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神は絶対に手放さない
32、デートすら叶わない
しおりを挟む揉め事が起きたらまずは本部に連絡と先生呼ぶんだっけ。
「志摩宮、三階の教室に居る先生誰か呼んできて」
「はい」
志摩宮はすぐさま階段を走って上がっていく。こういう時の行動の速さが犬っぽさを増してるんだよな、志摩宮って。
二段飛ばしの背中を見送って、俺はまず客に責められて半泣きの女子生徒に話し掛けた。
「実行委員の林です。何かありましたか?」
「あ……! あの、こちらの方々が、うちのお化け屋敷の中で、やってないオバケが出たって言ってて」
「は!? 私たちが嘘言ってるって意味!?」
「ちゃんとどっちの話も聞くので、少し落ち着いて」
詰め寄ってきた女性たちと女生徒の間に割り込み、両方を宥める。
身内から先にするとお客さんの方がヒートアップしそうなので、先に女性客たちから話を聞く事にした。
四人いたが、二人ずつが連れで互いに面識は無いようだった。五十代くらいの女性と、その娘の小学生。彼女達は、在籍生徒の母親と妹だと言う。それから、大学生らしき二人組みは卒業生らしい。
「虫を投げられたのよ。当たらなかったけど、床に落ちた虫が動いているのも見えたわ」
「私たちは、何か液体を掛けられたのよ。匂いも色もついてないから、水みたいだけど……注意書きも無いし謝りもしないし! こんなのありえないわよ」
中年の母親は、半泣きの娘の頭を撫でながら憤慨していた。
大学生の二人組みも濡れた服の裾を掴んで怒る。
彼女たちの怒りはもっともだ。された事が事実だというなら、完全にこのクラスの落ち度だと思うのだが、出入り口でモギリをしていた女生徒は、こちらも半泣きで必死に首を横に振っている。
「虫を投げる役なんて無いし、もちろん水を掛けたりもしないんです……! うちのクラス、やる気無い人多くて、オバケはみんな立て看板だけで! あとは怖そうな音楽かけて、出口にコンニャクが吊るされてるだけなんです!」
「マジか……」
女生徒の言葉は嘘には聞こえない。ここまで外が騒ぎになっているのに、教室の中から心配そうに廊下を窺っているのは釣り竿にコンニャクをぶら下げた男子生徒だけだ。
中に他に生徒が居ないとしたら、女性客たちは正に『ありえない』体験をしてしまったわけだ。
「だったら電気つけて中見せてみなさいよ!!」
嘘吐き呼ばわりされて激昂した女性客が叫ぶと、廊下の他の客達や生徒が一斉にこちらを注視した。隣のクラスの喫茶店に入ろうと並んでいた客達も、何事かと見守っている。
あまり大ごとにしたくない。それに、なんとなく俺には見当がついた。どちらも嘘は言っていないとしたら、だが。
「どうしましたか?」
駆け足の音と共に、男性教師と志摩宮が三階から降りてきた。
「先生、ちょっと話を聞いてて貰えますか。俺、中を確認してきます」
客と女生徒の相手を教師に頼み、志摩宮を手招きして出入り口に立たせた。
「……誰も入れるな」
「了解です」
コンニャク役の男子生徒にも、中には他の生徒が居ないと確認をとって、彼を廊下に出してから一人で中に入った。
出入り口は一個で、入り口からは見えにくいが左に出てくる方の通路がある。逆走する形で通路を進むと、狭い教室をお化け屋敷として使う為の策なのか、くねくねと何回も曲がりくねっていた。誰かがラジカセでも持ってきたのか、ザリザリと音割れするBGMは、むしろ雰囲気として合っている。音楽の途中でガチャリと音がして、また同じような音楽が掛かるのも、大人なら懐かしいと感じるだろうか。
通路の壁はダンボールで出来ていた。天井までは届かない壁の上から光がくるので、薄暗いが真っ暗ではない。
虫を投げられたとして、逃げるのもハッキリ見えるだろう。水を掛けられれば、壁越しに上から掛けられたと思っても不思議ではない。
バン! と壁を向こう側から叩く音がした。
生徒は誰も居ないはずだ。だったら、何がいるのか。
ここら辺かな、と体感で教室の中央あたりまで来て、いつもやっているように神様に経を詠った。
神様、神様。……シマミヤ。この教室に浄化を。
『ウギャアッ、ちょ、やめろって!』
転がり出てきた腰くらいの大きさの小鬼の、一本角を捕まえて持ち上げた。
青い肌の小鬼は、皮膚をガリガリと掻き毟って苦しんでいる。
「言ったよな。生徒に何かしたら殺すって」
『ちょっとだけだろ!? こっちだって腹減ってんだよ! アイダダダ、マジでやめて!! 死ぬ!!!』
「……はぁ」
浄化を止めると、小鬼はボンと音をさせて変化した。
尻尾が六本ある猫だ。身体のほとんどは白く、手足や鼻の周りだけが茶色の、シャムっぽい姿。ぺろぺろと首の後ろの毛並みを整えてから、ごろんとその場に寝そべった。
『これ、ビックリさせるとこだろ? 知ってんだよ。何代か前の飼い主が働いてたからな。夏は部屋より涼しいからって毎日連れてってくれたんだ。美味しい餌が食べ放題で最高の飼い主だったなァ』
しゃがんで顎下を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らす。もう半分以上妖怪になっていると分かっていても、猫は可愛い。
「まだ『驚く』以外の感情は食えねぇのかよ」
『『恐怖』も食えるようになったぞ。けど、それだとお前怒るだろ。まだスズが来てないのに、ここから追い出されたくねぇよ』
腹減って死にそうだ、という猫又を撫でていると、シマミヤが横に現れた。
「うわっ」
『おぉ、美味い美味い』
急に出てきたシマミヤの姿にビビった俺の感情を、猫又が丸呑みして舌なめずりする。
《 猫又か。静汰、猫好きだよね 》
「特に好きってわけでもないけど?」
小動物は可愛いが、だからといって特別猫が好きなわけでもない。
この学校に入学した当初に、地縛霊や居着いていた妖怪はあらかた追い出したのだが、この猫又だけは見逃したのだ。なんでも、同じ猫又の恋人の転生を待っているらしい。前世で同じ飼い主に飼われていた二匹が、転生したら飼い主の通っていたこの学校で落ち合う事を約束して死んだのだと聞かされて追い出せるほど鬼畜ではない。
「なんで鬼になんて化けてたんだ?」
五度めの転生で六尾になったこの猫又は、もう存在のほとんどが妖怪になっている。化け猫よろしく他の妖怪に変化するのも苦ではないようだが、空腹の中わざわざ力を使ってまで、何故鬼に化けたのか。
聞きながら撫でていると、ごろんと腹を見せて撫でていいぞと要求された。
『お前気付いてないのか。最近この学校、邪気だらけだ』
「邪気?」
『ああ。お前の住んでる所は浄化され過ぎてて近付けないが、こっちはこっちで邪気だらけで居辛い。だから邪気に慣れた小鬼の身体を借りてたまでよ』
己の身体は異界向きじゃないからな、と猫又は言って、今度はちゃんと尻尾が一本の猫に変化した。ニャン、と鳴くので抱き上げる。
「後で蛍吾と話聞きにいくから、呼んだら普通に出てこいよ」
くれぐれもビックリさせる感じで出てくるなよ、と重ねて言うが、猫又は目を逸らしてナァーオと長く鳴いただけだった。
「シマミヤ、お前は何か知ってる?」
邪気について、と聞こうとして振り返ったが、既にそこには誰も居なかった。
全く気まぐれでいい気なものだ。わざと内心で悪態をついてみたが、苦笑する声が聞こえただけで姿は見せてくれなかった。
諦めて、猫又を抱えて廊下に出た。
シャム模様の猫を抱えた俺の姿に、まだ教師に食って掛かっていた女性客達が目を丸くする。
「ね……猫?」
「はい。すみません、たぶんこの辺に住み着いてる野良です。人波に紛れて入っちゃってたみたいで」
人に驚いて捕まえた虫を投げてしまったのだろう、荷物置き場になっている通路の裏が荒らされていたから水はそこから溢したのだろう、と嘘八百を並べ立てると、客達も女生徒も、教師までもが驚きながらも「そうだったのか……」と納得していた。ギリギリあり得る大嘘は、むしろ受け入れられる確率が高いという典型だ。
撫でさせて~、と機嫌を直してキャアキャアしだした女性客達に少し撫でさせてから、教師に「学校の外に放してきます」と諾を得てその場を離れることにした。目で志摩宮に合図を送ると、無言で付いてくる。
「今日はたぶん来れないけど、明日か明後日には行くから」
そう猫又に言い聞かせて、校庭の隅で放した。
校庭の清掃用具入れのコンテナがある辺りだったので、軽く経で場を浄化してやると、ニャオッと短く鳴いて、コンテナの下に潜っていった。
「先輩、猫好きなんですか」
「別に。……あれ、猫は猫でも猫又だから。妖怪だよ」
「よ、うかい」
興味無さそうだったのに、妖怪と聞いて志摩宮は目を丸くしてコンテナの下を覗き込んでいた。
それより、問題は猫又の言っていた邪気の件だ。
校庭の端からは校舎全体が仰げる。霊視のチャンネルを悪い物の方へ切り替えたが、邪気は見えない。俺は素の霊力が弱いから、悪い物を見るチャンネルはかなり強めに設定してある。これで見えないなら、悪いものは無いと思うのだが。
少しずつ清浄なものが見えやすい方にズラしてみるが、片鱗も無い。
無い、と思ったのだが。一瞬、目眩がした。視界にノイズが走り、霊視していられなくなった。
「ッてぇ」
目を押さえて身を折った俺に気付いた志摩宮を手で制して、再度校舎を見上げた。
どこだ。どこか……どこか一箇所だけだ。一箇所だけ、おかしかった。
あそこだけ、歪んでいた。
集中する為に深呼吸すると、肩にひんやりとした感触が置かれた。
《 俺を使って 》
軽く肩を見てみるが、シマミヤの姿も掌すら見えない。けれど、彼の言わんとしている意味は伝わった。
神様。愛してる、シマミヤ。だから教えて。どこがおかしい。何がおかしい。どうやって、あの『おかしい』のを隠してる?
祈りながら、精細な霊視を強くイメージする。細かく、丁寧に、目を皿のようにして探す。
思えば、ずっとおかしかったのだ。学校の真隣の学生寮であれだけ連日詠ったのに、浄化が寮内だけに留まっていたなんて。海辺で一晩詠っただけで十数キロが半年安全圏になるくらいの浄化が出来る筈なのに、寮内だけだなんて。少しずつ祈ったからだとか、そんな理由じゃなかった。何かが、浄化の範囲を寮内に押し留めていたのだ。
あれだ。
北校舎と南校舎を繋ぐ、一階の連絡通路。見つけようとしなければ違和感すら抱かせない、小さな歪みが見えた。
「……移動してる?」
非常にゆっくりとだが、その歪みはそこに留まらず移動しているように見える。
文化祭中の人混みの中を、あれだけの力を持った誰かが、何かが。
「静汰っ?」
走り出した俺の後ろから、志摩宮が驚いたように声をかけてくるが、今は構っていられない。
校舎の邪気をひた隠しにする何かが、何らかの意図を持って校舎の中をうろついている。それだけで悪寒で背中に冷や汗が伝う。
神様、と咏いながら、全速力で走った。経を切らすと歪みが見えなくなってしまう。必死で頭の中を神様だけにして、ただ歪みを目指して走る。
後ろから、俺じゃない足音が聞こえる。多分志摩宮が追ってきてくれているのだろう。
校舎まで戻ってくると、移動していた歪みがある一箇所で動きを止めた。校舎へ入るのに外履から中履に履き替える一瞬、経を区切って志摩宮を振り返る。
「志摩宮、蛍吾に電話して。俺のスマホ、お前が持ってるでしょ」
はい、と志摩宮が返事するのを待たず、俺はまた走り出す。
経で再集中すると、まだ歪みは同じ場所から動いていなかった。
位置的に、昇降口の方向。校長室か、その隣の──小ホール。そこが今日は本部室として使われているのを思い出して、さーっと血の気が引く思いがした。
校舎内には人がごった返していた。当たり前だが、全速力では走れない。人にぶつからないように縫って小走りで、焦りで心臓がバクバク鳴る。
「静汰、繋がりました」
志摩宮が並走しながらスマホを俺の方に寄越そうとするので、首を振って「スピーカーにして」と頼んだ。その間に、加護で俺の声が蛍吾と志摩宮以外に聞こえないように念じる。志摩宮はすぐさまスピーカーボタンを押してくれ、スマホから蛍吾の呑気な声が聞こえてきた。
『どしたー静汰ちゃん。コスプレデート楽しんでるかぁ?』
「校舎内が邪気だらけだ。何かが邪気を隠してる。俺も今、神様になんとかしてもらってギリ見えてる。何かが校舎内に入り込んでるか、持ち込まれてる。今怪しいの見つけて、それが本部のあたりで止まってるから走って向かってる」
俺と志摩宮がどんな仮装をしているのかを知っていて揶揄う声音に、しかし聞き流して俺の今分かっている事実だけを列挙した。
は? と言って黙った蛍吾が、しかし数秒後に困惑を返してくる。
『俺には何も見えねぇ。邪気どころか何も……、何も? これだけ外部から入ってきてて、何も見えねぇ? ありえねぇだろ。は? ……何で気付かなかったんだ、なんだこれ気持ち悪い』
「本部室分かるか」
『一階の校長室横だったか? すぐ行く』
「おっけ」
切っていいよ、と志摩宮に合図して、また経を詠う。まだ本部室だ。
校長室を通り過ぎ、本部室前まで来ると多くの人が開けっ放しのドアから出入りしていた。
客達の誰もおかしな様相は無く、迷ったとか孫のクラスはどこだとか、些細な理由で実行委員を頼ってきているらしかった。
なのに、俺には視えていた。俺にしか視えていないのだろうが。
ソレは、禍々しい程の邪気を内包しながら、その身の周りを神気で包み込んでいた。
「あ、静汰くん、志摩宮くん、おかえりなさい。一周終わりましたか? 何事も無ければ、もう一周してきて下さい」
ソレを掌の上に乗せたまま、令慈は微笑んで言った。
四角い、木組みの箱。
白木を組んだようなそれを指ですべすべと撫でて、令慈は何事も無かったようにソレを『落し物』と書かれた箱に入れ、手元のノートに何かを書き込むようだ。
「り、令慈、それ」
「ん? これ、静汰くんの落し物?」
箱に入れた箱を令慈は指で掴んで出して、俺に差し出してきた。思わず仰け反る。触れたくない。俺は加護がある限り無事だと分かっているのに、本能がソレを拒否していた。
怖い。逃げ出したい。触れちゃいけない。
平気そうに箱を持つ令慈の気が知れない。
「静汰くん?」
「し……知り合いの、あ、け、蛍吾のやつに、似てて」
「ああ、そっか。じゃあ渡しておいてくれますか?」
はいどうぞ、と差し出されて、受け取らない訳にもいかず震える手を出した。掌の上に、優しい木の感触が落ちる。
「……ひっ」
ぞぞぞぞぞ、と悪寒が全身を走った。
確実に、中に、何か居る。
馬鹿デカい質量の何かが、掌を伝って俺の中を荒らしていっている。スキャンするみたいに俺を執拗に、隈無く舐め回されていく。百足みたいな多足の蟲が体内を這っていく感覚に鳥肌が立った。
気持ち悪いのに、けれど、落とす訳にもいかない。ここで、この中の何かの機嫌を損ねたら、何がどうなるか分かったもんじゃない。
蛍吾から聞いた話では、前の箱の時は俺の加護を割られ指の骨を全て折られたと言っていた。成り損ないでそこまでの力を持つのに、俺の手の中の箱の主はおそらく完全に成っている。
(し、シマミヤ~~~!!!!!)
助けを求めるが、彼の姿は現れない。シマミヤが加護は絶対に割れないと言い切ってくれればここで浄化を始めてもいいのだが、下手な事をしてシマミヤより強い神様だったら俺の人生がジ・エンドだ。
箱の中の何かはまだ俺の中を這いずり回っている。
涙目で動けない俺に、令慈は不思議そうに首を傾げた。
「大切な物でしたか?」
「い、いや……」
なんなんだよこの箱。これだけの邪気を纏っていて、普通の人間には害を及ぼさないのだろうか。箱に害意を持っていなければ大丈夫だというなら、この場では何もせず、蛍吾に託して本部に持って行って貰うのが一番だ。
早く来い蛍吾、と念じたら、ちょうど走って入ってきたところだった。
「静汰、一体何、が……」
何があった、と問うてきた蛍吾に、掌の上のソレを見せた。彼は目を丸くして黙る。そして、志摩宮の腕を掴んで俺にくっつけてきた。
「蛍吾?」
「どうだ」
「どうだ、って……あ、あれ。中からいなくなってる」
俺の中から、蠢く箱の中の何かが消えていた。気持ち悪い感覚が消えて、久しぶりに呼吸できた気がする。
「志摩宮、テメェ気ぃ利かせろ」
「……すみません」
何故か志摩宮が蛍吾に怒られて、申し訳ない気持ちになった。なんで志摩宮が触れたら居なくなったんだろう。志摩宮って、夏の間に少し視えるようになっただけで、何にも能力無いんじゃ無かったっけ?
「話は外で。……えっと、あんたが実行委員長さん?」
「はい。その箱の持ち主ですか」
「ええ、まあ。落とした覚えが無いんですけど、誰がここまで持ってきました?」
「すみません、お財布とかでなければ、拾ってくれた方の事は記録してないんです」
「外見だけでも覚えてませんか。男だったか女だったか、何才くらいだったとか」
「確か、男の人でした。線の細い感じの……白いワイシャツにスラックスで、生徒のお兄さんって感じでした。父親というには若過ぎるな、と思ったので」
なんとか記憶を辿って思い出そうとしてくれた令慈に礼を言って、俺と蛍吾、志摩宮は本部室を出た。
校舎を出た蛍吾は一本電話を掛けて、どうやら組織に迎えを頼んだようだ。
「志摩宮、悪いけどお前は残って」
俺がそう言うと、志摩宮は驚いたようだった。嫌だと被りを振って拒否してくる。
「どこだか知らないですけど、静汰と一緒に行きます」
「それだと見回りの実行委員が居なくなる」
「他にも数組居ます」
「でも、俺らだけ途中で仕事放棄すんのはダメだろ」
「なら、今戻って令慈に了解とってきます。どうしても抜けなきゃならないって」
「いや、それは……」
迎えの車を待つ間に揉める俺と志摩宮に、蛍吾が呆れて俺から志摩宮を剥ぎ取った。途端、また箱の中から流れ込んでくる何かが俺の中で這いずる。
「うぇっ」
「それ、耐えられんの?」
「……耐えるしかねーじゃん。蛍吾が触って平気かどうかも分かんないのに」
触れようとした蛍吾から遠ざけて、「結界もやめといて」と忠告した。
何がこの中のヒトの気に障るか分からない。対処出来そうな組織の本部に持っていくまでは、何もしないのが一番だと肌で感じるのだ。
「志摩宮。車が来るまでに戻ってこれたら連れてってやる。許可貰ってこい」
「はい!」
蛍吾が承諾すると、志摩宮はパッと顔を明るくして走って行った。蛍吾も志摩宮の扱いが上手い。
「で? これ、その様子だと神様いるの」
聞かれてノータイムで頷いた。
「加護あるし気ぃ張ってるのに俺の体の中に入り込んできて動き回ってる。今のところ悪意は無いのかもしれないけど、めちゃくちゃ気持ち悪くて泣きそう」
俺の返事を聞いて、蛍吾は考え込んだ様子だ。校舎の方を見つめ、眉間に皺を寄せている。
「校内の邪気は、正常に戻ってるな。……この箱の周りだけ、浄化されてるみたいに綺麗だ」
「そう。周りだけめちゃくちゃ強い神気があって、それが目くらましになってて中身の邪気が見えないんだよ」
なんでコレに気付いたんだ、と聞かれ、かいつまんで出店の騒ぎとそこで猫又に聞いた事を話した。
「その言い振りだと、結構前からこの箱が校内にあったことになるな……」
「うん。猫又には神気が感じられないから、俺らみたいに目くらましされずに邪気が見えてるんだと思う」
妖怪はどちらかといえば生き物に近い。普通の人間には少し見え辛いだけで、肉体もあるし物理的に殴れば死ぬ。霊力の少ない妖怪は霊力の少ない人間と同じく霊は視えないらしいので、猫又もその類なのだろうと見当をつけた。
掌の箱を見下ろす。
加護を切って自分の霊視だけで見るそれは、ただただ神々しかった。
溢れんばかりの清浄さに、眩いばかりの煌めき。スマホゲーのガチャでこれが出てきたら、SSSレア確実。☆5どころか☆6だ。
こんなものが校内にあったのに、何故俺も蛍吾もずっと気付かなかったのだろう。
シルバーのセダンが正門から少し離れた所に停まったので、蛍吾が先に車へ話しに行くとそちらへ行った。
校舎を振り向くが、まだ志摩宮は戻ってこない。
連れて行かない方がいいかもしれない。コレは危険だ。志摩宮を巻き込んで何かあったら、死んでも死に切れない。
彼を待たずに先に行ってしまおうと、蛍吾を追いかけて車の方へ歩き出す。
箱の中の何かは、まだ俺の中を彷徨っていた。ぐるぐると二周も三周もして、それでもまだ疑ぐり深く探っているようだ。
「あれ?」
助手席のガラスを開けた扉越しに中の運転手と話していた蛍吾が、俺の方を振り向いて一瞬呆気に取られ、しかし俺の手の中の箱を見て顔を顰めた。
「どした」
「それ、その箱。少し離れると見えない」
「見えない?」
「どんくらいだろ。……二、うん、二だな。二メートル範囲でなら見える。それより離れると見えなくなる。神気ごと」
これだけの神気を纏った物体が、それごと見えなくなる?
俺から離れたり近付いたりして調べていた蛍吾が、眉間を指で揉みながら一層苦い顔をした。
「これを校内に持ち込んだ奴もだが、見つけたって届けた奴の方も怪しいな。つーか、こんなの普通落し物として届けるか? ただの木っ端だろ」
蛍吾が箱を木屑のようだと揶揄すると、途端に箱からぶわっと黒い靄が湧いた。やたらと指の長い手のような形をした靄が二本、蛍吾に向けられる。大きく振りかぶり、爪先で彼を引き裂こうと振り下ろされる。
「あ……」
靄を見上げた蛍吾が、唐突なそれに反応できず固まった。
あ。ダメだ、間に合わない。
神様、と祈るも、間に合わないのが感覚的に理解出来ていた。
爪が、蛍吾を。
目を閉じてしまいそうになった瞬間、横から黒い物が飛んできて、ぶつかった蛍吾ごとゴロゴロと地面を転がっていく。よく見れば、それは物ではなく志摩宮だった。
「っせ、セーフ……っスか!?」
化粧を落として制服姿に着替えてきたらしい志摩宮が、蛍吾の上に乗っかって彼の無事を確かめていた。
「う……」
「あ、やば、血ぃ出てます。先ぱ……じゃなかった、静汰、蛍吾先輩怪我しちゃいました。なんか救急セットとか無いですか」
蛍吾は、志摩宮がぶつかった衝撃で頭を裂かれる事は避けられたようだ。だが、肩に爪の裂傷が入って、ぱっくりと割れたそこから肉が見えていた。
運転手が降りてきて、懐から出したハンカチを傷に当てて止血を始めたので、蛍吾に触れて浄化を施そうとして、しかし思い留まった。
この箱が俺の手にある状態では、何もするべきではない。下手に触れて蛍吾に中のものが移ってもいけない。蛍吾達から少し離れて、そこから神様に経を詠った。箱に浄化が掛からないよう、蛍吾の傷だけを強く念じて浄化を掛ける。
「蛍吾、大丈夫?」
「……頭打ったから、気ぃ失っちゃったみたいです」
すみません、と謝ってくる志摩宮に、お前のせいじゃないと首を振った。
「助かった。志摩宮が来てなかったら、蛍吾死んでた」
「走ってきて正解でした」
本当に、と心の底から礼を言うのに、志摩宮はそれほど興味もないみたいにそれを受け取った。そして、運転手と協力して蛍吾を後部座席に運び込み、シートに横たえられた蛍吾の頭を膝に乗せるようにして自らもそこへ座る。
俺も黙って助手席に滑り込んだ。運転手が運転席に座り、車は急いで組織の本部へ動き出す。
「……」
俺はひどい奴だ。
怪我して失神している蛍吾の心配より、俺以外を膝枕している志摩宮への怒りが止まらない。醜すぎる嫉妬心。なにもこんな時に湧いてくることもないのに。
志摩宮なんかより、よほど俺の方が嫉妬の神に相応しい気がするよ。
肝心な時には絶対に姿を見せてくれないシマミヤが、やはり俺のそばで小さく笑うのが聞こえた。
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