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しおりを挟む『いつぱ』三昧の連休が明けて、また普通の生活が戻ってきた。就寝時間を死守したおかげで寝不足で遅刻なんてことにはならず、毎日真面目に仕事をして、帰宅して飯を食って風呂に入ったら『いつぱ』にインして。
仕事が始まると矢造はまた『良い上司』に戻ってくれて、ゲーム外で俺にセクハラすることも無く安心した。
何の問題もなく月日が過ぎ、八月に入ってお盆の連休にはまた『いつぱ』三昧で過ごした。
土日を含めても四連休しかなく、イン出来ない時間は買い物に行く為の半日程度だったのだけれど、それでも予定を伝えると矢造がやって来た。なんとなく予想出来ていたのでそのままご飯に行って、買い物をして帰宅して、少し雑談してからその日は大人しく帰ってくれて。自宅に着いた矢造から連絡が来てからまた『いつぱ』にインして、セックスして。
連休が明けたらまた仕事をして、ああ忙しい忙しい、と過ごしていたら、気が付けばもう年末だった。
この一年を思い返してみても、仕事と『いつぱ』しか思い出せない。
これが社会人ってやつなのかな、と寒空の下でコートの中に引っ込めた指を握ったり開いたりしながら、あと数十分で年の変わる夜空を見上げた。
矢造は実家に帰省したとかで、年末年始は『いつぱ』にもインしないそうだ。彼以外とセックスし放題の絶好の機会なのだけれど、いざそうなってみると、どうにも気が乗らなくて結局一日一度インする程度になっていた。
伸ばし伸ばしにしていた野里との異性愛サーバーでの乱交を終えて雑談していたら「二年参り行かね?」と誘われて、それで今日が大晦日だというのを思い出した。
いいよと応じてログアウトして、この辺で一番大きい神社へ行こうと相談してから着替えて出てきたのだ。
神社の最寄り駅で待っているのだけれど、日付の変わりそうな時間というのに今日は昼間以上の混み具合だ。人が多過ぎるおかげか俺も変に目立つこともなく、駅から掛かる通行橋の手摺りに猫背で寄り掛かっていても誰も話し掛けてこない。
『着いた』と野里からの三分前のメッセージが今届いたスマホをコートのポケットへ仕舞って、周囲を探した。
「野里先輩、みっけ」
「あ、岩瀬~」
背を伸ばしてみると、群衆から頭一つ抜けるのでこちらからは人が探しやすい。若者が多いからか同じくらいの背の男も珍しくなく、これなら普通にしてても大丈夫かな、とまっすぐ立って発見した野里へこちらから歩み寄った。
「お前、目立つからすぐ分かると思ったのに」
「驚かそうと思って隠れてたんですよ」
「女じゃねぇんだからそういうダルいのやめろ」
「この中で目立てって方が無茶ですよ、先輩」
神社へ行く為にはアーケード街を通り抜けるしかなく、皆そのつもりなので圧縮されそうなほどの混み方をしていた。下手に逸れたら合流出来る自信が無く、野里の手首を掴むと「気持ち悪っ」と嫌そうにされたが、逸れたら待ち合わせた意味が無い。その上、この分では何時間も並ぶことになるだろう初詣の長蛇の列に一人で並ぶなんて絶対嫌だ。そうなったらお参りは後日にして帰る。
横から後ろからグイグイ押されて詰められながら神社を目指してなんとか進んでいると、急に斜め後ろから声を掛けられた。
「久斗くん?」
「え、あ……矢造さん?」
聞き慣れた声が嬉しそうに俺の名前を呼んで、人並みの中から見えた矢造の姿に自然と笑みを返した。このすし詰め状態でもいつもの微笑みを絶やさない矢造は、ペラっとしたショルダーバッグを体の前に回しながら俺の方へ人を掻き分けてくる。
「こんな時間にどうしたの? もう寝てると思って連絡しなかったのに」
「いや、友達と初詣に……。っていうか、矢造さんこそ、仕事始まるギリギリまで実家に居るって言ってませんでした?」
「岩瀬ぇ~~」
「あ、すいません先輩」
俺が矢造と話す為に立ち止まった所為で、一人で先に流されてしまった野里が俺に手首を掴まれているから水流の途中で小枝に引っ掛かった葉っぱみたいに人波に揉まれて助けを求めてくる。
「矢造さん、それじゃあ、今日はこれで」
立ち止まっているのは周りの迷惑でしかなく、軽く会釈して去ろうとした俺の手から、引っ張られたみたいに野里の手首の感触が消えた。あ、と焦って掴み直そうとするのに、野里は呆気なく波に呑まれて先の方へ流されていってしまった。
「えぇー……」
無理に追い掛けるのも迷惑になるし、とスマホを出して神社前で合流しようと送ってみるけれど、既読にならない。混み過ぎると局地的にネットも電話も通じなくなってしまうから、もう絶望的かもしれない。
一応神社までは行ってみよう、と流されるままに進んでいると、途中で横で静かにしていた矢造に横道の方に引っ張り込まれた。
「あ、ちょっと!」
人が密集し過ぎていて、一度流れから出てしまうと戻るのにも強引な横入りをする気合いが必要なのに。
アーケードから一本入った狭い小道の方は急に街灯が少なく、暗いからか人も少なかった。
「あ~……これ、ほんとに合流が難しくなっちゃったじゃないですか」
恨みがましく睨むのに、当の矢造は平然と「そう? ごめんね」なんて言いながらその小道の先へ進み出した。
「あの、矢造さん?」
「俺、ただ家に帰る途中だっただけだから」
この先、と指差した矢造は、また進もうとしてから思い出したみたいに掴んでいた俺のコートの腕を離して、それから嫌味っぽい表情で眉を上げて笑いかけてきた。
「彼氏との初詣、邪魔しちゃってごめんね」
「……はい?」
彼氏? と首を傾げるのに、彼はそれだけ言うと俺をその場に置いていってしまった。
どうしよっかな、とスマホを出して確認してみるけれど、既読もつかないし返信もきていない。駅に戻ろうにも、神社へ向かう人波に逆らって進むのは至難の技だろう。アーケードの動きをよく観察すれば、神社方向9:駅方向1くらいの割合だけれど、列があるにはある。けれど、俺が引っ張り出された小道からは反対側で、どうやってそこまで行くか、が問題だ。
休憩しようと横道に逸れてきた数組のカップルが中に戻れなくなっているのを見て、俺も肩を竦めた。
スマホの地図アプリで脇道を探そうとしたのだけれど、ネット自体が重いから読み込みが遅くてなかなか表示されない。あまり土地勘の無い場所で下手に動いて迷子になるのも嫌で、結局そこで除夜の鐘が鳴り出すのを聞いた。
遠くから鳴る、ゴーン、ゴーン、という低い鐘の音に、年の瀬を実感する。人が密集している場所の近くだからか、気温は低いはずなのに寒さをあまり感じないのが幸いだ。
先程会った矢造を思い出し、帰宅したならまた朝からインしろインしろと煩くメッセージを送ってくる事を予想して寝る前にスマホの電源を切っておこうと決めた。
会えて嬉しかったのにな、と考えて、そしてそこで思考が止まった。
──は? 嬉しい? 矢造さんと会えて?
自分で考えた自分の思考が信じられず、いやいや無い無い、と必死に否定する。あの人に会っても疲れるだけだし。我儘過ぎていつも振り回されるし、俺より十歳も上なのに子供みたいだし。
仕事の時は頼れる上司だけれど、プライベートで会うと丸っきりの暴君だ。あんな人と会っても嬉しいはずがない。確かにあの人はセックスが上手いから、だから離れがたいだけ。そう、俺はあの人のセックスが好きなだけ。
そこまで考えて、ああそうか、とやっと納得した。実家から戻ってきたって事は『いつぱ』でまたセックス出来るから、だから嬉しかったんだ。
途中の計算式が空欄だったものが埋まったみたいな気分で、そう結論付けて一人でウンウン頷いていたら、急に肩を叩かれて体が跳ねた。
「わっ、え、あの、不審者じゃなくて」
「いや、一人でぶつぶつ言ってるの、完全に不審者だからね」
俺の肩を叩いたのは帰って行った筈の矢造で、彼のことを考えていたからか急激に顔が熱くなってゴシゴシと頬を手の甲で擦った。
「久斗くん、こういう流れに割り込むの苦手そうだから心配になって戻ってきたんだけど」
「ああ……はい、まあ」
見れば矢造はさっき持っていたショルダーバッグを抱えておらず、コートもさっき着ていたのより薄手のものな気がする。一旦帰宅してからわざわざ戻ってきてくれたのか、と考えるとなんだか心臓が痛くなって、彼から目を逸らしてゆっくり呼吸をした。
「神社に行くなら抜け道教えてあげるけど」
「……いえ、もう合流出来なそうなので、帰ろうかと」
あっち側まで渡れるタイミングを探してるだけです、と人波を指差すと、矢造は少し間を開けてから、「じゃあ」とつまらなそうな表情で呟く。
「俺と行く? 初詣」
「え……」
矢造さんと? と俺が眉を顰めたのを見て、すぐさま彼はいつもの微笑みを作って肩を竦めた。
「嘘ウソ、じょーだん。俺となんて、久斗くん疲れるだけだもんね。新年からそんな重労働させないって。こっちおいで、駅までの抜け道もあるから」
おいでおいでと手招きされて、少し迷ってから、その手を掴んだ。ほんのり暖かいけれど指先の冷えた手を、にぎにぎと揉んでから、そういえば現実で自分から彼に触れるのは初めてだと気付いた。
「久斗くん?」
「……矢造さんが暇なら、一緒に行きましょう」
俺に掴まれて驚いたのか、矢造は素早く手を引っ込めて訝しげな顔をして、さらに続いた俺の言葉に目を丸くした。
「え、いいの?」
「優しい上司なら、甘酒くらい奢ってくれるかなって」
「いいよ、……うん、なんでも奢ってあげる。日本酒でもいいよ、毎年あそこの神社、あったかいの売ってるし」
行こう! と今度は矢造から手を掴まれて、またぎゅっと心臓が痛くなった。尻尾があったらブンブン振っていそうな嬉しそうな笑顔をぶつけられて、細く息を吐く。
ああ、どうしよう。早鐘を打つ心臓に、俺は平然とする顔の下で自覚させられてしまった。
この人に欲しがられることが、俺は嬉しい。
我儘を言われるのも、甘えられるのも、彼が俺に構ってくれればどんなことでも、嬉しい。
身体だけでなく心すら隷属してしまった。こんな男を好きになるなんて、完全にマゾになっちゃったな、俺。
「久斗くん、ステーキ串あるよ? 食べる?」
「いや、夜中なんでそういうのは」
「じゃあクレープ?」
「食べ物は要らないです」
「ならあのお宝ガラポンを……」
「それあなたがやりたいだけでしょ」
年甲斐もなくはしゃぐ矢造に手を握られたまま、人波を神社へと進んだ。百八つめの鐘が鳴ってもまだ参道にすら辿り着けず、けれど隣の矢造と新年の挨拶をして、初めて『一緒に居るだけで幸せ』なんて感情に浸った。
「今年もよろしく、久斗くん」
「こちらこそよろしくお願いします、矢造さん」
この人が俺に特別な感情が無いのは、分かり切っている。だからせめて、『いつぱ』はサービス終了しませんように、と神様に祈った。
三月に入って、そろそろ誕生日だな、なんてオフィスの壁に貼ってあるカレンダーを眺めていたら、俺の後ろを鼻歌混じりの上機嫌な矢造が通り掛かった。
「やけにご機嫌ですね、課長」
「んー?」
矢造は頷いて、口を開こうとしてから周囲に視線をやって、曖昧に閉じた。
ちょいちょいと廊下を指差して呼ばれ、ついて行くとトイレまで行った矢造は中に誰も居ないのを確認してから「聞いてよ~!」と騒ぎ出した。
会社内で素を出すのを見るのは初めてで、よほど良いことがあったんだろう、と苦笑しつつ話の続きを待ったら、彼はスマホで一枚の写真を見せてきた。
「……すごい綺麗な子ですね」
「そうなんだよー! この子ね、今年二課に入る子!」
スマホに映っていたのは、瞳が大きい童顔に優しそうな笑顔の、一目で矢造の好みド真ん中だと分かる美青年だった。履歴書の写真を撮ってきたのか、着慣れていなそうなスーツ姿が初々しい。
彼が新入社員として配属されると聞けば誰でも心待ちにするだろう、と自然に見えるよう微笑みを作った。
「良かったですね」
「うん! 研修終わったらまた俺が教育係やるから、本っ当、今から楽しみでさー!」
「そうですか」
こんな綺麗な子を毎日見られるなんて幸せ過ぎるよー、とニコニコしている矢造を見て、酷い吐き気を飲み込んで口角を上げた。
「じゃあ俺も、やっと矢造さんから解放されますね」
「うん、岩瀬くんはもう俺が居なくてもちゃんと仕事出来てるしね。平気だよね?」
スマホを見つめて俺の方を見もしない矢造に、はい、と答えた。
大丈夫です。俺は、あなたがいなくても。
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