狡猾な狼は微笑みに牙を隠す

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狡猾な狼は舌の裏に隠した我儘を暴かれたい

我儘④ 本音は言わないで

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 風呂場でシャワーを出して、それがお湯になるまでまだボヤけた頭でぼうっと待っていたら、どたどたと騒がしい足音で尋が二階から降りてくるのが聞こえた。
 何かあったのかな、と耳を澄ましたが、足音はまっすぐこちらへ近付いてきて、そして洗面所で服を脱ぐ衣擦れの音が聞こえてくる。

「尋、どうかしたんですか」
「うん?」
「走ってきたでしょ。何か慌てるようなことがあったのかなって」
「早く久斗くんの顔が見たくて」

 風呂場の折り戸を開けて尋に問うと、彼はにっこりと笑いながらそう答えた。特段変わった様子も焦った風も無い。……なら、本当に言葉通りなのだろうか。

「そろそろ見飽きませんか」

 呆れて聞いたけれど、尋は俺をじっと見つめてから「飽きないよ」と唇だけを笑ませた。あ、やば。目が笑ってない。
 俺が一過性のものだと思った尋の発熱は、しかしあれから一年が過ぎても下がってくれる様子が無い。どころか、俺がどんなに従順にしてみせても安心してくれるどころか最近ますます過保護になってきている。

「それより、身体は大丈夫?」
「はい。特にどこも」

 使う道具に関わらず、俺を長時間拘束するプレイをした後の尋は特に入念に訊いてくる。湯船に浸かると、入ってきた尋がざばっとシャワーを浴びただけで俺の隣に入って腕を伸ばしてきた。
 左腕の付け根から手首まで揉まれ、それが済むと掌の付け根でぐいぐい押される。直後に違和感が無くても血流が悪くなっていたのは事実だから、マッサージで流れをよくしてやらないと後から支障が出たら大変だから、なんて前に言っていた。

「はい、反対」
「ん」

 片側の腕と脚が終わると身体を反転させるよう言われ、今度は右側の腕と脚だ。
 マッサージする尋は俺に奉仕するのが嬉しいみたいにいつも通り薄く笑っている。
 尋は、エロゲであれだけ無体してきた割に、現実では比較的常識的な範囲のプレイしか強要してこない。挿入を我慢する代わりにプレイが過激化していくかと危惧していたのだけど、あれから一年が経とうとしているいまだに、プレイ内容は『ちょっと過激なAV』くらいだ。
 あの程度で愛を測られても、という感じなのだけれど、そもそも尋が興奮しなければ意味が無いのだから、俺がもっといけるとしても尋が興奮できないなら意味がない。
 というか、そもそもの話、俺に興奮しないのだろう。
 好きだという言葉を疑うつもりはない。性欲の化身のような彼が一年も我慢出来ているのだから、それはもう、そうなのだ。性欲を置いておいて、俺を必要としている。俺と一緒に居たいと本気で思ってくれている。
 だから、そろそろ解放してやらないとな。
 俺の脚を揉む尋の股間に視線を送る。力なく垂れて、湯の中でふわふわと揺れている。勃起すれば平均よりかなり大きくなるそれが一年も出番無くお預けを喰らっているなんて、勿体無い。
 今日のように目隠しされている時やプレイ後に寝落ちしてしまった時はどうだか分からないが、尋が俺の前で精を吐いたのを見たのはこの一年で数回しかない。

「尋、明日の午前中、俺ちょっと出掛けてきますね」
「……ん?」

 日曜の午前中は大抵二人で溜まった洗濯物と掃除を片付けるのだけれど、明日は用事がある。

「昼過ぎには戻るので、掃除は俺が帰ってからやりますから」
「俺も一緒に行くよ」
「いえ、明日は他の人と約束があって」

 俺がそう答えると、尋は手を止めて視線を上げて俺を見た。──そうそう、その目。そういう目をするから、本当に好きなんだな、って信じるしかなくなる。

「他の人って誰?」
「会社の人です」
「だから誰」
「部署が違うのに名前言って分かるんですか?」
「それは後で調べるから」
「調べてどうするんですか、もう」

 あはは、と笑って呆れた風を装うけれど、唇を閉じた尋が『どうするつもりか』は予想がつく。俺に露骨に身体の関係を迫ってきた社員は男女問わず全員、急な異動の辞令が下っているから。

「大丈夫ですよ。相手は俺なんかに全くそういう興味を向けてこない人なので」

 俺から頼んだことだから、彼が左遷になったら申し訳ない。
 尋を安心させようと微笑むのに、彼は俺より年季の入った嘘笑いを貼り付けて俺の頬を撫でた。

「だったら尚更、俺が一緒でもいいよね? デートのつもりじゃないなら、他人のパートナーと二人きりになんてならないでしょ」
「一対一で会うのを全てデートと呼ぶのは乱暴じゃないですか? 俺はただ買い物に行くだけですよ?」
「だから。なんで、ただの買い物に俺が一緒じゃダメなの?」
「……もしかして、俺が浮気するかもって心配してます?」

 まさかねぇ、と間近に寄ってきた尋の目を見つめると、彼は一瞬笑顔を曇らせた。

「えぇ~、まさか本当に疑ってるんですか?」
「そんな訳ないでしょ。久斗くんはそういう子じゃないし」
「じゃあいいですよね」

 ちゅ、と唇を合わせると、尋は珍しく露骨に眉間に皺を寄せる。傷付くなぁ。そんなに俺の顔が気に入らないのかな。
 まあ、それも明日まで、だ。










「今日は本当に助かった」
「いえ。俺もここ、一人で入るの勇気いったんで、渡りに船でした」

 翌日の十一時過ぎ、俺は駅ビルの中にある一軒のカフェで『ワタルちゃん』の書かれたコースターを向かいの席に座る斎藤に差し出しながら礼を言った。
 店内はかなり盛況で、席は全て埋まっていて待ち合い席も埋まりつつある。それもその筈、今女性に大人気のアニメとコラボフードが展開されているのだという。

「一回で出て良かったな」
「はい。岩瀬さんの豪運に感謝です。……うん、やっぱり来て良かった。ワタルちゃんの新規絵めちゃカワ。最高」

 元々が女性向け作品らしいのだけど、斎藤はその中の一人が『推し』で、けれど女性客ばかりの中に一人で特攻する勇気が無かったとかで。買い物に付き合って欲しいと頼んだら、代わりにこの店へ一緒に入ってくれと頼まれたのだ。
 コラボフードの飲み物を一つ頼むごとに一個、アニメの絵が描いてあるコースターが付いてきて、斎藤は事前に「推しが出るまで飲みます」と宣言していたのだが、幸いなことに俺が頼んだ一杯目で彼の推しが来たらしい。
 俺からコースターを受け取った斎藤はそれをじっと見つめていたかと思えば次にはスマホでパシャパシャと写真を撮りだした。他の席からも同じような撮影音がしているから、こういう場では普通のことなんだろう。

「すみません、こんなオタク行為に巻き込んで」
「ん? いいよ別に。っていうか、俺だって『こんなん』やる程度にはオタクだし」
「……正直、すごく意外でした」
「まあ、俺も男だしなー」

 自分の身体の横に置いた紙袋を叩いてみせると、斎藤はどんな表情をするべきか迷っているみたいに曖昧な顔で首を傾げた。
 俺の買い物のお目当ては、フルダイブ型VR機器だ。それも、最新型のを一式、2セット。ソフトはもちろんエロゲだ。言いにくそうにしていたが斎藤はデジタルガジェットだけでなくそっち方面にも詳しかったらしく、今一番キてるというオススメソフトを買った。
 何の為かと問われれば、単純に尋の誕生日プレゼントだ。

「俺が始めた頃はもう『ぱらどり』がサービス終了してて、『いつぱ』一択、って感じだったんですよね。でも、どうしても『いつぱ』のアニメ調アバターが不満な人が多かったらしくて。オススメしたやつは『ぱらどり』で訴訟問題になった、現実の人物とそっくりのアバターを作ってどうこう……っていうのを回避する為に、ゲーム内での録画録音が完全不可、っていう珍しい仕様になってるんです」
「へぇ」
「もちろんスクショも不可です。当然その制限を解除しようとしたプレイヤーはたくさん居たんですけど、一度でもプログラムを弄った形跡があったらIPでBANされるらしいです。分かります? 垢BANじゃなくてIPBANですよ。運営も潰されたくなくて本気ですね。同じマンションの他の住人が違反行為して道連れBANされたとかで、必死でアカウントの登録住所を照会して運営に人違いだって連絡して垢復帰させてもらった人とか居て」

 斎藤は自分の興味のあることに関してはよく喋ってくれる。だから今日は彼を選んだのだ。
 前に会社から支給されたスマホの使い方が分からず困っていたら、それはもう懇切丁寧に教えてくれた。
 今日も俺の期待通り、売り場で機器について質問すると本体重量から搭載メモリ、チップの位置まで即座に返事が返ってきた。寄ってきた店員が斎藤のマシンガントークを聞いて話し掛けずに去っていったくらいだ。

「それ、部長もプレイする……ん、ですよね?」

 口が乾いたのかジュースを一口飲んでから俺の横の紙袋に目をやった斎藤は、何故か心配そうな表情になった。

「え? あ、うん。部長の誕生日プレゼントだからね。俺のはついで」
「じゃあ、今の話、絶対しておいた方がいいですよ」
「今の、って……えっと、違反するとBANされるって話?」
「いえ、『改造するとIPBANくらう』って話の方です。あの人、会社支給のスマホも弄って位置情報取れなくしたりてるから、たぶん速攻で改造しようとするタイプの人っぽいので」
「……ふぅん?」

 位置情報を取れなくしてる? どうしてそんな事を……。

「あぁ」

 そっか。そうだ。
 悪名高い宇都宮支社から移ってきたばかりで部長になっても他の社員から表向きは役不足の声があがらない程度には、尋はもう顧客を捕まえている。だから部長という役職であっても外回りに行くのは彼にとってはなんらおかしいことではなく──その時間を使って何をしていても、結果さえ出していれば、誰も何も言わない。
 なんだ。他で解消してたから、か。
 行きも帰りもほとんどの時間を一緒に過ごしていたから、だから浮気なんて物理的にそんな時間無いと思っていたけれど。あるじゃん。自由に出来る時間が、全く疑われない時間が、彼には豊富に。

「うん、言っておく」

 紙袋を見て、ジュースのコップの氷に視線を落とす。どんなにかたくなでも、時間が経てば溶けてなくなっていく。氷がそうなら、熱もそうだろうか。
 でも、いい。だって俺にはこれがある。この時代にはこれがある。どんなに容姿に優れなくても、相手の理想通りになれる魔法が。
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