依存の飴玉

wannai

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「飯は俺が作ります」

 幸が俺の家に居着いてから一週間と少し。
 彼は相変わらずよくやってくれた。
 バイトも無事雇って貰えることになったようで、店のサイトに鼻から下を映した写真と『ヤス』という名前が追加された。
 店ブログには『超絶イケメン緊急入店!!』と赤字で更新が入り、まだ二回しか出勤していないがその時依頼してきた客二人共が次の予約をして帰ったというから、売れっ子になるのは時間の問題だろう。
 何しろ替えの服が無いからそんなに洒落てもいない量販店で買った俺の私服を着て行っている状態で、けれどそれですらイケメンはイケメンだ。むしろちょっとダサいのが好感度アップに繋がって、客から貢がれるかもね、と店長に言われたらしい。セックスは御法度だが、貢ぎ物に関しては店は関知しないから刺されない程度に頑張りな、と激励されたというから面白い。
 ネットで店の評判を調べた限り悪い店では無さそうで、けれど掲示板サイトではキャストへの悪口が散見された。入ったばかりだからか『ヤス』へのものは見つからなかったが、そこは要監視対象に入れた。ヤスへの誹謗中傷が多くなってきたら、幸のスマホからアクセス出来ないようにちょっと細工してやらないといけない。幸はエゴサするタイプには思えないが、万が一にでも目に入らないように。
 働くにあたってキャストとして作ったSNSのアカウントも当然フォローした。
 写真を撮るのが好きだと言っていたのは本当なようで、文字での更新より道ばたの草花や野良猫みたいな何気ない写真の方が多い。そのくせ、場所が特定出来ないよう周囲の物や景色にボカシを入れるのは忘れないのが割に周到な彼らしい。
 ……大丈夫、勤務先について調べていることも、店のブログやSNSを見ていることも、全て幸には伝えてある。
 彼は「あいよー」と返事しただけで、嫌がる素振りもない。
 だから別にそこは俺達の間で何の問題も無くて、──そう、現時点での問題は、たった一つ。

「え、なんで? 別にまだまだ忙しくないから作るよ?」
「いえ、きっとこれから忙しくなるでしょうし」
「なってからでいいんじゃ……」
「とにかく、明日から俺が作ります。食材の買い出しは今まで通りお願いします」

 決定事項です、と言い切ると幸は不思議そうにしながらも頷いてくれた。
 幸がさっぱりした性格で良かった。理由を言えと食い下がられたら困ってしまっただろう。
 今日は土曜日。
 幸がいる二回目の休日だ。それはつまり、朝から晩まで三食、幸の飯から逃げられないということ。
 幸の名誉の為に言っておくが、彼の飯は決して不味くはない。一般人が作るのなら及第点。栄養バランスも悪くなく、安売りの野菜や肉を上手に使って節約しつつの堅実な家庭料理といったところだ。
 ……それが逆にストレスだ、というのはむしろ俺が悪いのかもしれない。
 高校時代、初めてアルバイトをしたのは近所にあった定食屋だった。
 小さい頃から家族で通っていて、店主のおじさんおばさんとも顔見知りで、部活の後にちょっと寄って小遣い稼ぎが出来る上に美味しいまかないが付いてくる。
 その程度の認識で働き始め、高校を卒業する頃には厨房でフライパンを振っていた。
 その定食屋が、本当に普通の定食屋だったのなら、今のこの状況も問題無かっただろう。
 店主のおじさんが元は銀座に店を持っていた和食のプロでなければ。おばさんが海外の三つ星レストランで修行したこともあるフレンチの料理人でなければ。彼らが子供を持ったことで忙しい東京を捨てて田舎に小さな店を持ち、『激安食材を手間と腕でどこまで美味しく出来るか』なんて志をもって店をやっていなければ。
 そして、彼らに気に入られた俺が彼らの息子と一緒に修行させられていなければ。
 そうでなければ、俺だって妙に鋭敏な味覚にならずに済んだはずなのだ。
 幸の料理はどれもこれも至って平凡で、だからこそあとひと味がいつも足りなかった。
 もう少し下味を付ければ。もうひとつまみ塩を振れば。あと一歩足りない味に、けれど作ってもらっているのに文句を言う分際ではないと自制していた。
 そのストレスは一週間のうちに少しずつ蓄積され、とうとうさっき昼飯のチャーハンを食べたことで臨界点を超えてしまった。
 俺が作った方が美味しい、というのは外食全般に思うことだが、コンビニ飯や大量に作ることを目的とした社員食堂の料理に味を求めることは無い。あれは胃に入れて栄養になれば十分、という代物だ。

「今日の夕飯はどうする~?」
「幸の服を買いに行くついでに外食しましょう」
「俺まだそんなに金貯まってないんだけど……」
「就職祝いとして俺が出しますよ」
「わ、嬉しい~。ありがと、日高」

 にこにこ笑う幸は寝転がっていた俺のベッドから起き上がって可愛らしく両手を上げて万歳した。
 寝る時と俺が不在の間は物置だった方の部屋を使ってもらっているが、俺が居る時は俺の部屋で過ごしてもらっている。
 恋人ではないから特に一緒に何かをするでも無いのだけれど、視界の中に居てくれるだけで幸せを感じる。
 何より、顔がいいからいつまで眺めていても飽きない。最近の幸はスマホの無料アプリで漫画を読むのにハマっているらしく、読んでいる間、無言なのに表情がコロコロ変わるのがとても良い。
 俺がじっと見つめていても幸は気にせず、鬱陶しがりもしないから見放題で最高だ。

「何時頃出る?」
「俺は特に用事が無いので、幸が切りのいい所まで読み終えたらでいいですよ」
「分かったー」

 またごろりとベッドに横になった幸はスマホを顔の上に掲げて続きを読み出して、俺はつけっぱなしのテレビと幸の姿を眺めながらぼんやりする。
 日常を忘れられる至福の時間だ。本当に、幸を拾って良かった。
 この一週間で何度も噛み締めた言葉をさらにもう一度追加して、無心で眺めた。
 







『今日のミートボール美味すぎるんだけど!?』

 次の客の予約時間が詰まっているから昼飯は社用車の中で摂ることになって、スマホを点灯させたらそんなメッセージがきているのを見て思わずニマリと笑う。
 『お昼に入りました』と送ると、幸から昼食を共にしている同僚とのツーショット写真が送られてきた。幸には劣るが、それなりに雰囲気のある男だ。名前は確か『ユキト』。常に出勤予約が埋まっている、店で一番の売れっ子だ。
 ……どうしてそんなのが分かるか、って? 店のサイトから予約出来るからだよ。キャストの名前を選んで出勤日のプルダウンから時間を表示させると、予約に空きがある所だけが黒字になる。彼のそれはいつも灰色になっているから、予約が埋まりきっているのだと判断出来る。
 ちなみに『ヤス』も、最近は少しずつ予約可能時間が減ってきた。そもそも俺の勤務時間内に行って帰ってこれるようにしているらしいから、平日の昼間しか働けないというアドバンテージがあるのだけれど、それくらいは顔と接客でカバー出来る範囲だろう。
 店のブログは店長だけでなくキャストも更新していて、今日もついさっきユキトがヤスの弁当のおかずを奪って食べたという微笑ましい記事がアップされたばかりのようだ。
 ユキトから撮ったヤスは弁当を守るように警戒心剥き出しで背中を向けていて、彼の可愛らしさを体現したかのような写真にユキトに思わず感謝したくなった。

『口に合って良かったです』
『ミートボール一個ユキトにとられた。くやしい』
『まだ冷蔵庫に残ってますよ』
『帰ったら食べてもいい?』
『弁当用の作り置きなので、だめです』
『けちー!』

 プンプン、と怒る顔文字を付けて返事してきた幸に顔が緩む。
 幸は写真と文字が主で、スタンプを返事代わりにすることは無い。どうしてか訊いてみたら、理由は単純、スタンプに課金するのが勿体ないからだという。
 宣言通り調理を引き継ぐことになった時にも、じゃあこれ、とそれまでつけていたらしい食費の計簿を見せられた。レシートを貼り付け、一週毎に使い切った食材とまだ残っているものが几帳面に記入されていて感心した。
 初対面では金銭面で緩いのかと心配したが、むしろ真逆だ。財布の紐は固く、けれど食費を浮かす為に栄養面を犠牲にしている感じは無かった。
 飼い主は生かさず殺さず、と言っていたのも納得出来る。きっと彼は今までもそうやって上手に飼い主を操ってきたのだろう。
 この分なら、すぐに貯金が貯まりそうだな。
 そう考えてふと怖くなった。
 今までヒモとしてやってきた彼は、決して働きたくないわけではなかったらしい。外に出て働くことを禁止されていたり、学歴面で不採用が続いていただけで、俺の所に来て働けるとなった途端生き生きと働いている。
 このまま順調にいけば、収入も安定して一人暮らしも難しくない程度に稼げるようになるだろう。
 そうなったら、出て行ってしまうのだろうか。
 ──返ってこない返事。真っ暗な部屋へ帰宅。誰もいない部屋で過ごす休日。
 ふっと脳に過ったそれらに息が詰まって、本能的な恐怖に歯列が噛み合わずにカチカチと音を立てた。

「……大丈夫、幸はきっと、急にいなくなったりしない」

 自分に言い聞かせるように口に出し、車の窓を開けてゆっくりと深呼吸する。
 彼が俺の家に住むようになって、そろそろ一ヶ月。
 メッセージの返信は初日から変わらず早く、バイトに入る前には必ず返信出来ない旨が送られ、休日に延々と眺めていても嫌がられない。
 理想的な依存先だ。今後こんなに良い依存先なんて絶対に現れないだろう。
 だから、絶対に逃げられたくない。
 本当は少しだけ、ほんの少しだけ、欲が出てきていた。もう少し近付きたい、と。
 何も恋人になりたいとかそういうんじゃない。変わらず俺は異性愛者のつもりだし、幸に懸想したことはない。
 ただもう少し仲良くなりたいと思ってしまうだけ。同じ漫画を見て笑い合ってみたい。同じ映画を見て泣いてみたい。同じ時間を過ごして、幸にも幸せだと思ってほしいだけ。……うん、贅沢だな。
 最後の一つはともかく、前二つは少し勇気を出せばいいだけだ。
 けれど、もし同じものを見て違う感想を抱いたら。俺が好きだと思ったものを幸が嫌いだと思ったら。そう想像するだけで足が竦んで、結局実行に移したことはない。
 人との仲というのは不可逆で、一度壊れたら決して元通りにはならない。表面上を同じように繕ってみても、中に入ったヒビは決して無かったことにはならない。
 俺の理想を体現したような幸に嫌われたくはない。彼が離れていく理由を俺からわざわざ作る必要はない。
 だから、踏み込まない。そうするしかない。幸を出来る限り自分の元に置いておく為には、それが一番だ。


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