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01 二つの世界
しおりを挟むごくり、唾を飲む。
その小さな音すら聞こえてしまったらどうしようという緊張感の中、そっと銃口を上げた。
息を殺し家屋の外壁とそこに立て掛けられたトタン板の間から見える景色に集中する。
残り3人。
全体マップを一瞬開いてすぐに消した。脳裏に見えた風景が十秒前に見た時とどう違うのかを確認し、ここより少し東の方で街頭が折れているのに気付く。
その辺りで戦闘があったなら、俺の射線の向こうにチラチラ見えている敵は一人で間違いない筈だ。
こっちのを倒して、そうしたら向こうの二人と戦闘、もしくはあっちで勝ってきた方と戦闘。
そう目算をつけ、視界をよぎった青色の戦闘服を着たプレイヤーに向けて引き金を引いた。
ターン、と高い音が響くと同時に青い服が丸く膨れて弾け飛ぶ。
この『コロシアム』というゲームモード中、プレイヤーはゴム製で、攻撃が当たると風船の如く膨らんで爆発、という設定だ。
片手武器(小)なら5回、片手武器(中)で3回、両手武器や銃火器なら1回当たればプレイアウト。
撃つと同時に走り出し、近くの木陰に身を潜ませようとした。
「え……っ」
耳をつんざくような轟音と共に、視界に大きく『プレイアウト』の青文字が光る。
瞬時にアバターが待機ルームへ飛ばされ、何が起こったのかと目を白黒させる俺に小さな冷笑や嘲るような視線達が浴びせられた。
「やっと死んだよ」
「ルールギリギリだけど、まあアレは仕方ないよな」
「亀砂マジでうぜぇもん」
囁くように小さく、けれど俺に聞かせる気満々の言葉たちに内心だけ傷付きつつ、表情は変えず続行中の戦闘エリアをサブモニターを出し確認すると、ついさっきまで俺がいたエリアの直径10メートルほどがクレーター状に凹んでいた。
木々も建物も綺麗に吹き飛ばされた様相に、戦車から爆撃されたのだとすぐ思い当たる。
けれど、戦車が落ちているのはマップのちょうど中央あたり。
東で戦闘中だった二人のうちどちらかが乗り込んで撃ってきたのだろうが、それにしては移動が早すぎる。
どういうことだろう、と囁き声たちの不穏さを気にしつつ戦闘ログを巻き戻して確認すると、東の街灯を両手剣を振り回して壊している二足歩行のライオンが現れた。
……やられた。
心の中で舌打ちをし、周りの囁きの意味も理解してため息と共に待機ルームからの退出ボタンを押した。
2秒ほどロードが入り、自室へ戻ってくる。
極楽鳥の羽毛入りベッドへダイブすると、数回ぼよんぼよんと大きく跳ね、大きなため息と共に身体は沈んでいく。
自分のプレイが鬱陶しがられることは分かっている。芋砂──俗に芋虫スナイパーと呼ばれる、芋虫の如く這い安全圏から狙撃ばかりする行為が決して誉められるプレイでないことなんて。
けれど、戦闘ゲーム経験が少ない俺にとって、勝率を重視するとどうしても狙撃が一番確実になってしまう。
きっと今の試合でも俺が鬱陶しかったんだろう。
ソロモードでは他プレイヤーとの共闘は御法度だが、今のはどう考えても東のライオンは陽動だった。
そこで戦闘していると見せかけて油断した俺が狙撃するのを待ち、音を聞いて戦車で待機していたプレイヤーが周辺一帯を爆撃。
組み撃ちと言われても仕方ない動きだが、言う人はいないだろう。何せ対象が俺だから。
昔飼っていたペットからとった『亀吉』というプレイヤーネームも相まって、最近では『亀砂』と揶揄され悪い意味で名前が知られてしまっている現状に、憂鬱さが増していた。
俺だって別に、コロシアムなんてやりたくてやってるんじゃない。
出来れば対人戦なんてやりたくないし、少し前まではレベル上げに推奨されているモンスターとの戦闘すら避けて鉱石掘りやポーション作りの生産を楽しんでいたような、のんびりセカンドライフ系プレイヤーだったのだ。
「な~んで、よりにもよってコロ報酬かなぁ……」
サブモニターを開き、コロシアムポイントを確認する。
さっきの試合で3位だったから、試合前より3ポイント増えていた。
ソロプレイヤー50人でバトルロイヤルするモードでは、3位が3ポイント、2位が5ポイント、1位で10ポイント貰える。
5人1チームでのチームロイヤルはもっとポイントが多いのだが、一度だけ試しにやった野良マッチで味方から手酷い扱いを受け、それから一切やっていない。
毎日プレイしているのに微々たる数字しか増えていかないポイントを恨めしく見つめ、そこから『報酬一覧』のボタンを押す。
ずらりと並ぶ特別なアイテム、その横には交換ポイントが記載されている。
縦長の報酬一覧をスクロールし、下の方にあるアイテムの所で指を止めた。
それは、掲示板では『誰が欲しがるのか不明』『ポイントを無駄遣いしたい人向け』などと呼ばれていたが、俺にとっては喉から手が出るほど欲しいもの────『スキンカラー:緑』。
ため息を吐き、ベッドに寝転がったまま自分の両手を仰ぎ見る。
緑色の水掻きのついた手。……に見せかけた、手袋だ。
足も緑の『水掻き靴』、頭は緑に変色して若干の修正を加え亀に似せた『トカゲ頭(改)』、背中には『甲羅(大)』、服は『ツナギタイツ(緑)』。
生産レベルを上げコツコツ服飾品を自作して、遠目から見ればもうほとんど亀といっていい。
が、どうしても、服と頭や手足パーツの繋ぎ目、デフォルトの肌色が露出してしまう部分だけ薄橙色が見えてしまっていた。
あとこれだけで、亀吉になれるのに。
大好きだった祖父が老人ホームに入ることになり、「連れていけないから世話頼むぞ」と言って託された亀吉は、祖父が小学生の時に夏祭りで取ってずっと飼っていると聞いていた。
それが本当だとしたら80歳を超える長寿亀ということになるからさすがに嘘だろうが、可愛がって大事にしているのは本当だった。
甲羅が直径30センチを超えるミシシッピアカミミガメの『亀吉』。
俺も昔から大好きだったので、預かってからは毎日のように水を換え甲羅を磨き水槽を洗ってやっていた。
が、祖父がホームに入った一ヶ月後、ぽっくり逝ってしまった。
泣きながら俺が報告しに行った時は「勝ったな」なんて笑っていた祖父も、それから半年もしないうちに亡くなってしまった。
当時中学に上がったばかりの俺は、俺が亀吉をうまく世話出来なかったから祖父まで死んでしまったんだと相当に病んだ。
学校に登校出来なくなり、部屋から出ることも食事を摂ることもせず日がな一日ずっと亀吉と祖父のことばかり思い出して泣く俺に、困り悩んだ両親が半死半生の俺を部屋から引きずり出して連れて行ったのが、当時稼働されたばかりのVR施設『ドリームラボ@@@』だった。
『ドリームラボ』はそれまでのウェアラブルVRではなく専用ポッドに乗り込んで睡眠状態で脳に繋ぐ最新式で、視覚聴覚だけでなく触覚や嗅覚、味覚までもがデジタルで完璧に再現されるという、まさに夢の筐体だった。
そのドリームラボの中で俺は、両親が事前に施設に相談して設定していた、データの『亀吉』と再会した。
生前の写真から作られた『亀』は亀吉とそっくりで、けれど『一般的な亀』の生体反応をするそれは『亀吉ではない』ものだった。
冷たく硬いデータの亀を抱いてドリームラボの中で半日ほど泣いて過ごし、そして現実に戻ってきた俺は両親に謝った。
俺が正気を取り戻すともう祖父の一周忌が目前まで迫っていて、再び登校するようになった学校では『入学すぐ不登校になった豆腐メンタルの奴』として教師からもクラスメイトからも腫れ物扱いされ、結局すぐ保健室登校になった。
俺を知らない所に行って『普通』に戻りたい、と高校は少し背伸びをして家から遠い都会にある進学校を選んだら、それがまた失敗だった。
学力は問題無かったがコミュニケーション力が足りず、色々な意味で遊び慣れた都会っ子にとって俺は勉強しか出来ないつまらない存在でしかなく、一人として友人と呼べる人は出来なかった。
そして今現在の大学はといえば、現実の俺は高校の時とほとんど変わらない。
大学舎で講義を受けるのも一人なら、昼食を摂るのも一人、帰るのも一人。
声を掛けてくる人もいなければ、俺が声を掛ける相手もいない。
一人でいることにももうすっかり慣れてしまって、今さら悲壮感も感じない。
それに加えて当時は専門店でしか体験出来なかったVR世界が一般に広く認知され、もう市街地ではカラオケ屋や歯医者より店舗数が多く、もはや十代でアカウントを持っていなければ「ジャングルの奥地にでも住んでるのか」と揶揄われるレベルになったのも大きい。
亀吉の一件以降VRに興味を持っていた俺は勉強の合間に自作アバターを作るのが趣味になって、最近では作ったデータを専用サイトで売ったりもしている。
もう現実で人と顔を突き合わせて働くことこそが現実的ではないと思っているので、なんとか大学卒業までにこのアバター作成を職にしてしまいたい。
ドリームラボは一家に一台くらいの気軽さで買えるほどの値段まで落ちてきていて──とはいえ、最低スペックでも普通車一台分は軽くかかる──目下、一人暮らしとその家にドリームラボを置くのが俺の目標である。
家にドリームラボを置いたら、今ログインしているワールド『LOKI IN HAPPY WORLD』に常時ログインして、ここでアバターを作って、それを売って現実のお金にして、一生ここで暮らすんだ。
ぎゅ、と水掻きのついた手を握る。
テレビのニュースでは連日『若者の現実離れ』が嘆かれているらしいけど、そんなの知ったことじゃない。
だって俺くらいの年頃はテレビなんか見ないし。
知らない所で知らない人たちが話して、知らない知らないって喚く。
馬鹿みたいだ。
そんな現実に戻ってきたい人なんているわけないのに。
ベッドの上で身を起こすと、チチチチ、と軽やかな声で青い鳥が鳴きながら部屋の中を飛び始めた。
終了五分前にかけたアラームだ。
軽くアイテム整理と生産中のアイテムの残り時間を確認し、ログアウトのボタンを押す。
ふっと意識が遠のき、戻ってくる。
自覚としては数秒だが、現実の体が腕に嵌めている情報端末の時刻表示を見ると三分経っていた。
ポッドタイプは従来のウェアラブルタイプと違って脳への影響が大きいからうんちゃらかんちゃらで、現実に戻ってくる時に多めのクールタイムが設定されている。
ポッドの内ノブを押して外に出ると、係員が「おはようございまーす」とだるそうに声を掛けてきた。
今日はハズレの日だ。
苦々しく思いながら出入口のゲートへ行き、腕の端末で支払いを済ませる。
「ありがとうございました、またどうぞー」
ちょっと気の利いたいつもの店員なら、ポッドから出れば「いらっしゃいませ」で店を出る時は「いってらっしゃーい」なのに。
黒髪を緩く巻いた中年の女性店員は、客の監視が仕事だろうにいっこうに視線は手元のタブレット端末から上げてこない。
俺たちの親世代だろう辺りの人たちは、VRは怖いだの危険だの言うくせに、平面端末でワールドに入っている。
虚構に現実を作ろうとしているのはどっちも同じなのに、どうしてわざわざ不便で現実感の少ない方を選ぶんだか。
店から出ると、ふわりと何かの匂いがした。
爽やかで、軽く甘い。
なんの匂いだろう、と視線を振り、遠くに金木犀の木を見つけた。
VRワールドの中でなら、きっともっと匂いが濃い。
あちらの世界のオブジェクトは作った人の好みや感性が如実に出るから、素人が作る物のほとんどは色々やり過ぎだ。
現実には白に近い薄桃の桜の品種でも真っピンクが多いし、ケーキは激甘、コーヒーは激苦、激辛は食べた瞬間に舌を切り落としたくなるほどの超激辛。
でも、それがいい。
現実では病気で食事制限が必要な人もアレルギーを持つ人も向こうでは好きな物を好きなだけ食べられて、身体的な理由で動けない人すらも自由に走り飛び回れる。
綺麗で楽しくて何不自由無い世界から、小汚くてつまらなくて不自由ばかりの現実へ戻ってくると、毎度のことながら『お金を貯めるぞ』という覚悟があらたになった。
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