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52 決戦前夜

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 今日明日のバイトはさすがに休みをもらっている。
 講義もなく、だから朝からロキワにログインして、ギルドルームのソファに座って予定通りメッセージの文面を書いていた。
 平日の午前中はいつもよりギルメンも少なく、けれどいないわけでもない。
 もしかしたらこれから騒いでしまうかもしれないと先ほど謝って回ったのだけど、どんな経緯でこれから何をするかを話すと皆いい顔で親指を上や下に向けてくれた。
 どうやってブラパをルームから引きずり出すか、夜通し考えて出した2案のうちの1つは、サブアカウントを作ってそれをギルドに招待してもらって、ブラパのルームに突入する。
 けれどそれはサブマスの鹿さんが不在の今は不可能だ。
 だから、今から実行するのはもう1つ。
 作成したメッセージをギルドアドレスへ送ると、同時にギルドルーム内にいくつも新着を知らせる音が響いた。
 もちろん俺へもだ。
 タイトルは『助けて下さい』。文面は『教えてほしいことがあります。報酬はお好きなように』。
 あまり長ったらしくてもわざとらしいかと短くしたけれど、読み返してみると挑発が過ぎたかもしれない。
 はたしてこれで上手く釣れてくれるだろうか……と悩んだのも数分、ギルドルーム内に現れた金髪はローディング中のもや状態にも関わらずドカドカと足音うるさく踏み鳴らし隅のソファに座る俺の前へ立ちはだかった。

「お前な。まだ分かってねぇのか? こんな書き方したらどんなモン要求されるか……つか、なんか頼むならオルテガか俺にしろって言っただろうが」

 呆れたような言い方に、表情、身ぶり。
 一週間ぶりに見るブラパはいつも通りで、……それが逆に異様なのだと、ブラパは気付かないんだろうか。

「オルテガさんは今インしてないですし、ブラパは俺をブロックしてるので」

 座ったまま俺が答えると、ロードを終えたブラパは一瞬ギョッとしたような目をして、しかしとぼけるように上を向いて顎を撫でた。
 金髪の尻尾に、しかしいつもの白いウサ耳が無い。
 あるのは人間の耳だけだ。
 そこに鈍銀色の3連ピアスが鈍く光っているのを見て、お揃いだとでも思ったんだろうか、と無感情に睨む。

「ブロック? ルームに入れねぇようにしただけだろ。……で、何だ、教えて欲しいこ」
「俺だけ入れないようにしてルームから出てこないんだから、俺との関係を切りたいってことですよね。だったらそれ、返して下さい」

 あえて相手を問うたりはしないし、切らないでと縋ることもしない。ぬか喜びは嫌だ。肝心な言葉を貰えるまで、絶対に俺からは譲らない。
 感情を押し殺しブラパの耳にぐるりと巻く蛇のピアスを指差すと、彼は反射みたいに片手でそこを隠して一歩退いた。

「……は。なんだ、……妬いてんのか? 別にアイツもどうせ遊びだから、んな怖ぇ顔しなくたって」
「嫉妬はしてません。もう俺と遊ばないならその『特別な贈り物』は回収させて下さいってだけです」

 耳を指差した手をひっくり返し、手のひらを上に向けて指を曲げ返してくれと示した。
 ブラパは引き攣った笑顔のまま固まり、数秒してから「わーったって」と白々しく俺の左横に座って腰に腕を回してくる。

「そんな拗ねんなよ、別に付き合ってるわけでもねぇだろ? アイツとはあともうちょい遊んだら飽きるし、そしたらまたお前とも」
「もう少しで飽きるんですか? あと何日?」

 哀しげに見えては癪なので、ブラパの腕を叩き払いながら言う。
 ブラパはイテテ、なんてわざとらしく呟きながら手を引っ込めて、しかし話を逸らすことに成功したと思ったのか笑みを浮かべて片手の指を立てたり折ったりし始めた。

「そうだな、2……3日ってとこじゃねえかな。お前がもっと可愛げある感じに甘えてくりゃ、明日で終わりにしてやってもいいぞ」

 どうよ、と揶揄うように顔を寄せてくるブラパを見るが、左に座ったブラパの左耳は俺からは見えない。
 ピアスのことを忘れさせる為にそちら側に座ったのか。

「ずいぶん飽きっぽいんですね。まあそれはもうどうでもいいので、ピアスだけ返して貰いますね」

 至近距離に来てくれたおかげでブラパのプロフィール欄を開けるようになった。
 『特別な贈り物』としてロックの掛かったピアスを贈り主権限で解除しようとするも、指を振る前に掴まれていた。
 同時に口もブラパの手で塞がれている。
 ご丁寧に、発声出来ないよう顎を下からも指で固定してきてい……待て、指増やすのって反則チートじゃないのか?

「んんっ」

 鼻で呻くしか出来なくなっている俺をブラパは形だけの笑顔を残したまま虚ろな目で横から見下ろし、たっぷり十数秒黙ったのちに低く甘えるような声を出す。

「話聞けって。そんな言うならアイツとはもう終わりにすっから、これはそのままにしとけ。気に入ったんだよ。このアバターに似合うし、ウサ耳よりイカツくて良い。な? いいだろ?」

 気に入った、ね。……だったら。
 掴まれたままの指を動かして主張すると、ブラパは「ピアス触んなよ」と言い置いてから俺の手を離した。
 慎重な目線と動きから、怪しければまたすぐ確保すると言わんばかりだ。
 警戒させないよう明後日の方向で指を振り、自分のアイテム欄を開いてそこから1個のアイテムを取り出す。
 同じピアス、ではない。
 同じモチーフで作ったものだけれど、ブラパに贈ったものより後に作った、冷たさや重さにも拘ったより完成度の高い方だ。
 気に入ったならこっちをどうぞ、のつもりでそれをブラパの手の上に置くと、彼はまたどろりと目の中を澱ませて黙り、しばらくしてから俺の手へ戻してくる。

「いいだろ別に、ピアスの1つや2つ……それがあるなら、俺のを返す必要もねぇだろが」

 返して欲しいのはピアス自体ではなく『特別な贈り物』なのだけど、それを言う為の口は依然塞がれたままで、顔を振ってそれを主張すると半笑いのブラパに数秒見つめられた後ようやく解放してもらえた。

「ピアスはあげてもいいんです。ただ『特別な贈り物』状態を解除したいだけなので、一度回収したらまた渡しますから。それならいいですよね」

 逃げも許さないし、追撃の手を緩める気もない。
 ブラパの態度は明らかに俺の良い予想の方が当たっているように思わせるけれど、彼自身によって言葉にしてもらうまではあくまで予想。

「だ……、ったら……、お前のも、回収、しちまうぞ……?」

 目を逸らしたブラパの声が段々と消え入りそうなものになっていく。
 今日はずっと、会話のテンポがおかしい。
 いつもなら言い淀んだり会話を止めるのは俺ばかりで、ブラパが言葉に詰まるなんて無いことなのに。
 もう一押し、だろうか。

「どうぞ。最終戦がソロになった今、意味のある物じゃないですし。どうでもいいのでお好きなように、──ッ」

 俺のウサ耳を没収するならどうぞとばかりに頭のてっぺんをブラパに向けるように俯くと、くっと首を下から持ち上げられた。
 かと思えば、首ごと体を投げ飛ばすみたいにされ、一瞬後には床の上で天井を見上げていた。
 急過ぎて何が起きたか分かっていない俺の体に馬乗りになったブラパが、ほとんど開いていない唇からぶつぶつと呪いでも籠めるように濁った音を出している。

「ざけんな……ざけんなっ……テメェばっか平然としやがって、どうぞ……? どうでもいい……? ふざけんな……俺が……俺がどんな気持ちでっ……」

 視界には黄色の文字で『DANGER』というアラートが浮いていて、ブラパの顔は……真顔。
 怖い。怒った顔されるより怖い。
 その状態で俺の首を力任せに両手で握り潰してくるんだから、現実だったらたぶんもう俺は気絶からの絶命だろう。

「なんも俺に寄越さねぇつもりかよ……ひとつも……ひとつくらい良いだろが、ひとつくらい、俺に」
「ちょっとブラパ!? 何してんの!?」
「うわちょ、やば!」
「みんな来て! 剥がすの手伝って!」

 事前通告しておいたおかげかギルドルームにいたギルメン達はこれまで沈黙と不干渉を守ってくれていたのだけど、ブラパの行動が予想の斜め上に飛んだのに仰天して集まってきてしまった。
 が、ブラパの両手は依然として俺の首をアルミ缶の如く捻り潰してしまう気でいるし、体の方も脚でカニバサミみたいに俺に組みついていて数人がかりで引き剥がそうとしても動かないらしい。
 ギルドルームやマイルームなどの特定マップ内ではプレイヤー同士の殺傷キル判定は起こらないようになっているが、行為が悪質だとプログラムに判定された場合、初期は被害プレイヤーに黄色のアラートが鳴り、それが続くと赤のアラートに変わる。
 赤のアラートになってから30秒間、悪質な行動が改善されないと加害プレイヤーは『監獄』行きとなる。
 『監獄』はその名の通り獄中を模したマップで、服役期間と称されるペナルティタイムをそこで過ごさないといかなる別マップへも出られないルールだ。
 ……つまり、別にここでは誰が死ぬ殺すも無いけれど、明日のイベントにブラパギルマスが不参加ということになる。
 だからギルメン達が必死になってブラパを押して叩いて俺から引き剥がそうとしているのに、目を血走らせて俺を殺そうとしているブラパはビクともしていない。
 なんだっけ、この構図何かで見たことあるな。えっと……。

「ふふっ」

 状況が面白過ぎて笑ってしまって、その笑い声で俺もブラパも目を見張った。
 そっか、この世界にとって空気は無いようなものだから声を出すのに喉が絞られていても関係ないんだ。
 呼吸出来なくても死なないんだからそれはそうかと今さら気付く俺とは対照的に、ブラパはやっと自分が何をしていたか気付いたみたいに俺の首から両手を飛び退かせた。

「あ…………」

 唇を戦慄わななかせ顔を青くするブラパを見て、団子状態でくっついていたギルメンたちがやっと正気に戻ったかと安堵の表情を浮かべる。
 俺の首を掴むブラパと、それを引っ張るギルメン達。

「思い出した。大きなカブだ。……っく」

 自分で言ってから、カブが抜ける場面を想像してさらにツボに入ってしまって口元を押さえて震えていると、ギルメンたちから白い目を向けられた。

「いくら死なないからって……」
「亀吉さん笑い所がサイコパスなんすよ」
「痴話喧嘩でギルドルームを殺害現場にしないで欲しいんだけど」
「ブラパも悪いけど亀吉くんも性格悪いよ」
「割れ鍋に綴じ蓋」
「……すいません」

 口々に文句を言われ殊勝に頭を下げると、いまだ呆然としているらしいブラパに向き直った。
 仕方ない。結局ブラパから直接的な言葉は引き出せなかったけれど、どうやら俺よりブラパの方が腰抜けらしいから。

「ブラパ。俺、ブラパのことが好きです。だから俺のことが好きじゃないなら、これからも俺以外を抱くつもりなら、そのピアスは返して下さい。それは俺の心です。あなたのことが大好きだって気持ちです」

 噛まないか不安だったけれど、不思議と滑らかに言葉は出てきた。
 嘘も誤魔化しも逃げ道も、一つも含まないからだろうか。
 自分の心にあるままを吐き出すと、きっと緊張するだろうと思っていたのに直後感じたのは染み渡るような安堵感だった。
 もう隠さなくていい。
 もう繕わなくていい。
 言ってしまったから、伝えてしまったから、あとはなるようになるだけ。
 俺の上に跨るブラパを見上げるが────無表情、だ。
 
「ブ、……うわっ」

 もしや薄いところを引いてしまって失恋か、と青褪めそうになった瞬間、襟元を掴んで引き起こされたかと思えば抱き締められていた。
 今度は胴を絞め潰す気かと思うくらいの力で、嬉しいんだけれど痛苦しい。
 そういえば首を絞められた時はまったく苦しさを感じなかった。
 プレイヤーの恐怖心が一定を超えると痛覚が一時的にオフになると前に設定欄で見た気がするから、実はさっきの自分はかなり怯えていたらしいと思い至る。

「……」
「……」
「……」
「……」

 抱き締めてくれたはいいが、ブラパは何も言わず、それ以上のアクションもない。
 これは一体どうしたんだろう、と目線で周りのギルメンに助けを求めると、1人がブラパの方に回って「え、真顔」と言った。

「真顔?」
「なにが? ……うわ、真顔」
「マジだ」
「真顔っていうか、無?」
「無」
「無だ」
「無。無顔」
「修行僧みたいな」
「悟りを開いた人みたいな顔してる」

 俺の告白を聞いて自分の方が恥ずかしそうに事の成り行きを観察していたギルメン達が、ブラパの顔を覗き込んでワイワイと感想を発表しだす。
 ここまでオモチャにされてもまだブラパは黙っていて、さすがに少し不安になってきた俺がブラパの胸を押して離れようとすると、急に背中の腕が1本離れた。
 直後、ビビッ、と聞き慣れた警告音が鳴る。

「あ、俺、ルームブロックされてるので」

 俺を連れてブラパのマイルームに移動しようとしたのだろうと見当をつけ言うと、次の瞬間にはロードに入っていた。
 久々に見る夕陽に懐かしさを覚えながら、視界に入ったベッドを見ればそこにはくだんが横たわっていた。オフにされているのか、人形のように動かない。
 そして動かないのはブラパも同じだった。
 ギルドルームから移動してきた体勢そのまま、また俺に両腕を回して床の上から一歩も動こうとしない。
 遠くに波の音がする。
 たまにそよ風が頬を撫でていく。
 夕陽は傾くことなく、永遠に俺とブラパを橙色に染めている。

「……ほん……に……」

 不意にブラパが何か呟いたので耳を澄ませたが、波音にすら掻き消されるような小声でよく聞こえなかった。
 ほん……? ほん、ほん…………本当に? だろうか。
 ゾク、と感じたことのない愉悦が胸に迫り上がって熱を持つ。

「好きですよ、兎村さん」

 この後に及んでまだ不安なのかと思うとたまらない気持ちになった。
 あのブラパが。
 あの大きな体と怖い顔の兎村さんが。
 俺より臆病で、冷たくされたら殺してしまいそうなほど俺を好き?
  ……そんなの、可愛いが過ぎてどうにかなってしまいそうだ。
 溢れ過ぎる愛情を言葉にすれば、ブラパはようやく腕を解いて俺から少しだけ体を離して、けれどまだ確信が持てないみたいに控えめに俺の喉辺りに視線を置いて口を開く。

「下の……」
「した?」
「……名前の、方で……苗字あんま……好きじゃねぇから……」

 ボソボソ喋る声は聞き取り辛く、けれどさっきより大きい。
 現実味が出てきたんだろうか。嬉しい。
 しかし、さっきまで身勝手に俺を羽交い締めにしていた両手はブラパの太腿の付け根で拳を作ってしまっていて、硬く握られた様子はまだ信じきれていないことを示すみたいだ。
 今度は俺から手を伸ばし、ブラパの両頬を包むように撫でる。

「未來。大好きです」

 唇が触れそうなほど近くで、けれど触れさせずに囁いた。
 眼前のブラパの目が大きくなったり小さくなったり忙しなく動いて、それからぎゅっと瞑られて目尻から小さく涙の粒が落ちた。

「俺も……好きだ」

 ブラパの声で告げられる愛に、心の底から喜びで震える。
 嬉しい。嬉しい。嬉しい。
 けど。
 そのまま口付けようとしてくる顔と顔の間に手を滑らせ、それを止めた。
 間近のブラパが不思議そうにゆっくりと瞬く。

「ブラパ。と随分長くお楽しみでしたね」

 言った途端、ブラパがベッドに置いたままのNPCを思い出したのか慌てて腕の振りで消した。
 俺に出来うる最高の笑顔を作り、首を横に振る。

「今さら遅いです。バッチリ確認しました。あれは確実に俺です」
「……っ……ルーの奴ッ……!」

 忌々しげに吐き捨てるのを、「確認して当然でしょう。犯罪なんですから」と刺すと急にブラパは額に汗して言い訳を始めた。

「違……違う、あれは、その、私的利用で……お前にさえ見つからなければバレねぇと思って……」
「ももさんとミド~リンさん、大学の後輩で俺の顔も知ってるんですけど」
「ももとリンが!?」

 2人のどちらもそれほどブラパと仲良くはないからわざわざマイルームまで会いに行きはしなかっただろうが、万が一があればアウトだった。
 そう教えるとブラパは目を丸くして数秒絶句したように固まり、それから小さく「すまん……」と項垂れた。
 いつもなら感情と共に垂れるはずのウサ耳が無く、なんだか寂しい気持ちになる。

「まあそれは置いておいて、ブラパが俺のお人形と仲良くしていた間、俺はとても悲しい気持ちでした。寂しくて辛くて、泣きそうでした」
「……悪かっ」
「なので、しばらく俺とするのはお預けにします」
「っハア!?」

 そりゃねーだろ! と絶叫するブラパの口に手を置き、にっこり笑う。

「明日、俺に勝ったら現実の俺に会わせてあげます。それでどうですか?」

 一瞬面食らったように目を丸くしたブラパは、しかしすぐニッと口角を上げた。

「……負けたら?」
「俺が勝ったら俺へのご褒美で未來に会わせて下さい」

 つまりどの道、現実で会おう、と。
 俺の言葉の意図をすぐ掴んだブラパは、癖で顔を寄せてキスしてきそうになってからグッと顔を顰めすんでの所で止めた。
 恨めしそうな目をするので「キスもダメです」と笑いを噛み殺しながら言うと、「我慢したろうが」と不貞腐れたようにそっぽを向いた。


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