賞味期限が切れようが、サ終が発表されようが

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27 毒を吐かせるのは

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 スプリングがギィと鳴り、重みで沈む。
 俯いたまま動けなくなっている俺の顔にブラパが寄ってきて、キスかとぎゅっと目を閉じたが唇が触れてきたのは額のあたりだった。
 前髪の上から何度かキスしてきたブラパは、いつものように俺の頬を両手で包むみたいにしてから涙で濡れているのに気付いて親指の腹でぬぐってくれる。
 ……ああ。本当に、何も言わなくてさえ、優しい。
 性欲解消目的でいいからこの優しさにずっと浸っていられたらいいのにと思ってしまう。
 城戦は迷惑になってしまうからもう駄目だけれど、他に何か理由を作ってこの関係を続けられはしないだろうか。
 ギルメンじゃなくていい。
 弟子なんて大きな看板もいらない。
 ただブラパに愛玩される為の、性欲解消の為の存在として甘やかし可愛がってもらえたら──。
 むくむくと湧いてきた欲望に自分のことながら心の中で失笑した。
 つくづく都合の良いアタマだ。もうブラパが俺に残した未練なんて『一回ヤる』くらいしか無いだろうに。

「ブラ……BUCK LAPINさ」
「ペアマッチのログ出せ。どうせ録ってあんだろ」
「え?」

 初めてだけれど、むしろいっそブラパの欲望のまま乱暴にされても構わない。そんな気になって言おうとしたのに、ブラパから想定外のことを言われてパチパチとまばたいた。

「え、ロ、ログ……?」
「ゲーム中の。つーか何位だったんだよお前。100位にすら入ってねぇってどんな試合したのか逆に気になり過ぎるっての」
「え、あ、えっと」
「あとな。気まずかろうが何だろうが、いつも通りブラパって呼べ。サン付けすんなフルネーム呼びすんなお仕置きすんぞ」
「へっ!? おっ、おしっ」
「ナマケツ平手で百叩き」
「ひぇ」

 顔を撫でていた手がするりと背中に下りていったかと思えば尻をぎゅっと揉まれて、勢いよく首を横に振る。

「ブラパ、ブラパッ。さん、付けない。フルネーム、呼ばない」
「よし」

 今すぐ百叩きしても構わないとでも言いたげな好色の目に真剣にNOを示せば、ブラパはクッと喉を鳴らして楽しげに笑った。
 そして、「よっせ」という掛け声と共にベッドに乗ったかと思うと、俺の後ろに腰を下ろして子供でも抱っこするみたいに俺を抱える。
 背中がブラパの体温で温かくなって、左肩の上に彼の頭が乗ってきた。

「泣きながら引きこもっちまうくらい酷い試合ってどんなんだよ、早く見せろ」
「うっ……」

 泣くのは我慢してましたけど、と小さく訂正しつつ、最初の試合から視界録画をかけておいたペアコロの動画をサブモニターに映す。
 再生したそこで繰り広げられる惨状は記憶よりずっと酷く、赤っ恥なんてものじゃない。
 普段ならもっと、どころか、何を考えてこの行動になったのか、自分ですらちょっと待てとツッコミたくなるシーンもあった。
 とにかく短慮で、視野が狭く、冷静になれていない。
 鹿花さんに見せたら録画時間の5倍は説教されそうだ。
 動画の中、半泣きで指示の哀願を続ける俺の声がみっともなくて耳を塞ごうとしたのに、後ろからブラパに両手をギッチリ拘束されて叶わず、せめてもと目を瞑るのにすぐさま「テメエもちゃんと見ろ」と叱られて直視するしかなかった。
 ブラパもあまりの内容に言葉に困ったのか、かなり長い時間無言が続いて胃がキリキリした。
 最初の数試合を等速で見た後は5倍速で最後の試合まで見終えてやっとブラパは長くため息を吐いて、それからゆっくり俺の頭を撫でた。

「……こんな素人と組んだにしては、まあ、頑張った方じゃねえの」

 想像通りの慰めを掛けられて、またじわりと目尻に涙が浮かぶ。
 やっぱりブラパは、俺を甘やかしているだけだ。
 嘘でおだてて性欲を解消出来ればそれで良かったんだ。
 と、思った瞬間、頭頂部にゴンと激痛が走った。

「なんて言うと思ったかド阿呆が! 何やってんだお前、こんなクッソみてぇな立ち回りしやがって! 脳みそに蟹味噌でも詰まってんのか!!」
「ひぇっ」
「1試合目、ペアの力量も分かんねぇうちにやろうとする! 2試合目、ド下手だって分かったなら合流が最優先だろナニ悠長に武器拾ってんだ死ぬ気で走れ! 3試合目、言うこと聞かねぇからって諦めてんじゃねえ怒鳴ってでも従わせろ遊びじゃねえんだぞ!」

 怒涛の勢いで罵倒され一試合毎のダメ出しが始まり、反射的にいつもと同じ調子で「あ、遊びですっ、コロシアムはゲームです……!」と反論してしまい二度目のゲンコツを落とされた。

「痛いっ、痛いです!」
「うるせぇ喚く前に反省しろ! 今の反応だとログ見もせずに自分は下手だのなんだのぐちゃぐちゃ考えてただけだったんだろうが! んなクソくだらねぇことに何日も使ってんじゃねえよガキ!」
「……っ、だ、だってっ……!」
「だってもクソもねぇってんだ。お前は根本的にやることミスってんだよ。そこ理解出来てんのか? 出来てねぇだろ! 何日泣こうがそれが出来てなけりゃ何の意味も無ぇだろうが!」

 続け様の暴言と共に三度目のゲンコツで打たれて目の前に星が散る。
 「DVだ……」と呟くと「お前と家庭をもった覚えはねぇよ。ただのVだろ」と突っ込まれてもう何処から反論すべきか分からない。

「お、俺に、出来ることはっ……………………、なんだったんですか……」

 俺に出来ることはやった。全部じゃないけど、上手くも出来なかったけれど、やった。
 そう言おうと思ったのに、結局小さな声で訊くしかなかった。
 録画を見直しても、もう一度これからあの状況になるとしても、あの時の俺がしたことをもっと上手くやる事は出来ても、それ以外の道を自力で見つけられる気がしない。
 これが俺とブラパの差なのか、と肩を落とすと、俺の頭頂部を拳でグリグリにじっていたブラパの手が止まり、耳に呆れたような大袈裟なため息が吹きかけられた。

「素人のガキ介護してやんのに、うちのギルドみてぇなガチパ戦術押し付けて出来るわけねぇだろ。テメエがやるべきは、ガキと一緒に凸って死ぬ高速周回だったんだよ」
「え……」

 どう立ち回れば勝てたのかを教えてくれると思ったのに、ブラパから出たのは最初から勝ちを捨てた戦法で呆気に取られてしまう。

「で、でも、武内……ペアの人は、100位以内の報酬を欲しがってて……」
「ポイントの加算条件は?」
「え、……えっと、合計プレイアウト数……」

 答えてから、あ、と気が付いた。
 そうだ。どれだけ長く生き残っていても、他プレイヤーのプレイアウトに関われなければポイントが入らない。
 翻ってつまり、どれだけ早くプレイアウトしようが1人でも道連れにプレイアウトさせれば、ポイントは入る。
 隠れてちまちま倒していく俺の亀砂スタイルは時間効率が悪く、ペアにも期待出来ない。
 ならば勝率を捨てて効率を重視すべきだったとブラパは言っているのだ。
 俺の努力は一体……と悄然と背を丸めると、背後からブラパが強めに抱き締めてくる。
 「まったく」と呟いた彼が俺の肩口に顔を埋めたかと思えば、次の瞬間に鋭い痛みが走った。
 齧られたのだ。
 薄いシャツを引っ張って襟から露出したうなじに、ブラパの歯先が刺さってガブガブと噛まれている感触がある。

「ちょっ……ブラパ、痛いですって」
「うるへぇ」

 痛いけれど騒ぐほどでもなく、噛まれるついでに舐められるとくすぐったい。
 なんとなく許されたような雰囲気で気が抜けて後ろのブラパにもたれ掛かると、じゅっと強く吸われた。

「なあ。うちのギルドの全部が嫌んなるくらい良かった現実って、なに」
「え?」
「さっきそう答えたろ」
「えっと……ああ、ギルドじゃなくて、VRが嫌になるくらい、ですかね」

 ギルドルームでの問答の意味を今更問われ、伝わっていなかったのか? と首を傾げる。
 曲げた首の付け根にまたブラパの唇が当てられて、さっきより強く吸われて思わず「痛いですって」と顔を顰めた。

「だぁから。何が良かったんだ、って」
「え、あ、えっと……西城を落とす前に自分が弱いことに気付けて、です。あのまま気付かないままでいたら、ポイント稼ぎ終わってもギルド脱退なんかしなかったでしょうし……」
「はあ?」

 深刻な迷惑を掛ける前に脱退を決意出来て良かったです、と自嘲混じりに笑うと、俺を抱き締めるブラパの腕がこわばったように動かなくなった。
 身動みじろぎするのも軽く痛むくらいの猶予の無い腕は、けれど痛いと言ってみても緩んでくれない。
 どころか、更に絞るように抱き締められて困惑しながら真横のブラパの表情を窺った。
 が、目ぼしい変化は見当たらない。
 いつも通りの薄い笑みを浮かべたブラパは俺と目が合うと二度瞬きして、それから目を細めた。

「あの……」
「なんでまだ脱退なんて話が出てくるんだ?」
「え? いや、だって……ほら、練習サボッたり城戦に遅刻してくるような俺なんか、ブラパはもう要らないですよね? あと、ウサ耳だって没収されましたし。ギルドに居る意味が……」
「ああ、コレか。説教終わったしちゃんと反省するなら返してやる」

 ブラパが指を振ると、『BUCK LAPIN から特別な贈り物が届いています! 受け取りますか?』というポップアップが出てきた。
 勝手に俺の手を持ったブラパがYESを押そうとするので、慌てて腕に力を込めて首を振る。

「いやいや、いいですって。このまま抜けますし」
「……だから、なんで」
「なんでって、俺が弱いからですよ」
「んなもん最初から分かってたことだろうが」

 何言ってんだ? といぶかられ、ぐっと唇を噛んでから再度否定するように首を振った。

「分かってなかったんですよ、俺は。弱過ぎる俺が城戦に入るとどれだけ周りに迷惑を掛けるか……」

 気付いた以上はもう迷惑を掛けたくない。
 俺がため息混じりに言うのに、ブラパは俺が力を抜いたその隙を狙って俺の手にYを押させてしまった。

「あっ、ちょっと!」

 慌てて手を引っ込めるが間に合わない。
 前に倒れている頭上に揺れる感覚が戻ってきて、やってしまったと顔を覆いたいのに自分の手はブラパに捕まったままだ。

「なんでそう……ブラパ、もう少し人の話を聞いてくれませんか」

 真横の顔をジト目で睨むが、馬鹿にするような笑みと共に皮肉が返ってくる。

「特大ブーメラン刺さってんぞ。お前が弱かろうがなんだろうが、反省して繰り返さねぇならギルドからも城戦メンバーからも抜かねえっての」
「だからっ、弱い俺がいると迷惑でしょうが!」
「弱いヤツがいると迷惑なら俺以外全員迷惑だろうが!」
「はぁっ!?」
「何を驚いてやがんだ。このギルドの誰が俺より強いってんだよ」

 傲慢が服着てるのかこの人、と呆気に取られたら、どうやら口からそれが漏れてしまったらしい。
 四度目のゲンコツを喰らって、理不尽な痛みに口を尖らせた。

「でも、……ほら、鹿花さんは、俺が抜けるの、喜んでたし……」

 いくらブラパが横暴でも、そろそろ腹に据えかねるのではないだろうか。
 やっとお払い箱にした面倒が出戻ってきたとなっては、ぬか喜びもいいところだ。

「は? 鹿花が? いつ喜んだよ」
「さっき……俺がインして……」
「そりゃお前がインしてきたからだろ。病気か事故じゃねえかって心配してたからな」
「……え」

 心配? 鹿花さんが?
 目を丸くすると、ブラパの手が俺の顔の前まで上がってきて、鼻先をピンと弾かれた。

鹿ルーは性悪だが薄情じゃねえよ。普段バカ真面目なテメエが連絡もなくインしてこねーんだから、何かあったんじゃねーかって心配すんのは当然だろうが」

 勝手な誤解してんなよ、と叱られ、戸惑いながらもそうだったら嬉しい、と思ってしまう。
 ……けれど……。

「いや、でも……その、だとしても迷惑なことに変わりは……」
「だぁから、何度言わせりゃ気が済むんだ? 弱いと迷惑なら全員迷惑なんだから目クソ鼻クソだろうが」
「でも、俺は……その、特別弱い部類っていうか……!」
「まだ言うか」
「弱い中でももっと弱いというか、ブラパから見たらドングリの背比べかもしれないですけど、俺ドングリからしたら鹿花さん達は栗っていうかっ」

 熱弁をふるえばふるうほどブラパの目が冷めたものになってきて、とうとう途中でブラパの手に口を塞がれた。
 おかげで自由になった手でブラパの袖を引くが、もう片方の手に両手を纏めて捕獲し直されてしまった。

「お前、なんでそんな必死なんだよ」

 呆れているとも、疲れているようにも聞こえる声音に何故だか胸が痛くなる。
 こうして駄々を捏ねる時間すら迷惑なのだ。
 つくづくどうして、俺は配慮が足りない。

「俺は、もう……迷惑を、掛けたくなくて……」
「迷惑だなんて誰も言ってねーし、言う奴がいたらそいつを追い出すっての」
「だからそういうのが迷惑だって話です。俺みたいな実力の無い下手くそが、ギルマスのエコ贔屓で正規のギルメンさんに迷惑をかけるのが嫌だっていう……」

 ボソボソと言い訳みたいに俺が言葉を重ねると、しばらくブラパは無言になって。
 そしてしばらくして、「ああ、アレか」と何かに気付いたように舌打ちした。

「アレ……?」
「お前、あのペアだったクソの言ったこと、まんま真に受けてんだろ。馬鹿かよ」
「っ……!」
「弱いっつったってお前、自分がソロコロ何位だか忘れたのか? ソロで7位まで上がれるお前を100位以下に落とせるド下手にピーピー喚かれたくらいで、ナニ気にしてんだお前は」

 指で頬をつつき回されて鬱陶しいのに、声が詰まって出てこない。
 ブラパならそう言ってくれるだろうと予想した慰め、そのまま。
 けれど今なら分かる。
 それは『ブラパが言いそうなこと』ではない。
 『俺が言って欲しいこと』だった。
 他人がそう思うんだから俺がそう思っても良いんだと、許可が欲しかっただけだ。
 武内の所為じゃない、なんて必死にいい子ぶろうとしたのに、結局心の底では武内を恨んでいる。
 目を逸らしたかった自分の卑怯さをブラパの慰めに暴かれたようで、必死に頭を振った。

「違います……! 俺は、……俺が、下手だからっ……!」

 実力の無さを痛感したんだから、もうこれ以上傷付きたくない。
 自分の性格の悪さなんか直視したくない。
 他人と関わるとすぐこれだ。
 短慮で人を不快にさせて、嫌われたことに傷付いてまた殻に籠る。
 何十回繰り返せば済むんだろう。学習能力が無いのだろうか。
 人と関わるのをやめればいいと分かっていた筈なのに、性懲りもなく……。
 握った拳を震わせる俺の腕を、ブラパは落ち着けとでも言うようにゆっくり叩く。

「お前はほんっと、分かりやすいね。いつもそんな全力で生きてて疲れねーの?」

 後ろから寄ってきたブラパが俺の頬や耳に額を擦り付けてきて、甘える猫みたいな仕草にぐっと唇を噛んだ。

「別に、全力でなんて……」
「全力だろ。真っ白か真っ黒の2択しか選べねぇでよ。世の中ほとんどグレーで出来てんだぞ」
「…………全部に白黒つけたいわけでは」
「自分に対してもやめてやれって言ってんの」

 抱き締めてくるブラパの身体は温かい。
 VRだから体温が移ったりする訳ないのに、俺の身体が温められているような気分になる。
 耳元で囁く声は低い地鳴りみたいで聞き取り辛く、素っ気ないのにちゃんと届く。
 ブラパの言葉は、ただ俺の為のもの。
 むずかる俺を宥める為に、俺を俺以上に理解してくれているもの。

「あのペアの野郎が言ってたことが全部嘘だとは言わねえよ。実際お前は弱いし、俺の弟子だっつぅにはまだまだ実力が足りてねぇ。でもお前だけが特別迷惑になるほど他の城戦メンバーに劣ってるって事もねぇ。全員俺の望むトコまできてねぇ。伸び代って話なら、むしろお前が一番あると思ってんだぞ」

 これは毒だ。
 甘い、甘い、甘過ぎる毒。
 即効性で、しかも依存性が強い。
 こんな美味しい毒をくれる人の傍にこれ以上いたら、きっと見捨てられた時に今以上に絶望してしまう。
 だから駄目だ。

「ボイス操作オ、……ッ」

 指のモーションでマイルームへ逃げ出そうとしても失敗するだろうと早口でボイス操作に切り替えようとしたのに、素早くブラパの手が口に押し込まれて途中で声が途切れる。
 上の歯と下の歯の間にブラパの手の甲が横向きに挟まっていて、彼の手を舐めてしまいそうになって舌を奥に引っ込めた。

「褒めてやってんのになんで逃げんだよ」

 苛立ったような声に肩を縮こめ、がじ、と歯の先で軽くブラパの手を噛む。

「俺の話が信じらんねぇってのか?」

 がじ、とさっきより噛んで答えた。
 信じられないんじゃなくて、信じたら沼りそうだから、だが。
 ブラパから逃げたいという意味では同じことだ。

「なんでだよ。俺がお前に忖度するとでも?」

 がじ。

「するって? なんで? ……ヤリモクでか?」

 がじ。

「そりゃ甘やかしはするがな、試合に関することで煽ててやったことはねぇだろうが」

 ……がじ?
 首を傾げるとお返しみたいにがぶりと耳に噛みつかれて飛び上がりそうになった。

「ねぇっつの。それやったら流石に鹿花がキレるし、俺だってコロは本気でやってんだ。そこに関して手は抜かねぇ」

 疑うな、と恫喝するような声で責められ、けれどブラパの手を二度噛んだ。
 ブラパは数秒無言になって、それから俺を拘束する両手に力を込めつつ低く唸るように言葉を吐いた。

「なんだ、おい、今のは。NOってか?」

 がじ、と一度噛む。

「1回がYES、2回がNO? 映画でよくあるシチュエーションだな」

 がじ。

「それで? ……もう一度聞くが。俺の言葉は信じられねぇってのか?」

 ……がじ。
 振り向かなくても怒気が背後で渦巻いている気配がして、ブラパがキレかけているのを察せる。
 だが彼の言葉を簡単に肯定は出来ない。
 今を逃したら、今逃げなければ、俺はきっとずっとブラパに囚われてしまう。
 よく分からないけれど、そんな危機感が明確に俺にフラグを教えてきているから。

「…………なんで」

 どうして俺の言葉を信じないのか。
 訊いてくるくせに、口の中の手は微動だにしない。
 答えられないのだと舌先でブラパの指をつつくと、彼は「逃げようとしたら縦に突っ込んで喉奥可愛がってやるからな」とおぞましい脅し文句を投げてからゆっくりと俺の口から手を外した。
 口の前で指の先がこちらに向くのを見て背筋を寒くしながら、一度唇を舐めて唾を飲む。

「ブ、……ブラパは、VRだけの人で、……武内は、現実リアルで知ってる人だから、です」

 我ながら嫌な逃げ口上だと分かっている。
 VRにいるのも同じ生きた人間に違いないのに、現実だけが現実で、VRは全て虚構だと断じる勝手過ぎる暴論。
 俺が言われたらきっと、その人とはもう関わらない。
 だって根本的な考え方が違い過ぎるから。
 VRが嘘で出来ているとしても、それは人の為の優しい嘘なのに。
 テレビのニュースや教師、講師、短期バイトで関わった少し上の世代の大人たち──彼らが一様に警告のつもりで言ってきた「VR内の人なんて信用出来ない」という台詞を、まさか自分が口にする日が来るとは思ってもみなかった。
 非常に苦々しい気分で、けれどここまで言えばきっと諦めてくれる筈、と思っていた。のだ、けれど……。

「お前、どこ住み」
「……え?」
「どこに住んでんだよ」
「え、いや、個人情報……」
「現実で会わねぇと信用できねぇんだろ。行ってやるから教えろ」
「へっ!?」

 まさかの事を言い出されてオロつく俺の前に、ブラパがサブモニターを出して日本地図を表示する。

「どのへんだ。ほら、最寄り駅でいいから教えろって」
「えっ、いや、あのっ」
「イントネーションが関西じゃねえよな。北海道ならこの時期はもう雪降ってるからお前からその話題が出てるはず。出てねぇってことは雪が降らねぇ関東か、まだ降ってない太平洋側の東北か……」
「勝手に考察始めないで下さい!」
「ちなみに俺はここ」

 これまでの会話で居住地域を割り出そうとするブラパに焦るのに、彼の方は地図を数度拡大させたかと思うと駅にピンを立てた。
 北関東に位置する県の、県庁所在地からは離れているけれど新幹線やモノレールのハブでもある、そこそこ大きな駅。

「あ、え、えぇぇ……?」

 ブラパの顔を振り返って直接見て、そこに余計な意図を読み取れず更に困惑する。
 何故ならそこは、俺が今インしてる『ドリームラボ』店舗が入ってる駅なわけで。

「なんだ? 遠いとか気にすんなよ。金にゃ困ってねぇ」
「いや、え、いや、その」

 ピンポイントで俺の最寄り駅を当てて揶揄われるかと思ったのに、どうやらブラパにそのつもりは無さそうだ。
 ……そんな偶然、あるかぁ……?

「俺も、その駅が最寄りなんですが……」

 首が辛いのを我慢しつつそう言うと、ブラパはきゅっと眉根を寄せて俺の鼻の頭を指で弾いてきた。

「イタッ」
「ガキが妙な遠慮してんな。俺の都合でお前に会いに行くだけだ」
「いや、あの」
「今お前に抜けられたらマジで困るんだよ」

 俺を見るブラパの顔が急に真剣みを帯びて、それから困ったように眉をハの字にして笑う。

「DragOnさんもお前に期待してるっぽいしな。……ほら、本当はどこだ。ワンチャン沖縄とかか? 今からで飛行機取れっかな」
「あ、いや、あの」

 ブラパは完全に最寄りが同じだというのを信じていないらしい。
 もう一つサブモニターを出してそっちで飛行機の予約サイトを開き始めたものだから、慌ててどうやって証明しようか考えて、プロフィール欄を思い出した。
 他人に見える部分ではないから、開いて視野保存スクショをかけて、保存した画像をサブモニターに表示させてブラパの目の前に差し出す。

「なんだ?」
「それ、今スクショしたやつです。ログイン状況の欄に店舗名書いてあるでしょう?」
「……『ドリームラボ@@@ 土洗みらい駅店』……マジで?」
「マジなんです」

 びっくりですよね、と俺が言うと、ブラパも目を丸くして俺とサブモニターを交互に見て、そして「世間は狭いっていうが……」と顎を撫でた。

「まあ、地球の反対側の奴もいるんだから、近所の奴もいらぁな」

 いつもながらブラパは納得が早い。
 俺がまだ半信半疑でいるのに、新幹線の時刻表を見ていたサブモニターでまた何か調べ出したかと思えば、俺の前に「どこがいい?」と投げてくる。
 何処とは? とサブモニターに目をやれば、ピンク色のゴシック体で『ラブホテルSearch』という文字が見えて叩き割る勢いで弾き返した。

「ッ、なっ、なん、何をっ……!!」

 急激に熱くなった耳の後ろでブラパはクックックと笑い、揺れの大きさで俺までぐらぐら揺らされる。

「なんだよ。どうせ会うなら遊んでくれてもいいだろ?」
「……っ……!」
「お? 嫌だって言わねえって事はオッケーか?」
「ち、違いますっ! 驚き過ぎてっ……きゅ、急にそんなこと、言うからっ!」

 会う、と言っても、それがイコール性行為に繋がるとは思わないじゃないか。
 まだVRでだってキス以上はされていないのに、現実で先に……?
 考えるだけでじっとしていられなくなって、身をよじってブラパの腕の中から逃げようとしたのに即座に絡んできた腕は簡単に俺の自由を奪ってしまう。

「急に言ったら現地で今みてーに叫び出しそうだから、事前申告してやったんだろ」
「へ、………………ほ、本気ですか……!?」

 冗談で揶揄っているんじゃないのか、とブラパを振り向くが、あいにくと彼は俺の頸に噛み付きにきた所だった。
 首の真後ろの皮膚を軽く噛まれ、べろりと舐められて背筋にゾッとしたものが駆ける。
 嫌じゃない。
 嫌じゃないけれど、……怖い。

「ブ、ブラパ……、あの、俺……っ」
「明日、……そうだな。10時に東口のモニュメント前でどうだ」

 なんか予定あるか? と訊かれ、明日は日曜で大学が休みなので首を横に振った。
 ブラパと会うこと自体は、緊張するけど嫌ではない。
 けれどその後ホテルに……となると、名状し難い感情に襲われる。
 嫌かといわれれば嫌でもないし、けれど嬉しいかと訊かれても答え辛い。
 怖いけれどブラパならとも思うし、ブラパだからこそ怖いとも思う。
 VRですら結局逃げ切れなかったのに、現実でまで捕まってしまったら?
 ……ああ、どうしよう。そうなる未来しかない気がしてきた。

「あのな」

 ぎゅ、と抱き込まれ、渦巻く思考から現在に返ってくる。
 ブラパは俺の腕を撫で、そして微かにため息を吐いた。

「無理、って思っても、とりあえず声は掛けろ。無理やりどっか連れ込んだりしねぇし、怒りもしねぇ。怖かったら目の前の交番でお巡りに声かけてついてきて貰ってもいい。声だけ掛けて、それから帰れ」
「え……?」
「現実の俺はこんな小綺麗な見た目じゃねぇからな。デブで不細工で、ガラも悪い」
「……柄が悪いのはここでもそうですが」

 俺が突っ込めば、いつもならまた鼻を弾いてきそうなブラパはしかし何もせず、ただ「もっとだよ」と疲れた声で言う。

「あとでけぇ。たぶん一発で分かる」
「そんなに……?」
「そんなにだ。だから、一声掛けてけ。来ねえやつ待ち続けんのは……キツい」

 なんとなくだが、過去にそんなことがあったのだろうと予測出来て──急に胸がムカムカしてきた。

「俺だって不細工です」
「……あ?」
「会ったら抱こうなんて思わなくなりますよ、きっと。というか、VRこっちでキスするのも嫌になるかもしれません」

 俺より先にブラパと現実で待ち合わせして、ブラパとそういう事に人がいる。
 そう思うだけで無性に腹が立って、ブラパの腕から抜け出そうとバシバシ叩くが、ブラパは慌てたように俺の手の甲を撫でて宥めようとしてくる。

「いや、俺は見た目にこだわり無ぇし」
「亀は無理だったでしょう」
「お前現実でも亀なの!?」
「……そうじゃないですけど……」
「驚かすなよ。大丈夫だ、人間のナリしてりゃ抱ける」
「自慢げに言われても」

 なんだか納得いかない、と唇を尖らせれば、ブラパは俺の頸の上でククッと笑ってからまた噛み付いてきた。
 がり、がり、と犬歯が皮膚に軽く埋まる感触が、明日には本物になるのだろうかと思うと顔が熱くなる。

「本っっっっ当に、クソデブで不細工だからな? 想像の5倍くらいでけえからな?」
「俺の中でブラパがスカイツリー超えましたけど本当にそれくらいあります?」
「等倍の俺がでかすぎる」
「だってでっかいって言うから……」
「限度があんだろ恐竜か俺は」
「ティラノっぽいですよね」
「ステゴサウルスだろ。草食だし」
「誰が!?」
「俺だよ」

 下らない冗談を言い合ううち、いつの間にか背中がベッドについていた。
 後ろから横に移動してきたブラパが覆い被さってこようとして、躊躇うように途中で止まって俺から顔を逸らす。
 ……むかつくなぁ。

「ブラパ」

 服の袖を引いて呼べば、ブラパの視線が俺に戻ってくる。
 ブラパに怖がるような目をさせる、過去の誰かに殺意が湧いた。

「俺のこと、本当に邪魔じゃないなら……明日、ちゃんとそう言って下さいね。肉声じゃないと信じられないので」

 俺の為に俺と会ってくれるのに、待っている間に他の人との過去を思い出されるのは嫌だ。
 俺のことだけ考えていてほしい。
 俺にどんな事をする気だとしても、想像の中の俺がどんな事をされても、ブラパの頭に他の人が居るよりずっといい。

「何十回でも言ってやるよ。ちゃんと来たらな」

 ぐしゃっと乱暴に俺の頭を撫でたブラパに、ぎゅっと抱き付いた。


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まりも13
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フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

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