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起きた翌朝、電源をつけたスマホには誰からのメッセージも入っていなかった。
怖々開いたSNSのメッセージにも、昨日の件に絡めた悪意がありそうなものは無くて安堵する。
顔を洗ってタオルで拭いたら、目の周りがカサカサになっていた。泣き過ぎたらしい。鏡で自分の顔を見ると、ほんのり目元が赤い。ひどい顔だ。
昨日の今日で大学に行きたくない気分だけれど、あいにく今日は必修が三つも重なっている。
行かなきゃ、と荷物を纏めて、出来るだけ俯いて過ごすことにした。
「おはよう」
「うん……おはよう……」
移動中以外は常に何かしらの本を読んでいる大山は、次の授業まで空き教室で寝るつもりの僕の横に座って、背負っていたリュックを降ろして文庫本を取り出した。ぺら、ぺら、と頁を捲る音がするのを、子守唄みたいに聞く。
窓の閉まった教室は日射しが溜まって暖かで、昨日あった事なんて忘れさせてくれそうな気がした。
「──高久田」
肩を揺らされて、珍しく大山に起こされたのだと気付いた。完全に寝ていたらしい。
「どした……?」
顔を上げると、大山の隣に見慣れない顔があった。
灰色みたいな燻んだ色の金髪を後ろに撫でつけた、ハーフ顔の綺麗な顔の男。昨日潮島と一緒に居た人だ、と思い出して、瞬時に辺りを見回した。けれど、潮島の姿は無い。
「すみません、寝てるとこ。潮島は今日休みだから……少し、話、いいですか?」
昨日の事を責められるのだろう。当たり前だ。友人があんな言い方されて、しかも翌日に休んだとなれば心配になるのは当然だ。
頷いて、「ついてきて」という彼の少し後ろをついて行く。
「乗って下さい。どこにも行かないけど、外に聞こえないとこで話したいので」
着いたのは大学の校舎の裏手の駐車場だった。黒いセダンを示され、当たり前に躊躇する。後部座席で話しましょう、と言われて、彼が先に後ろに乗ったので少しだけ警戒しながら僕も乗り込んだ。
「白田 要です。昨日潮島と揉めてたのが気になって」
「高久田 真広です。えっと……あれ? 他の人たち、確か小鳥遊って」
「ああ、それ芸名の方で。本名は白田なんですよ」
白田と名乗った男は、潮島と同じように人好きしそうな笑みで僕に笑いかけた。この男と潮島が並んだら、さぞ華やかだろう。
「俺、学校来る時は大抵潮島とつるんでて、潮島の知り合いなら俺も知ってるはずなんですけど……。失礼ですけど、高久田さんって潮島とは面識ないですよね?」
なのに何故、昨日のようなことになったのか、と。白田はしかし、僕だけを責めるようでは無いらしい。
「普段あんな事言わない奴なんですよ。誰にでも優しくて、普段から穏やかが服を着て歩いてるような感じで」
「……そう、ですか」
「だから、高久田さんに喧嘩売るような事言ったのにも驚いてて。高久田さんもたぶん、普段はあんなキャラじゃないでしょう? 女の子たちが驚いてましたよ」
「人前でお恥ずかしいところをお見せして、すみません」
隣の彼に頭を下げると、いえいえと彼も頭を下げてきた。
「俺の知らないところで、何か潮島とトラブってるんだったら、それはそれでいいんです。ただ、全然関係無いのに機嫌悪かっただけの二人がぶつかっちゃったんなら、俺が橋渡し出来ないかなって思って」
良い人だ。純度百パーセントの良い人だった。
だから、僕も素直に話すことにした。
以前、僕の写真をボロクソに貶しているのを見てしまった。それ以来、勝手に嫌っていて、昨日たまたま鉢合わせた時に更に馬鹿にするような事を言われて激昂してしまった、と。
もちろん出会い系の件は何も言っていない。言っても潮島にとっても僕にとっても不名誉なだけだ。
「そうですか……。それは、まあ、嫌いになりますよね」
「心が狭くてすみません」
「あー、いえ、潮島も、たぶんかなり嫉妬が入ってたんだろうし……。ああ、じゃあ、高久田さんとしては、潮島とは……」
「あまり、関わりたくないですね」
「ですよね。分かりました、俺がいる時は、潮島と高久田さんがエンカウントしそうになったらさりげなく移動させますね」
「そうして頂けると助かります」
何故か最後はお互いに握手して別れた。
誰にでも優しくて、穏やかが服を着て歩いてるよう──か。きっと本当にそうなのだろう。そんな潮島を、嫉妬にまみれさせたのは、僕だ。
胃が痛い気もするのに、何故だか少し気持ち良かった。
それから白田さんは、約束通り僕と潮島とをバッティングさせないよう気を回してくれていた。
何故分かるかと言えば、……潮島が、白田さんが登校しない日は必ずと言っていいほど僕に突っかかってくるようになったからだ。
「見ろ」
ドサ、と目の前の机に、写真集のようだが割に簡素な装丁の本が数冊置かれる。
スマホでSNSにアップする写真のタイトルを考えていた僕は、またかと眉間に皺を寄せ、横に立つ潮島を睨み上げた。
「何度も言ってるけど、僕は批評家じゃない」
「いいから見ろ。そして何が駄目なのか言え」
「僕の評価を聞くより先に知識をつけた方がいい。君はまず基本がなってない」
潮島の本をつき返そうとしたのを、横から大山の手が伸びてきてパラパラと捲る。僕と潮島のいざこざなんてどうでもいいみたいに、大山は毎回彼の写真を興味深そうに眺めてやっている。
「可愛い子だね」
「だろ? 俺が撮った中で一番可愛い女の子だ」
自信作だぞ、と潮島が一冊を手に取って捲り、ある頁を見せてくる。
見開きに、着物の女の子が桜の花の降り注ぐ縁側で空を見上げている写真だ。桜の桃色と、真っ青な着物が目に眩い。黒々した艶やかなロングヘアーも、相当な美少女だろう被写体も、映っているものは全て素晴らしい。
だというのに。
「……ひっどいな」
思わず声が漏れてしまった。
潮島の目が釣り上がり、引き結んだ唇がぷるぷる震えていた。
酷評しかしないと分かっていて、彼は僕に写真を見せに来る。サドだと言っていたけれど、実はマゾなんだろうか。僕に扱き下ろされるのを愉しみにしているのかと思うくらい、潮島は懲りずにやってくる。
「ひどい、じゃ分からねぇ」
「まず、どこにもピントが合ってない。君は何が見せたくてこの写真を撮ったんだ?」
「桜、縁側、女の子──全部だ。全部綺麗だろうが」
「ああ、最悪の返事だ。ハッキリ言って全部を綺麗に撮る技術は君にはまだ無い。だからどこにもフォーカスされてない、どこが魅せたいんだか分からないトボけた写真が出来上がるんだ。よくもこんなクソを見開きに出来たな。僕なら恥ずかしくて庭にでも埋めてしまうね」
自分でも、こんなに人の作品を罵倒する言葉がすらすら出てくる日が来ようとは思っていなかった。どんなに稚拙でも、撮る人なりに努力したものだというのは頭では分かっているのに。
この写真だって、あまり高いものではないだろうカメラで、ピントの調整や照度、小物の位置まで心を砕いて撮影したものだろう。見れば分かる。だというのに、僕の口からは滑らかなまでに鋭利な罵倒が出てきてしまう。
「情報量が多すぎるんだ。君の腕なら桜と女の子で手一杯だろう。女の子を美しく撮る事だけに集中すれば、スマホでもよっぽどマシな写真が撮れるぞ」
「ぐ……」
一眼を抱えて写真を撮る者に対して、「スマホの方がマシ」は最悪の言葉だ。
今日も潮島は、僕にさんざんに貶されて何も言い返せず、大山から本をひったくるようにして教室から出て行った。
いや、言い返せないんじゃない。言い返さないように我慢しているのだろう。彼がその未熟な腕とは裏腹に、写真に対して真摯であるのは、毎日違うものを数冊ずつ持ってくるあの執念で知れている。
だから言っているのに。僕なんかに関わらず、知識をつけた方が良いと。
「あの人、いつも怒ってるね」
「ん? ああ……そうだね」
大山は、僕に突っかかってくるようになったここ数週間の潮島しか知らないようだ。何故絡まれているのか僕に聞きもしないから、興味も無いのだろう。ここまで浮世離れしていると、他人事ながら就職出来るのか心配になる。
「写真は優しいのに、見かけによらないなぁ」
優しい、か。そうだよ。潮島はきっと、僕に関わらなければ優しい。
それはあえて口にせず、肩を竦めるだけで大山からスマホに視線を向けた。
その晩、アップした写真が二万回以上拡散されているのを見て、一人で祝杯をあげていた。お気に入りの焼酎でほろ酔い気分のままウトウトしていたら、スマホが震えた。
メッセージじゃなく、通話の着信だ。名前は──『胡椒さん』。
「は?」
潮島から? 何かの間違いだろうか。ポケットに入れたまま、何かの拍子に発信ボタンが押されてしまったのだろうか。というか、僕の連絡先、消してなかったのか。
着信画面を見つめながら、ぼんやり考えていた。
そのうち切れるだろうと思っていたのに、留守電を設定していない僕のスマホは鳴ったままだ。一度出て、こちらから切ってやろう。どうせ間違いに決まってる。
「……」
「お、出た」
通話ボタンを押してスマホを耳に当てると、潮島の声がした。間違いじゃなかったのか。
「モルちゃん、今ヒマ?」
「……はい?」
「暇なら出てきて。この前と同じホテルの六号室ね」
それだけ言って、切れてしまった。
「はああ!?」
一人でスマホに向かって叫ぶ。今日だってあれだけ罵倒されて、あの人はどんな神経してるんだ!? どう気持ちが変化したら誘いをかけられるんだよ!!
訳が分からない、と思うのに、気がついたらコートを着込んで外に出ていた。
自分の神経も分からない。ありえない。なんでこんなに浮き足立っているのか。酔っているからだ、と自分に言い訳して、電車に乗り込んであのホテルへ向かう。
そろそろ十一時を回る時間で、だから終わって帰る頃に終電は無い。という事は朝帰りになる訳で、それまで潮島と過ごす訳で、いやいや、呼ばれたから行くだけで何をするとも言われていなくて……。
六号室のドアの前で、ようやく嫌な目に遭う可能性に気付いた。
でも、もう遅い。
「待ってたよ」
ドアの前に立っただけで、ずっとそこで待っていたのか中からドアが開いて潮島に手首を掴まれたのだ。
素早く引っ張り込まれて、その場でぎゅっと抱き締められる。
「あ、の」
「来てくれないと思ってた」
来ないと思ってたのにドア前で待機してたのか!?
潮島が分からなくて、離して欲しいのに耳に吐息がかかると身体が震えた。背中に回された腕が僕を撫でて、分厚いコートを脱がそうと前に回ってくる。ボタンとチャックを開こうとする彼の指の動きに、慌ててその手を止めた。
「ちょ……っ、潮島っ」
「モルちゃん」
ちゅ、と唇に唇が合わせられた。両頰を掌に包まれて、ぺろぺろと唇を舐められる。舌が入ってこようとして、酒を飲んだ後でまだ歯磨きをしていないのを思い出して嫌がったら唇を軽く噛まれた。
「ご主人様に、逆らうの?」
そんな甘い声で囁かれたら、思い出してしまう。あれからまだ一ヶ月も経ってない。
大学での潮島が嘘みたいに、目の前の彼は僕を優しく見つめて口付けてくる。ちゅう、ちゅう、と薄く開いた唇から舌先だけ吸われて腰が震えて反った。潮島の服の胸元を掴んで止めようとすると、キスしたまま「だめだよ」と囁かれて僕の中に流し込まれた。
「モルちゃんは、素直でかわいい良い子だよね?」
「ぁ……は、やぁ」
「モルちゃん。俺のかわいいモルちゃん。俺はモルちゃんのナニ?」
潮島が言わせたい事は分かっていて、でもゆるゆると首を横に振ると、彼はその双眸を眇めて僕の顎を掴んだ。
「ほんっと、覚えが悪いなぁ、高久田は。何? だったらなんで来たんだよ? ヤりに来たんだろ!? だったら素直に俺の奴隷になっときゃいいだろうが!」
部屋の中の方に突き飛ばされて、フローリングに尻餅をついた。受け身をとろうとして肘をぶつけて痺れる。
「だ、だって、僕、そんな簡単に切り替えられない……!」
「切り替えるんだよ! いいか、覚えろ。今覚えろ!」
上に乗られそうになって四つん這いで逃げ出そうとした僕を捕まえて、潮島は後ろから耳を噛んできた。痛くない。ピリッとした刺激は、ただ僕に耳を噛まれたって事実だけを伝えてくる。
「『モルちゃん』って呼ばれたら、お前はもう『高久田 真広』じゃねぇ。お前は『モルフォ』。俺の奴隷だ。可愛い可愛いマゾ奴隷だ」
「や……っ」
「ごめんなさい、だろ。ほら言え、ごめんなさいだろ!」
「うぅ、ぅ……」
後ろから抱き込まれて、耳と首を舐められて腕の力が抜けた。逃げるよりも、気持ちいいことをされたい気持ちが勝ってしまって。コートのチャックを下ろされて、隙間から入ってきた潮島の手が僕の胸を探って乳首を探し当てる。
「ぁっ……、ご、めん、なさ」
彼の指に突起を摘まれて、その刺激に思わず謝ってしまった。ハッと気付くも、潮島はもう手加減してくれない。
「そうだ。いいこだね、モルちゃん。偉いよ。ごめんなさいできて、俺はとっても嬉しいよ」
「う、ぁ、……っ、やぁ、ちがぁ」
「気持ちいいこといっぱいしようね」
僕がその優しい声に弱いと知っていて、潮島はことさら柔らかく僕の耳を舐めた。
彼の両手に乳首を弄り回されて倒れ込んだ僕の上半身は、後ろから持ち上げられて膝の上に座らされた。たくし上げられた服の下から、引っ張られて伸びる自分の乳首が見えて腰が跳ねた。
「ご、めんなさ、い……っ、あぁ、僕、乳首好きでっ……ごめんなさ、い」
ふ、と耳元で笑う吐息が聞こえた。乳首を弄る指が一層優しく激しくなって、それだけなのに僕はキツいデニムの中で吐精してしまった。
「ああ、あ、や、ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「ん……? ああ、乳首でイッたの? うわ、引くわー」
予想通り、潮島の冷たい声が降ってくる。何度されても、予想出来てもやっぱり慣れない。ぐす、と鼻の奥に流れてきた涙を啜っていると、耳の中に舌が挿入りこんできた。崩れ落ちそうになる体を羽交い締めにされたまま、耳を犯されて泣きながら何度も謝る。
「ごめ、なさ……も、ゆるし、やぁ、あん、も、またぁ……っ」
「スイッチ入ったモルちゃんのかわいさ、反則なんだよなぁ」
身体のそこかしこを撫でられ弄られ、舐められて齧られて。喘ぐしかできなくなってやっと、潮島は僕の体を軽々と抱え上げてベッドに乗せた。
怖々開いたSNSのメッセージにも、昨日の件に絡めた悪意がありそうなものは無くて安堵する。
顔を洗ってタオルで拭いたら、目の周りがカサカサになっていた。泣き過ぎたらしい。鏡で自分の顔を見ると、ほんのり目元が赤い。ひどい顔だ。
昨日の今日で大学に行きたくない気分だけれど、あいにく今日は必修が三つも重なっている。
行かなきゃ、と荷物を纏めて、出来るだけ俯いて過ごすことにした。
「おはよう」
「うん……おはよう……」
移動中以外は常に何かしらの本を読んでいる大山は、次の授業まで空き教室で寝るつもりの僕の横に座って、背負っていたリュックを降ろして文庫本を取り出した。ぺら、ぺら、と頁を捲る音がするのを、子守唄みたいに聞く。
窓の閉まった教室は日射しが溜まって暖かで、昨日あった事なんて忘れさせてくれそうな気がした。
「──高久田」
肩を揺らされて、珍しく大山に起こされたのだと気付いた。完全に寝ていたらしい。
「どした……?」
顔を上げると、大山の隣に見慣れない顔があった。
灰色みたいな燻んだ色の金髪を後ろに撫でつけた、ハーフ顔の綺麗な顔の男。昨日潮島と一緒に居た人だ、と思い出して、瞬時に辺りを見回した。けれど、潮島の姿は無い。
「すみません、寝てるとこ。潮島は今日休みだから……少し、話、いいですか?」
昨日の事を責められるのだろう。当たり前だ。友人があんな言い方されて、しかも翌日に休んだとなれば心配になるのは当然だ。
頷いて、「ついてきて」という彼の少し後ろをついて行く。
「乗って下さい。どこにも行かないけど、外に聞こえないとこで話したいので」
着いたのは大学の校舎の裏手の駐車場だった。黒いセダンを示され、当たり前に躊躇する。後部座席で話しましょう、と言われて、彼が先に後ろに乗ったので少しだけ警戒しながら僕も乗り込んだ。
「白田 要です。昨日潮島と揉めてたのが気になって」
「高久田 真広です。えっと……あれ? 他の人たち、確か小鳥遊って」
「ああ、それ芸名の方で。本名は白田なんですよ」
白田と名乗った男は、潮島と同じように人好きしそうな笑みで僕に笑いかけた。この男と潮島が並んだら、さぞ華やかだろう。
「俺、学校来る時は大抵潮島とつるんでて、潮島の知り合いなら俺も知ってるはずなんですけど……。失礼ですけど、高久田さんって潮島とは面識ないですよね?」
なのに何故、昨日のようなことになったのか、と。白田はしかし、僕だけを責めるようでは無いらしい。
「普段あんな事言わない奴なんですよ。誰にでも優しくて、普段から穏やかが服を着て歩いてるような感じで」
「……そう、ですか」
「だから、高久田さんに喧嘩売るような事言ったのにも驚いてて。高久田さんもたぶん、普段はあんなキャラじゃないでしょう? 女の子たちが驚いてましたよ」
「人前でお恥ずかしいところをお見せして、すみません」
隣の彼に頭を下げると、いえいえと彼も頭を下げてきた。
「俺の知らないところで、何か潮島とトラブってるんだったら、それはそれでいいんです。ただ、全然関係無いのに機嫌悪かっただけの二人がぶつかっちゃったんなら、俺が橋渡し出来ないかなって思って」
良い人だ。純度百パーセントの良い人だった。
だから、僕も素直に話すことにした。
以前、僕の写真をボロクソに貶しているのを見てしまった。それ以来、勝手に嫌っていて、昨日たまたま鉢合わせた時に更に馬鹿にするような事を言われて激昂してしまった、と。
もちろん出会い系の件は何も言っていない。言っても潮島にとっても僕にとっても不名誉なだけだ。
「そうですか……。それは、まあ、嫌いになりますよね」
「心が狭くてすみません」
「あー、いえ、潮島も、たぶんかなり嫉妬が入ってたんだろうし……。ああ、じゃあ、高久田さんとしては、潮島とは……」
「あまり、関わりたくないですね」
「ですよね。分かりました、俺がいる時は、潮島と高久田さんがエンカウントしそうになったらさりげなく移動させますね」
「そうして頂けると助かります」
何故か最後はお互いに握手して別れた。
誰にでも優しくて、穏やかが服を着て歩いてるよう──か。きっと本当にそうなのだろう。そんな潮島を、嫉妬にまみれさせたのは、僕だ。
胃が痛い気もするのに、何故だか少し気持ち良かった。
それから白田さんは、約束通り僕と潮島とをバッティングさせないよう気を回してくれていた。
何故分かるかと言えば、……潮島が、白田さんが登校しない日は必ずと言っていいほど僕に突っかかってくるようになったからだ。
「見ろ」
ドサ、と目の前の机に、写真集のようだが割に簡素な装丁の本が数冊置かれる。
スマホでSNSにアップする写真のタイトルを考えていた僕は、またかと眉間に皺を寄せ、横に立つ潮島を睨み上げた。
「何度も言ってるけど、僕は批評家じゃない」
「いいから見ろ。そして何が駄目なのか言え」
「僕の評価を聞くより先に知識をつけた方がいい。君はまず基本がなってない」
潮島の本をつき返そうとしたのを、横から大山の手が伸びてきてパラパラと捲る。僕と潮島のいざこざなんてどうでもいいみたいに、大山は毎回彼の写真を興味深そうに眺めてやっている。
「可愛い子だね」
「だろ? 俺が撮った中で一番可愛い女の子だ」
自信作だぞ、と潮島が一冊を手に取って捲り、ある頁を見せてくる。
見開きに、着物の女の子が桜の花の降り注ぐ縁側で空を見上げている写真だ。桜の桃色と、真っ青な着物が目に眩い。黒々した艶やかなロングヘアーも、相当な美少女だろう被写体も、映っているものは全て素晴らしい。
だというのに。
「……ひっどいな」
思わず声が漏れてしまった。
潮島の目が釣り上がり、引き結んだ唇がぷるぷる震えていた。
酷評しかしないと分かっていて、彼は僕に写真を見せに来る。サドだと言っていたけれど、実はマゾなんだろうか。僕に扱き下ろされるのを愉しみにしているのかと思うくらい、潮島は懲りずにやってくる。
「ひどい、じゃ分からねぇ」
「まず、どこにもピントが合ってない。君は何が見せたくてこの写真を撮ったんだ?」
「桜、縁側、女の子──全部だ。全部綺麗だろうが」
「ああ、最悪の返事だ。ハッキリ言って全部を綺麗に撮る技術は君にはまだ無い。だからどこにもフォーカスされてない、どこが魅せたいんだか分からないトボけた写真が出来上がるんだ。よくもこんなクソを見開きに出来たな。僕なら恥ずかしくて庭にでも埋めてしまうね」
自分でも、こんなに人の作品を罵倒する言葉がすらすら出てくる日が来ようとは思っていなかった。どんなに稚拙でも、撮る人なりに努力したものだというのは頭では分かっているのに。
この写真だって、あまり高いものではないだろうカメラで、ピントの調整や照度、小物の位置まで心を砕いて撮影したものだろう。見れば分かる。だというのに、僕の口からは滑らかなまでに鋭利な罵倒が出てきてしまう。
「情報量が多すぎるんだ。君の腕なら桜と女の子で手一杯だろう。女の子を美しく撮る事だけに集中すれば、スマホでもよっぽどマシな写真が撮れるぞ」
「ぐ……」
一眼を抱えて写真を撮る者に対して、「スマホの方がマシ」は最悪の言葉だ。
今日も潮島は、僕にさんざんに貶されて何も言い返せず、大山から本をひったくるようにして教室から出て行った。
いや、言い返せないんじゃない。言い返さないように我慢しているのだろう。彼がその未熟な腕とは裏腹に、写真に対して真摯であるのは、毎日違うものを数冊ずつ持ってくるあの執念で知れている。
だから言っているのに。僕なんかに関わらず、知識をつけた方が良いと。
「あの人、いつも怒ってるね」
「ん? ああ……そうだね」
大山は、僕に突っかかってくるようになったここ数週間の潮島しか知らないようだ。何故絡まれているのか僕に聞きもしないから、興味も無いのだろう。ここまで浮世離れしていると、他人事ながら就職出来るのか心配になる。
「写真は優しいのに、見かけによらないなぁ」
優しい、か。そうだよ。潮島はきっと、僕に関わらなければ優しい。
それはあえて口にせず、肩を竦めるだけで大山からスマホに視線を向けた。
その晩、アップした写真が二万回以上拡散されているのを見て、一人で祝杯をあげていた。お気に入りの焼酎でほろ酔い気分のままウトウトしていたら、スマホが震えた。
メッセージじゃなく、通話の着信だ。名前は──『胡椒さん』。
「は?」
潮島から? 何かの間違いだろうか。ポケットに入れたまま、何かの拍子に発信ボタンが押されてしまったのだろうか。というか、僕の連絡先、消してなかったのか。
着信画面を見つめながら、ぼんやり考えていた。
そのうち切れるだろうと思っていたのに、留守電を設定していない僕のスマホは鳴ったままだ。一度出て、こちらから切ってやろう。どうせ間違いに決まってる。
「……」
「お、出た」
通話ボタンを押してスマホを耳に当てると、潮島の声がした。間違いじゃなかったのか。
「モルちゃん、今ヒマ?」
「……はい?」
「暇なら出てきて。この前と同じホテルの六号室ね」
それだけ言って、切れてしまった。
「はああ!?」
一人でスマホに向かって叫ぶ。今日だってあれだけ罵倒されて、あの人はどんな神経してるんだ!? どう気持ちが変化したら誘いをかけられるんだよ!!
訳が分からない、と思うのに、気がついたらコートを着込んで外に出ていた。
自分の神経も分からない。ありえない。なんでこんなに浮き足立っているのか。酔っているからだ、と自分に言い訳して、電車に乗り込んであのホテルへ向かう。
そろそろ十一時を回る時間で、だから終わって帰る頃に終電は無い。という事は朝帰りになる訳で、それまで潮島と過ごす訳で、いやいや、呼ばれたから行くだけで何をするとも言われていなくて……。
六号室のドアの前で、ようやく嫌な目に遭う可能性に気付いた。
でも、もう遅い。
「待ってたよ」
ドアの前に立っただけで、ずっとそこで待っていたのか中からドアが開いて潮島に手首を掴まれたのだ。
素早く引っ張り込まれて、その場でぎゅっと抱き締められる。
「あ、の」
「来てくれないと思ってた」
来ないと思ってたのにドア前で待機してたのか!?
潮島が分からなくて、離して欲しいのに耳に吐息がかかると身体が震えた。背中に回された腕が僕を撫でて、分厚いコートを脱がそうと前に回ってくる。ボタンとチャックを開こうとする彼の指の動きに、慌ててその手を止めた。
「ちょ……っ、潮島っ」
「モルちゃん」
ちゅ、と唇に唇が合わせられた。両頰を掌に包まれて、ぺろぺろと唇を舐められる。舌が入ってこようとして、酒を飲んだ後でまだ歯磨きをしていないのを思い出して嫌がったら唇を軽く噛まれた。
「ご主人様に、逆らうの?」
そんな甘い声で囁かれたら、思い出してしまう。あれからまだ一ヶ月も経ってない。
大学での潮島が嘘みたいに、目の前の彼は僕を優しく見つめて口付けてくる。ちゅう、ちゅう、と薄く開いた唇から舌先だけ吸われて腰が震えて反った。潮島の服の胸元を掴んで止めようとすると、キスしたまま「だめだよ」と囁かれて僕の中に流し込まれた。
「モルちゃんは、素直でかわいい良い子だよね?」
「ぁ……は、やぁ」
「モルちゃん。俺のかわいいモルちゃん。俺はモルちゃんのナニ?」
潮島が言わせたい事は分かっていて、でもゆるゆると首を横に振ると、彼はその双眸を眇めて僕の顎を掴んだ。
「ほんっと、覚えが悪いなぁ、高久田は。何? だったらなんで来たんだよ? ヤりに来たんだろ!? だったら素直に俺の奴隷になっときゃいいだろうが!」
部屋の中の方に突き飛ばされて、フローリングに尻餅をついた。受け身をとろうとして肘をぶつけて痺れる。
「だ、だって、僕、そんな簡単に切り替えられない……!」
「切り替えるんだよ! いいか、覚えろ。今覚えろ!」
上に乗られそうになって四つん這いで逃げ出そうとした僕を捕まえて、潮島は後ろから耳を噛んできた。痛くない。ピリッとした刺激は、ただ僕に耳を噛まれたって事実だけを伝えてくる。
「『モルちゃん』って呼ばれたら、お前はもう『高久田 真広』じゃねぇ。お前は『モルフォ』。俺の奴隷だ。可愛い可愛いマゾ奴隷だ」
「や……っ」
「ごめんなさい、だろ。ほら言え、ごめんなさいだろ!」
「うぅ、ぅ……」
後ろから抱き込まれて、耳と首を舐められて腕の力が抜けた。逃げるよりも、気持ちいいことをされたい気持ちが勝ってしまって。コートのチャックを下ろされて、隙間から入ってきた潮島の手が僕の胸を探って乳首を探し当てる。
「ぁっ……、ご、めん、なさ」
彼の指に突起を摘まれて、その刺激に思わず謝ってしまった。ハッと気付くも、潮島はもう手加減してくれない。
「そうだ。いいこだね、モルちゃん。偉いよ。ごめんなさいできて、俺はとっても嬉しいよ」
「う、ぁ、……っ、やぁ、ちがぁ」
「気持ちいいこといっぱいしようね」
僕がその優しい声に弱いと知っていて、潮島はことさら柔らかく僕の耳を舐めた。
彼の両手に乳首を弄り回されて倒れ込んだ僕の上半身は、後ろから持ち上げられて膝の上に座らされた。たくし上げられた服の下から、引っ張られて伸びる自分の乳首が見えて腰が跳ねた。
「ご、めんなさ、い……っ、あぁ、僕、乳首好きでっ……ごめんなさ、い」
ふ、と耳元で笑う吐息が聞こえた。乳首を弄る指が一層優しく激しくなって、それだけなのに僕はキツいデニムの中で吐精してしまった。
「ああ、あ、や、ごめんなさい、ごめんなさいっ」
「ん……? ああ、乳首でイッたの? うわ、引くわー」
予想通り、潮島の冷たい声が降ってくる。何度されても、予想出来てもやっぱり慣れない。ぐす、と鼻の奥に流れてきた涙を啜っていると、耳の中に舌が挿入りこんできた。崩れ落ちそうになる体を羽交い締めにされたまま、耳を犯されて泣きながら何度も謝る。
「ごめ、なさ……も、ゆるし、やぁ、あん、も、またぁ……っ」
「スイッチ入ったモルちゃんのかわいさ、反則なんだよなぁ」
身体のそこかしこを撫でられ弄られ、舐められて齧られて。喘ぐしかできなくなってやっと、潮島は僕の体を軽々と抱え上げてベッドに乗せた。
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