依存の飴玉

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 小さく「クロ」と坂原が呼ぶと、クロがピンと両耳を立てて彼の方へ顔を向けた。それをまた坂原がスマホのカメラでカシャリと撮る。

「一位の奴になんか嫌な思い出でもあんの? 馬鹿にされてたとか」
「……いいえ」
「でもお前、理由なく毛嫌いするタイプじゃないじゃん。分厚い壁は作ってるけど、明らかに嫌いです! ってオーラ出すの、俺だけだろ。んで、その理由もちゃんとあった。だったら、『一位の奴が嫌いな理由』もちゃんとあるんだろ」

 答えたくないとあからさまに表情を険しくしてアピールするのに、坂原はそれすら面白いみたいに俺の顔へカメラを向けてシャッターを切った。

「やめて下さい」
「答えてくれたらやめる」
「あなたのスマホのアルバムが俺の写真で埋まるまで黙ってましょうか?」
「お、じゃあどうせなら笑ってくれよ。お前、見れば見るほど可愛いっつーか、何時間でも見てたくなる顔してるからクロと並べると癒やされ具合が半端ない」

 もう閉口するしかない。
 言いたくないと言っている事をわざわざ聞き出す愚劣漢のくせに、同時に笑顔で褒め殺してくるものだから怒るに怒れない。

「こっち向いて、あ、顔下向けたまま、目線だけ。……あー、上目遣いやばいな。なぁ、次クロ抱っこしてくれよ」

 絶対可愛い、と言いながら部屋の中を恐る恐る探索していたクロをひっ捕まえてきた坂原は、途端に丸い毛玉に変身したそれを俺の腕に抱かせてまたシャッターを切った。

「やば。……やば」

 死んだ目でされるがままに猫を抱く俺と、俺の腕の中で硬直するクロのツーショット。
 どんな絵面になっているのか不明だが、やば、しか言わなくなった坂原の様子から察するに、彼にとっては良い写真なのだろう。趣味が悪過ぎる。

「俺、一番になったことがないんです。部活でも勉強でも趣味でも、……仕事でも」
「うん?」
「ただそれだけの話です。もういいでしょう? クロ、ごめんね、怖かったね」

 腕の中で微動だにしないクロは、けれど俺の手にドクドクと早鐘を打つ心音を伝えてきていた。
 そっと床に下ろすと、ちらりと俺を振り返ってから、またクンクンと床の臭いを嗅ぎながら歩き出した。
 怖いと思っても人間を噛んだり引っ掻いて飛び出したりしないのは坂原が普段から優しく扱っているからだろう。一度でも人間に手荒い扱いを受けた動物は人間に対して警戒心を忘れない。親猫の話もしていたし、おそらくは仔猫の頃から坂原が育てているんだろう。だから、怯えはしても逃げだそうとはしない。危害を加えられるとは微塵も思っていないからだ。
 ふと、幸の顔が脳裏にぎる。
 幸はおそらく、家に置いてくれる『宿主』になら誰にでも笑顔で懐く。けれど、彼は人間が自分に危害を加えることを知っている。だから、一瞬でもその素振りを見せれば逃げてしまうんだろう。
 そしてその『危害』には、恋心すら引っかかる。幸には理解の出来ない感情を向けること、それ自体が害だと判定して。

「すげー簡単に一位になれる方法があるよ、って言ったら聞く?」
「……は?」

 幸のことを思い出して時計を見ようとしたら、不意に坂原がそんなことを言い出した。
 口元には笑みが残っているが、目は真剣みを帯びている。
 簡単に一位に、なんて。なれる筈がない。彼自身、さっき『努力して維持している』と言っていたばかりだ。
 とすれば、おそらくはその努力の内容を教えてくれようと言うのだろうか。どんな仕事でもコツというものがある。知識の上だけでもそれを知っているか知らないかでは成果に違いが出るのは道理。
 頷くだけでそれが聞けるのなら、と理性はさっさと頷けと言っているのに、強情な性格がそれを許してくれない。
 こいつに教えられる時点で負けを認めたようだ、なんて、子供っぽいにもほどがあるのに。

「んー……あのな、これから俺がある『お願い』をするから。それに、ハイって答えて。その瞬間からもうお前が一位」

 俺の内心の葛藤を見抜いてか、坂原は更に言葉を重ねてきた。
 何か交換条件でも出されるのか、それなら俺も受け入れ易い、とハイの言葉を用意しようと口を開いたのだが。

「俺と付き合って下さい」

 は、の発音をしようと息を吸った所で思わず止まって、それから坂原の顔をまじまじと見る。
 彼は笑顔を消し、見つめる俺から目を逸らさず見返してきた。

「ハイって言って。そしたら筑摩はその瞬間から俺の一番大事な人。俺からの愛され度世界一位。今まで一位だったクロは二位に転落」
「……は? いや、あの、じょ」
「冗談じゃない」
「ば」
「馬鹿にもしてない」

 俺の言葉を先回りして潰した坂原は、無表情にずいと寄ってくる。
 近寄られて反射的に後退りした俺はベッドに背中をぶつけて、逃げ場を探そうと目を彷徨わせた隙を狙ったみたいに坂原はさらに距離を詰めてきた。

「坂原っ」
「何もしない。ハイって言うまでは絶対に何もしない」

 膝の頭同士がぶつかって焦って少し声を荒げると、坂原は嘘ではないと示すように両手を前に出してパーにして振ってみせる。
 膝以外が接触していないのが不思議なほど近寄ってきたのに、坂原は確かに俺のどこにも触れていなかった。
 手や肩を掴まれでもしたら俺が即座に逃げ出すのを分かっているみたいに、両の掌を俺に向けて困ったように眉根を下げた。

「正直もう結構限界なんだけど、頑張って我慢してるのは評価してほしい」
「げ、限界って」
「だって筑摩、ほんとに可愛いんだもん。すごい頑張り屋で、人当たり良くて礼儀正しくて、だけど俺にだけ対抗心燃やしてツンケンしてて、その割に嫌がらせとか陰口とか全く無しで真っ向勝負しかしてこなくて。意識すんなって方が無理だよ、そんな可愛いの」
「かわ……」

 可愛い、って。
 そのおおよそ成人男性に似つかわしくない単語が俺に向けられているとは思えず、渋い顔をすると坂原は目を細めて唇の両端を上げる。

「俺も不思議。男を可愛いって思ったの初めて。けど、毎朝お前見る度に可愛いなぁ、って思うし、お前が俺のこと睨んでても無視しても可愛いなって思う。クロ以上に可愛いと思ったの久しぶり」
「比較対象が猫なんですか」
「女より可愛いもん」
「……まぁ、そこは人それぞれですが」

 いつになく至近距離に寄られて動揺はしているが、苦笑する坂原からは危険を感じない。
 一体これからどうしたら、と迷っていると、テーブルの上に置いておいたスマホがブブ、と振動した。
 俺と坂原がそこへ視線を向けると、明るくなった画面に、『幸:そろそろ始まるよー』というメッセージアプリの着信が表示される。

「この前、遅くなるって連絡入れてた子だ」
「え……」
「彼女?」

 ユキちゃんて読むのかな、と呟いた坂原の視線から隠そうとスマホへ手を伸ばすと、その指先に彼の掌が当たった。スマホを取るのを邪魔するように坂原の手が俺の指を掌で受け止め、握りたいみたいに指先が動くが握ってはこない。

「彼女?」

 もう一度訊かれ、感情の見えない目に気押されて小さく首を横に振る。

「違うんだ?」
「違う。俺の片想い」
「……そっか」

 無表情だと思っていた坂原の静かな目。
 けれど、違った。間近で見るその奥に燃え盛るような嫉妬の炎が見えて狼狽える。

「あの、坂原。その、俺と付き合ってもたぶん、すぐ嫌になると思うし……」
「嫌になる? なんで?」
「俺、すごい重いから。恋人にめちゃくちゃ依存するから、だから」

 どうしてか、坂原こいつをこのままにしておくのはマズい、と思った。
 だからてっとり早く諦めてもらう為に俺の悪癖を暴露したのだけど、坂原はパチパチと瞬きしてから満面の笑みを浮かべた。

「それで?」
「それで、って……。えっと、夜中にメッセージ送って返事が無かったら次の日の始発で会いに行ったりするし、休みの日は絶対に一緒にいてもらわないと嫌だし、SNSも含めて交友関係全部把握したいし、異性のいる飲み会とかは絶対行ってほしくないし……」
「うん。あとは?」
「……は」
「そんなの基本じゃん。筑摩、恋人を監禁して警察沙汰になったことある?」

 坂原は笑顔を浮かべたまま、スマホを取ろうとして固まっていた俺の指先を握り込んでくる。
 ハッとして手を引っ込めた俺の指を簡単に離した坂原は、上半身を傾けて顔を寄せてきた。

「自分よりおかしな奴を初めて見た、って顔してるな」
「……っ」

 吐息が唇に当たったと思ったら、次の瞬間にはキスされていた。柔らかい唇が、一瞬だけ深く触れて、また離れていく。
 驚き過ぎて言葉の出てこない俺を見て坂原はくっくと喉を鳴らして笑って、それから「よっこいせ」と声に出しながら立ち上がった。

「んじゃあ、これ以上やってクロのこと預かってもらえなくなった困るから、今日は帰るわ。一週間よろしくな」
「え、……あ……」
「クロ~、いいこにしてるんだぞ~」

 坂原が声を掛けるとベッドの下に潜んでいるらしいクロが「にゃあ」と返事をする。
 そのまま部屋を出て行こうとする坂原の背中を見て、慌てて立ち上がって追い掛けた。

「あ、あの、坂原」
「今の筑摩から返事は要らない。付き合ってもいいかなって思ったら言って」

 玄関で靴を履いた坂原は自分の財布とスマホが尻ポケットにあるのを確認するように叩いてから、俺に軽く手を振ってドアを開けて去って行った。
 閉まったドアに鍵を掛けてから、しばらくその場で放心してしまう。
 か……監禁? 警察沙汰?
 あの言い方だと、坂原は実際になったことがあるという事なんだろう。
 ぞっとするが、同時にひどく安堵しているのが不思議だった。坂原の言う通りだ。自分よりおかしな奴なんて初めて見たから。
 いや、ただおかしい奴ならいくらでもいる。けれど、ある程度『マトモ』に擬態出来ているというか、普通っぽい人間が実は、というのに直面したのは初めてだ。
 世の中全て平均的な普通の人なんて実はそういない、なんて言われているけれど、そのブレは弱みにもなるから、親しい人にしか見せないのもまた普通だ。
 坂原は、弱みを見せてでも俺を手に入れたいと思ったのだろうか。女関係で警察の厄介になった事があるなんて、俺がただ坂原を嫌いなだけの奴だったら喜んで会社に告げ口してあいつを蹴落とすいいネタになったろう。
 彼からの信頼を喜ぶべきか困るべきか微妙な気持ちでいると、部屋の方からドンドコカッシャーンと賑やかな音楽が鳴り出した。
 幸の配信が始まる五分前に設定しておいたアラームだ。
 慌てて部屋に戻ると、ベッドフレームの支柱の影に隠れるようにクロが音の鳴るスマホの方を凝視していた。

「あぁ、うるさくてびっくりしたな。すぐ止めるからな」

 言葉が通じないとしても声のトーンは通じると思っているから、安心させるように柔らかい声音で話し掛けてアラームを止める。
 ゆっくり床に座ってノートパソコンを開き、電源ボタンを押した。起動のメーカーロゴが表示されるまでの間にスマホの画面を叩くと、幸からのメッセージが三通に増えていた。

『日高ー? もしかして寝てる? 起きろー、俺が出るんだぞー!』

 文の後にスタンプの代わりに怒った顔文字だけが送られてきていて、急いでインターネットブラウザを開いてあらかじめ登録しておいたチャンネルを開く。『ライブ配信中』の表示が出ていたが、画面に映ったのは『準備中! もう少し待ってね♪』という静止画だった。
 画面の右下の時刻表示はまだ二分前。問題ない。
 今日の為に購入しておいたキャプチャソフトを起動して、画面録画を開始する。予習はバッチリ、数十秒録画して一旦止めてから問題無く録画されているのを確認して、配信動画のサイズがフルサイズになるよう設定して録画を開始した。
 そして、スマホの方でも動画サイトのアプリを起動して同じ配信を開く。
 こうすれば、動画を綺麗に保存しつつチャットを書いたりスパチャを投げたり出来る。
 準備万端、とスマホ片手に冷蔵庫へ飲み物を取りに行こうとして、パ、と画面が切り替わって掌が見えて動きを止めた。
 この手のひらの皺は間違いなく幸の手だ。何故カメラの目の前に手が、と首を傾げていると、「ね、こっち電源ついて無かったよ。どう? 映った?」と幸の声が聞こえてきた。

『映ってるよーw』

 おそらく初回だからライブ配信に慣れていないのだろう。事故らないうちに、とコメントを打つと、パッと画面がまた静止画に変わった。
 俺が最初のコメントを打つと、次々待機していたらしい他のコメントが流れ出した。

『今の声だれ? かわいい声~』
『ユキト待機』
『もう半年ユキトくんに会えてないよ~』
『ユキトくんまだー?』

 店のライブ配信、それも初回だからコメントはそれほど多くない。マウスで遡る必要もないくらいの流れで、そのほとんどが予想通りユキト目当てのものだ。
 スパショの準備をしつつ、まずいくら投げるか考える。
 一回目の配信でユキトにばかり客の視線がいってヤスが注目されていないと店側が判断したら、二回目以降は別のキャストで、となるかもしれない。そうなったら、臨時ボーナスに喜んでいた幸はガッカリするだろう。それは嫌だ。あの綺麗な顔が曇るところなんて見たくない。
 昨日まではとりあえず二時間の配信の中で盛り上がった場面にちょこちょこ投げて合計で一万くらいにしておくつもりだったのだけれど、コメント欄のあまりのユキトファンの多さに俄然がぜん対抗心が湧いてきた。
 金額欄に10,000と入力し、コメントに『ヤスくんがんばってね♡』と書いて始まるのを待つ。
 アカウント名は適当に『エリ』にしてあるから、店側も他の視聴者もヤスの固定客だと思ってくれるだろう。
 まもなくして画面が切り替わり、水色の可愛い色のソファに座ったユキトとヤスが映った瞬間、スパショを飛ばした。

「こんにちはー、始まりました、『はっぴーたいむ』の初! ライブ配信ー!」

 ユキトの朗らかな声が挨拶の口上を述べ、それに呼応するように88888、と拍手代わりのコメントが並ぶ。
 その一番上、一際目立つ俺の送った真っ赤な枠のコメント。そしてそのコメントは、名指しで新人を応援している。

「早速のスパショありがとうございま……えっ、ヤス、ほら! ヤスくんがんばってね♡ だって!」

 すかさずスパショを拾ってお礼を言ったユキトが、隣で真顔のまま黙っているヤスの肩をぐいぐい揺らしてはしゃいだ。

「ほら、名指しされてるんだからお礼言わなきゃ! 練習したでしょ?」
「……ありがとうございます」

 ニコニコ笑顔のユキトと対照的に、ヤスは無表情のままぺこりと頭を下げた。
 緊張しているんだろうか。幸らしくない、と心配してから、「店ではキャラ作ってるから」と恥ずかしそうにしていたのを思い出す。もしかして、店ではクールキャラで売っているんだろうか。
 新人への高額スパショに負けじと、ユキト宛てのスパショが何個もポンポン飛んでいるチャット欄を流し見しつつ、ヤスの様子を観察する。
 顔色は悪くない。肌が白いのはいつも通り。スパショのコメントを読み上げながら何故かヤスと腕を組むユキトにも無表情、無反応のまま。けれど目線がしっかり画面に映るパソコンのチャット欄を追っているのは分かる。

「あはは、みんな初回だからはしゃいでる~? そろそろ一回落ち着こ? ほら、この配信の説明とかしたいし! これじゃスパショ配信になっちゃうよー」

 そういう趣旨じゃないよ、と苦笑してみせつつ、それに煽られたユキトファンがまた
『スパショ投げ放題ってここで合ってます?』『スパショの練習が出来ると聞いて』などといくつもスパショを投げた。それにまたユキトが「もー、違うってば~!」と笑う。
 上手いな。
 ユキトの口車にさすがナンバーワン、と感心しつつ、目はヤスの動向とチャット欄を忙しく行き来する。
 ユキトが答えてばかりで、その横にいる新人はぼうっと黙ったまま。
 そろそろ数人それを揶揄するのが出てくるぞ、と危惧していると、その前にユキトがパンパン、と手を叩いた。

「はい、スパショタイムしゅーりょー! 今から自己紹介タイムに入りますっ!」

 延々続きそうなファンとの掛け合いに強制終了をかけたユキトはぐいと絡ませていた二の腕を引いてヤスをカメラの方に近付けるように前に出した。
 驚いたように目を見開いたヤスが前のめりにカメラに近付き、琥珀色の瞳がこちらを見る。

「……っ」

 目が合った。
 一瞬、本気でそう思った。急にドキドキし始めた心臓を片手で押さえ、スマホの画面を食い入るように見つめる。
 バランスを崩してカメラへ寄り過ぎたことを咎めるようにユキトをちらっと振り返ったヤスの顔は兄に甘える弟のようで、急にその仏頂面が可愛く見えてきた。

「えっと、ヤスです。ユキトさんがどうしてもって言うから出ましたけど、本当はあんまりこういうの得意じゃないので、上手く喋れなかったらすみません。……あの、さっきのスパショ? ありがとうございます。いきなりでびっくりしましたけど、嬉しかったです、エリさん」

 ああ、──ああ。
 これは、うん、間違いない。『作ってる』。本気で幸は『ヤス』というキャラを作っている。
 綺麗過ぎる顔と無表情で一見怖そう、もしくは生意気そうと反感を買わせておいて、緊張しいな真面目青年というギャップを見せる。そのうえユキトに懐いていて、ユキトもあからさまに可愛がっている。これでユキトファンが陥落しないわけがない。人は基本的に自分と同じものを好きな人間には好感を抱くように出来ている。

『初回だから私もがんばっちゃったー』

 今度は最低額の百円でスパショを打つ。熱心なファンが奮発したのだとみれば、『エリ』へのユキトファンの敵意も落ち着くかと思ったのだが、コメントを読み上げたヤスはやおらオロオロとパソコンとユキトへ視線を交互させた。

「あ、あの、エリさん? 頑張ってくれるのは嬉しいんですけど、コメント、そのスパショっていうの、つけなくても打てますからね?」

 ざぁっと血の気が引く。
 あー、クソ、ほんとに容赦無いな、幸。

『どういうこと?』

 今度は二百円つけて打つ。

「あの、だからえっと、ねぇユキトさん、これどうやるんでしたっけ? 普通のコメント打つのっ」
『普通に打ってるよ』
「だからその、スパショじゃなくてっ。ユキトさんユキトさんっ、ねえ、どうやるんです? これ、ここでしたっけ? エリさん、ここです! ここを押して文字を打つだけでいいんですよ! 金額入れないで下さい!」
『ここ?』

 泡を食ったようなヤスの反応に、『エリ』は三百、四百、と毎度百円ずつ足してスパショを打っていく。
 エリに普通のコメントの仕方を教えようとしているのかパソコンの画面を指で叩いているヤスを見て、チャット欄が『ヤスwww』『ヤスもしかして天然?』『遊ばれてるw』『ユキト笑い堪えてるし』とヤスの可愛さに悶えるコメントがすごい速さで流れていく。

「ヤス、落ち着いて。揶揄われてるだけだから」
「え?」
「エリさん、そろそろその辺にしてあげて? ヤス、こういうのに疎くてライブ配信自体もあんまり知らないから本気で心配しちゃってる」

 よしよし、とヤスの頭を撫でてユキトに言われ、やっと終われるか、と最後に千円付けて♡のスタンプを付けてスパショを打った。

「ユキトさん、どういうこと?」

 不安そうな表情のヤスがユキトを見上げ、ユキトはそんな彼の頭を優しく撫でている。

「大丈夫、エリさんは分かってやってるんだよ。ヤスが可愛いから揶揄いたくなったんだね。俺もよくヤスのこと揶揄うから、すごく気持ち分かるよ」
「えっ……」

 冗談だと教えられたヤスは目を丸くしてからカッと頬を赤らめ、それから拗ねるみたいにユキトに背中を向けてソファに三角座りになった。
 チャット欄に『かわいい~』とヤスの可愛さに撃沈していくコメントが流れていくのを見て満足する。
 そうだろうそうだろう、幸はすさまじく可愛いんだ。
 何せ、今の慌てっぷりすら演技なのだから。わざと無知を見せつけて更なるスパショを誘うんだから、本当にあざとい。
 ユキトは拗ねてしまったヤスを笑いながら放置して、自己紹介と自分たちが所属している店のコンセプトと出張可能エリアやら何やら説明し始めた。
 合間にクイズを挟んで視聴者とコミュニケーションをとり、拗ねている状態からいつ姿勢を戻そうかソワソワしているヤスに気付いていながら無視して視聴者からツッコミが入ったり、およそ初回とは思えない和気藹々とした雰囲気で進行していく。
 まるで最初からある程度の脚本が決まっているみたいだ。もしかしたら、ユキトの方も幸と同じく演技派なのかもしれない。

「はーい、それじゃあ質問コーナーいこうかな? 適当に目に付いた質問拾っていくね~」

 最初は何がいいかな、とユキトがノートパソコンの画面をよく見ようとぐっと前に寄ってきた瞬間、ユキト推し達が発狂してチャット欄に悲鳴が流れていく。
 うーん、やっぱりまだまださっきのヤスより多いな。
 単純に顔の良さだけなら幸が圧勝していると贔屓目無しに思うのだけど、ユキトの雰囲気の良さはそれをものともしない。
 穏やかで優しそうで、だけれど茶目っ気もあって、少しのS性もチラ見せして。まるで全方位射程圏内みたいな勢いだ。ナンバーワンは伊達じゃない。
 ヤスのキャラも刺さる人は多いだろうが、より多くの客の『彼氏』になることを考えれば、ユキトのように無理なく客に合わせて舵取り出来るキャラの方が有利だ。
 ヤスをもっと魅力的にするにはどんな付加価値が必要か、と気付けば商品ブランディング目線で配信を見てしまっていて、自分には根っから営業職が合ってるんだな、と思わず苦笑する。

「杏里さん、スパショありがとう! えっと質問は、『お二人の好きな食べ物はなんですか? デートの時に持って行ってもいいですか?』ね。ごめんね、先に言っておくと、食べ物は受け取れない決まりになってます」

 小首を傾げて「ごめんね」と手を合わせたユキトは思わず俺がスクショボタンを押しそうになったほど可愛らしかった。
 ゲイの気は無いはずだったが、幸を可愛がっているうちに男でも顔が良ければアリになってしまったのだろうか。自分の価値観が『可愛ければ性別など関係ない』と判断してしまったのに困惑するが、「えっ」とヤスが驚いた声を出したのでそっちに気を引かれた。

「そうでしたっけ? 俺、デートの時、いつもクレープとかアイスとかパンケーキとか食べてました!」
「見事に甘い物だらけだね」
「好きなので……」
「うん、知ってる。あのね、デート中にお店で食べるのはオッケーだよ。彼女が事前に用意したものを受け取るのがアウトなだけ」
「あぁ、それならセーフでした」
「良かったね、クビにならなくて」
「え、クビ案件なんですか!?」

 またびっくり顔になるヤスの膝を叩き、ユキトが画面外のおそらく店長がいる方へ視線を向けて同意を示すみたいに軽く頷く。

「ほら、店長も頷いてるでしょ。前に彼女を繋ぎ止める為にこっそり手作りお菓子食べてたキャストがお腹壊して入院したことがあって、それからは例え店で買って包装してある物でも事前に準備された食べ物はダメになったんだよ」

 一緒に買いに行ってプレゼントしてもらったら受け取っていいよ、と付け足されて、ヤスは神妙に頭を縦に振った。

「ちなみに俺は甘い物とパスタが好物だよ~。俺のお任せデートは大体、表参道か原宿でカフェ巡りしてからモールでお散歩デートになりまーす。ヤスは?」
「えっと、俺も甘い物が好きです。デートコースはまだこれっていうのが決まってなくて……。だから、行きたいところ提案してもらえるととても助かります。あ、でも、どこに行っても彼女に楽しんでもらえるようにちゃんと頑張るので!」

 ぐっと拳を握ってアピールするヤスの姿を何枚かスクショして、甘い物が好きだなんて知らなかったな、と少し寂しくなる。
 食事は何を作っても文句を言わず食べてくれて、だから好き嫌いなんて知らなかった。
 こういう基本的なことに興味を持たないからフラれてしまうのかもしれない。俺の依存は、いつだって独りよがりだ。

「それから、来月から一週間だけのお試し企画なんですけど、彼氏さんからのデート予約も出来るようになりまーす!」

 は? と思わず声が出た。
 ユキトの隣でパチパチと手を叩くヤスに驚く様子は無く、彼も企画は知っているらしい。

「デート内容は彼女と全部同じで、密室デートが全面禁止なのも変りません。キャストも対応可能な子と不可の子がいるんですけど、ヤスは対応可なので、是非予約して下さいね!」
「よろしくお願いします」

 ぺこ、と律儀に頭を下げるヤスの姿に拳を握る。
 俺が少し触れようとしただけであんなに怖がったのに、男とデート?
 金の為ならなんでも出来るんだな、と冷ややかな感情が胸に満ちて、けれど今の自分の状況を重ね合わせてため息を吐く。
 俺だって、金で幸を近くに置いているだけに過ぎない。金を払っているからメッセージの返信をしてくれて、金を払っているから同じ家に住んでくれているだけ。店での仕事と大差ない。
 女とデートすることに対しては全く湧かなかった嫉妬心が、同じ男とデートすると聞いてふつふつと煮えたぎるような怒りになるのが不思議だ。
 ……ああ、いや、違う。俺とは違うことがある。客はヤスを『彼氏』として扱えるが、俺にそれは許されないからだ。
 俺は幸に対して一片でも恋愛感情を見せたらその瞬間に捨てられてしまうのに。俺は幸の彼氏面なんて出来ない。彼と手を繋いで、彼氏に向けるような笑顔を向けてもらうことは出来ないから、だから嫉妬しているのだ。
 理解してしまえば単純なことで、急に喉の渇きを思い出してスマホを持ったまま立ち上がろうとして手をついた所に柔らかい感触があってクロとお互いに飛び上がった。

「ふにゃあ!」
「うわっ、あ、クロか。ごめんっ、痛くなかったか?」

 触れた瞬間に手を離したおかげで体重を掛けていなかったのは幸いだった。クロは急に触られてびっくりしたようだったが、その場から逃げることはせず俺の顔をじっと見てまた「にゃあ」と鳴く。

「どうした? ……あ、もしかして喉渇いたか? ごめん、そうだな、水も用意してなかったもんな」

 坂原が持ってきた小皿を持って台所へ行き、水を入れて部屋に戻った。壁際に小皿を置くとクロはすぐさま寄ってきて、ぺろっと一回舐めるとまたすぐベッドの下へ戻っていった。

「水が欲しかったんじゃないのか? 猫が気まぐれって本当なんだな……」

 犬とは扱いを変えた方がいいのかもしれない。後で調べてみようと思いながらもう一度台所へ戻り、冷蔵庫からお茶のペットボトルを出してその場で一口飲んだ。
 ローテーブルに置いたままのスマホから、まだユキトとヤスが喋っているのが聞こえてくる。
 ごく、ともう一口飲む。
 腹の中が嫉妬で焼け焦げそうだ。少しでも頭を冷やしたくて喉から臓腑に流し込んだお茶は、けれど焼け石に落とした水滴の如く意味をなしてくれなかった。

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