賞味期限が切れようが、サ終が発表されようが

wannai

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40 驚喜困惑

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 自室のドアを開け、リュックを肩から下ろしてベッドに顔から倒れ込んだ。

「疲れた……」

 誰に聞かせるわけでもないのに声が出てしまうくらい、心底から疲れていた。
 人と、それもよく知らない人と長時間会話するのは神経を使う。
 実際それほど知らない仲でも無かったのだけど、そうだとしても場が現実であるというだけで『やり直しがきかない』という緊張感で胃が痛くなった。
 ブラパとは最初から最後まで、まるで向こうにいるみたいに自然に接することが出来たけれど、あれはきっとブラパだからだろう。
 兎村さんの笑う顔を思い出しそうになり、目を開けて消す。
 朝出てきた時に畳んできた綿の厚い掛け布団と、茶色の毛布と、マイクロファイバー生地の敷布団カバー。
 現実の俺の部屋。
 兎村さんとは二度と相対しない現実を目に映し、体を起こす。
 パソコンの電源を入れ椅子に座った。

 ──あれから。
 驚きの連続に逃げ出しそうになったのを倉本さんに強引に引き留められ、学食に移動して話をした。
 倉本さんと御堂さんは元から友人で、コロシアムが始まってからは武内も含めて3人でチームを組んでいた。
 が、武内の目に余る単独行動にソロプレイを推奨し、以後倉本さんと御堂さんは野良を入れてチムコロをプレイしていた。
 ランキング30位前後まで上がってきたがそこから伸び悩んでいた所に『欲の虜』から「うちに入って城戦に参加しないか」と声が掛かり、喜んで加入。
 武内の視界録画で同じギルドの『亀吉』に迷惑を掛けたと知り、倉本さんが謝罪しようと提案するも武内は拒否。
 何故だと詰め寄り話を聞いていくうちに亀吉が同じ大学の先輩だと分かり、直接謝罪に行くと決めるが武内はやはり拒否。
 だったら一人で行く、と亀吉の現実での容姿や特徴を聞き、それが御堂さんが以前から話しかけるチャンスを探している『メカクレ先輩』だと判明。
 だから御堂さんにバレないように亀吉の受ける授業に潜り込んでさっさと謝罪を済ませようとしたが、授業が終わっても寝ていた俺のせいで御堂さんに見つかってしまい──……。
 
「……」

 学食で隣に座り、腕が触れそうな距離までぴたりと寄ってきた御堂さんを思い出しため息が漏れる。
 あんな美少女に迫られているような気分になれるシチュエーション、今後は無いだろう。
 『メカクレ先輩』という呼び方から考えて、御堂さんは目元を長い前髪で隠した男、というジャンルが好きなようだ。
 アニメ調アバターが多い世界ワールドで人気ジャンルなのは知っていたけれど、現実では根暗な印象が強く不気味がられるものだとばかり思っていた。
 俺が造形的に美しい御堂さんから目が離せなくなるのと一緒で、御堂さんも俺の見た目が好きで興味を持っただけ。
 勘違いするなよ、と自分に喝を入れ、それから小さく痛む気がする二の腕をさする。
 布越しにすら確実に触れられていないのに、間近に他人がいたというぞわぞわとした感覚がまだ消えていない。
 あれだけ美しい人にだろうが近寄られると忌避してしまう自分の神経質さに呆れ、同時にまったくそれの無かった兎村さんを想起しそうになって頭を振った。

 人間関係で疲弊した時はひたすら作業に没頭するのが良い。
 冬休みは城戦の練習に明け暮れていたから、モデリング作業をするのは久々だった。
 仕事にしようというのに遊びを優先してしまうのはちょっと不味かったかもしれない。
 これからはまた短時間でも毎日ソフトに触るようにしないと……。
 自動起動のチャットアプリが立ち上がると、母のアバターがフリフリと手を振った。
 チョキポーズを返し、画面を視界の端に指で持っていこうとしてマウスを持っていないのを思い出してちょっと向こうに居過ぎたな、と苦笑する。

「……うわ」

 もう請けてしまっていた有償依頼は休み前に片付けたが、無償依頼は返信せず放置してしまっていたのを思い出しメールソフトを開くと未読が30件以上も溜まっていた。
 気持ちに余裕がある時に回そうかと一瞬思ったが、スクロールする中にチラッと見えた件名が気になって指を止めた。

 『(株)ケーディーキュー より 業務委託のお願い』

 ──きた。
 思わず唾を飲み、ゴクリと大きく音が鳴った。
 将来本気でモデリング職一本でやっていこうとするなら、企業からの安定した委託は欠かせないものだ。
 これまでもアルバイト斡旋サイト経由で何社かにポートフォリオを送ってみたりはしたが、芳しい返事が来たことはない。
 俺の渾身の作品だとしてもまだまだプロの目から見れば仕事を依頼するには値しない、稚拙な出来だと判断されたのだろう。
 それでもめげずに切磋琢磨を続けてきたが……まさか、初めて声を掛けてくれたのが、ケーディーキューだなんて。
 逸る心を抑え、メールを開いた。
 内容は件名まま。
 モデリングやそれにまつわる調整作業を委託したい、というものだった。
 概算の月の納品希望数、単価、最低クオリティ条件などが並び、最後にメールを書いた担当だろう人から一言メッセージが入っていた。
 以前俺に個人的に依頼を出し、納品されたデータを気に入ったから上司に推薦した。
 一緒に仕事が出来ると嬉しい、とあるが、どこまでが本当だろうか。
 本音ならとても嬉しいけれど、業務委託先への口説き文句である可能性も十分にある。
 すべてを鵜呑みにするのは危険だと思いつつ、まさかモデリングを職にしようとする者なら憧れないのが無理な有名会社からの振ってわいた奇跡に興奮するなという方が無理だ。

 モデラーが就職を目指す会社は大きく分けて2種類ある。
 汎用性の高い、どこの世界ワールドでも使える安価で使い回しやすいパターン的な製品を作る会社。
 それとは逆に、高価だが相応にクオリティも高い、デザインから手触り、匂いまで品質にこだわり抜いたものを作る会社。
 ケーディーキューは後者だ。
 大企業ならどちらのブランドも持っていたりするが、多くの中小は片方に注力しているのがほとんどで、だからモデリングを職にと考えた時点で『早さ』か『質』のどちらかに特化していくことになる。
 個人でやっていくならある程度のクオリティを保ちつつ数をこなさねばと思っていたから、正直俺は『早さ』重視でやってきた。品質へのこだわりはあるがデザインセンスはからっきしで、客からのデザイン案が無いものは断っている有様だし。
 有難い話ではあるけれど、ケーディーキューの要求に応えられる自信があるかと言われれば…………時間を貰えれば死ぬ気でやるけど……というくらい。
 最後まで読んでから文面を頭の方まで戻り、条件を読み直しため息を吐く。
 『帽子、靴、アクセサリーなどの服飾雑貨を月に最低30点ほど』。

「無理……」

 頭で思うより先に情けない声が出た。
 1日1個作ってギリギリ間に合う個数。
 デザイン案があるなら集中すれば1日2、3個はいけるかもしれないが、それも寝食を犠牲にした上での計算だ。
 デザインが無く文字でふわっと『艶の控えめな茶色のローファー』などと指定されたら「控えめな艶ってどのくらいだよ!」と頭を抱えることになり、参考資料を探すだけで時間を食うだろう。
 さらに俺はまだ学生で、4月からはぐっと講義数も減るが無いわけではない。
 独立希望だが滑り止め的に就職活動もする気でいるし、となるとインターンも予定に入ってくる。
 報酬の額は、さすがの有名ブランド、決して安くはない。
 専業のプロとしてやっていくなら、こことの契約を主軸にしつつ個人からの依頼をこなせば細々と生活していけそうな金額だといえる。
 けれど、俺はまだ残念ながら学生だ。
 中退の文字が頭を一瞬よぎるが、すぐ消える。
 俺はそこまで冒険心の強い人間じゃない。
 道は平らな方が心強いし、橋は叩いていいなら叩いてから渡りたい。
 納品数を減らせないか交渉してみようか、と考えながら、文末の『よろしければ一度VRオフィスへお越し下さい』の言葉に唸る。
 はたして俺に、人──アバターだけれど──を前にして交渉事が出来るだろうか。
 押しの強い人が相手だったら、流されていつのまにか請け負うことが決まってしまいそうな気がする。
 「亀ちゃん、アンタ現実でもなんでもかんでもハイハイ言ってるんじゃないでしょうね? 借金の保証人とかなってない? 契約書とかよく読まずにサインするでしょやめなさいそういうの」……脳内に以前鹿花さんから掛けられた言葉が蘇った。
 どうしようか、と思い悩む俺の耳に、階下から玄関ドアが開閉する音が聞こえてきた。
 時計を見れば、18時。
 母さんのアバターはまだチャットにいるから、きっと父さんだろう。
 部屋を出、階段の上から下を覗き見るとちょうど父さんが肩を回しながら登ってくるところだった。

「おかえり」
「ただいま。……なんだ、何か悩みごとか?」
「へ?」

 帰宅の挨拶を済ませ早々に見抜かれ目を丸くすると、父さんはコートを脱ぎながら片眉を吊り上げて揶揄うように笑う。

「お前、いつも俺が帰ってきたって顔見せになんか来ないくせに。悩んでるとすーぐ父さんか母さんの顔見にくるだろ。小さい頃から変わらないな、その癖」
「え……」

 確かに、普段は父母の帰宅を察してもああ帰ってきたなと思うだけでわざわざ部屋から出て出迎えなんてしなかった。
 無自覚だった親への甘えを教えられ恥ずかしくなって逃げ出そうとするが、「待て、何に悩んでるのか言っていきなさいよ」と横を通りすがろうとした父に肘でどつかれた。

「い、いいよ。言ってもどうしようもない事だし……」
「だとしても、言えばスッキリはするだろう。愚痴か? 友達と喧嘩か?」
「違うよ。……モデリングの仕事で業務委託しないかって話がきたんだけど……」
「お、いいじゃないかやってみれば」
「簡単に言わないでよ。最低納品数が多くて、大学通いながらだと不眠不休でやってどうにか、って数なんだよ」

 父母の部屋のドアを開けっぱなしにして着替えを始める父の背中を見ながら唇を尖らせると、彼は「あ~」と唸りながらスラックスを脱いでハンガーに吊るし、消臭剤を吹きかけた。

「そりゃ無理だな」
「……でしょ」
「大学辞めるのはアリな給料か?」
「学費出してる人が簡単に中退とか言わないで欲しいんだけど……」
「俺は学歴より経歴派だからなぁ」

 モデラーも資格より腕がどれだけあるかの職だろう? と言いながらスウェットに着替えた父さんは、「ご飯は食べたのか?」と訊きつつ廊下で待っていた俺の横を抜けていく。

「ねえ、一度オフィスに見学に来ないかってメールに書いてあったんだけど、受注出来そうにないのに行ってもいいものかな?」
「いいんじゃないか? 来いって言ってるんだし。何事も経験、経験」
「あの、それでもし、場の雰囲気に流されて請けることになったりしたら……」
「そりゃ自己責任だろう。頑張れよ」
「…………」
「ご飯は? 食べたのか?」
「……食べてないけど、まだいらない……」
「悩み終わったらちゃんと食べなさいよ~」

 完全に他人事の父さんは最初の数段をドカドカと音をさせてから、まだ帰っていない母さんの小言を恐れるように忍び足になって階段を降りていった。


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