賞味期限が切れようが、サ終が発表されようが

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39 嵐の2月14日

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「──……ねぇ、ねえ。講義終わってるよ」
「……えっ?」

 近くで声がしている気がして瞼を開けると、知らない女の人が困った表情で机の斜め前に立っていた。
 冬休みが終わってまだ3日。
 長期休暇の間に崩れた生活リズムはまだ直るには程遠く、なんとか授業に遅れずに済んではいるものの慢性的な睡眠不足を授業中に解消してしまうこと何回か。
 周囲を見回せば、すでに教室に居るのは俺と目の前の彼女、それから遠くの席に2人ほどだった。
 それももう教室を出ていく所らしい。
 寝ぼけ眼で記憶に無い顔の女の人をもう一度見上げ、数十秒してから彼女が起こしてくれたのだと思い至って慌てて立ち上がった。

「あっ、あの、起こしてくれて、ありが、とう」

 見事に噛んだけれど、彼女が去る前にちゃんとお礼を口に出来たと内心で自分を褒める俺の前に、しかし彼女はくっと腕を出してその細い手首に嵌まるAR端末を向けてきた。
 
「これ、あなたで間違いない? ……ですか?」

 思い出したように付け加えられた敬語尾に好感を抱きつつ見れば、表示されたのは『亀吉』のアバターだった。
 それも、鹿花さん制の方の。
 以前『亀吉』だとバレた時のことを思い出し、また何か面倒事かと顔を顰めた俺を見て、女の人は、

「うわ、うわぁ……マジかぁ……」

 と喜びなんだか困惑なんだか判別のつかない顔でカリカリと大きな立ち耳を掻いた。
 耳朶の真ん中で揺れるパールのピアスが巻かれた金髪の中に埋もれる。

「……」
「……」
「…………えっと……あの……?」

 何か用事があるなら早く言ってくれ断るから、と身構えているのに、女の人はしきりに手を動かして耳や唇や顎を触っては天井を見てと忙しい。
 美人局か、あるいは何らかの時間稼ぎをしているのだろうかと周囲に目を配るが、教室の外は人多く騒がしく、空き教室だと分かると休憩に入ってくる生徒もちらほら居たりで人目が無くなりそうもない。
 濡れ衣を着せられるような心配はなさそうだと思いつつ用心を重ねてそれとなくノートや文房具をリュックに仕舞い始めていると、女の人がやっと決心したような顔で「よし」と言った。

「あのね。わたし、倉本くらもと すもも。『ももももももも』。で、武内の彼女です」

 きゅっと眉間に皺を寄せて真剣に俺を見つめる女の人──倉本さんの言葉を、しかし俺は一度で飲み込めず目を瞬かせた。

「え、…………えっ? ご、ごめん、もう一回、もう一回言ってもらってもいいですか!?」

 脳内で反芻してそんな馬鹿なと慌てる俺に倉本さんは当然とばかりに頷き、そして厳かな表情で更に情報を足して繰り返してくれる。

「わたしは倉本と言いまして、この大学の二年なので亀……先輩の後輩で、城戦メンバーとして『欲の虜』にスカウトされて今年頭から同じギルドにいる『ももももももも』で、去年のペアマッチであなたに多大なご迷惑をお掛けしたクソバカ・武内 孝多の彼女、……です」

 多い多い多い。
 一個だけでも唐突に明かされたらビックリするような情報なのに、重ねてこられたら頭痛がしてくる。
 思わず口元を手で覆ってえぇぇ、と唸ると、理解出来るとばかりに倉本さんも頷いた。

「いや、わたしも孝多から亀先輩が同じ大学だって言われても半信半疑だったんだけ、ですけど」
「戸林。戸林隆也です。……敬語じゃなくていいですよ。向こうと一緒で」

 亀、亀と現実で呼ばれるのが気恥ずかしく本名を名乗ると、倉本さんはまじまじと俺を見てから唐突に頭を下げた。
 根本まで綺麗に染まった金髪の頭頂部が目の前に迫ってきて咄嗟にのけぞると、申し訳なさそうに眉をハの字にした倉本さんが見上げてくる。

「あの、孝多のこと、本当にごめん」
「え、いや、あの、……別に、気にしてないので……」

 ペアマッチの武内といえば、忘れもしない、あの文句だらけの猪突猛進男のことに違いないだろう。
 苦い記憶ではあるけれど、あれは俺の対応も悪かった。
 武内だけが悪かったと恨む気はない。
 それに、ああなったからこそ、ブラパとオフするきっかけになったのだし。

「経験不足だったのはお互い様です。俺も自分の指導力の無さを痛感しました。良い経験だったと思ってますので、倉本さんが謝ることでは……」
「いや……わたしが悪いんだ。完全にわたしの監督不行き届きだった」
「監督……?」

 まるで上司と部下か先輩後輩間のような言い回しに首を傾げると、倉本さんは合わせていた目を床に落としてぐっと拳を握った。

「あんっっっっまりにも指示が通らないから、面倒くさくなって「孝多は勝ち気だからソロの方が向いてるよ!」ってテキトー言ってリア友で組んでるチームから追い出したの。あれで馬鹿のつく真面目だからわたしの言葉通りにソロコロにこもってるな~って思ってたのに、昨日たまたま2人で居る時に孝多の視界録画見てたら何故か亀……コバヤシ? 先輩の映ってるのがあって、なんでギルメンでもないのにチーム組んでる試合があるの? って問い詰めたらっ」
「ああ、はい、分かりました。経緯は分かりました! 俺は別に怒ってないので、倉本さんも落ち着いて……!」

 説明しながらぶるぶるとゲンコツを振るわせて何度か空中で素振りしているのを見るに、もしかしたら武内は既に制裁を受けたのかもしれない。
 細身だが力の入った手首に青筋が浮いているのを見やり、ふるふると首を振って無理やり笑顔を作った。

「本当に気にしてないので、そんなに怒らないで下さい」
「いや、あれは無い。あれで怒らないなんてありえないわよ」
「いやいや、本当に。ほんとーーーに、全然、まったく、気にしてないので」

 正直、倉本さんの怒りっぷりに最後に少しだけ残っていたモヤモヤも吹き飛ばされた気分だ。
 ブラパには俺が不出来だったとさんざ叱られたが、武内の方が悪いと俺の代わりに怒ってくれる人がいることが素直に嬉しかった。
 これ以上の謝罪は結構です、と手で制すると、倉本さんは申し訳なさそうにしつつ口元を綻ばせ、小さくため息を吐いたようだった。
 頭を上げ、やや乱れたコートの襟元を正すと肩に掛けていたトートバッグから何かを取り出し俺の方に差し出してくる。

「これ、謝罪の品……って言ったら微妙かもなんだけど」

 小さな物なら受け取ってしまった方が倉本さんの気も楽になるだろう、と掌に落とされた物を見ると、赤、黄、紫色をした飴玉のようだった。

「ミルクとチーズケーキとブルーベリー。苦手なのあるなら他のと交換するけど」
「飴ですか? なら別に、なんでも食べられるので」
「飴じゃないよ。チョコレート。だから今日だと微妙かなって感じなんだけど、昨日の今日で急にちょうどいいナニカが用意出来なくって、これだってそこそこいい値段するし、軽いプレゼントとしてなら悪くないかなって思ったんだけど……」

 だめだったかな? と不安そうにされたので慌てて包みを一つ開き、口に放り込んだ。
 甘い。
 チーズケーキ味はベースがホワイトチョコレートなのか、蝋のような独特の匂いが鼻に抜けた。
 甘いチーズが苦手で、と言っていた白野さんの顔がよぎる。

「美味しいです」

 俺がお礼を言うのも変かなとありがとうございますを飲み込むと、倉本さんはパッと顔を明るくして「そうでしょ! わたしもその味が一番好きなの!」とバッグからもう2つ紫の包みを出して俺の手に握らせた。

「……そうだ。コバヤシ先輩、簡単にチョコ受け取るってことは現実には彼女も彼氏もいないんですね?」
「え?」
「ああああっ、ももちゃん!? なんでっ、ももちゃん狡いです! なんでももちゃんがメカクレ先輩にチョコあげてるんです!? 裏切りですか!? 戦争ですか!?」

 急に話が変わって首を傾げると、背後から甲高い悲鳴のような声が後頭部に刺さってきて飛び上がった。

「なん……」
「め、めめ、メカクレ先輩っ、リンも、倫からのチョコも受け取って欲しいです!」
「めかくれ……?」

 もしかしてそれは俺のアダ名か、と渋面を作ったが、振り向いた先にいた叫ぶ美少女を見て硬直した。
 数秒、美少女、としか脳が言い表せなかった。
 透き通るような明るい茶色の瞳に、白い肌、ほのかに上気した頬、桜色の唇に肩より少し長い黒髪。
 存在感の無い小さな鼻は陶器のように細く繊細で、眉から目元にかけては影が落ちるほど深く抉れている。
 末広の二重だけが万人受けから外れるかもしれないが、逆に完璧ではないからこそその美貌が自然のものであると確信させるようだ。
 これは天然造形の奇跡か? と思わず観察するモードになってしまった俺の前で、美少女はパチパチと目を瞬かせ、それから元気よく歯を見せて笑った。

「メカクレ先輩も倫の顔好きですか? 嬉しいです! 倫もメカクレ先輩のメカクレ好きです! 私は御堂ミドウ リン、御堂でも倫でも好きな方で呼んで下さい!」


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