依存の飴玉

wannai

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「なあ筑摩、呑み行こうぜ」
「……嫌です」

 隣のデスクから気安く話し掛けてきた坂原に素っ気なくそう返すのに、彼は聞こえなかったように「どこ行く?」と候補なのか店の名前がずらっと並んだスマホの画面を見せてくる。

「嫌だ、って言ったんですが」
「いいじゃん、俺奢るよ? 出張してたのに今月も一位だったから、これで年間トップ成績で社長賞もらえるし。来月のボーナス楽しみだな~」
「……」

 ふっと胸に殺意が湧いて手に持っていたボールペンをくるりと回し、先端を彼の顔面に突き刺してやりたい衝動に駆られた。
 無言で睨み付けても坂原はニコニコと嫌みったらしい笑顔を崩さず、俺の手の中でボールペンが軋む音を立てるのに唇の端を上げた。

「たまには息抜きも必要だぜ? 俺ら同期なのに一回も二人で呑んだことないじゃん」
「親しくもない人と二人きりは嫌なので」
「親しくなる為に呑もうって言ってんだよ」
「なれそうにないのでお断りします」
「まぁそこをなんとか。な、魚系と肉系だったらどっちがいい? なんならエスニックも候補にあるけど?」

 これだけハッキリ行かないと言っているのに、坂原の耳は左右が筒になっているのか全く意に介さない様子で店のグランドメニューの写真をいくつか見せてくる。
 夜十時のオフィスにはもう俺と坂原の二人きり。
 他の人に聞かれる心配が無いからあからさまに冷たくしているのに、坂原はさっきからこの調子で残業する俺の横で絡んできていた。

「俺ぁもう年だから刺身が美味い店ばっか行ってんだけどよ、筑摩はまだ若いから肉の方が好きか? 上野まで出りゃあラムが美味い店があるんだが、この時間だと閉まってるかもしんねぇからそこは次の機会な」
「……次どころか今回も断ってるんですけど」
「お前ゲテモノはいけるクチ? こないだサソリの素揚げ食ったんだけどなんならその店でも……」
「和食系で」
「おっけ」

 行きたくないけれど、今日は逃がさないと坂原の目が言っている。サソリを食わされるくらいなら普通の居酒屋の方がマシ、と諦めて返事をすると、坂原はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて腰掛けていたデスクから降りた。

「そうと決まったらもうそれ明日に回して行こうぜ。腹減った」

 行儀悪くもデスクに座っていた坂原が床に足をついて立つと、比喩じゃなく天井から声が聞こえてくるみたいだ。
 身長が百九十六センチもある彼は、日本人の平均体型に合わせたオフィスの建具が窮屈らしく大人しく椅子に座っているところを見た事がない。股下百十センチはあるんじゃないかと噂される長い足はどうやってもデスク下に収まらないのが分かりきっていて、だからか彼には特別にオフィスの端にスタンディングデスクが置いてある。
 入社当時は贔屓だの社長の愛人だのなんだの言われていたようだが、そんな噂は彼の人柄と営業成績によってすぐに沈静化した。
 とにかく、誰でも彼でも自分から話し掛ける。豪快な性格と容赦ない毒舌はともすれば無神経だと嫌われそうなものなのに、常に人好きな笑顔を浮かべているからか相手にする方が毒気を抜かれて誰も彼を咎められない。
 三十近い成人男性に使いたくはないが、まさに天真爛漫。老若男女を問わず強引に自分のペースに巻き込んで『嫌わせない』男なのだ。
 ……その天性の才を仕事に使わないでくれれば、俺だって彼を毛嫌いせずに済んだだろう。

「それならどうぞお一人で」

 座っているところから見上げると真上を見るみたいで苦しいが、目を合わせないのも身長にコンプレックスを抱いているように見えて格好悪いのでしたくない。
 これだけのノッポの隣なら誰が立とうがチビに見えておかしくないのだから、こっちが劣等感を持つ方がおかしいのだ。むしろ、坂原の方が一緒に歩く人間を悪目立ちさせることに罪悪感を持ってほしい。性格的に絶対にあり得ないけれど。
 じろりと睨み上げてオフィスの出入り口ドアを指差すのに、坂原は髭先の出てきた顎を撫でて笑うだけだ。

「サソリの素揚げテイクアウトしてきてやろうか?」
「それ言えば俺が折れると思ってます?」
「俺は言ったことはやる主義だぞ」

 言外に脅しではないと言われて、舌打ちを飲み込んで代わりにため息を吐き、分厚い物件リストを閉じた。
 一年で一番忙しい三月ですら坂原に完敗し、彼の出張期間に勝負を賭けた四月も結局僅差で負けた。五月以降は契約件数は前二ヶ月に比べると圧倒的に引っ越し希望者の母数自体が少なく、物件の決め方も居住希望エリアが最優先になるから営業の腕にあまり左右されなくなる。
 明日の内見予約もその類で、会社からの急な転勤命令だから会社に一番近くて一番安いところ、という張り合いのない仕事だ。それでも一応他にもピックアップしておくのも仕事のうちで、客の希望エリアの中でどの物件を紹介するか、それらをどのルートで回るかをシミュレーションしている最中だった。
 坂原に勝てないからといって仕事のやる気が低下するほど子供ではないが、だからといって彼に負けを認めて仲良くやれるかと言われれば、NOだ。

「なんで俺なんか誘うんですかね……」

 私用のスマホで幸に『同僚とご飯に行くことになりました』と書いていると、坂原がすっと背を折り曲げてそれを覗き込んできた。

「何してるんですか。気持ち悪いですよ」
「ひでぇな。ちょっと気になっただけなのに」
「気になったからって人のスマホ覗き込むのはマナー違反じゃないですか」
「別れたばっかじゃなかったか? ヨリ戻したのか? それとも新しいのか?」

 慌てて消灯させたスマホが掌の中でぶるっと震えて、幸からの返事が来たのを知らせる。
 平然と訊いてくるけれど、坂原と個人的な話をした覚えはない。同僚の誰かから漏れたのか。
 不愉快さを露わに睨み付けるのに、やはり坂原は気にする素振りも見せず笑顔を浮かべたままだ。

「坂原さんとそういう話をするつもりは無いです」
「まーたそうやって、頭っから拒否る。だから俺に勝てねーんだぞ? もっと柔らかくいこうぜ、筑摩ちゃん」

 どこまでも俺の神経を逆なでするのが上手な坂原に耐えきれず、椅子から立ち上がって鞄を掴む。社用スマホを充電器に戻し、名札を裏返してオフィスを出た。

「あっ? おい、筑摩、待てよっ!」

 俺に誘いをかける割に帰宅の準備をしていなかった坂原が焦ったように叫んでいるが知ったことではない。
 さっさと一人でエレベータに乗り、下に降りていくその中で『やっぱり無しになったのでこれから帰ります。コロコロ変わってすみません』と書いて送信した。
 さっきの返事に『じゃあ先に寝るね』と返してきていた幸は、けれど俺の二通目に『じゃあ起きて待ってる』と送ってきた。
 ああ、かわいい。
 俺の家にいて、俺の帰りを待ってくれている幸という存在がいるだけでささくれた気持ちが浄化されていく。
 チーン、と鳴って一階に着いたエレベータの扉が開くと、その前にゼエハアと息を切らした坂原がいて思わず目が据わった。

「おま……、なに帰ろうとしてんだよっ! 飯、行くって、返事したじゃねぇか!」

 膝に手をついて中腰で怒鳴る坂原は、どうやら階段を駆け下りてきたらしい。
 俺と飯に行くだけにどうしてそんな必死なのか分からずドン引きして、見なかったフリをしてその前を通過しようとするのにスーツの上着を掴んで引き止められた。

「普通に失礼なので嫌になりました。帰ります」
「なんっでそんな俺に冷たいんだよお前!?」
「本当にどうしてだか分からないのなら神経を疑います」
「いやそりゃちょっと嫌みは言ってっけど! 軽い冗談だろ? 仲良くなりてぇからフレンドリーにしてんだろうが!」
「嫌みを言うのが友好的な態度だと思っている人と仲良くなれません。それでは」

 坂原の手を振り払って丁寧に頭を下げると、さすがの彼もこれ以上しつこくするのは愚策だと理解してくれたのか顔を顰めながら頭を掻いた。

「……さっきの、俺に勝てないだのは本当にただの冗談だからな。本気にすんなよ。お前が頑張ってんのは知ってっから……」

 もごもごと言い訳する坂原に背を向けて会社のビルを出る。
 深夜でもすっかり温かくなった風が頬を撫で、駅前アーケードの露店からは焼き鳥の香ばしい臭いが漂ってきた。
 駅に着いてやっと怒りに強張らせていた肩から力を抜き、幸に愚痴ろうと取り出したスマホに坂原からの着信を見て思わず地面に叩き付けてしまいそうになった。
 息を止めてその衝動をやり過ごし、無心で着信マークを消そうと電話アプリを開くがそこに履歴は無い。メッセージアプリのIDを教えたことはなく、電話じゃないならなんだったんだと通知画面を確認するとショートメールの方だった。
 同じ部署の同僚の電話番号は新入社員歓迎会で交換していたから、番号さえ分かれば送れるショートメールを思い付いたんだろう。
 履歴を残しておくのも癪で、消す為に開くとそこには短く『大人げないことして悪かった』とだけ書かれていた。

「……」

 少し思案して、消すことはせずにアプリを閉じた。
 やはり食えない男だ。
 幸が『女たらし』なら坂原は『人誑し』だな、とため息を吐きながら、家に向かう方向の電車へ乗り込んだ。
 
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