依存の飴玉

wannai

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 前屈みになった幸はうっすら微笑みながら俺を撫でてくれて、その表情があまりに綺麗で見蕩れてしまう。
 この笑顔も、作り物なんだろうか。俺に向けているこの柔らかな幸せを具現化したようなそれも、俺を『飼い主』として繋ぎ止める為に演じているもの?
 でも、それでもいい。俺が幸にとってまだ都合のいい存在でいられるなら、幸にとってまだ出て行くほど嫌な存在でないのなら。ペットでも飼い主でも、どっちでもいい。

「おいで」

 俺は何をすれば、と訊こうとするより前に、そう言って幸は俺を手招きした。
 ベッドへ上がってこいとでもいうような仕草に首を傾げ、けれど俺が立ち上がると幸は少し横へよけて自分の膝を叩く。

「いい、日高。日高の定位置はここ」
「……ここ、というのは?」
「ごろんてして、俺の膝に頭を乗せるの」

 まさかの膝枕。
 いきなりハードルが高い、と狼狽うろたえていると、幸はスッと目を細めて「嫌なの?」と苛立ったように笑顔を消した。

「嫌というわけでは……」
「ならさっさとやる」
「は、はい」

 俺は嫌どころかその正反対で、どちらかといえば幸が嫌じゃないのかと不安になりつつもベッドへ横になって彼の膝に頭を乗せた。
 脂肪の少ない硬い太腿。デニムの濃い匂いのおかげで幸の匂いがしないのは幸いで、けれど骨ばっていてそのままだと少し痛い。頭の収まりがいい場所探す為にもぞもぞと動いているとまた幸の手が俺の頭に乗った。

「聞いてよ、日高」
「はい?」
「今日のお客さん、俺が個人的な連絡先は教えられないって言ってるのにしつこくってさ。「彼女なんだから教えるのが普通でしょ!」って……、お金払ってる時点で普通の彼女じゃないのに、なんで忘れちゃうかな?」
「……?」

 幸は俺の髪を指で弄りながらさらさらと撫で、今日のバイトの話をし始めた。ペットとしての躾うんぬんはどうしたのだろう、と困惑しつつも黙ってじっとしていると、それが正解だと誉めるように俺の二の腕をぽんぽんと叩いてくる。

「全然納得してくれないから店長に出てきてもらっちゃった。もう来ないかもなー。結構太客だったから残念。ちょっとリアル彼氏っぽくしすぎたのかな? どう思う?」
「……俺は幸のバイト中の態度は知らないので」
「返事は必要無い」

 疑問形で語尾が上がったから答えたのに、短く叱責された。

「やっぱりユキトみたいにプロ彼氏っぽい方が客が本気になりにくいのかな~。今のキャラ、結構オバサン人気高いから結構お金落としてくれるんだけど、俺もキャラ変えるべきかな?」

 やり直しみたいにもう一度質問され、それに無言を返すと幸は満足げに笑顔を作って俺の肩を撫でた。
 幸の言う『ペット』は、本当に動物なのだ。ただ傍にいて、どんな愚痴を言っていようが膝の上で微睡んでいて答えてくれない、そういう存在がペットなのだと、そう教えてくる。
 ……幸がそんな態度を取ったことは無い気がするが。
 いつも自分勝手にスマホを使ったり話し掛けてきたりテレビを見たり、お腹が空いたら食べて、喉が渇いたら飲んで――そこまで考えて、ストンと答えに着地した。
 幸は今まで、俺に話し掛けていたんじゃない。ただ自分勝手に鳴いていただけなんだ。
 俺の答えなんて必要とせず、ただ一人で言いたいことを言っていただけ。俺と同じ言語を使っていながら、会話としてキャッチボールしているつもりだったのは俺だけだったのだ。
 それを前提に考えれば、ここ一週間彼のメッセージが簡素だったのにも納得がいく。俺が『飼い主役』を放棄したから、幸も『ペット役』を放棄した。ただそれだけ。

「日高?」

 むくっと起き上がると幸に睨まれたけれど、にこっと笑って「やめましょう」と言うと俺が反抗したのに驚くみたいに目を丸くした。

「は? やめるって、まだ始めたばっかりだよ?」

 そんなに嫌だった? と俺の表情を窺う幸を無視して立ち上がり、自室から出て台所へ行く。
 冷蔵庫の中を覗くと、味噌汁鍋は蓋をしたまま中に入っていた。蓋を開けて確認すると、まだ幸も食べていないのか朝作ったままの量から変っていない。
 少しお玉で中をかき回してからコンロに置いて火を点け、もう一度冷蔵庫を開けて青椒肉絲の皿を取り出した。ラップを掛けたままのそれをレンジに入れ、あたためボタンを押す。

「あの……日高……?」
「なんですか。ご飯まだなんですよね? 一緒に食べましょう」
「……怒ってるの?」

 幸は俺の部屋から出てきたようだが、近くへ寄ってくる気配はない。
 俺は飼い主、幸はペット。
 それ以上もそれ以下もない。俺に求められているのは、ただ無償の愛と衣食住を提供することだけ。
 その前提条件が崩れない限り、幸はこれからもずっと俺に偽りの笑顔しか向けてくれないのだと、今ハッキリ分かった。
 だから壊す。

「怒ってないですよ。怒る理由がどこにあります?」
「でも、じゃあなんで俺の言うこと聞いてくれないの」
「言ったでしょう。やめたいからですよ、『ペット』と『飼い主』を」

 幸の方へ振り返って言うと、彼は少し悲しそうな顔をして、それから肩を落として「そっか」と笑った。

「日高もダメだったかー。居心地良かったんだけどな、ここ」

 ため息を吐いた幸が自分の部屋へ入って行こうとするのを、ドアの前に立ち塞がって止める。
 俺に見切りを付けた幸の目は昏く、どけと言うのも面倒みたいに黙ったまま俺の身体を押しのけてドアノブを掴んだ。

「勝手に出て行く雰囲気出さないでもらえますか」
「言ったよね、恋だの愛だの、そういうの押し付けられるのは気持ち悪い、って」
「誰がそんなこと言いました?」
「……は?」
「自惚れないで下さい。貴方みたいな欠陥人間、顔以外を好きになるなんてありえないでしょう」
「け、……っかん」

 無表情の俺に気押されたように幸が狼狽え、数歩後退る。
 コポコポと沸いてきた音がしたのでコンロの方に戻って汁鍋の火を止め、「食べますよね?」と聞くが答えは返ってこない。

「なんだかびっくりしてるみたいですけど、その反応が俺にとっては驚きですよ。自分の中身に惚れられてるとでも思ってたんですか?」
「……」
「ペットの役目だの飼い主の責任だの、しち面倒くさい……。これまで貴方に気のある素振りを見せたのはただ貴方に出て行かれると困るから、ただそれだけです。顔だけは本当に見蕩れるくらい綺麗ですが、それ以外の部分には全く興味が湧きません。俺が貴方に求めているのは、メッセージの即時返信とこの家に住み続けて俺の視界の中にいること。人間をペットにする趣味なんて無いんですよ、俺は。これだけ言ってもまだごっこ遊びを続けたいと言うなら出て行ってもらって構いませんが、それで、どうします? ご飯は、食べるんですか、食べないんですか?」

 苛立ち露わに食器棚から出した味噌汁の椀を作業台の上に叩き付けると、幸は怯えるみたいな顔をして、それから小さく「食べます」と答えた。
 ……少しやり過ぎたかな。
 前に見た幸の傷跡を思い出し、怒りで振り回すやり方は上手い手段ではなかったかも、と後悔する。

「テーブルの上を片付けてもらえますか」
「はい」

 わざとらしく笑顔を浮かべてから、今の自分の行動がまるでDV男そのものだなと気付いて迷った挙げ句に無表情に戻した。
 口から出た言葉はもう戻せない。俺は『幸に恋なんかしてない、依存したいだけの男』。その路線でいくしかない。
 料理を盛った食器を俺の部屋のテーブルへ並べ、手を合わせて食べ始めた。
 テレビをつけ、夜のニュースを見ながら食事をする。
 いつもなら何かしら喋っている幸も黙ったまま箸を進めていて、非常に気まずいが全く気にしていないフリだ。

「……あの」

 俺が「ごちそうさま」と箸を置くと、まだ茶碗に飯が残っている幸も箸を止めた。

「ペットじゃないなら、愛想笑いもしませんけど。それでいいんですか」

 いつもの甘えた口調ではなく、丁寧な、けれど温度の無い声音。
 じっと俺を見る目が何を考えているのか分からない。

「良いも何も、俺から要求しましたか、そんなこと」
「……でも、笑ってた方が嬉しいですよね?」
「それはそうでしょうが、笑いたくなくても笑え、なんて事をここに住む条件として挙げた記憶は無いんですよ、俺は。貴方が勝手に、自主的に、自分からやっていた事を、俺が望んだみたいに言わないでもらえますか」

 責めているように聞こえないよう、細心の注意を払いながら淡々と告げる。
 傷付けたいわけじゃない。
 ペットじゃなくて、幸を人として扱わせて欲しいだけ。俺のことを同じ人間だと思って欲しいだけ。……だけ、だけ、と言いながらどんどん欲深くなっていく自分に内心で苦笑いしつつ、茶碗を重ねて立ち上がる。
 幸はそれからしばらく、手に持ったままのご飯茶碗の中を見つめて何も言わなかった。
 

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