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第二十話 月氏の香蘭

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 明鈴はじっとその金色の髪をした女中を見つめる。
「本当に綺麗な瞳をしているのね」
 明鈴は形のいい胸の前で腕を組み、一人うんうんと納得するように頷いた。

「ねえ、明鈴姉さん。どうしたの?」 
 一人納得する明鈴の着物の裾を小梅が引っ張る。

「うちの女中がなにか失礼をしましたか?」 
 銀蝶舞が困ったような顔をし、そう尋ねる。

 明鈴は首を大きく左右にふる。
「いいえ、むしろ感謝したいのです。私はあなたにであえたことを。ねえ、あなたの名前はなんておっしゃるのかしら?」
 女中の名を明鈴は訊いた。

「はっはい。私は月香蘭げつこうらんと申します」
 女中はそう名乗った。

 月氏げつしは西の呂摩国出身の者が竜帝国でよく使う姓であった。
 例外はもちろんあるが、月という姓を持つ者は呂摩国及びその周辺の国々に由来を持つものが多い。聞けば月香蘭の両親も砂漠を越えて、はるばる呂摩国から竜帝国にやってきたのだという。


「ねえ、月香蘭さん。あなた皇帝陛下の側室になってみない?」
 明鈴はまるでお茶を誘うような気軽さで月香蘭にそう尋ねた。
 唐突な誘いに月香蘭はあからさまに困惑した表情となる。
「そ、そんなこと突然言われても……」
 突然の誘いに月香蘭は混乱していた。
「あっあのお客様。前触れもなくそのようなことをおっしゃられても……」
 慌てて銀蝶舞が間に入る。
「そ、そうよ。女中さんもこまっているじゃないの」
 小梅も間に入る。

「いい小梅。この人なら個性が燕貴妃の人となりと被らないのよ。また違う陛下のお好きな個性をこの人なら持っているかもしれないのよ」
 興奮気味に明鈴は言う。

「わ、私が皇帝陛下の側室に……」
 月香蘭はぼそりという。

「そうよ、あなたなら燕貴妃と並ぶ夫人になれるわ」
 自信満々に明鈴は言う。
 竜帝国において夫人は皇后に次ぐ地位である。現在その四つ妃のうち燕貴妃と霊賢妃しかいない。残り二つが空席であった。

 いったいどこからこの自信はくるのだろうと小梅は不思議に思った。
 小梅は知らないはずである。
 明鈴は燕貴妃を通じて皇帝のそば近くに仕えるようになり、その好みを深く知るようになっていたのである。
 それは皇帝が使ったものにより多く触れる機会を得たからである。
 知らず知らずに蓬莱国の言葉を仕えるようになったのもそのためである。

「そ、それはありがたい申し出ですが……」
 月香蘭は豊かな胸の前に手をあてる。
「私、二歳になる子供がいるんですけど……」
 その発言に明鈴は少なからず衝撃を受けた。
 明鈴は勝手に月香蘭を未婚だと思っていた。

「そ、そうなの。すでに夫がいるのね」
 眼をふせて、明鈴は言う。
 せっかく二番目の妃候補を見つけたのに。
 明鈴は残念に思った。またふりだしに戻るのかと。

「いいえ、子真ししんの父はすでに流行り病でこの世にいません」
 月香蘭は首を左右にふる。その瞳はどこか悲しげだった。

 これはまずいことを訊いたかなと明鈴は思った。でも夫がいないのは幸いだ。さすがに離縁させてまで側室になるようにと非情なことを明鈴は言えない。

「もし、もしですよ。あなたが今の生活よりも皇帝の寵愛を受ける栄華を手に入れたいというのなら、我が屋敷を尋ねてちょうだい」
 そう言い、明鈴は月香蘭の肩にそっと手を置いた。

「考えさせて下さい……」
 月香蘭は絞り出すようにそう答えた。


 明鈴が突然、女中の月香蘭を側室に誘ったため、おかしな空気になったが買い物は楽しく終わった。麻伊に頼まれた異国の香辛料を買えたし、大満足の結果であった。

 明鈴たちが烏次元の屋敷に帰ったころには、もう日が落ちようとしていた。すでに烏次元も帰宅していて、楊紫炎と岳雷雲を交えて盛大に宴会が行われた。
 小梅はずっと楊紫炎のそばにいて、ついにはその膝の上で眠ってしまった。

「戦場では負け知らずの護国将軍も小梅に落とされる日も近いな」
 親友を烏次元はからかう。

「かたじけない」
 無敗の将軍楊紫炎は頭をかいた。

 冗談を言う烏次元を見て、彼の新しい一面を知ることができて、明鈴は嬉しかった。

「旦那様、第二のお妃様は案外早く決まるかもしれませんよ」
 明鈴は昼間に出会った銀蝶屋の女中月香蘭のことを話した。
「でも燕貴妃のよりも参内も時間がかかるでしょうね。旦那様の協力が必要になるかもしれません」
 明鈴の言葉にはなにか含むものがあった。
 彼女の胸のうちには秘策があるが、それも月香蘭が側室になることを望まなければ意味がない。

「わかった。その時がきたら全力で協力しよう」
 烏次元はそう言うと楊紫炎が土産にもってきたぶどう酒をぐびりと飲んだ。

「次元殿、去残国さざんこく産のぶどう酒の味はいかがですかな?」
 戦場では無敵の楊紫炎であったが、酒は一滴も飲めなかった。

「そうですな。とても美味ですね。ただかつて約束した共に酒を酌み交わそうというのが未だにかなわぬのが残念至極でねな」
 ふふっ美しすぎる笑みを烏次元は浮かべる。

「それならば拙者が護国将軍の口の代わりとなりましょう」
 岳雷雲がそう言うとぶどう酒の瓶をとり、一息にのみほした。岳雷雲はいうあゆるうわばみであった。

「これはまずい。岳隊長に我が家の酒をすべて飲まれかねない。麻伊、すぐに酒を隠すんだ」
 烏次元は麻伊に言った。
 その様子を見て、男の人はなんてうらやましいのだろうと明鈴は思った。


 翌日の昼過ぎに烏次元の屋敷をとある人物が訪ねた。
 それは月香蘭であった。
 彼女は小さな男の子の手を引いていた。
 その子が月香蘭の息子である子真であった。

 明鈴たちは月香蘭の親子を温かく迎える。
 彼女らを大広間に連れて行く。
 麻伊がお茶とまんじゅうを持ってきて、月香蘭たちの前に置いた。
 子真は遠慮なくまんじゅうを食べて、にこりと微笑んだ。

「決心してくれたのね」
 明鈴はにこやかに微笑む。
 月香蘭が側室になるのを決意してくれたのなら、明鈴の計画は半分は成功したといっても過言ではない。

「この子の将来を約束してもらえるのなら、明鈴さん、あなたのお話を受けようと思います」
 月香蘭は美味しそうにまんじゅうを食べる我が子の頭をなでた。

「もちろんよ」
 明鈴は力強く、そう言った。
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