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02 拠り所

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「……しゃぶる?」
「口に入れるってこと」
「…………なんで?」

 どうして、ちんちんを口に入れなきゃいけないのか。
 十を過ぎたばかりの俺にそれが性的な行為だと分かる筈もなく、ただただ不思議で目の前の綺麗な男の顔を見つめた。

「出来るんだったら、おじさんのギルドに君を入れて、学校に通わせてやる。それ、魔術学園の許可証だろう?」

 俺の抱える筒が許可証を保管する為の正式な物だとすぐに気付いたのだろう。師匠は筒を叩き、それから「教会から学園には通えないだろうから」と付け足してくる。

「教会から通う?」
「親のいない子は教会に保護されるからな。けど、教会には孤児の学費なんか払ってやる余裕は無いし、お前の歳ならむしろ働いて他の孤児の面倒見る方に回されるだろう。どの道学園には通えねぇよ」
「……」

 親のいない子、とハッキリ言われて、ぎゅっと筒を掴んだ。
 教会へ戻ることも出来なくなった俺に師匠は答えを急かすことはせず、立ち尽くす俺の横に腰を下ろして胡座をかいて色々と話をしてくれた。
 師匠は魔術師で、自分一人だけのギルドを持っていること。
 魔術師見習いの学生は何処かしらのギルドに仮加入しなければいけないが、入る為には身元を証明するためにある程度の納入金が必要なこと。
 師匠のギルドならそれが必要ないこと。
 言う事をちゃんと聞けるなら師匠の家に住んで、そこから魔術学園に通ってもいいこと。
 事情があって魔術を教えることは出来ないが、家の中でならどんな魔術の練習をしても構わないこと。

「どうだ? おじさん、来るか?」

 父親よりずっと若く、お兄さんといった風貌の綺麗な顔の師匠が自分を「おじさん」と呼ぶのが変な感じで、悪い人じゃない気がして俺はとても困ってしまった。
 家は焼けてしまって、親もいない。生きる為に教会に身を寄せれば楽しみにしていた学園にすら通えない。そんなところに好条件を出されて、けれど諸手を挙げてハイと答えられるほど馬鹿でもなかった。

「ちんちん、口に入れなきゃだめ?」

 そこだけがどうしても引っかかって、想像するだけでウェッとなってしまった俺はおそらくとても嫌そうな顔で訊いた。
 それを見た師匠は一瞬真顔に戻ってから頭をガリガリと掻いて、そして俺の頭を撫でた。

「そうだよな、嫌だよな。忘れろ、おじさんもちょっと疲れておかしくなってたみたいだ」

 ごめんな、と何度か謝った師匠は俺を抱え上げて、それから教会に行って俺の知り合いを探した。俺を連れて逃げてくれたおじさんや近所の大人達に事情を説明して、学園に通わせる為に引き取る旨と、万一両親が生きていたら連絡をくれるよう周知させてから家に連れ帰ってくれた。
 それから師匠は正式に俺を引き取って、俺は師匠の弟子になった。
 引き取られた当初、師匠の家があるのが治安の悪い地域だったからか近所の男達に「ちゃんとご主人様のチンコにご奉仕しないと捨てられるぞ」と冗談混じりに脅されて、間に受けた俺がやっぱり口にちんちん入れないといけないんだと勘違いして師匠のベッドに潜り込んだことがあったのだけど、「この馬鹿、忘れろって言っただろうが!」と怒鳴りつけて蹴り出された。
 以来、寒い夜なんかは俺のベッドに入ってきて湯たんぽ代わりにして寝ることくらいはあったけれど、それ以上の事をされたことは無い。
 そろそろ十六になる今考えれば、おそらく師匠はいわゆる幼児趣味なんだろうと分かる。
 だから大災害で親無しになった格好の獲物みたいな俺に声を掛けて、けど理性が勝って自制し続けてくれた。孤児の俺なんてしようと思えばいくらでも酷い扱いが出来た筈なのに。
 引き取られてから五年、すくすく育った俺はもう少年とは言い難い。朝目が覚めたら横で師匠が寝ていた、なんていうのももう全然無いし、頭を撫でてくれたのも、膝の上に座らせて難しい魔術書を読み聞かせてくれたのも遙か昔の記憶だ。
 順調に成長してしまった俺は師匠が性的に見れる範囲から外れてしまったんだろうと思うとため息ばかり出てしまう。
 いっそ、師匠がもっと理性の緩い人だったら良かったのに。
 師匠の使ったスプーンを口に入れ、そこに残る僅かな彼の唾液を舐め取る。俺が出来るのは、これくらい。今の俺が師匠に迫っても、きっと「いくら足りねぇんだ」と小遣いを渡されて終わりだろう。
 一緒に暮らすうちに──いや、たぶん最初に会ったあの時から俺は師匠に惚れてしまっていたのに。
 粗野な言葉遣いと、見たことないくらいの不器用さ。子供の俺に世話されるのを喜ぶようなぐうたらな駄目人間で、だけど何年見ても飽きないくらい綺麗で、そして分かり辛いけど根は優しい。
 今回のギルド移籍だって、まず真っ先に俺の将来を考えて返事をしてくれた。自分の生活がどうなるかより、俺の幸せを考えてくれた。
 だから、俺に出来るのは……。
 食器を洗って片付けて、掃除をしてから夕飯を作って、それを持って公園へ行くことにした。夜なら人も少ないだろうし、家の中では練習出来ない攻撃魔術の練習もやりやすいと思ったからだ。
 卒業試験では、一人でもここまで出来ると俺の実力を周囲に見せつけてやろう。ソーシカに入れるのは実力を鑑みて当然の事で、決して友人……じゃないけど、ヘリアのコネなんかじゃないって。
 俺が出来るのは今まで以上に魔術の鍛錬を行うこと。それくらいだ。









 師匠の家の周りは昼でも結構治安が悪いが、夜はもっと酷い。
 そこかしこに客引きの女がドラッグをやりながら座り込んでいて、男はちょっとすれ違うだけで喧嘩になっている。
 魔術で気配を消しているから絡まれなくて済むけれど、とてもじゃないけど普通に歩きたくはない。千人近い生徒がいる学園でだって、この辺りに住んでいるのは俺くらいだ。
 師匠はよくもまあこんな所に好き好んで住んでるものだ、と思いつつ今夜行くと言っていたシュリさんのお店を覗き込むと、もうテーブルに突っ伏して寝ている師匠の姿が見えた。

「エシャちゃん、こんばんわ。今日はお迎えが早いのね?」
「ひゃっ! ……あ、シュリさん。こんばんわ」

 気配を消していたのに急に話し掛けられ、驚いて振り向くとそこに居たのは店長のシュリさんだった。綺麗な銀髪を低い位置で二つに結んだ、少女にももっと大人のお姉さんにも見える、不思議な人。シュリさんも魔術師で、この辺りを仕切っているギルドのリーダーだから俺程度の気配なんて簡単に見破られてもおかしくない。

「すみません、俺これからちょっと闇練行ってくるんで、まだ師匠寝かせておいていいですか」
「あらあら、勤勉ね。いいわ、もう少し搾り取っておいてあげる」
「……お、お手柔らかに……」

 シュリさんに挨拶してから店を離れ、今度はまっすぐ公園へ向かう。
 公園とは名ばかりで、正確に言えば雑草がボウボウと生えっぱなしのただの原っぱだ。それでも昼間はボール遊びする子供や煙草を吸いにたむろする輩もいるから、全くの無人にはならない。
 けれど、今は真夜中。
 人っ子一人いない真っ暗な暗闇の中で、まずは魔力を掌に集めて捏ねる練習から始めた。
 魔術は、言ってみればイメージする力が発動するか否かを決める。
 形は、威力は、効果は、音は、色は、匂いは。発動した時の全てをイメージし、それを魔力に乗せて放出する。そのイメージが明確で精巧なほど強い魔術になる。
 簡単に説明するならただそれだけなのだけど、言うのとやるのじゃ全く違う。
 どれだけどでかく派手な魔術を正確にイメージ出来たとしても、自分にそれを発動出来るだけの魔力が無ければ不発に終わる。自分の魔力量でどれだけの事が出来るのか、発動出来る時点での最高の発動結果を導けるか。……まぁ、それらを常に把握出来るクラスの魔術師なら、ギルドのリーダーになれるのだけど。
 卒業試験の戦闘試験では、それらを自分に出来る範囲で考えながら相手からの攻撃を避けつつ、2:1で戦うしかない。
 一人で出来るだろうか、と少しだけ不安で心が乱れて、手の中で捏ねていた緑色の魔力がぐにゃりと歪んで霧散した。

「あー、失敗」

 やり直し、と舌打ちしながら小走りしつつ魔力を練り直す。
 俺の魔力は、もとはオレンジ色だった。それを師匠と同じ緑色にするのはかなり長期間のイメージの刷り込みが必要だった。産まれた時からオレンジ色に見えた物を、緑色だと思い込む。それがどれだけ難しかったか。
 師匠の瞳と同じ色の綺麗な湖みたいな緑は、捏ねると少し温かい。これはきっと師匠のイメージが被ってるからだ。温かくて柔らかくて、大好き。練習のつもりがなくても、心を落ち着かせる為に魔力を捏ねている事すらある。
 魔力の色が見えるのは魔術師の中でも珍しい事らしいけれど、人によっては魔力に味を感じたり匂いを感じたりするらしく、個性が出る。
 ピートは魔力に引力みたいなものを感じるらしくて、魔術師が近くに居るとすぐ分かるらしい。それが仕事でも役立つ事があるとかで、ソーシカにスカウトされたんだっけ。
 魔力の色が見える事で役立つことってあるのかな、と考えながら捏ねて、ある程度大きくなった所で初級の攻撃魔術である氷の矢を作った。
 十本の細い、針のような氷の矢。万が一野生動物に当たっても傷にならないよう、何かに触れた瞬間に水に戻るようイメージしてから放つ。シュ、と魔力の痕跡を尾のように引きながら飛んで行った氷の矢は、その先で木々に当たったのかふわりと霧散していく。

「ん~……、遅い、かな……?」

 速さのイメージが上手く出来ていなかったのか、ある程度足が早い相手だったら至近距離でも避けられそうな気がする。これでは矢を見てからバリアをイメージするのも余裕で間に合ってしまうだろう。
 もう少し速く、とイメージすると今度は矢の向きがブレててんでバラバラな方向に飛んで行きそうになって慌てて魔力を散らした。
 そもそも俺の専攻は治癒魔術だから、攻撃するなんてのは不得意分野だ。出来ないことは無いけど、まず念頭に出来るだけ傷を最小限にと考えてしまうから威力に関してはどうやったってどんな生徒にも敵わないだろう。
 大災害のおかげ……といってはアレだけど、簡単に高威力を出せる炎系の攻撃魔術は禁止されているのが救いだ。あの大災害の後遺症で炎自体にトラウマを持った国民は多く、あれ以降は魔術だけでなく科学技術の分野でも炎を出さずに熱を使える機械を多く作るようになった。
 攻撃の威力勝負ではおそらく試合にならない。なら、どこに勝機を見出すか。
 体力作りも兼ねて草原の中を軽く走り続けながら魔力を捏ねていると、真っ暗闇の中を黄色い線がこちらへ向かってきた。

「……ッ!?」

 魔術矢だ、と気付いたのは当たる寸前で、身体の前にバリア膜をイメージしても間に合わないと踏んだ俺は自分の体に捏ねていた魔力を当てて跳ね飛ばした。

「あっててて……」

 ゴロゴロ、と転がってから慌てて跳ね起き、周囲を確認して二の矢が来ないか警戒する。矢の刺さった所を見るとまだゆらゆらと魔力が揺らめいていて、黄色く光るそれはどうやら風を矢のように束ねたものらしいと見当をつけた。
 一体誰が、とゆっくり立ち上がると今度は二方向から黄色い魔力が発動するのが見え、風相手なら物理だろうと自分の周囲に迫り上がる硬い土壁をイメージして魔力を放つ。
 急だったから何処から土を発動させるかのイメージが足らず、足元が崩れてすっ転んだ俺の頭の上を土壁もろとも切り崩した風の矢が飛んでいって息を呑んだ。

「……うは……」

 ガラガラ、と崩れる土壁はかなり硬く、石のような硬度に出来ているのに。
 これだけの威力の風の魔術を使える魔術師に狙われているのなら、もしかしなくても今日が俺の命日ですね、と空笑いするしかない。
 どんな理由で殺されるとしてもせめて一思いに、と拳を握って息を詰めると、サクサクと草と土を踏みながら近付いてくる足音が聞こえてきた。

「えっと~……ごめんね、怖かった?」

 手元に黄色い光を灯して近付いてきた男は申し訳なさそうな顔で首を傾げて、そして俺の側に蹲み込んだ。

「闇練なんてこの辺にも真面目な魔術師がいるもんだなぁと思って近付いてみたら、結構手練れに見えたから……。子供だと思わなかったんだ、本当にごめん」

 男は紺色のローブに身を包んだ古臭い昔の魔術師じみた格好で、だけど声や話し方は若そうだ。彼の手元の小さな灯りだけではハッキリとした容姿までは分からないけれど、転んだまま動けないでいる俺を心配するみたいに眉根を下げているのは見えた。

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