依存の飴玉

wannai

文字の大きさ
上 下
12 / 31

12

しおりを挟む
「ただいまー」

 録画した配信の見返しが四周目に入った所で玄関の鍵が開く音がして、それから幸の声が聞こえて慌てて動画を止めた。
 動画プレイヤーを終了して保存場所のファイルも閉じ、あらかじめ用意しておいた仕事関係に見えそうなブックマークを開いてあたかも仕事してました、みたいな顔で帰宅してきた幸を出迎える。

「おかえりなさい、幸」
「うん、スパショありがとね、エリさん」

 真っ先に俺の部屋の襖を開いてそう言った幸に、笑顔のまま一瞬止まり、けれど想定内だから不思議そうな表情を作った。

「……? すみません、あのエリさんって人、俺じゃないですよ?」
「え、違うの? てっきり日高かと思ったから遠慮なく搾ったのに! うわー、悪いことしちゃったかなぁ」
「楽しんでたようなのでいいんじゃないですか? ああいうのって、推しに名前呼んでもらえるだけで嬉しいらしいですし」

 俺は今日は様子見のつもりだったので一つもコメントしてないんですよ、とパソコンのインターネットブラウザを開いて俺のアカウント名が違うのを示すと、幸は狐につままれたような顔でそれを見つめた。

「絶対日高だと思ってた。俺の勘が外れることなんて滅多に無いのに……」
「にゃあー」

 眉間に皺を寄せて俺のベッドに座った幸は、しかし足下から猫の鳴き声がするとバッと両手両脚を浮かせてキョロキョロと辺りを見回した。

「なんっ、ねこ? 猫の鳴き声?」
「あ、すみません言い忘れてしまって。今日から一週間、同僚の猫を預かることになったんです。クロ、出てこれ……ないかなぁ」

 ベッドの下を覗き込むと、クロは幸の出現に驚いたのか奥の方へ入ってしまっていて、なんとなく影の量が多いな、という辺りに居るのは分かるがこちらへ出てきてくれる様子はない。

「ちょっと怖がりな子みたいなんです。だから、今週は出来れば幸の部屋にお邪魔していたいんですけど、大丈夫ですか?」

 ベッドの上へ視線を戻すと、幸は壁とベッドの隙間からなんとか猫の姿を視認したいみたいにこちらへ背を向けていた。
 四つん這いの尻を眼前にして、思わず目を逸らす。

「ねこー、ねこー。うーん、見えない~」
「……クロって名前だそうです」
「クロちゃん? そっかー、黒猫だったらこの下に潜ったら暗くて見えないか」

 こちらへ向いたかと思えばベッドの上から逆さになって下を覗き込んだ幸は、目標の猫が黒いと知って残念そうに起き上がってきた。
 乱れた前髪を手櫛で直す仕草が可愛らしい。ほう、と見蕩れていると、幸は俺へ目を向けて、それから咎めるように目を細めた。

「この猫、いつ連れてこられたの?」

 昨日の夜じゃないよね、と冷めた声で訊かれて首を傾げる。幸は猫好きらしいから、家に猫がいて嫌がるとは思っていなかった。さっきの反応も猫に対してはおおむね好意的のように見えたのに、どうして急に不機嫌になるのだろう。

「午前中です」
「だから俺のメッセに返事しなかったの?」
「ええ、来客中だったので」

 その通りだと肯定すると、幸は何故か眉間に深い皺を寄せて腕を組む。

「俺には返事出来ない時は事前に言えっていうのに、自分はしないんだ?」
「え……、必要でしたか? それならこれからはそうします」

 どうやら俺がメッセージの返信をしなかったのが不満らしい。求められていると思っていなかった、と正直に答えると、幸は無言のまま俺を睨みつけてくる。
 改めると言っているのに何故怒っているのか分からずオロオロしていると、俺のスマホがブブッと震えてメッセージの着信を知らせた。

『坂原:クロの様子はどうだ? カメラチェックしたいんだけど今いいか?』
「……カメラ?」

 ローテーブルの上に置いたままだったから見えたのだろう、不愉快げな声音で幸が訊くので、ノートパソコンの横に置いたペットカメラを指差す。

「この坂原がクロの飼い主で、預けてる間、ペットカメラ置かせてくれとお願いされまして」
「承諾したの?」
「ええ。大事なペットと離れて不安な気持ちは分かりますし。だから今週は幸の部屋に……幸?」

 俺が話し切る前に幸はベッドから降りるとさっさと部屋を出て行ってしまった。
 カメラの存在が嫌だったのだろうか。いやでも、今日の配信は問題無さそうだった。バイト先でわざわざキャラを作るくらいだから、もしかしたら素の自分を知られるのが嫌なタイプなのかもしれない。
 そう納得して、坂原のメッセージに『今はベッドの下に隠れてますけど、それで良ければどうぞ』と返した。
 十数秒して、また坂原から返信がくる。

『お前しか見えない』

 一瞬意味を読み違えてドキッとした。が、これは単純にカメラの視界に入る動く物が俺しかいないから俺しか映っていない、という意味だろう。

『だから言ったじゃないですか。ベッドの下なので映らないですよ』

 そう返して、カメラを起動したスマホをベッドの下に潜らせてクロがいそうな方向にレンズを向けて撮影ボタンを押した。そこそこ性能の良い夜景モードが搭載されているから、フラッシュを焚かなくても映るだろうと思ったのだけど、角度が悪かったのか手元に戻して確認した写真にはクロの尻尾しか映っていなかった。
 何枚か撮り直してからやっとこっちを見るクロの全体像が撮れて、それを送ってやると坂原から秒で『かわいい』と返ってくる。こいつはたぶん尻尾だけでも同じ台詞を返してきたんじゃないか、と呆れてベッドに座ると、続けて坂原から着信した。

『パソコンの方でビデオチャット出来るか? スマホだとずっと持ってるの面倒だろ?』

 それは確かに。在宅時にクロの姿を見たい時はビデオ通話で、と約束させたが、その間俺のスマホをベッドの下に向けて持ちっぱなしというのは実際とても煩わしい。
 ノートパソコンについているカメラならそれほど解像度も高くなく、けれどマイクも付いているから坂原が呼べばクロも出てくるかもしれない。
 パソコンに入れているチャットアプリのIDを送ると、すぐにコール音が鳴り出した。

『クロ~~~~!』

 受話した途端に坂原が叫ぶものだから、慌てて音量ボタンの下を連打する。

「坂原、うるさいです」
『あ、悪い。クロが恋しくて死にそうで』
「さすがに早すぎないですか」
『クロの残り香のある部屋にクロがいないのが耐えられねーんだよおぉ』

 画面に映った坂原はどうやら帰宅したらしく、背景にはクローゼットと本棚が見えた。クロを探すように顔を振っていて、無意味さに少し笑えて座る位置をずらす。

「クロ、飼い主さんが呼んでるよ」
「……にゃ」
『クロ!』

 坂原の声が聞こえたからかベッドの下から頭を出したクロは、パソコンの画面に映る彼の顔をじっと見てから俺を警戒しつつもテーブルの上に飛び乗った。

「にゃう」
『えらいえらい、クロは偉い子だな~、呼んだら来るの、すごくえらいなぁ、クロ!』

 画面越しなのに撫でたいみたいに手をわきわきさせている坂原と、いつものように誉められているのに撫でて貰えないのを不思議そうにしているクロ。
 結構この構図は面白いな、としばらく眺めていたが、何度か画面を手でつついたクロは坂原がそこから出てこないと知るとぴょんと飛び降りてまたベッドの下へ戻っていってしまった。

『あ~、クロ……』
「もう気が済みましたか?」
『待って、もう少し!』
「じゃあ、俺そろそろ夕飯作るので、このままにしていきますね」
『うん? お前自炊するんだ?』
「最近は、まぁ、そこそこ」
『へぇー。今度食わしてくれよ』
「……嫌です」

 すっかり忘れていたが坂原はつい数時間前に俺に告白してきたばかりで、しかも何もしないと油断させてちゃっかりキスしていった奴だった。
 ただただ衝撃的だっただけで応える気は全く湧かないので告白自体を忘れそうになっていたが、どうやら彼にとっての強制保留は挑戦続行に分類されるらしい。

「あの俺、坂原と付き合うつもりは」
『夕飯作るんだろ? 行ってこいよ。もう六時になるぞ』
「え、あぁ、そうでした」

 まだ炊飯器のスイッチを押していないから、早炊き機能でも三十分はかかる。
 七時には食べ始めたいからさっさと用意しないと、と立ち上がった俺に、坂原は「いってらっしゃーい」と笑った。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

怒られるのが怖くて体調不良を言えない大人

こじらせた処女
BL
 幼少期、風邪を引いて学校を休むと母親に怒られていた経験から、体調不良を誰かに伝えることが苦手になってしまった佐倉憂(さくらうい)。 しんどいことを訴えると仕事に行けないとヒステリックを起こされ怒られていたため、次第に我慢して学校に行くようになった。 「風邪をひくことは悪いこと」 社会人になって1人暮らしを始めてもその認識は治らないまま。多少の熱や頭痛があっても怒られることを危惧して出勤している。 とある日、いつものように会社に行って業務をこなしていた時。午前では無視できていただるけが無視できないものになっていた。 それでも、自己管理がなっていない、日頃ちゃんと体調管理が出来てない、そう怒られるのが怖くて、言えずにいると…?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

目覚ましに先輩の声を使ってたらバレた話

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
サッカー部の先輩・ハヤトの声が密かに大好きなミノル。 彼を誘い家に泊まってもらった翌朝、目覚ましが鳴った。 ……あ。 音声アラームを先輩の声にしているのがバレた。 しかもボイスレコーダーでこっそり録音していたことも白状することに。 やばい、どうしよう。

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

完結・オメガバース・虐げられオメガ側妃が敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン王から溺愛されました

美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

処理中です...