神は絶対に手放さない

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神を裏切り貴方と繋ぐ

Sー28、想いへの報酬

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 静汰、と呼ぶ声がしたので、読んでいた本から顔を上げ、中断して栞を挟んだ。
 部屋の襖を開けて玄関に顔を出すと、スーツ姿の染井川さんが革靴に足を入れている所だった。珍しい、いつもは朝出て行って夕方帰ってくるのに。今は確か昼飯が終わってから数時間くらいで、たぶんそろそろ暗くなる時間だ。

「仕事? 何時帰り?」
「今日のやつは真夜中にならねぇと出てこないらしいから、明日の朝帰る」

 だから、この前みたいに阿呆な事をやらかすなよ、と染井川さんは俺を振り返って目を細めて笑う。

「分かってるって」

 口をへの字にして襖を閉めようとしたら、ちょいちょいと指で呼ばれたので染井川さんに近寄った。手首を掴まれて引っ張られて、ぎゅっと抱き締められる。俺より頭一つ分は大きい染井川さんの体で包み込むみたいにされて、息苦しくて腰の辺りを叩く。

「くるしい」
「ああ、悪い」

 抱く力が弱まったので顔を上に上げると、見下ろす染井川さんと目が合った。じっと見つめてくる目は優しくて、俺を大事に思っているのは分かる。分かるけど。

「珍しいじゃん、染井川さんからこういう事すんの」

 既に強姦までしておいて、この大人は今更「これ以上ガキを抱けねぇ」なんて言い訳がましい事を言って俺にお預けさせているくせに。前回してから──カレンダーが無いから正確ではないだろうけど──、六十日くらい経っている。
 そろそろ我慢の限界に達してくれたか、と染井川さんの股間に手を伸ばしてみるのに、今日もそこは柔らかく萎えたままだ。

「変なとこ触んな。……おい、まだ」

 まだ足りない、と言う染井川さんの胸を腕で押し、素っ気なく「行ってらっしゃい」と言って体を離した。
 ペット扱いしたいみたいだが、俺は飼い主を全力で待つ犬になんかなってやらない。猫だ。懐かない猫。撫でさせてやるのは俺の気分が良い時だけだ。
 フン、と鼻を鳴らして踵を返すと、後ろで静かに玄関が開いた。革靴が外の土を踏んで、玄関扉が閉まる。ほどなくして車のエンジンが掛かる音がして、砂利を踏みながら走っていった。
 行ってきますくらい言えばいいのに。
 染井川さん相手じゃ喧嘩にもならない。俺がどれだけ染井川さんを拒絶しても、彼はただ受け入れる。いっそちゃんと監禁犯らしく、言う事を聞かなければ折檻される方がまだやりやすい。その方がきっと、俺の精神的には楽だった。
 変に甘やかしてくれるから、染井川さんを傷付けると分かっていて拒絶してしまう。嫌な訳じゃないのに……と考えて、頭を掻き毟った。

「俺は本当、駄目な奴だ」

 好きな相手が居た筈だ。志摩宮が好きだった筈だ。なのに、もうそんな事はどうでもよくなっている。だって彼は、ここに居ない。
 拉致監禁なんてされなくて、志摩宮が傍に居る状態だったら、染井川さんに鞍替えするなんて有り得ない。そりゃ俺は顔が良ければ男でも抵抗無いみたいだと最近気付いたけど、さすがに好きな人が居たら他に目が行かないと思うんだよ、たぶん。
 けど、俺の傍に居ない志摩宮を、しかも彼氏が居るらしくて両想いなんて絶望的な相手を好きでいられるほど、染井川さんは魅力の無い人じゃない。
 だってまず、顔が良い。顔の良い男に常に「好きだ」って言われてるような目で見られ続けて、毎日頭を撫でながら抱き締められて寝て。おまけにご飯は美味しいし紋の練習に付き合わせても嬉しそうだし、ここに来てからは割と優しく教えてくれるし、……とにかく、毎日愛され続けていて。
 それを拒絶して志摩宮に一途でいられるほど、俺の恋は強くない。志摩宮が好きだって自覚してからも日が浅かったのに、染井川さんに強姦された時の記憶が強烈過ぎて、正直本当に志摩宮への気持ちが恋だったのかさえ薄れてきてしまっているレベルだ。
 というか、たぶん、次に抱かれたら落ちると思う。
 始めて抱かれた時だって、嫌だったのに気持ち良すぎて頭がおかしくなりそうだった。嫌どころか、望んで抱かれてしまったら──。

「あー、やめやめっ」

 考えていると、股間が元気になってしまう。
 今日は帰ってこないらしいから、明日。明日帰ってきたら、染井川さんが引くほど甘えて、明日こそエッチしてやろう。
 行きがけに冷たくしてしまったから、今更少し心が痛い。
 染井川さんが居ないから、夕飯は一人でカップ麺だ。自分で作れるようになれ、って時々一緒に作るようになったけれど、実は料理は出来なくはない。
 ただ、二人で台所に立っていると、母さんの事を思い出してしまう。まだ調理台が胸上にくるくらいだった頃から、母さんの手伝いをして台所に立っていた。俺は調理じゃなくもっぱら使った食器を洗う係で、母が酒を片手に手際良く調理するのを見ているのが好きだった。その光景を覚えているから、それを真似るだけでそれなりに料理が出来上がる。
 染井川さんは「作れるじゃねぇか」と驚いていたけれど、それを自分で食べても、何の味もしないのだ。無味無臭。染井川さんは美味しいと言ってくれたけど、俺には何も感じられなかった。
 だから自分の為には作りたくない。
 染井川さんが少し残念そうにしていたから、時々だけど、染井川さんが食べる分だけ作る事にした。
 冷たくしてしまったお詫びに、軽く一品作っておこうと思い付いた。確か野菜室に茄子があったっけな、と冷蔵庫を開くと、シシトウとズッキーニもあったので取り出す。ちゃちゃっと切って素揚げして、タッパーに希釈した麺つゆと一緒に入れて終了。
 これだけでも、あの俺にぞっこん(死語)の人は顔を綻ばせて俺を撫でくり回して喜ぶだろう。想像して、笑みの浮かんだ自分に少し驚いた。ああ、うん。そろそろ本当に落とされるな。
 でも、と拳を握る。絶対、好きとは言わない。好きだとしても、それは言っちゃいけない。体に穴を開けられたくないから。

「明日、起きたら帰ってるといいな」

 横に寝てたらもっと良い。
 カップ麺を啜ってから、身支度を整えてさっさと布団に入った。
 翌朝起きたら、隣に敷いておいた染井川さん用の布団には寝た形跡が無かった。まだ帰ってないのかな、と布団から体を起こすと、玄関扉が開くガラガラという音がする。目覚ましが無くてもいつも大体六時半には起きているから、今日もそれくらいのはずだ。
 だいぶ掛かったんだなぁ、と目を擦りながら部屋を出て出迎えると、スーツの上着を小脇に抱えた染井川さんが、寝起きで浴衣の着崩れた俺を見てスッと目を細めた。知ってるぞ。染井川さんのその顔は、ドキッとしたのを隠そうとしてるんだって事を。

「おかえり、染井川さん」
「……ああ」

 ぺたぺたと素足のまま玄関に降りて、ぎゅっと抱き着いてやった。俺から見ればあからさまに動揺した染井川さんが、しかし無表情で一歩退がる。

「山ん中走り回ってきたから、蜘蛛の糸とか葉っぱとかついてる。汚れるから離れろ」
「うん」

 素直に離れると、言う通りにしたのに残念そうに唇が歪むのが面白い。

「風呂入る? 沸かそっか?」

 ああ頼む、と言った染井川さんは、そのまま着替えに自室へ行ってしまった。
 一晩中仕事だったなら、寝たいだろうなぁ。悪戯するのはまたの機会にしようか、と風呂に栓をして湯沸かしのスイッチを入れていたら、ワイシャツも脱いで下着姿の染井川さんが洗面室に入ってきた。
 なんとはなしに見た彼の膝が青黒くなっているのを見て驚いた。

「染井川さん、その膝なにっ!?」
「あ? ちょっと打っただけだ。見た目悪いが痛くもねぇぞ」
「あ、なんだ……そっか」

 それでも、染井川さんが怪我するなんてよっぽどだ。そんなに大変な仕事だったんだろうか。やっぱり襲うのは今度にしよう。
 諦めて浴室から出ようとするのに、まだ湯量の少ない浴槽を覗き込んだ染井川さんが出入り口に立ちはだかっていて出られない。

「染井川さん、俺出たいんだけど」

 そこで下着を脱ぎ始めてしまった染井川さんに、そんな事にも気付かないくらい疲れてるんだと苦笑しながら彼の横から洗面所の方に出ようとしたら、二の腕を掴まれた。見上げると、俺の浴衣の合わせ目から、胸元を覗き込む染井川さんの視線に慌てる。

「なっ、なん……っ、覗くな変態!」
「覗くっつうか、さっきからチラチラ見えてて……誘ってんのかと」
「違うっ」

 無自覚に染井川さんの劣情を煽っていたらしい襟元を掻き合わせて離れようとするのに、彼の手は離れてくれない。

「寝る前入ったんだろうが、暇ならもっかい入れ」

 な、と額にキスされて、珍しくストレートに甘えられて狼狽えた。エッチする気はたぶん無いのだろうけど、俺に触れたいというならまあ、仕方ない。
 いつものように膝の中に抱いて湯船に浸かりたいのだろう。それで疲れが癒えるというなら、と了承して服を脱いで一緒に風呂に入る事にした。まだ湯船は溜まりきっておらず、二人で入っても腰までしか湯がこなくて肌寒い。

「寒いか」
「大丈夫、すぐ溜まるだろうし」

 さぶいぼの立った俺の腕を撫でて、染井川さんは俺を後ろから包み込むみたいに抱き締めてくる。

「あったかい」
「だろ」
「……っん」

 染井川さんの頭が俺の肩に乗ったかと思ったら、肩を軽く噛まれて、べろりと舐められた。急にそんな事をされて震えた俺の体を、染井川さんは逃がすまいと腕に力を込めてくる。

「そ、いがわさ、少し、痛い」
「少しだから、我慢してろ」

 大きく開いた口に噛まれて、じゅうっと強く吸われる。あ、これ跡付けられてるな。じゅ、じゅ、といくつも肩を吸われて、段々と首の方に寄ってくる。頸を噛まれて震えると、ふっと耳に息を掛けられてたまらず声が出た。

「や、ぁ」
「……ああ」

 染井川さんが頷いた気配がして、顔が離れていく。違うって、馬鹿。

「触れよ、染井川さん……っ」

 俺の腹を撫でる手を掴んで、胸と股間に持っていく。どちらも、染井川さんに触れられるのを待って硬くなっている。こんな状態で放り出すなんて許さない。
 迷った染井川さんの指が、俺の乳首に触れて、先端を少し捏ねてから、人差し指と親指とで抓るみたいに強く引っ張られた。

「ひっ」

 びく、と腰が跳ねる。痛くされても、でも直後にはまた指先で優しく撫でられている。爪でカリカリされると細波みたいな気持ち良さが走って、背筋をしならせて喘いだ。

「あ……っ、ぁ、嬉し……っ」
「お前、もうちょい考えて喋れ」

 ちゅう、と耳の後ろに吸い付かれて、囁く染井川さんの息が熱い。考えて、って言われても、こんな状態で何を考えろっていうのか。気持ちいい事以外に、何も考える余裕なんて無い。

「俺みてぇなクズ煽ってどうする。テメエは好きな奴がいるんだろ」
「あっ、は、ぅ」
「クソ……ッ」

 強く陰茎を握られ、反らした首に噛み付かれた。染井川さんの声は切迫していて苦しそうで、だけどその指は乱暴に俺を嬲り続けている。陰茎を上下に擦られて、染井川さんの手の中で達した。イッた気持ち良さに太腿を擦り合わせて震えたが、染井川さんの手は止まらない。白濁が浮く湯の中で、俺が達したのなんて見えないみたいに擦り続けられて、逃げたいみたいに体を捩ったら爪で乳首を抓られる。

「やぁ、今っ、待って、今イッたばっかぁっ」
「嬉しいんだろ、堪能しろよ」

 そのまま、乳首と陰茎だけで三度もイかされた。
 赤くなってぷっくり腫れたソコを執拗に弄り回しながら、染井川さんは耳を噛んでくる。呼吸が整えられずにぜえはあと荒い息をする俺をせせら笑い、陰茎から離した指をゆっくりその後ろに這わせた。

「こっちに欲しいんだったか?」

 ひゅう、と息を吸った俺の耳朶を甘噛みしながら、窄まりの襞を撫でて染井川さんが囁いてくる。

「だったらちゃんと言え。ちゃんと、ドコにダレのナニを入れて欲しいか、言ってみろ」

 やっぱり変態だ。言えるはずがない、そんな事。首を横に振ると、冷めた声で「だろうな」と言われてカッとなった。

「なんだよ、だろうなって! 言えないだろ普通!」

 怒って振り向いたのに、間近の顔は寄ってきて唇を吸った。ぶるる、と催して、また勃起した心地がする。舌を吸われるまま外に出したら、染井川さんに噛み付かれた。かぷかぷと噛まれながら、合わさった唇が俺の唇と擦れて濡れた音を立てる。
 キスに夢中になっていたら、染井川さんの指が窄まりを割って少し入ってきて染井川さんの口の中で喘いだ。久々にソコに挿入される感じに息を荒くして視線を下げると、ぷかぷかと湯の中に大量の精液が浮いていた。水に溶けないんだな、と初めて知った。

「……ケツに欲しいって時点で普通じゃねぇだろ」
「うぁっ」

 ぐぐ、と第二関節くらいまで入った気がする。緩めてもない俺の穴は染井川さんの指を上手く受け入れられなくて、必死で力を抜いたけどそれ以上入ってきてくれない。

「染井川さん、ここじゃなくて、布団で……、俺、のぼせそう」

 いつの間にか肩まで溜まった湯の中ではこれ以上出来そうにないと判断してそう誘うのに、振り向いた先の染井川さんは無表情で首を振って拒否を示した。窄まりから指を抜き、上がれ、と俺の背を押してくる。

「三度もイきゃ十分だろ。終わりだ」
「十分!? まだ入れてもらってないよ!?」

 二ヶ月近い禁欲でやっと理性を崩せたかと思ったのに、染井川さんはもう俺に興味無いみたいに、先にシャワーを浴び始めてしまった。浴槽の縁を跨ぐ時に眼前を通り過ぎた彼の陰茎は、やはり力無く垂れている。俺に煽られたような事を言うくせに、そこがそんな様なのを見て胸が苦しくなって唇を噛んだ。

「……俺に入れる気無いならそう言えよ。気持ち良く無かったから勃たない、だから無理だ、ってさ。それなら俺だって何度も言わないよ」
「は?」
「毎回毎回、入れたいけどお前の為に我慢してる~、お前の為に~、みたいな事言ってさぁ。もう飽きたんでしょ? 良く無かったんでしょ? だったらそうハッキリ言ってくれればいいのに」

 それならそれで、諦めようもある。かすかな希望を持たされるのは逆に辛い。
 はあー、と大きく溜め息を吐いたら、染井川さんがシャワーを止めて浴槽の方に寄ってきて俺を見下ろした。目の前にぶら下げられて、少し気まずい。

「……挿入れて欲しいか?」
「だから、そういう事言って期待させんのやめて」

 睨み上げるが、染井川さんは完全に無表情で何を考えているか分からない。
 不意に両手に頭を掴まれて、ゆっくりと首を浴槽の縁に掛けて頭だけ外に出すみたいにされた。断首台に載せられたような気持ちで、あまり気分は良くない。見上げようとしたつむじを指で抑えられて、染井川さんの足を見下ろす事になる。バランスをとろうと浴槽の縁を手で掴むと、ひんやりと冷たかった。

「染井が」
「俺と堕ちてくれるか」
「おちる? どこに? ……飛び降り自殺とかなら勘弁だぞ?」

 急に何を言い出すのか。まだ死にたくない、と返事をしたら、たぶん拳で軽く叩かれた。

「俺はお前に手ぇ出した時点で犯罪者だ。高校生の、しかも男のガキ犯して監禁してる異常性癖のクズだ。そんな男に抱かれたがる意味、ちゃんと分かってんのか」
「……」
「馬鹿で流され易いお前につけ込んでる俺が一番悪い。だけどよ、俺だってお前が拒否してくれなきゃ、期待しちまうんだよ」
「何を?」

 染井川さんは少し無言になってから、溜め息と共に続けた。

「お前が俺を選んでくれるんじゃねぇかって」

 つまり、好きになるんじゃないかって? うんまあ、なってるんだけど。
 こんな大事な話を、目を合わせてしようとしない染井川さん。必死で抑えてるけど、声が震えてる染井川さん。……ああ、俺、こういう人に弱いんだ。

「……まだ、好きとか、分かんないけど」

 嘘だ。今落ちました。好きになりました。エッチだけじゃなくて、染井川さんの中身も。
 そういえば、志摩宮を好きだと思ったのも、彼の弱い部分を見た時だった気がする。つくづく俺って、しょぼくれた犬みたいな人にキュンとしてしまうみたいだ。
 でも、やっぱり穴開けられるのは嫌だからそこは黙っておく。

「その、今は……志摩宮より、染井川さんにキスされたいよ、俺」
「……」
「抱き締められたり、一緒に暮らすのも、割と楽しいし。……それじゃだめ?」
「……小便かけていいか」
「…………」
「…………」
「は?」

 今この人、なんて言った? あれだよな、好きだのなんだの、そういう話をしていた筈だよな。なんだ急に、小便って。
 俺の頭から手を離してくれたから、もう顔を上げていいのかと思ったら、汗で前髪の張り付いた額に染井川さんの陰茎がぺちぺちと当てられた。

「飲めなんて言わねぇから。このまま頭に掛けるだけ。な?」
「な、じゃないって。なんで? なんでそうなんの?」
「なあ、どうせならここまで堕ちてこいよ。俺と一緒に変態になれや」
「いやいやいや、俺まだそこまではっ」
「大丈夫だって、ちゃんと順序踏んでゆっくりレベルアップさせてやるから」
「人としてレベルダウンする気がするよ???」
「ほら下向いとけ。目と口閉じとけよ」

 やだやだやだー! と暴れる俺の頭を染井川さんが笑いながらガッチリ掴んできて、また下を向かされた。

「……ちょっと待っとけ」
「やだってば!!」

 染井川さんの足がぶる、と震えるのを見て、ヒィと目と口を閉じる。
 体を強張らせる俺の頭に、とぽぽ、と温かい液体が降ってきて心が死んだ。
 俺、今、頭におしっこ掛けられてる。マジかよ。死にたい。俺そんな悪い事したかな。オッサンの小便を掛けられるような悪い事したのかな。
 顔の方にまで垂れてきて、口が開けられないから心の中で悲鳴を上げる。引き結んだ口の横を尿が垂れていく感触がして、鼻から息をすると微かにしょっぱい臭いがする。もうやだ、と泣きそうになった頃、ようやく頭に掛けられるのが止まった。

「ははっ」

 染井川さんが、笑った。嬉しそうなその声に怒りが込み上げるのに、おしっこの掛かった俺の頭を、染井川さんがわしゃわしゃと撫でてくる。撫でてないでさっさと洗い流して欲しいのに、染井川さんは何故か執拗に俺の頭を両手で揉むように撫でて……。
 と、そこで気付いた。
 これ撫でてないわ。おしっこでシャンプーされてるわ、今。頭皮まで浸透されてるわ。
 もう呆れて逃げる気力も湧かない。どこまで変態なんだこの人。
 大人しくされるがままになっていたら、最後にぽんぽんと優しく叩かれ、シャワーを掛けられた。温かいお湯に流されて、シャンプーで入念に三回も洗われて、トリートメントまでされた。湯当たりしてぐったりする体を引っ張り上げられて、体も洗ってもらう。
 おしっこシャワー&シャンプーされたショックが抜けずに呆然としていたら、気が付けば体を拭かれて布団に寝かされていた。仰向けで宙を見ていた俺の脚をM字に開かせて、その間で染井川さんが何かのボトルの蓋を開けている。

「……」

 染井川さんの手の平にトロッと出てきた透明の粘液を見て、ローションかぁ初めて見たなぁとぼんやり考えた。俺に見せつけるみたいに指に纏わせて、それを俺の尻の方に持っていく。

「う……ぁ」

 ぬるりと挿入された指に、腰が跳ねて声が出た。これまでのエッチでは染井川さんの唾液で緩められていたソコは、初めてのローションのぬるぬるした感覚に即座に陥落した。簡単に指の根本まで受け入れて、引き抜かれる感覚に背が弓なりにしなる。

「っ、あ、やぁ」
「腰引くと奥まで届かねぇぞ」

 にゅちにゅちと淫猥な音をさせて指を抜き挿ししていた染井川さんが、逃げた俺の尻を引っ張りたいみたいに窄まりの中で指を曲げた。内壁を擦られると震えがくるほど気持ち良くて、膝を自分の方に寄せて尻を突き出した。抜き挿しし易いよう更に大きく開かれた狭間を見て、染井川さんが嬉しそうに口角を上げる。

「あそこまでされて、まだ俺のが欲しいか」

 さっきの行為を反芻するみたいに穴に入れてない方の手に頭を揉まれて、思い出させるな! と歯を向いて威嚇する。

「あんなんされても入れて貰えなかったら、それこそやられ損だろっ」
「どんだけ俺のチンポ好きなんだお前は」

 くく、と低く喉で笑った染井川さんが、顔を寄せてきて辛そうな体勢で軽くキスしてまた離れていく。
 抜き挿しされていた指が抜けていって、物足りなくて息を吐くと、すぐに今度は二本になって俺の中に戻ってきた。一本だけだと中を擦っていくだけだったのに、二本だと窄まりを開かれるぞくぞくした感覚があって、思わずきゅっと指を締めた。

「締めると動かせねぇぞ」
「ん……ん」

 根本まで挿入されると、もう抜いて欲しくなくて尚更ソコを強く締めてしまう。ずっと入れていて欲しい。このまま中を擦られたい。

「指、中……ぐりぐり、して」

 素直に強請ったら、染井川さんがゴクリと喉を鳴らした。無感情に見下ろしてくる目が怖い。なのに、ちらりと盗み見た彼の股間はやはり、大人しく垂れたままだ。ああ、やっぱり俺じゃもう興奮しないんだ。
 染井川さん好みの変態プレイに付き合っても無理なら、もう駄々は捏ねず指で我慢しよう。

「コレだろ?」
「……っ」

 窄まりの中の、俺が狂う一点を適確に指で押されて歯列を噛み締めて耐えた。まだ指を入れて貰ったばかりなのだから、すぐにイくなんて勿体無い。三本入れて貰えば、指でも染井川さんのアレくらいの太さなるだろうか。
 せめてそこまで耐えたいのに、染井川さんは耐える俺が面白いみたいで、悦い所ばかり狙ってゴリゴリと指の腹で擦ってくる。

「ん? 違うのか? どうなんだ、おい」

 答えねぇと分かんねぇだろ、と言いながら、染井川さんはあくまでゆっくりと抜き挿しして、俺の窄まりを解しながら奥の一点を刺激される快楽に俺を慣らしていく。

「ふっ……、は、ぁ……うぅ……」

 我慢する為にいつの間にか自分の指を噛んでいた俺を、染井川さんが細目で見て笑っていた。また指が全部抜かれて、ようやく三本目だ、と体の力を抜いた。
 ゆっくりと、それまでより慎重に、三本の指が挿入ってくる。一秒に一ミリしか進んでないんじゃないかみたいな遅さに、むしろ煽られてしまう。一本分多く窄まりを開かれて、普通ならエッチになんて使わないところに指を入れられているのを実感してひどく感じてしまう。背筋が震えて、息が上がる。指を締めたら入ってこなくなってしまうのに、期待が高過ぎて我慢出来ない。
 三本の指が全て根本に埋まって奥の壁を指で引っ掻かれた瞬間、蕩けるように催していた。

「は、ひ……あっ」

 とろとろ、と俺の先端から白濁が流れ出る。目の前が白く混濁して、尻の中を擦る指の感覚しか感じられない。そこだけに全神経が集中しているみたいになって、少し指を動かされただけで続けて精を吐く。

「あ、あ、あ、あ」

 俺の口からは小さい喘ぎしか出なくて、染井川さんが指を動かすのに合わせて陰茎の先から溢れてくる。頭がぼんやりして、ふわふわと浮いているみたいだ。

「……おい、まだ指だぞ。壊れんのには早いだろ」
「あ、っ……は、ぁ、あ」

 染井川さんが何か言っているけれど、頭に入ってこない。
 気持ち良くて、ただひたすらに気持ち良くて。ずっとイッている気がする。ふわふわして、眠い。何回イッたか分かんないもんな。疲れるよそりゃ。ああでも、良かった。染井川さんが勃たなくても指でも意外と大丈夫そう。

「おい、クソ、そういうのは挿入れられてからにしろよ。飛ぶなって、おい」

 気を失いかけた俺から染井川さんは慌てて指を抜いてしまって、俺は重い瞼を持ち上げようとして失敗する。脱力して開きっぱなしの俺の足を掴んで、染井川さんが腰を寄せてくるのが見えた。

「むり、しなくて、いい……」
「ああ? 今更もう要らねぇなんて言わせねぇぞ」

 染井川さんの股間は確かに萎えていた筈なのに、彼が指を動かすと途端にむくむくと大きくなった。
 ……ちょっと待て。今、何した?

「染井川さん……?」

 狭間に勃起した肉を押し付けられて、そのまま一気に捻じ込まれた。指じゃ届かなかった奥まで抉られて、弾けるみたいに先端からまた精子を撒き散らす。

「ひ……っ、な、なん」
「こっからだろうが」

 甘やかされていた体の奥が、暴力的な怒張に突かれて暴かれる。それまでとは全く違う強烈な快感に晒されて、眠気が飛んだ。抉られて殴打されるような痛みがあるくせに、激しく揺さぶられると目の前が真っ白になるような気持ち良さで咽び泣いた。

「やぁっ、あ、あ、あっ、やあ、ごわれる、っぅ」

 限界を超えた刺激に泣きじゃくる俺を熱に浮かされたような表情で見下ろして、染井川さんは俺の乳首に爪を立ててくる。

「イッ、いたいっ……い、ああ、ああぁ」
「かーわい……」

 どれが俺の一番奥を犯せるか探しているみたいに何度も体勢を変えては抽挿されて、繋がっている部分が蕩けて熱い。拡げられっぱなしで入り口の感覚が無くなっていくのに、擦られ続ける内壁が快感に慣らされて染井川さんの肉に絡みついて、抉られて気持ち良くなって、もっともっとと強請るように締め付ける。
 痛がらせて、よがらせて、染井川さんは俺の中に出した。どくどくと注がれて、押し付けてくる腰が止まったからやっと解放されるのかと思ったら、またすぐに中を掻き回されて呻く。

「さっきのあれ、また見せろよ」
「ひ……っ、な、なに……ぃ」
「動かす度にイッてたやつ。中突く度に漏らしてて、めちゃくちゃエロかった」

 俺のチンポでなってるとこ、見せてくれるまで終わらねぇから。
 にこー、と染井川さんらしくない穏やかな笑顔で言われて、怖くて泣いた。
 気が付いたら、もう夕方だった。
 外が暗くなりつつある。朝食も昼食も食べ損ねた腹がぎゅう~と鳴った。腹は減っているけれど、体が怠くて動かす気が起きない。
 布団の中で寝返りした感触では、パンツ一丁だ。べたべたしたり痒かったりもないから、きっと染井川さんが綺麗にしてくれたんだろう。終わった後に気絶した俺の身支度を整えて布団を敷き直したりなんだりする染井川さんが容易に想像出来て、このまま寝ていても夕飯になったら勝手にご飯を運んできてくれるだろう。起きる気力が無いと言えば、抱き起こして膝の中で食べさせてくれるかもしれない。彼の溺愛具合を考えれば有り得なくはない。
 だったらもう少し寝よう、と目を閉じて、しかし気になる事が頭を掠めた。
 染井川さん、股間に紋掛けてたよな。
 勃起させる紋があるのか。そんな紋を使わなければ俺を抱けないのか。そう思いそうになるが、挿入後の染井川さんを思い出すと、それは無い気がする。
 唸っていたら、部屋の襖が開閉して、染井川さんが布団に潜り込んできた。横から俺を抱き込んで、額に口付けてくる。

「起きてんだろ、静汰」
「……うん」
「可愛かったぞ」

 ちゅっちゅ、と何度もキスされて目を閉じて拳を握る。耐えろ俺。文句を言ったらきっと、次は今回以上に『可愛がられて』しまう。

「染井川さん」
「なんだ?」
「股間に紋掛けてたよね?」
「……」
「あれ、なに。どういう事」

 染井川さんを睨みつけると、眉間に寄せた皺を指で伸ばされた。

「しょうがねぇだろ。お前だって年がら年中サカられても困るだろ?」

 また俺の為に、みたいな事を言うので、俺の顔を撫でる染井川さんの指に噛み付いた。スッと細められた目が満更でも無さそうで、失敗したと思う。

「だから、一体どんな紋を掛けてたんだよ。股間に」
「俺だって、好きで股間に掛けてた訳じゃねぇよ。股間股間言うな」
「だったらさっさと答えて」
「……止血の紋をすこーしアレンジしたやつ」

 止血か。治癒系の紋の中にあったな。
 だから勃起しなかったのか。納得だ。しかし、やはり怒りが湧いてくる。染井川さんが大きくならない所為で、要らぬ心配をしてしまったじゃないか。だがまだキレられない。聞きたい事はまだあるのだ。

「って事は、あの最中に紋を消したって事だよね? 紋を消す方法って本にも書いて無かった気がするけど、そういえばどうやるの?」
「は? そんなん、同じ紋をぶつけりゃいいだけ……」

 自然な疑問に見せかけた俺の質問に答えた染井川さんが、俺の意図に気付いて途中で止まった。
 すごい目で睨んでくる染井川さんに、にっこりと笑い掛けてやる。

「同じ紋をぶつければいいんだな」
「おい、静汰」
「やってみよー」

 早速痛む体を気合で起こして、視界のチャンネルを変えて窓に掛けられた紋を視る。何度もなぞり描いたから、もう壁の紋に一秒も掛からない。時間制限の紋も同様だが、とにかく個数が多い。
 染井川さんは自分のこめかみあたりを押さえて失言を後悔するようだ。しかし、俺を止めようとはしてこない。
 壁の紋と時間制限の紋を数十描いて、とりあえず飛ばしてみた。一個正確な数が分からないが、掛ける時も後付けだったのだから解く時もそれで大丈夫だろうと思ったのだが。
 バチン、と火花を散らして、俺の紋が弾け飛んだ。染井川さんの紋は割れる事もなくそのままだ。

「へ」
「お前、アレは見えてねぇのか」

 染井川さんが言う紋はすぐに察しがついた。アレ、と呼んでいるという事は、あの謎の紋には名前が無いのだろうか。さっき止血の紋もアレンジしたと言っていたし、もしかしたら染井川さんオリジナルの可能性も出てきた。そうなると、正確な紋など描ける筈が無い。
 この家の紋、俺では割れない。

「見えてるけど、重なり過ぎてて読めないんだよ。だから先に他の紋を解こうと……」
「馬鹿、全部繋げてあんだろ。どれか一個でも足りなきゃ解紋できねぇよ」
「マジか……」

 それは、……実質不可能だ。俺がどれだけ熱心に紋の勉強をしようと止めなかった理由にも納得いく。
 ガックリ肩を落とす俺を見て、しかし染井川さんは何か考えるように窓の紋を見つめていた。

「今日はどれにしようかな~……っと」

 相も変わらず監禁の身の上である。
 最近はすっかり冷え込んできた。暖房器具は石油ストーブしか無かったらしいこの家にも、数日前に炬燵が届いた。外に運送会社のトラックが停まったのを窓から見て、こんな所まで来られるのかと驚いた。服も、さすがにもう浴衣じゃ寒いと言ったら分厚い半纏と靴下を買ってきてくれたが、頑なに浴衣を着せようとするのは、染井川さんのフェチか何かなのだろうか。
 今日も染井川さんは外に仕事に行ってしまったので、染井川さんの部屋で読み物を探していた。
 呪札はあまり種類が無かったのであらかた頭に入ってしまった。その場で霊力を消費しないから便利だと思っていたが、一枚につき単体の術しか使えないのがネックだ。状況に応じて篭める霊力量を増減したり後付けで他の効果を追加できたりする分、紋の方が使い勝手が良く感じる。紋はまだまだ咄嗟に思い出せないものも多いけれど、同じようなものが多過ぎてさすがに飽きてきてしまった。
 この家に掛けられた紋を破ってやろうと思って始めた勉強だったが、それもほぼ不可能だと分かってしまったから、モチベーションはかなり下がっている。
 たまには練習を休もうと思い立ったので、今日は妖怪や霊障の報告書を漁っているのだ。

「ん?」

 ファイルとファイルの間に、大学ノートが挟まっていた。ファイルを入れる時に奥に入ってしまっていたのか、ページが折れて皺くちゃになってしまっている。
 引っ張り出して改めてみると、相当古いものらしく紙が茶色に変色していた。
 興味を引かれてページを捲ると、それはどうやら日記のようだった。染井川さんのかと思ったが、それにしては字が違う。角張って硬そうで、筆圧が強い。殴り書きのようなそれは、しかし内容は丁寧にその日の事を書いてある。日付けは月日だけで、年が書いていなかった。
 日記の主は男性らしく、息子が産まれた事を喜びを皮切りに、彼の成長記録を残している。息子を産んだ嫁は死んでしまい、その息子も心臓が弱くほとんど動く事もままならない。重い病気の赤子を男手一つで育てる難しさに悩んでいた。
 息子の名前を『徹』と付けた、との記述に、ようやくこの日記が染井川さんの父親のものだと察した。
 一瞬読むのを止めようかとも思ったが、そういえば小さい頃から父親が染井川さんに霊力を渡していたと聞いていたのを思い出して、その方法だけでも書いていないかとぱらぱらと捲る。自分の力では動くこともままならない産まれたばかりの染井川さんは、病院では神経系の先天性異常だとして入院生活を余儀なくされていたようだ。
 
『ふとしたある日に徹を霊視すると、なんと彼は自分の体に霊力を回して心臓を動かしていた』
 
 という記述に息を飲んだ。染井川さんの体質に気付いたあたりから、思わず読み込んでしまう。
 
『赤子であるのに霊力を器用に使い、徹は生きている。しかし、彼の霊力量では生きるのがやっとのようだ。なんとか私の霊力を渡してやれれば、笑ったり歩いたりする姿が見られるかもしれない』
『呪札を作る時のように、徹に霊力を篭めてみた。徹は少し泣いたが、彼の小さな指が私の指を握ってくれた。嬉しかった』
『指から渡すだけの微弱な量では徹を元気にするには足りない。膨大に在るだけで無駄に保有されている私の霊力のなんと情けないことか』
『霊力を使って宙に紋を描いて術を公使するという、変わった組織の話を聞いた。それを使えば、今よりも徹に渡せる霊力量が増えるだろうか』

 組織というのは、トナリグミの事だろう。紋は門外不出だと聞いていたし。日記を前から確認し直すと、父親が組織に加入したのは染井川さんが二歳になった頃のようだった。

『組織に入り、紋の訓練を受けている。霊力を体の中で意識して動かすのはとても難しい事らしいが、私にはそれほど難しくなかった。コツを掴んできたのか、徹に渡せる霊力量が増えた。徹はベッドから起き上がれるようになった』
『組織から抜けて霊媒師をやめ、宗教組織を立ち上げた。これでいつも徹の傍にいられる』
『人に渡すだけでなく、人から霊力を吸う事も出来るようになった』
『徹が動く為に必要としている霊力が少しずつだが増えている気がする。赤ん坊の頃は自分の霊力だけでも生きていられたが、今は私が居なければそれすら無理かもしれない』
『ひっきりなしに来客する環境で良かった。徹に渡す霊力はもう私の霊力だけでは足りない。信者から少しずつ吸って渡している。他人の命を吸っているようで、少し怖い。普通の人間は霊力が全く無くても生きられるが、それでも断りなく吸っているのはとても心苦しい』

 飛ばす事なく読み進めた筈だが、肝心の霊力を渡す方法の詳細は書かれていなかった。紋の練習をしたら渡せるようになったとは書いてあったが、それはつまり、身体強化の紋を描く時のように、自分の中で霊力を集めて移動させるアレをして、そのまま触れた相手に移動させればいいのだろうか。
 それならきっと、練習すれば俺にも出来そうだ。
 少しやる気が出てきたのでやってみよう、と日記を閉じようとして、目を落としたところに気になる文があった。

『徹には未来が視えるらしい』

 未来が、視える?
 どういう意味だろう。もっと読み進めようとページを捲るが、次のページを最後に、日記自体が終わってしまっていた。

『予知の負荷に心臓が耐えられないのを、霊力で無理やり強化して補っていたようだ。さっそく心臓に強化の紋を掛けてみると、渡す霊力量はごく僅かで済むようになった。だが、私の信者たちが、こぞって徹を神だと崇めるようになってしまった』
『徹が普通の子供のように動いているのは嬉しいが、神子と崇められている彼を見るとどろどろとした感情が胸に沸いてくる』
『神になれるという箱を手に入れた』

 最後の一文に、黙って日記を閉じた。
 染井川さんから聞いていた話と、半分ほどは同じ内容だった。おそらくは彼もこれを読んだのだろう。
 もう半分は──霊力の受け渡し云々は、おそらく染井川さんが意図的に話さなかったのだろう。そんな事を聞いたら、俺ならやるに決まっている。
 折れ曲がった大学ノートを綺麗に伸ばしてファイルの間に戻し、手近な紋の本を数十冊引き抜いて部屋に持ち帰った。炬燵にそれらを置いて、身体強化の紋がどこに書いてあったかを探す。
 体の中で霊力を移動させるのは、それほどポピュラーな方法ではない。それこそ、身体強化くらいでしか読んだ記憶が無いのだ。まずはあの本を探して、コツが書いていないか再度確かめよう。
 そうして、外が暗くなる頃、持ってきた本の中には目当ての記述が無いことを確認して、ぐっと伸びをしてから部屋の電気を点けた。
 外から、じゃりじゃり、と車が庭の砂利を踏んで走ってくる音がする。染井川さんが帰ってきたらしい。窓から覗いたら、黒い車のルーフにうっすらと雪が積もっていた。
 炬燵に入っていたから気にならなかったが、結構冷えていたようだ。慌てて石油ストーブに火を入れて、ヤカンに水を入れにいく。
 台所から部屋に戻る途中で玄関が開いて、両手に買い物袋を下げた染井川さんが入ってきた。

「おかえり」
「……ただいま」

 染井川さんは、帰ってくる時すごく嬉しそうにする。表情に出ないように我慢しているみたいだけれど、何ヶ月も一緒に住んでいればバレバレだ。そんなに俺が居るのが嬉しいか。

「お前、またストーブつけてなかったのか」
「炬燵入ってたから暖かかったんだよ」
「風邪引くから、そろそろ朝起きたら点けとけ」
「はーい」

 ヤカンをストーブの上に置いて、台所に行った染井川さんを追い掛けた。買い物袋から食材を出した染井川さんが、夕飯に使わない物を選別して冷蔵庫に入れていく。しゃがんだその背にぎゅっと抱き着いたら、「邪魔だ」と言われてしまったけれど、振り払われる事はない。ただの照れ隠しだ。

「今日の夕飯なにー?」
「寒いから鍋。鍋つゆ何種類か買ってきたからお前選べ」

 そっちの袋、と指差されたもう一つの買い物袋から、鍋つゆの素を出す。鶏出汁、寄せ鍋、白湯、キムチチゲ。どれもいいなぁ、と腕を組んで悩む。

「肉? 魚?」
「どっちもあるぞ。肉は豚と牛、魚は鱈」
「今日は魚の気分だから、寄せ鍋の素かな」

 残りの三つを戸棚に仕舞い、流し台の下から土鍋を出してくる。軽く水で洗っていると横からネギだの白菜だのが渡されたので、調理台で適当な大きさに切ってザルに乗せていく。

「ってか、刺身食いたい」
「先週買ってきたろ?」
「冷凍のじゃなくて! 生魚がいーんだよ、新鮮なやつ!」

 甘海老とかホタテの乗った海鮮丼が食べたい、とぶつぶつ言うと、横でカセットコンロを取り出していた染井川さんが目を伏せた。あ、やべ。

「別に、冷凍のが不味いわけじゃないから。来週とか、ほら、もう寒いしドライアイス貰えば持って帰って来れるんじゃないかって……」

 ここに来てから、外に出たいと直接言った事は無い。こういう顔をさせてしまうのが分かり切っていたからだ。申し訳なさそうに、目線を落として床を見つめる染井川さんを見るとこっちが辛い。
 監禁されてるのはそりゃ不便だけど、外で普通に生活していたら俺と同棲なんて無理だっただろうし。同居じゃなくて同棲、という単語を選んでしまって自分で恥ずかしくなる。でも、だって、染井川さんとの生活は、まるで恋人みたいで──。

「外に出たいか」

 なんとフォローしたらいいか悩んでいた俺に、染井川さんが呟く。
 そりゃ出たいよ。けど、そうしたらきっと染井川さんは悲しいだろ。
 無言で首を横に振ると、一瞬染井川さんは泣きそうに目を眇めて、すぐ俺に背を向けた。

「来い。テストしてやる」
「テスト……?」

 慌てて包丁を置いて台所を出た染井川さんの後を追うと、彼は俺の部屋の炬燵で紙に何か書いていた。ボールペンで書かれた二つの紙を渡されそれを見ると、どうやら家に掛けられた二種類の謎の紋のようだった。

「これって……」
「壁の紋、時間制限は六時間を十二個、それからその二つの紋。それを繋げて飛ばしてみろ」
「へっ? え? 何時間を何個?」

 そんな急に言われても覚えられない。あわあわする俺に、染井川さんは呆れたみたいに手元の紙に書き付けたメモを寄越す。

「お前ほんと、耳が悪いな。左右が筒で繋がってんのか?」

 久々の暴言に、しかしそれほど悲しませていないようだとホッとしてしまう。
 メモを見ながら、視界を変えて集中して紋を視る。すぐに壁の紋から描こうとして、横から染井川さんの「先にそっちの二つ練習して描けるかやってみろ」という鋭い声が飛んできた。
 そりゃそうだ、一度で描ける訳が無かった。手元の紙を見ながら複雑な紋様を指でなぞる。一つはそれほど複雑ではなく、しかしもう一つは点がやたら多い。これは配置に気を遣うぞ、と何度も練習している間、染井川さんはただ黙っていた。

「炬燵入ったら? 寒いでしょ」

 つけたばかりのストーブではまだ部屋は暖まりきっていなくて、染井川さんを気遣って言ったのだが、彼はやはり無言で首を振った。腕を組んで仁王立ちの様子は、夏のスパルタだった染井川さんを思い出させた。

「……染井川さんって、いつから俺のこと好きだったの」
「余計な事はいいから早くやれ」

 なんとなく聞いてみたら、普通に叱られてしまった。
 染井川さんオリジナルの紋は少しでもズレると形を成してくれなくてなかなか難しい。十分程練習を続けてやっと、紙を見ながらなら描けるようになった。描く順番は関係無さそうなので、先にその二つを描いてから、壁の紋、そして時間制限の紋を重ねていく。
 最後の紋を描き、それらを繋げて、窓に向かって飛ばした。
 ぴたりと重なった紋が、しゅう、と端から消えていく。

「あ……」

 これ、成功ってことかな。
 染井川さんを見るが、黙り込んで何も言ってくれない。窓へ寄っていって、掛け金を下ろして窓を開けた。カラカラと音をさせて軽く開いた窓の外へ、手を伸ばしてみる。
 指に、雨の感触がした。外に出た俺の手に、霧雨が降り注いで濡らしていく。
 出られる。紋を破った今なら、このまま外に。
 引き戻した手を撫でた。きっと染井川さんは止めない。止めてくれないだろう染井川さんに怒りが湧きそうになって、ぐっと奥歯を噛んで耐えた。目を閉じ、何度か深呼吸をしてから、振り返った。

「どーよ」
「……あ?」
「染井川さんの紋、破れるようになったぞ。すごいだろ、褒めろよ」

 ドヤ顔で腰に手を当てて胸を張ってみせると、染井川さんは思いきり眉間に皺を寄せて顔を顰めた。

「俺が紋を教えてやったからだろうが。ネタバラシしなきゃテメェにゃ一生解紋できなかったろ」
「教えてなんて言ってないし。いーから褒めろってばー」

 窓を閉めて染井川さんに小走りで寄って抱き着いたら、やはり彼の体は冷えていた。少し煙草臭いワイシャツに顔をぐりぐりと押し付けると、降参したらしい染井川さんが頭をわしわしと撫でてくれる。

「あーあー、偉い偉い、すごいすごい」
「もっとー」
「はぁ……。あのなぁ静汰。今お前、逃げられるんだぞ? 分かってんのか?」
「逃げるならご飯食べてからにするー」
「そうかよ」

 呆れる染井川さんに俺が満足するまで撫でてもらってから、体を離して見上げた。むすっとした仏頂面だが、それでも十分男前。かっこいいんだよなぁこの人、とじっと見つめていたら、耐えきれなくなったのか先に染井川さんが目を逸らした。若干目元が赤いから、照れているのかもしれない。

「染井川さん」
「何だ」
「逃げちゃう前にエッチしなくていいの? チンポ堕ちさせて逃げる気失くさせたり……いだっ」

 割と本気の拳骨を喰らって、頭を押さえて呻いた。

「飯の準備だ。こっち片付けとけ」
「え、あ、ちょっと」

 しまっておこうと思っていた紋の紙は染井川さんに奪い取られて、その場でビリビリと破ってゴミ箱に入れられてしまった。

「待ってよ、あの二種類の紋、なんだったの?」
「もう解紋したんだからなんでもいいだろ」
「良くない。気になる」

 染井川さんは珍しく俺の質問を完全に無視して、台所の方へ行ってしまった。
 閉まる襖を眺めて、もう一度あの紋を描いてみる。点点がいっぱいある方は、何故かすぐに覚えられた。点の配置は面倒だけれど、指が滑らかに動く。試しに襖に飛ばしてみたが、それは何の効果も現さないまま宙で消えた。紋自体に何かの効果があるものでは無いようだ。
 もう一つの紋は、描き易いけれど何でか指が引っ掛かる感覚がある。確かに覚えている筈なのに、迷わせるような配置で、まるで紋に拒絶されているみたいだ。
 いつか何かで使う事があるかもしれない、ともう何度か描く練習をして指が憶えたのを確認して、炬燵テーブルの上の本や筆記用具を片付けた。


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