神は絶対に手放さない

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神を裏切り貴方と繋ぐ

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「なー志摩宮、昼飯何にする?」
「香月行きましょ」
「またかよ。お前ほんとあそこ好きだよな」
「毎日でもいいですね」

 マジかよ、と笑って、外出の準備をする。着替えて財布を持って、それをデニムのポケットに突っ込むと腕時計を腕に巻いた。しばらく使わないうちに一度止まってしまっていたのだけれど、時計屋でネジを巻いてもらったらまた動き出してくれた。
 靴を履きに玄関へ向かうと、顔を洗って洗面所から出てきた志摩宮が「待って下さいよ」と苦笑して、彼が服を着るのを玄関に立ったまま待つ。

「あ、悪い、エアコン消して」
「外出るの、一時間くらいでしょ? 消す方が電気代かかりますよ」
「そういうもん?」
「そういうものです」

 へぇ、と感心しながら、少し玄関ドアを開けて外の天気を窺った。途端にムワッとした熱気が入り込んできてすぐに閉める。
 八月に入って、暑さも本格的になってきた。今年は冷夏だとかで梅雨が長引いて、こうして夏らしくかんかん照りになるのは最近になってからだ。
 冷えた部屋から出るのが途端に億劫になって部屋の中に視線を戻すが、それを見て志摩宮が呆れた声を出した。

「ダメですよ、静汰。絶対行きます」
「う……」
「聞いたのは静汰です。俺もうラーメンの腹ですもん。引き摺ってても連れて行きますからね」

 志摩宮はそう言って玄関で靴を履くと、俺の手を取ってドアを開けた。湿度も温度も高い空気に志摩宮も顔を顰めたくせに、その足はしっかりと外のコンクリートへ進められていく。

「分かったから手ぇ繋ぐのよせって。外は恥ずかしいだろー」
「俺は全然恥ずかしくないです」

 羞恥心は無いのか、と言おうとして、前に徹さんにも似たような事を言ったな、と思い出して言葉に詰まった。

「……俺は恥ずかしいんだよ」

 バカップルみたいで、と濁したら、志摩宮はため息と共に手を離してくれた。
 ドアを閉め、鍵を掛ける志摩宮にそれとなく背を向けて、空を見上げる。
 去年の今頃、俺は徹さんに誘拐された。思い返してみれば、一年も一緒に居なかったのだ。それなのに、徹さんは今も俺の中にいる。俺の中の一番良い場所で俺を縛りつけて、志摩宮へ向かいそうになる心を黙って見ている。

「暑いな」

 気が付くと徹さんのことばかり考えてしまうのが嫌で、どうでもいいことを呟いた。

「夏ですからね」

 応じた志摩宮も空を見上げて、二人して鉄板のように熱されたコンクリートの上を歩いて駅の方へ向かう。

「で、決まりましたか?」
「……」

 志摩宮の言うのが名前のことだと分かっていて、俺は黙ったまま肩を竦めた。横から深いため息が聞こえるけれど、しょうがないじゃないか、と俺もため息だ。

「だって、志摩宮って、しまみや! って感じだし。今更他の名前ってのも思いつかないって」

 出来るだけ良い名前を付けてやりたい気持ちは確かにあるのだけれど、どうもしっくりこないのだ。ショウという読み自体は問題無いから漢字を変えるかとも思ったのだけれど、呼ばれる度に『本当の名』として思い出しそうな気がして却下した。
 難しい。本当に難しいのだ。

「……ならもういっそ、シマミヤにしましょうか」
「は?」
「上も下も志摩宮、で」

 それは流石にダメだろ、と冗談として流そうとするのに、志摩宮は自分で言って納得したみたいに頷いて、「割といいかも」などと笑っている。

「いや、ダメだって」
「なんでですか。俺、しまみや! って感じなんでしょ?」
「そうだけど、そうじゃなくて」
「就職して中高の時の奴とかに会ったとしても、名前も志摩宮なら納得されるでしょ。下手に普通の名前にすると「なんで昔は隠してたんだ」って詮索されそうな気がしてたんスよね」
「あ~……」

 確かに、そんな気がしないでもない。だったら少し非常識な感じの名前にしようか、とまた考え直すのに、何故か志摩宮は『志摩宮』に納得してしまったらしい。

「中途半端に変な名前にされるくらいなら、志摩宮でいいです。それに、何より静汰が呼び易いのが一番ですし」
「そういうもんか……?」
「良いか聞いてみます」

 志摩宮は歩きながらスマホを使ってメールを書き出したので、他の通行人やポールにぶつからないようにそれとなく腕を掴んで引いてやる。世話が焼ける、と思っていたら、急にゾク、と背筋に悪寒が走った。
 なんだ? と周囲を見回すけれど、入れっぱなしにしてある霊視でも何も見えない。物の怪の気配も無いし、悪霊もいなさそうだ。

「静汰?」
「え、あ、いや……なんでもない」

 キョロキョロと辺りを見回していたら志摩宮が一度足を止めてくれて、一緒に周りを見るけれどやはり何も居ない。気のせいだろうか。
 メールの送信を終えた志摩宮とラーメン屋に向かい、昼食をとった。
 帰り道、志摩宮が買ってくれたスマホに着信があったのでその場で受けた。

「はい。……はい。そうです。……そうですか。いえ、ありがとうございました」

 十数秒だけの着信を切ると、隣の志摩宮が悲しそうな顔をする。

「またダメでしたか」
「あー、うん。やっぱ中卒だと難しいかな」
「無理して働かなくても、俺、割と金だけは貰ってますから大丈夫ですよ?」
「俺がヤなの」

 バイトの面接を受けた店からの断りの電話で、肩を竦めつつ顔は笑ってみせる。悲しむのは俺より先に志摩宮がやってくれた。

「やっぱ蛍吾に仕事回してもらうしかねーかなぁ」

 蛍吾は今、形骸化して名前だけになった『トナリグミ』を捨てて独り立ちして霊媒師として仕事をしながら行方不明になった妹の沙美ちゃんと父親の蘭童さんを探しているらしい。俺も蛍吾も高校に通い続けている余裕は無く、中退したのだ。
 たまに連絡がくるけれど、まだ二人の手掛かりは掴めていないらしい。久しぶりに連絡した時はそれなりに怒られたけれど、彼より紋を使えるようになったぞと自慢したら一緒に働けと誘われていた。

「俺が卒業するまではダメだって言ったでしょ」

 まだ学校に通っている志摩宮が、自分が帰宅して俺が居ないのは嫌だと言うので、志摩宮が卒業するまでは延期になったのだが。
 働かないでダラダラ生活するのは性に合わない。それこそ、徹さんの家に居た時のように何か勉強でも出来れば違うのだけれど、志摩宮は俺が何かしようとするのをすごく嫌うのだ。出て行く努力に感じて不安で苦しいのだと言われてしまっては諦めるしかないのだけれど。
 志摩宮が学校に行っている間だけの短時間のバイトですら最初は嫌な顔をされて、それでもどうにか説き伏せたのに、中卒で短時間、しかも平日のみと言うと面接の時点で駄目そうな雰囲気になる。
 感覚を忘れないように志摩宮の不在時には紋の練習はしていたのだけれど、夏休みに入った志摩宮は片時も俺の傍を離れようとしない。使わな過ぎて俺の中で霊力が腐ってしまいそうだ。
 その辺に漂っていた浮遊霊にそれとなく破邪の紋を飛ばすと、視えていない筈なのに志摩宮が眉をピクリと動かして俺を軽く睨んだ。

「静汰」
「ほら、スポーツ選手とかでも言うだろ、数日サボると感覚鈍るって」

 謝る気の無い俺に、しかし志摩宮は怒るより効果的な方法を知っている。

「……そうやって、また俺を置いて行くんですか。危ないから、見えないから、って」
「連れてくってば」
「……」
「志摩宮。ちゃんとずっと一緒に居るよ、俺」

 寂しそうな顔で俯かれてしまってはそう言うしかなく、周りに人影が無いのと、家まであと少しなのを確認して志摩宮と手を繋いだ。指を絡めると視線が俺の方へ向いて、俯いている志摩宮を俺が見上げる姿勢になって、こいつまた背が伸びたなと少しイラッとした。俺の背はいつになったら伸びるんだ。

「ずっと傍に置いてくれますか」
「ずっとだ」

 目を合わせて答えるとやっと志摩宮は薄く笑って、繋いだ手をくいっと引いて早足で歩きだした。

「おい、またかよ。せめて夜に……」
「今したいんです」

 しょうがねぇなあ、と急かす志摩宮に歩調を合わせてあと少しの家路を急ぐと、また視線を感じた。志摩宮に気付かれないように周囲を見渡すけれど、やはり何らかの気配は無い。……という事は。
 察してしまって、気付かないフリで志摩宮の腕に自分の体を寄せた。

「なあ志摩宮、いっぱいしような」
「……? 珍しいですね。いつもすぐ、もうやめて、って泣くくせに」
「それはお前がイジメるからだろー」

 志摩宮に引っ付くと、面白いくらい殺意めいた視線が刺さってくるのを感じる。
 阿呆め、と思いながら、志摩宮のアパートに着いて中に入ってドアを閉めると、中から部屋全体に箱の紋と、そこに中からの音が外に聞こえなくする紋を掛けた。

「静汰?」
「なんでもない。ちょっと性質の悪い霊がついてきてたから厄除け。そっち準備しといて」
「はあ」

 狭い台所で手を洗ってから冷蔵庫の中のお茶のボトルとコップを二つ掴んで持っていくと、志摩宮の方はもう準備を終わらせていた。
 ベッドの前に置かれた分厚い座布団の上に、俺用のコントローラが載っている。

「今日こそ勝つ」
「そういうの、ちゃんと練習してから言って欲しいんですけど」

 ローテーブルの上にコップを置いてお茶を注いで、片方を志摩宮の前に押しやった。目の前の六十インチのテレビは夏休み前に突然志摩宮が買って帰ってきたもので、理由を聞けば「二人で画面分割のゲームやる時見辛かったから」だそうだ。
 今日志摩宮が選んだゲームは最大八人で同時対戦出来るという人気のやつで、しかし志摩宮は俺と志摩宮以外のCPUを入れずステージも一番シンプルな所を選んだ。

「他のキャラ入れねーの?」
「静汰、たくさん居ると自キャラ見失うでしょ」
「ステージランダムにしようぜ」
「復帰出来るようになってからにしましょ。俺が一歩も動かさないうちに自滅で三落ちするような人とやっても楽しくないんで」

 どうやら俺を気遣っての設定らしいので、言われるがままに始めた。
 ……の、だが。開始五分で俺はコントローラをローテーブルに置いて床に転がった。

「しーまーみーやーきらーーーーい」
「復帰阻止は基本なんで。言葉で説明しても覚えないんだから見て覚えてもらうしか無いじゃないっスか」
「だからってさぁ~~~!」

 いつも通りボコボコにされて、冷たいフローリングに伸びながら床に頬をつけて呻く。

「もうやだ~、他のやつがいい~」
「また始まった。そんなじゃいつまでも上手くなりませんよ?」
「ゲーム上手くなくても死なないし」
「はぁ……。珍しく乗り気だから期待してたのに」

 ぶつくさ言いながらも志摩宮はそのゲームを終了させて、新しいゲームのアイコンを選択した。確かバトルロワイアル方式のTP……てぃーぴー、なんだっけ。なんか英語三文字のやつだった気がするんだけど。

「それ一人用じゃないの?」
「俺プレイするんで、敵見えたら言って下さい」

 あんた目ぇ良いから、と言われて、そういう事かと了解して、ロード中にスナック菓子を取ってきた。
 志摩宮は俺が起きている間は一人用のゲームはほとんどやらないので、アイコンに見覚えはあってもゲームプレイを見るのは初めてだ。俺はのんびりした緩いゲームが好きで、戦争ゲームはあまり好きじゃない。

「人撃つやつ苦手」
「これ、大体アバター変わってるんでたぶん静汰も平気ですよ。……ほら、アレとか熊だし」
「熊? 水色だぞ」
「あっちは魚。あ、ほら、デモゴルゴンも居る」
「デモゴル……? うっわ、きっしょくわる!! なに!? なにこれこっわ!」

 志摩宮の使っている海賊の格好をした魚人が、黒くて細長い謎の生物の周りをクルクルと回ると、その生物は可愛らしい踊りを踊った後、細長い顔をガバッと花びらのように開いた。花弁に沿って細かく並ぶ小さな歯と、ピンク色の粘膜。トラウマになりそうなその容姿に思わず志摩宮の背に隠れると、くくく、と楽しそうに笑われた。

「なに、お前の友達とかなの?」
「へ? 違いますよ。赤の他人です」
「でも、今わざと口の中見せてきたろこの人」
「モーションすると口が開くアバターなんで、これ着てるって事はあの口が好きで着てるんスよ」
「……未知の趣向だな」

 しばらくするとゲームが開始して、志摩宮は画面に集中してしまう。
 その横顔を見つめながら、本当にこいつはこれでいいのかなぁ、と心配になる。
 志摩宮は、俺の一番を目指そうとは思わないと宣言した。恋人にもならなくていい、ただの友人でいい。だからずっと傍に置いてくれ、と。
 神子でなくなったあの日から、志摩宮は俺を抱かなくなった。キスしてくることも、抱き締めてくることも無い。ただの友人がしないことはしなくていい、と言う志摩宮は、ただただいじらしい。
 だけれど、あれだけ熱烈な想いを無理に封じているとしたら、それこそいつか無理が祟って爆発しやしないかと不安にもなるのだ。
 出来れば少しずつ発散させてやれればいいのだけれど。

「……あ、右、今なんか動いた」
「ん。……お、マジだ。さんきゅ」

 俺が右、となんとなく違和感を感じただけの方向に志摩宮はスナイパーライフルを向けたかと思えば、スコープを覗きもせず撃って、一発目が何かに掠ったのを見て二発目でプレイヤーを倒した。

「やば」
「へへ」

 褒めると志摩宮は照れ笑いして、でもその直後に画面の魚人がその場に倒れた。

「おわ、ヘッショ喰らった……」
「へっしょ?」
「ヘッドショット。頭を一発で撃ち抜かれて死んだの」

 あと三人だったのになー、と言いながら志摩宮はコントローラを置いて、コップを持ってお茶を飲む。
 たまに発散させてやろうか。ついでに、あの阿呆な人にも見せつけてやろう。
 パリ、と俺の張った紋が割れる音を聞いて、もう間違えようもなく徹さんが近くに来ているのを確信した。

「志摩宮」
「なん……」

 ですか、と応えようとした志摩宮の言葉が、発されず口の中で消える。俺が彼の股間をズボンの上から握ったからだ。俺の手と股間を交互に見て、困ったように眉尻を下げる。

「あの、静汰」
「ごめんな。志摩宮が俺とトモダチでいようとしてくれてんのは分かるんだけど、俺が限界」
「限界って何が……」

 厚手の布越しにでも、数度撫でただけで志摩宮のソコはすぐ大きくなった。正気に戻ってからするのは初めてなんだけれど、本当にこの大きさのが俺に入ってたんだろうか。俺よく壊れなかったな、と感心しながら撫で続けていたら、志摩宮にその手を止められた。

「静汰、ダメです」
「キツい? 一回手で出す?」

 禁欲を続けていたからそれほど保たないのかと、ズボンのチャックを開けてやると、もうそこは下着のゴムから頭を出していた。

「うわ、ガチガチ」

 ふ、と息を掛けたら、志摩宮に額を鷲掴まれた。彼はゆっくりと首を横に振り、辛そうに俺を睨む。

「静汰」
「俺が気持ちいいこと好きなの、知ってるだろ?」
「でも……」
「大丈夫だって。ずっと一緒。絶対捨てない。えっちもする友達、でいいじゃん」

 な? と志摩宮の露出した肉茎の頭を舐めて言えば、彼は俺の頭を掴む手を緩めた。
 素直。可愛い。志摩宮はすごく可愛い。……どっかの誰かとは大違い。
 亀頭を口に含もうとした時、ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴った。ハッとして顔を上げる志摩宮の膝を抑えつけて、萎えそうになる陰茎に吸い付く。根本までは入らないけれど、半分だけでも飲み込むと志摩宮が困惑しながらも俺の頭を撫でてきた。
 もう一度チャイムが鳴るけれど、今度は志摩宮も気にする余裕は無いのか玄関の方を見なかった。

「静汰、静汰……っ」
「ん……」

 下半分は手で擦るしかなく、志摩宮の様子を窺うように見上げると掌の中の肉がぶるりと震えた。まだ大きくなるのかよ、と呆れるのに、志摩宮は急に俺の頭を掴んだかと思うと、持ち上げて唇を合わせてきた。
 舌が絡んできて、唾液を吸われながら粘膜を舐められる。性急過ぎるキスにらしくない、と思っていると、すぐ近くでコツ、と硬い靴音がした。

「……人の家に土足は無いだろ」
「用があるのはそいつだけだ」

 見上げた先に、見慣れたスーツ姿の徹さんが立っていた。無表情に俺たちを見下ろし、俺を指差す。

「何? お礼でも言いにきたの?」

 俺が笑うと、徹さんは微かに目を眇めて「やっぱりか」と呟いた。

「お前がなんかしたのか」
「あれ? 神様と会ってない?」
「神……?」

 どうやらシマミヤは徹さんには何も言っていないらしい。らしいと言えば彼らしい。恋敵である徹さんにわざわざ親切丁寧に「もう安心おし」なんて言ってやる義理は彼にはない。

「俺を、神子にしたのか」

 さすがに理解の早い彼はそれだけの会話でどうして自分が生きていられているのか納得したようだ。「ご明察」とだけ言って志摩宮とのキスを続けようとすると、ばち、と顔が何かにぶつかった。壁の紋だろうか、指を動かした徹さんの紋を鬱陶しげに解くと、寄ってきた徹さんに肩を掴まれたので即座に振り払った。

「なんだよ。見れば分かるだろ、俺ら取り込み中なんだよ」
「お前、何を対価にした」

 睨んでくる徹さんを馬鹿にするみたいな表情を作って笑うと、彼は一層眉間の皺を深くする。
 馬鹿だなぁ。怒る資格なんか、もうあんたには無いのに。

「俺の全部、だよ。俺はもう全部こいつのもんなの」

 ちゅ、と志摩宮の鼻の頭にキスすると、志摩宮は悲しげに眉を下げた。それでいいのか、と聞かれている気がして、どこまでも俺に甘いやつだなぁと抱き締める。

「そういう訳だから、お礼言うならさっさとして、んで帰ってくれる?」

 志摩宮の後頭部を撫でながら徹さんを見上げると、彼は不気味なくらい一つも表情を変えずに俺を見下ろしていた。なんの感情も見えない瞳が恐ろしくて、怖気付きそうになるが志摩宮を撫でてなんとか心を落ち着ける。
 尻軽さに怒るとか、不誠実だと詰るとか、そうやって激昂するかと思っていた徹さんは、しかしただじっと俺を見つめて、そして。

「静汰。俺はお前を……」

 言おうとした徹さんに、思わず手近にあったコップを投げ付けた。バシャ、と中のお茶が染井川さんのスーツにかかって濡らし、コップが床に落ちて割れる。破片が飛んだ床を見て後悔するのに、我慢しきれず叫んだ。

「ふざけんなっ!」

 志摩宮が宥めるみたいに――いや、俺を応援するみたいに、腕を掴んでいてくれる。

「自分の都合で捨てといて、今さら何言うつもりなんだよ! 都合良過ぎだろ!? 俺はもうあんたなんかどうでもいい! さっさとどっか行けよ!」

 ぼろぼろ、と勝手に涙が溢れてくる。嫌だ。こんな人の為になんて泣きたくないのに。
 言うだけ言ってそれ以上どうしようも出来なくなった俺は志摩宮の首元に顔を埋めて、止まらなくなった涙を隠そうと奥歯を噛み締めた。志摩宮の手が背中をゆっくり撫でて、震える俺を包んでくれる。
 最初からこいつだけにしておけば良かった。そうすれば、徹さんなんて好きにならなければ、こんな思いをしなくて済んだのに。
 感情が昂るのは嫌いだ。自分を制御出来なくなるのは怖い。志摩宮だったら、絶対に俺の求める志摩宮でいてくれる。徹さんみたいに俺を激情のまま叫ばせたりなんかしない。

「……帰って下さい」

 志摩宮が静かな声で言う。俺の代わりに。

「俺が幸せにしますから」

 徹さんが息を飲む音がやけに大きく聞こえて、それから踵を返す靴音が続いた。ガチャン、と今度は玄関のドアが開閉する音がして、帰りはちゃんとドアから出て行くのか、とどうでもいいことに笑ってしまった。
 結局、捨てられる程度にしか執着してくれていなかったのか。生きられると知ったからワンチャン狙って取り返しに来てみただけで。
 またこみ上げてくる涙を押し殺そうとしていると、志摩宮が「良かった」と呟いた。

「……うん。もう、怖くないだろ?」

 もう徹さんへ戻る不安は無いだろうと応じてみると、志摩宮は小さくため息を吐いて首を振った。

「え? ああ、違いますよ。そっちじゃなくて。静汰、全然泣かないから」

 泣いてくれて安心しました、と言われて首を傾げる。なんで泣かれて安心するんだ。普通は心配するだろう。

「俺の前で我慢せず泣いてくれて嬉しい、ってことです」
「……よく分からん」
「静汰だって、あの人が自分の腕の中で泣いたら嬉しいでしょ?」

 言われて思い出して、そういえば、と唇を歪めてから、目の前に志摩宮がいるのを思い出して慌てて笑みを消す。

「ご、ごめん。当て付けに利用するみたいな真似して」
「そーですね。完全に使われましたね、俺」
「ごめん……」
「いいんですよ。それだけ俺があの人にとって脅威だって事ですし。……それに、捨てられる方がどれだけ悲しいか、静汰はちゃんと理解してくれてるみたいですしね?」

 自分がされて嫌だった事をまさかしないでしょ、と言われて、力強く頷いた。

「……というか、今さらだけど、別に志摩宮を捨てたつもりは無かったんだけど」
「誘拐されたのは不可抗力でも、その後連絡取れる状況でしてくれなかったでしょ」

 にこ、と志摩宮に「知ってるんですよ」と微笑まれ、これ以上の言い訳はするまいと口を噤んだ。

「さて、少し早いですけどそろそろ夕飯にしましょうか」

 おそらくは雰囲気を変える為だろう、志摩宮は明るくそう言って立ち上がろうとして、丸出しの股間を思い出して苦笑いした。
 仕舞おうとする手を止めて、そこに顔を寄せる。

「静汰、無理にしなくても……」
「俺がしたいの。志摩宮が可愛いから」
「……可愛いですか、俺」
「すごく可愛い」

 納得出来なそうな表情の志摩宮は、けれど俺の行為を止めようとはしなかった。
 手と口で追い上げているうちに俺の方も盛り上がってしまって、結局擦り合わせて達した。気持ち良かったけれど、中に欲しいとは思わなかったし、志摩宮も挿入れようとはしてこない。気持ち良ければそれでいい。それだけでいい。あの人を忘れるまでは。

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