依存の飴玉

wannai

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 それから幸の食事が終わるのを待って、駅に寄ってから家に帰った。
 2Kの安アパートで、一部屋は物置にしていたからとりあえず今夜はそっちに布団を敷いて寝てもらうことにした。

「俺、別に床にそのままでも大丈夫だよ?」
「平日の半分くらいはソファで寝落ちしてるので気にしないで下さい。今ネットで布団注文しちゃうので、明日の夕方には届くと思いますから受け取っておいて下さい」
「仕事が早い」

 いくら暖かくなってきたとはいえ、まだ夜中は一桁台まで気温は下がる。床で寝て風邪でも引かれたら困る。
 そういえば、免許証は持っているようだったが保険証はあるんだろうか。病気や怪我をしてから無いと発覚したら困るだろう。
 そっくりそのまま訊いてみると、幸はまた財布から保険証のカードを出して見せてきた。

「何人か前の飼い主さんが一緒に役所に行ってくれたから、一応あるよ。煙草押し付けられた跡が膿んで市販の薬じゃ治らなくて、皮膚科に掛かったんだ」
「たば……え?」
「ここだったかな。まだ跡残ってる?」

 自分じゃ見えなくて、と言った幸はこちらに背を向けるとTシャツの襟をぐいっと指で伸ばした。
 露わになった白い肌に、茶色になった跡がいくつもあるのに息を呑む。

「ん、その反応だとまだ残ってるのかな。触った感じだとだいぶ昔よりはでこぼこが減った感じなんだけど」

 あまり気にした様子もなく幸は傷跡を指で撫でて襟を戻した。
 煙草を押し付けられた?
 どうして、なんて訊いてもいいんだろうか。彼の様子だとすんなり答えてくれそうだけれど、それが逆に怖い。
 少し迷ったけれど聞かないと決めて、布団を取りに隣の部屋へ戻った。
 ここ数日は畳んだままだった敷き布団と掛け布団を一緒くたに抱え上げ、よたよたと運び込む。

「よっ……と。毛布は一枚しか無いから、寒かったら服の重ね着でどうにかして下さい」
「これしか持ってないから寒くても我慢するよ」

 畳まれたそれを伸ばして敷きながらあははと笑った幸にぎょっとして、それから彼のリュックを指差した。

「あの、もしかして、荷物ってそのリュック一つですか? コインロッカーに預けてるとかではなく?」
「これ一個だよ。今着てる服と財布とスマホとリュックと、筆箱だけが俺の荷物」
「……筆箱?」
「うん」 

 リュックのファスナーを開けて中を見せてきた幸は、スカスカなその中から細長い筆箱を取り出した。シャープペンとボールペンと消しゴムしか入っていない筆箱は手荷物がシンプルな人と言われれば納得しそうだが、全財産というには他の荷物と不釣り合い過ぎた。
 替えの下着とか折り畳み傘とか、そういう実用的な物ならまだしも、どうして筆記用具なのか。それも、書く物だけで紙も無く。
 俺が不審に思って眉間に皺を寄せるのを、幸は目の前に腰を下ろして不思議そうに首を傾げた。

「日高、知りたがりなのに訊かないんだね?」
「……聞きたいですけど、傷付けたいわけじゃないので」

 それくらいの分別はあるつもりだ、と呟いて目を逸らすと、彼はそっかそっかと呟いてから筆箱のファスナーを閉め、またリュックの中に戻した。

「それで、明日から俺は何をすればいい?」
「え?」
「今の所、SNSも仕事もやってないからメッセージの返信くらいしか無いんだけど。他に何してればいい? 一通り家事すればいい?」
「……うーん」

 基本的に朝はパン、昼は社食、夜は外食か深夜まで営業している近所の惣菜屋で弁当を買ってくるから料理の必要は無い。家で調理しないから洗う食器も無く、飲み物は基本ペットボトル。
 ゴミ出しは出勤ついでに行くから頼むまでもなく、洗濯は週に一度。ドラム式だから干す必要も無い。
 物置にしていたこの部屋は放置だが、寝起きしている方の部屋にはロボット掃除機を放し飼いにしてあるから掃除も要らない。

「だから……風呂とトイレ掃除くらい、かな。嫌ならやらなくてもいいですけど」

 別に苦だと思ったことはないので、と答えると、幸は目を丸くして頬を掻いた。

「すごいねー、そこまで完璧に家事やってる飼い主さん初めてだよ。俺が居る意味あるかな?」
「家政婦を募集したつもりは無いので」

 飼い主さん、という言い方に卑下が混ざっていないのが何故だか無性に気に障って、素っ気なく返すと幸はまた「そうだった」と言って肩を竦める。
 この人は、自分が誰かに飼われることを当然のように言う。自嘲とか諦念とか、そういうのが混じるのが普通だろうに、彼からはそういう『自分は普通の人間より一段下にいる』ようなへりくだりが全く感じられない。まるで普通の人間とはそもそも違う生き物のような──そう、『飼われる為の生き物』であるような。

「じゃあ、本当に俺はメッセの返事だけすれば他は何しててもいいの?」
「はい」

 俺が頷くと、幸は少し考えるように俯いてから、不意に視線を合わせてきた。
 濃い茶色の瞳は澄んでいて、まっすぐに見つめられると男だと分かっていてもドキッとする。

「女の子と会う、とかも?」
「……ご自由に」

 試すような表情に、俺がゲイじゃないか疑ってるのかな、と思いつつ応と答えた。
 すると幸はスマホを操作してから画面を俺に見せてくる。

「こういうのやっても平気?」

 表示された画面の文字をすいと目で追うと、そこには『レンタル彼氏』と書かれていた。

「俺、中卒だからバイトとか応募しても全然受からなくてさ。これならそもそも本番禁止だからしなくて良いし、女の子に媚びるのは得意だからいけるかなーって前から思ってたんだよね。今までの飼い主さんはダメって言ってたんだけど、日高が良いなら応募してみたい」

 いい? と確認するように訊かれて、内心少し驚きつつも「いいですよ」と頷く。
 働きたくないからヒモをやっているんじゃないのか。仕事内容はともかく、勤労意欲があるのは意外だった。

「……あ、そうか、お金無いんでしたっけ」

 ここ三日ほど水しか飲んでない、と言っていたくらいだから、手持ちの金は底を尽きかけているんだろう。替えの服も欲しいだろうし、俺が不在の間の食事もある。少し渡しておいた方がいいか、と財布を開くと、幸は「ちょっと待って」と首を横に振った。

「日高、月にいくら俺に出せる?」
「え?」
「俺、飼い主は生かさず殺さずがモットーなの。だから、あるなら家計簿見せて」

 生かさず殺さず?
 急に何を言い出すのか、と思いながらも、家計簿なんかいちいち付けてないから「無いですよ」と答えた。

「じゃあ手取りいくら?」
「十八……くらいかな。残業で変動するけど、大体それくらいです」

 どストレートに収入を聞かれて、反射的に答えてしまう。
 幸は難しい顔をして顎をさすり、筆箱から出したボールペンで腕にメモをとろうとし出したので待ったを掛けてから隣の部屋から裏の白いチラシを持って戻ってきた。
 それを渡してやると、幸は「ありがとうございます」と頭を下げてから綺麗な字で書き込み始めた。

「ここの家賃、いくら?」
「えっと、確か四万二千円」
「毎月の食費は?」
「え、分かんない……五万くらい? ですかね?」
「光熱費は?」
「全部自動引き落としになってるから正確には……。たぶん水道ガス電気、あとスマホも合わせて二万くらいかな……あ、ネットの固定回線が五千円くらいしたかも」
「……毎月貯金してる?」
「クレカが引き落とせなかったこと無いし、たぶんそこそこ貯まってるんじゃないですかね。……たぶん」

 だいぶ曖昧な俺の答えを聞きながら計算した幸は、「残り四万ちょっとか……」と呟きながら眉間に皺を寄せた。

「小遣い、四万じゃ少ないですか?」
「は? 残り全部俺に渡したら日高の分が無くなるでしょ? そんなんで長続きする訳ないじゃん。もっとちゃんと考えて」
「え、あ、はい」

 何故か叱られてしまって、金銭感覚が緩い訳じゃないのか? と首を捻る。
 フローリングの床に伏せるように書いているのを見かねて、押し入れの中に確か前の前の彼女が置いていった折り畳みテーブルがあったのを思い出して引っ張り出してきた。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

 他は敬語を抜いたのに、お礼の時だけございます、と付けるのが何ともあざとい。あざといけれど、それで気分が悪くなるわけでもない。分かってやっているのだとしたら──いや、絶対に分かってやってるんだろう。
 遠慮なくグイグイくるようでいて、必要な所はしっかりとわきまえる。それが可愛がられる秘訣だと、この男は理解しているのだ。
 もはや一種のプロだな、と関心しつつ幸の書き込んだ字を見つめていると、彼はガリガリと耳の下辺りを掻きながら唸った。

「削るとしたら食費一択だよな……。よし。日高、これから俺がご飯作って食費を二人で三万に抑えるから、週に一万ずつくれる?」
「ん? あー……はい、オッケーです」
「決まりだね。じゃあ明日の朝ご飯の買い出し行ってくるから、とりあえず五千円下さい」

 週に一万ということは、月に四万か五万。食費を二万浮かせてその分を小遣いに補填するというやり方に落ち着いたらしい幸は、俺の前にちんまりと両手を揃えて差し出してきた。かわいい。

「五千円でいいんですか? 今ちょうど手持ちがあるので、半月分くらいあげられますけど」

 クレカと銀行のカードはコインロッカーに預けてきたけれど、現金はそのまま持って帰ってきている。寝ている間に家捜しされた時に一銭も金が無くて逆ギレ的に殺されないように、と思っていたのだが。

「じゃあ、食費として先に三万だけ貰う。俺の小遣いはまた別に毎週一回ずつ貰うから忘れないでね」
「月一回に纏めてじゃダメなんですか?」
「……それだと、たまに勘違いする人がいるから」

 勘違い?
 何をだろう、と首を傾げつつ一万円札を三枚渡すと、幸はそれを受け取って頭を下げてから財布に仕舞った。

「俺に金渡す機会が少ないとね、恋愛関係だって勘違いする女の人もいるんだよ。好きになんかなる訳ないのに。……ま、日高はそもそもそういうのじゃないから問題無いだろうけど」
「ですね」

 男を飼うような豪胆な女でも、そんな可愛いことになるのか。それほど興味も無く生返事で頷くと、幸は早速とばかりに立ち上がった。

「あ、待って」

 玄関へ向かおうとする幸の肩を掴み、首元へ頭を近付けてクンクンと嗅ぐ。……やはり少し、臭い。

「……っ!?」
「先に風呂入ってからにしませんか。体型似てるし俺の服入ると思うんで、着替えも用意しますから」

 近付いて嗅げば匂う程度だけれど、イケメンからこのえた匂いがしているのは個人的にあまり好きじゃない。自分の連れなら尚更だ。
 風呂はそっちです、と指差してから幸を見ると、彼は顔を強張らせて少し俺から距離を取っていた。

「……幸?」
「あ、いや、びっくりした。油断させといて食われるのかと思った」
「は?」
「あー、うん、勝手にビビッただけ。分かった、ありがたく風呂入ってくるね」

 心なしか顔を青くさせた幸は俺の方を見ないようにしながら風呂の方へ小走りで向かっていった。
 もしかして、過去に男に言い寄られて怖い目に遭ったりしたのだろうか。あの綺麗な顔なら満更あり得ない話ではなく、今後は気を付けよう、と心に留めた。


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