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50 水曜
しおりを挟む講義の無い今日は10時から17時までバイトが入っている。
昼休憩は12時から13時までで、鹿さんはいつも59分になるまで戻ってこないのだけど、俺が50分に戻るともう東屋のベンチに座っていた。
なんとなく朝からそわそわしている様子で、珍しいなあとは思っていたのだけど、個人的な用事なら答えてくれそうもないので聞けずにいる。
少し早いけれど仕事を再開しようか、とベンチに座ってクラウドから作り途中のモデルを取り出そうとしていると、テーブルの上を正面から書類が滑らされてきた。
アバターの仕様書のようで、最初の数枚は身長体重のような基礎設定から、好嫌などの性格設定。
おそらく人格設定したAIをNPCに埋め込む用に依頼されたんだろう、顧客の拘りようがその文字数から見てとれる。
後ろ数枚は完成画像なのか、全体図から三面図、バストアップ、俯瞰、あおり、バックショット、と何枚もあった。
顧客からの訂正なのか、赤字で何十箇所も書き込まれていて、一瞬真っ赤に見える紙すらある。
些細な違いも許さないと言わんばかりの赤も不気味だが、俺が何より怖ろしいと思ったのは──。
「……なんです、これ……なんで、誰が、こんな……こ、これ……」
俺だった。
現実の俺が、アバターにされて、NPCとして、俺そっくりの人格を埋め込まれて、納品されていた。つい3日前に。
今すぐ投げ捨ててしまいたいのに、震える指が汗ばんで紙が張り付いて離れない。
一体これはなんの冗談だと鹿さんを仰ぎ見ると、彼は俺の反応に目を細め、「やっぱり……」とため息を吐いた。
「……未來よ」
「え……?」
「依頼者。未來。ブラパ。アンタのだーい好きな、クソ鈍感な大馬鹿野郎」
ブラパ? ……が、これを?
急に手が軽くなって、金縛りが解けたみたいに書類に再び目を落とした。
ブラパなら現実の俺の姿を知っていてもおかしくないし、性格も熟知しているだろう。
まったく知らない他人が俺を依頼したのではないと知ってどっと安堵感に襲われたが、しかし。
「な、なんで? なんでブラパが、俺なんか……?」
鹿さんが作った方のアバターならまだ分かる。
好みだったけれど俺の中身は要らなくなったから、NPCに着せて遊ぶ用の人形にしようと、そういう意図だと。
けれど現実の俺の似姿を作るのは意味不明だ。
あっちの俺はブラパが抱きたいと思わなかった形だろうに。
というか、現実の人間に似せて自分で作るならまだしも、人に依頼するのってセーフだっけ? 商用じゃなく個人利用ならオーケー? 本人に許可取ってればセーフ? 肖像権侵害って親告罪だっけ? なら俺が黙認すれば、この場合は────。
「せ……セーフ?」
「アウトよ」
権利関係勉強し直しなさい、と叱られ、年単位で細かく変わっていくから苦手なんです、と肩を落とした。
「私的利用でも実在の人物そっくりに作ったアバターをネットに繋がったVR空間にアップした時点で違法。自宅にスタンドアローンのサーバー立ててその中だけで使うならグレーだけど、サーバーを一度でもネットに繋げばアウトよ。罰金刑と、モデルの人物にバレたらまず間違いなく慰謝料請求がある」
「わ、わぁ……」
だいぶ大ごとですね、と頬を引き攣らせると、鹿さんは呆れたような顔で午後の自分の仕事を始めた。
レース編みのウェディングベールに特定の角度と布の重なり枚数で揺れた時にだけ虹色の影色がかかるようにエフェクトを張り込むのだそうだ。
条件付きエフェクトの張り込みは社内ソフトの特殊コマンドを使うらしく、まだ俺には難しい。
「まあでも、相当なバカじゃない限りこっそりやれば本人になんかバレっこないから、みんな隠れて楽しんでんのよ。どっかのバカの中のバカみたいに頭バカになって見せびらかすようなバカじゃなければねぇ!」
言いながらどんどんヒートアップしてしまったらしい鹿さんは最後にドンとテーブルを叩いて、完成度高く建て付けの悪い木製テーブルは大きく揺れて端から木粉を飛ばした。
「み、見せびらかす、って……まさか、そんな」
俺のアバターを? と笑うが、鹿さんは片眉を上げて「まだ分かんないの?」と冷めた目で見下してくる。
鹿さんは俺の察しの悪さに慣れている。
その彼がまだかと焦れるほど分かりやすい事柄を、もう俺は知っている?
握った紙に目を落とす。
俺そっくりのアバター。
依頼者はブラパ。
俺だけ入室禁止になったブラパのマイルーム。
3日前に納品。
誰でも入れるままのブラパのマイルーム。
オルテガさんが見た、誰かとセックスしているブラパ。
マイルームにこもったきり、ずっと出てこないブラパ。
ブラパに用事があったらマイルームに行くしかないギルメン。
「み゛っ……!?」
脳内にウサ耳ブラパに抱かれている現実の自分を思い描いてしまい、あやうく爆発しそうになった。
いや、爆発してしまえるならその方が良かったかもしれない。
だってそんなの、恥ずかしい。
恥ずかしいが、それより何より、……え、ずるい、偽物。
「あの俺、午後休もらっても」
「もう昼休憩終わってんのよ。さっさと手動かしなさい」
「午後休……」
「許可しない」
「お願いします鹿さん、後生ですから……」
「ダーメーよ。そんなくだらない事で仕事放り出すなんて言わないで。ひっぱたくわよ」
「ひっぱたかれたら帰っていいですか?」
「あんまり我儘言うとアンタだけ残業」
どうにか今すぐロキワに移動したくての懇願もむなしく、本気のトーンで最後通牒されてクラウドから仕事を引っ張り出した。
口を閉じ、手を動かす。
雨の音とたまに鳥の囀りが聞こえるこのルームは静かで、いつもなら仕事に集中出来るが今日に限っては無理だ。
頭の中にぐるぐると『俺のアバターとブラパが』という文字が踊り続けている。
チカチカ光って、たまにブラパの顔が浮かぶ。
なんで? なんでブラパはそんな事をしてる? 本物の俺のことはブロックして締め出したのに、俺にバレるのは嫌なのに、俺のことは拒むのに、偽物の俺を作ってみんなに見せびらかすように抱いてる?
疑問ばかりが脳内を占めて、肝心の答えが何も浮かんでこない。
だってブラパは俺の好意を嫌がった。
ブラパにとっては遊びだから、VRと現実は別だと言い聞かせて、俺が好きだと言うのを聞かなかったことにして、それでも俺がまだ諦めないからマイルームにすら入れないようにした。
どこか違うのか? 間違ってるのか? 何か見落としてるのか?
何度も何度も考えてみるのに、全然分からない。
もしかしたら現実の俺の外見だけは好みだったのかもと思い付いて、けれどなら中身は別のもっと好みの性格を入れるだろうと考え直す。
なんで。どうして。だって。もしかして。いいや。
思考は渦を巻くようで、どこへも辿りつかない。
「アンタ今、何考えてる?」
また珍しく鹿さんから話しかけてくる。
「あんなでかい爆弾落とされて、それについて考えないほうがおかしくないですか」
「仕事中は仕事のこと考えなさい。手が止まってんのよ、さっきから」
ちゃんとやっているつもりだったが、ふとした瞬間に停止してしまっていたらしい。
慌てて思考を目の前のモデルに戻し、細く伸ばしたマシュマロを編み棒で編んでいく。
「考えても無駄よ」
「え?」
「アンタの頭の中にあるのはアンタの考えることだけ。未來がどう考えてるかなんて、一生かけたって分かりっこないわ。だから無駄。やめなさい」
「……」
片手でモデルを弄りながらもう片手でサブモニターを叩く鹿さんは普段通りのすべてがつまらなそうな澄まし顔で、なんだか急に腹立たしくなった。
「鹿さんみたいに冷静な人はきっと、失恋もすぐ忘れられるんでしょうね」
失恋どころか、勝ち目のない恋なんかしないんだろう。
常に勝率の高い選択肢を模索し続ける彼なのだ、負けた恋をいつまでも引きずるなんて愚の骨頂と笑われそうだ。
言ってしまってから返す刀に刺される覚悟をしたのに、鹿さんが選んだのは沈黙だった。
チラ、と目を上げる。
鹿さんの表情は変わらない。
判子で押したように同じ眼差しで手元を見つめ、作業を続けている。
返事をするまでもないと呆れたのか。当然だろう。
仕事を再開する。
たまに思考がまたさっきのアバターに飛びそうになったが、そのたび鹿さんの「無駄よ」という声がリフレインして脱線を止めてくれた。
「チィッ、チィッ、チィッ」
独特な囀りに顔を上げる。
鹿さんの15時アラーム鳥だ。15分の休憩時間で、いつも鹿さんがお茶を淹れてくれるので俺は菓子を出す。
今日は煎茶のようだから和菓子がいいだろう。
クラウドの『社内用茶菓子』フォルダからどら焼きを出した。
湯気のたつ湯呑みを受け取り、一口飲んで息をついた。
「昔、好きな男に告白したの。あなたが好き、って。答えは、そっか、嬉しいよ、だった」
唐突に語り出した鹿さんに驚くが、彼はそんな話をする時すら感情の凪いだ顔をしていた。
「返事はそれだけ。それ以上はなんにも無かった。交際についてどころか、好きも嫌いもなぁんにも返ってこなかった。必要が無いと思ったのね、きっと。そういう人だった」
熱そうにそっと啜った湯呑みを置き、鹿さんはどら焼きを摘み上げる。
妖精のような見た目のアバターだけれど、ことさらに和物が似合うように作られているのは鹿さんの趣味なんだろうか。
「それが5年前。それでもアタシの好きな人はその人だけ。相手がアタシをどう思ってるだとか、そんなの関係ない。アタシは好き、相手はそうじゃない。それだけ」
「……っ」
てっきり恋愛観も冷めていると思っていた鹿さんが俺より重い失恋を継続していると知り絶句する。
慰めの言葉なんだろうか、と何かしらを返さなければと考えたが、どんな些細な言葉で傷付けてしまうかと迷って金魚のように口をパクパクさせるしか出来なかった。
鹿さんはそんな俺を一睨みすると、どら焼きをパクリと食べてから顎を上げ尊大な仕草で脚を組んだ。
「ちょっと。同情してんじゃないでしょうね? ふざけないで。アタシはアンタみたいな腰抜けじゃない。告白したもの。ちゃんと言葉にして相手に伝えて、ちゃんと玉砕したの。いつまでも逃げ続けてる情けないアンタとは違うの」
ぐうの音も出ない。正論に刺されて致命傷を負って俯いた俺に、鹿さんはそれすら他人事みたいに欠伸をした。
バイトを終え、すぐロキワにインしようとする。
ブラパに会って、「どうして」と聞きたかった。なんで俺が駄目で、俺の偽物は良いのか、と。
けれど、出来なかった。
ブラパがなんと答えるか、まったく分からなかったから。ブラパの答えがどんなものでも俺の想定外になるから。
想定外の答えにどう反応すれば今以上にブラパに嫌われないで済むかを事前に用意出来ないのに、聞く勇気が出なかった。
拒む言葉を聞かされるより、また性懲りもなく湧いてきた期待がぬか喜びになる方が怖かった。
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