接収したものだ。
 そこにはこの地の臨時管理を任されているジョン・カール陸軍少将が執務室を置いていた。
 ジョン・カールはでっぷりと太った男で年の頃は四十代なかばと思われる。
 執務室を訪れた私を彼は葉巻を口にくわえ、ねっとりとした視線を向けてきた。
 文字通り、私を頭の先からつま先までじっくりといやらしく見ていた。

「君がアン・モンゴメリーかね」
 聞き取りにくい南部なまりだ。
 それにそのねっとりとした視線はずっと私の胸を見ている。
 まあ、私の自慢の体がわるいのだろうな。
 とくにこの日はわざと体のラインがわかるように小さめの服を着ているからな。
 私は赤い髪をかきあげ、カール少将の視線を平然と受け止めた。
 にこりと営業スマイルをむけると彼はますますいやらしい視線を送るようになった。

「はい、わたくしがアン・モンゴメリーです。閣下にお目にかかれて光栄でございいます」
 私は手袋をとり、右手をカール少将に差し出した。
 彼は脂ぎった手で握りかえしてきた。
 その脂ぎった手にさらに私は左手もそえて握る。
 少しだけ胸元に近づけた。
 胸に触れるか触れないかの距離だ。
「この度はわたくしの申し出を叶えてくださり、誠に感謝しております」
 これ以上ないぐらいカール少将は鼻の下をのばし、私の胸を見ている。
 どのような想像をしているのか知らないが、それはまあ内心の自由だろう。
 その願いを叶えてやる必要は私にはないが。

「君も物好きだな。このような僻地にジャップの釈放を求めてやってくるとはな。聞くところによると君は語学が堪能というではないか。どうだね私の通訳兼秘書にならないかね」
 そう言いながら、カール少将はべたべたと私の手をなでる。
 気持ち悪いが、あえてされるがままにしておいた。
 これぐらい必要経費だろう。
 私は名残惜しそうな演技をして、手を離す。
「それで閣下、渡辺中尉にあわせていただけるのですよね」
 私は念を押す。
 彼の秘書など御免被りたい。

 手を離され、あきらかに彼は不機嫌になったが、ああっと小さく言った。
「マッサーカー元帥の手紙もあることだしな……」
 しぶしぶという口調でカール少将は言った。


 ジョン・カール少将の命令を受けた下士官が私を地下室に案内した。
 案内の下士官もチラチラと私の胸を見ていた。
 そばかすの消えていない、あどけない顔の下士官だ。
 女っ気のない軍隊で久しぶりに出会えた女性が気になって仕方ないのだろう。
 私はわざと下士官の側を歩く。
「暗いですね」
 私が下士官に言った。

 確かにその地下室は暗い。
 光は下士官のもつランプだけだ。
 私は下士官にすりより、彼の腕に自分の腕をからめる。

「あっ危ないから離さないでくださいね」
 やや興奮気味に下士官は言った。
 あらっまあかわいい。

「ええっありがとうございます」
 そう言い、私は下士官の手を強く握る。
 彼は鼻息もあらく、しかしながら紳士的に私をその部屋へと案内してくれた。
 こんなことで親切にしてもらえるのなら、安いものだ。
 私は自分の美貌とスタイルの良さを能力の一つとして使っている。
 この激動の時代、これぐらいの神経でなければ自分のやりたいことはできない。

「ここです」
 下士官は腰の鍵束から一つを使い、独房の扉を開ける。
 解錠された鉄の扉は実に重そうだ。
 下士官は体重をかけ、その扉を押し開けた。
 私は下士官からランプを借り、部屋の中を照らす。

 独房の床に一人の男性が寝転がっていた。
 その男の両腕は三つの手錠で縛められていた。
 両足は鎖がどういう巻き方をしたらそこまで太くなるかわからないが、ぐるぐる巻きにされていた。
 しかしそこまでしなくても。
 よほどアメリカ軍はこの男を恐れているのだろう。
 私のこころに人知れず怒りが湧いたが、表にでないように努めた。

「学、学、あなたをここから出しにきたのよ」
 私は彼の名を呼び、すっかり冷え切っていた学の頬をなでた。
「ああっこの声は懐かしいな。アイリーンかい。アイリーン・ホームズなのかい」
 縛られた男は私をヨーロッパ時代の名で呼んだ。

「ふふふっ…… 今の私は言語学者のアン・モンゴメリーよ」
 私はそう名乗り、渡辺学の目隠しを取った。
 ランプの光に照らされた渡辺学の瞳は紫色に輝いていた。
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