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神は絶対に手放さない
2、忠犬
しおりを挟むその翌日から、志摩宮は本当に俺の舎弟になったつもりだったらしく。
教師が何度言っても俺の教室前の廊下から動かない上、説教をかました教師を殴り飛ばしてしまったものだから、教師側の方から俺に「授業中くらいは自分の教室に帰れと言ってくれ」と懇願されてしまった。
遅刻早退常習の俺はもとからクラスからは浮き気味だったが、それが致命傷になって、今まで話しかけてくれていた数人からすら避けられるようになってしまったので、諦めて手綱を握る事にしたのがその一週間後の話だ。
キレやすく噛み癖のある犬なんて要らないからな、と言い含めた志摩宮は、しっかりと俺の言いつけを守り、急に俺に殴りかかってくる事は今のところ無い。
その一ヶ月後には、もう俺のクラスに常駐するのが当たり前になっていて、大人しく俺の側に居るだけの志摩宮の存在を、クラスメイトも許容し始めていた。
「……で、一応本部に報告したら、連れてこいって事になった」
「マジかー」
一番後ろの席に座る俺の隣で、予備の机と椅子にさも当たり前のように座っている志摩宮は、今は机に寝そべってスマホを操作している。
離れた自席から俺の席に来た蛍吾と、昨夜の事について話していた。
肉体のある呪いのようなアレに触れられても無効化した謎の存在。神の気配は察知出来ないことも当然報告したらしいのだが、とにかく連れてこいとの事だった。
「なあ、お前今度の土曜空いてる?」
「空いてます」
「確認してから答えろよ」
「空いてなくても空けるんで大丈夫です」
不意に話しかけても、志摩宮は即座に返事をする。
急に殴りかかってきたヤンキーがどうしてこんな忠犬になったのか、皆目見当がつかない。
とにもかくにも、と土曜に車で迎えに行くから待ち合わせ場所に来るよう指示すると、用事が何かも分からないだろうに志摩宮は了承したのだった。
当日の朝、バスの関係で早めに着いた筈だったのに待ち合わせの駅ロータリーには既に志摩宮が居た。
「早くね?」
「先輩を待たせられませんから」
蛍吾はトナリグミの人と車で来る筈なので、必然的に二人で待つことになる。
直射日光を避けるように木陰のベンチに移動すると、志摩宮もついてきた。六月も半ばになると、雨が降らなければ初夏の陽気だ。日差しが肌に当たるとじりじりと焼けて痛い。半袖じゃなくて薄めの長袖を着てくれば良かった、と少し後悔した。
ベンチに並んで座り、何を話して待とうかと考えていると、先に志摩宮に訊ねられた。
「聞きそびれてたんですけど、この前の夜って、蛍先輩とあの山で何してたんですか」
「俺達はまぁ、散歩? そろそろ夏休みだし、花火できそうなとこの下見だよ」
「気が早いですね」
志摩宮の言うことは尤もだ。が、真面目に答えるつもりは毛頭無いのでスルーする。
「それより、お前はどうなんだよ。あんなとこ、普通あの時間に来ないだろ」
一応何度か下見もして、それで季節的にもまだ肌寒い夜にあそこまで登ってくる人間がいないことを調べてからの実行だったのだ。何用だったのか、聞いてみると予想外な答えだった。
「暇だったんで、女呼んで青姦するつもりだったんです」
「……へー」
高校生活は勝手気ままに満喫中だが、男女交際は未経験で、いまだ童貞の俺には衝撃的すぎた。
あんな所で。アオカンてあれだよな、外でエッチするって事だよな、と顔に出ないようにしつつも内心は大混乱だ。
「彼女いるんだ、志摩宮。同じ高校? それとも中学の時の?」
「ただのセフレですよ。ヤりたくなったら呼べば来るやつ。彼女なんていたら先輩と
一緒に居る時間減るじゃないですか」
「あ、そう」
ああダメだ、理解不能だ。俺と文化が違う奴だ。さすがヤンキー。助けて蛍吾。
俺の魂の救難信号が届いたのか、ちょうどよく目の前に黒いセダン車が停車した。
「林様、志摩宮、おはようございます」
助手席から降りてきた蛍吾は、今日は濃紺のスーツ姿だ。髪も後ろに撫で付けられている。先日新調したシルバーブルーの眼鏡もよく似合っていた。
組織の構成員である運転手の前だからか、恭しい態度で後部座席のドアを開け、俺に運転席の後ろの席に座るよう手招きする。志摩宮は俺の隣らしい。
「申し訳ありませんが、志摩宮には目隠しをさせて頂きます」
胸ポケットから目隠し布を取り出し巻こうと手を伸ばした蛍吾の手を、あまりに素早い動作で志摩宮が手の甲で振り払う。
「志摩宮」
「先輩がしてくれるならいいですけど」
「自分でやれ」
志摩宮は叩き落とした細長い布を自分で拾い、唇を尖らしながら自ら巻いた。彼が目隠しをしたのを確認して、蛍吾も助手席に戻ってシートベルトを締めると、間も無く車が発進した。
隣に視線をやり、目隠し布を注視する。目立たないが、ご丁寧に音遮断と感覚遮断の紋様が刺繍されていた。組織の本部の場所を悟らせない為の措置だろう。
「今日は上の人たちだけ?」
「他の神子様達もおいでです。志摩宮が神子ならば、神様方がお気付きにならない筈がありませんので」
「そっか」
シートに背を凭れさせ、気乗りしないなと深く息を吐いた。
俺はもう本部の場所を知っているから、着くまでに仮眠する時間すら無いなとげんなりする。
他の神子には出来れば会いたくない。奴ら、自分達はずっと神様と一緒にいて愛されてるからって、俺を『神無神子』と蔑むのだ。
「終わり次第、すぐに帰宅出来るようにしますので」
気遣った蛍吾が、こちらを振り返りながら付け足す。頷いて返し、瞼を閉じた。
二年後には、奴らと生涯同じ場所で生きていかなければならないのだ。今から慣れておかなくてどうする、と自分を奮い立たせる。
ものの数十分で、車は停車した。建物の地下駐車場で降り立った俺は、志摩宮の手を引いて連れて行く。
叩かれるかと覚悟しながら触れたのだが、志摩宮は驚くほど大人しかった。
本部の建物内部を、運転手と蛍吾の先導に着いていく。両側に襖がズラッと並ぶ板張りの廊下を靴のまま進む。森の中かと思うような白木の匂いと、むせ返りそうなほど焚かれた香の匂い。
気持ちの悪い宗教施設のようだと、来る度思う。
ここで暮らす神子達が穢れない為の防邪の結界の所為なのだと蛍吾に聞いたが、俺にしてみれば神子を逃さない為の結界にしか思えなかった。
「皆様もうお揃いです」
同じような襖が並んで目が回る寸前、ようやくこの空間に不似合いなスーツの男が二人して襖の前に立っていた。言外に「遅い」と言われるが、そちらへ視線を向けることすらしなかった。
運転手が脇に避け、蛍吾を先頭に、俺と志摩宮が襖の奥の部屋へと入った。
だだっ広いフローリングの部屋に一人用のソファが十七個、奥へ向けて配置されている。そのうち十六個はもう既に埋まっているので、端の残り一つに俺が腰を下ろした。志摩宮と蛍吾は俺のソファの隣で立って待機するようだ。
俺達が入って来て、中に居た神子達が静まりかえる。そして、内容までは聞こえない囁き声で俺達を見て嫌な笑みを浮かべる。数人は俺に全く興味が無いのか、横に居る自分の神と会話をしているらしいが、大半は神と俺とを見比べて嘲笑っているようだ。
「気分わりぃ」
「どうか、ご辛抱を」
蛍吾が俺の肩に手を置いてくる。その手に俺の手を乗せ、ゆっくりと息を吐いた。
同じ神様にも、ランクがあるらしい。
俺の神様はどうやらめちゃくちゃランクが低いらしく、他の神様にはその存在自体が知覚してもらえないんだとか。その低ランクの神にすら相手にして貰えないからと、俺のここでの評価も地を這うようなものだ。
蛍吾と、この中で一番ランクの高い、『寛容の神』だけが、俺の神様の存在を証明してくれるから、俺はここに縛りつけられている。俺の一つ上のランクの神は『古茶碗の神』だというのだから、俺の神様がどれだけ雑魚いかは推して知るべし、というやつだ。神様に雑魚とか言っちゃダメなんだろうけどさ。
蛍吾が一言「こいつに神なんてついてませんよ」と言ってくれれば俺は解放されるのだが、そうなると帰るべき実家の無い俺はその瞬間からホームレスだ。
バイト代は地道に貯めておいてはいるが、それで一人でやっていけるかと聞かれれば、俺には無理だと答えるしかない。
だから、我慢するしかないのだ。厄介な神様に見初められたものだと、諦めるしかないのだ。
「……して皆様、いかがでしょうか」
部屋の一番奥、壁の前で立っていたスーツの妙齢の男が、俺が知る限りでは組織のトップだ。
組織のトップではあるが、神子を前にすれば俺よりも地位が低い。歪な組織。
「私の神様は、神無神子の連れは神子ではないと言っているわ」
「僕の神もです」
「私の方も、神子ではありえない、と」
志摩宮を視た神子達は、口々に否定する。
蛍吾ですら知覚できなかったのだから、当然の反応だった。
「沙美様。あなたの神は何と」
「あたしの神様も、神子では無い、と言っているわ」
寛容の神の神子である沙美が、話を振られて渋々と言った様子で口を開いた。自分を煩わせるなと、トップを前にしてソファにふんぞり返っている。
「ねえ、これだけの為に呼ばれたの?」
「静汰様の現状観察も含まれております」
「神無神子にはいまだに神が憑いてるわ。っていうか、私の神が言ってたでしょ、そいつの神がそいつを見放すのは有り得ないって。もう終わり? 私今日はボディエステしてって希望してたはずなのだけれど?」
沙美は我慢しきれないようにソファから立ち上がり、スーツの男達が止めるのも聞かずに襖を開けて部屋を出ていってしまった。彼女に続き、ぞろぞろと神子が立ち上がって部屋を出ていく。
結局残されたのは俺達とトップの男と、数人の構成員だけだ。
「……君にはいつも、不愉快な思いをさせてすまないね」
「別に」
トップに溜息混じりに謝罪されるが、素気無く言葉を返した。
用事が済んだなら帰りたいのは俺も同じだ。
「彼が、君の力をもってしても傷つけられなかったというのは本当かね」
「はい」
トップに志摩宮の目隠しを取ってもいいと了承を得て、黙って立っていた志摩宮の頭に巻かれていた布を外す。
「志摩宮、全部避けろ」
俺の加護を全力で使って、志摩宮に殴りかかる。五、六発殴りかかって蹴りまで繰り出しても、志摩宮には傷一つつけられなかった。
俺がその気になればこの場の志摩宮以外の人間全てを殴り倒すことが出来ると知っているトップは、その光景に呆気にとられたようだった。
「……もういい」
「はい」
俺が腕を下ろすと、ようやく光を取り戻したら知らない場所に居る筈の志摩宮は、しかしそんな事などどうでもいいかのように、俺との遊びが終ってしまった事にしょんぼりと尻尾を揺らす。
「え、終わりですか? 避けるだけも楽しいですけど、やっぱりやり合いたいです先輩」
「また今度相手してやる」
「やった!」
俺に付き纏っていたのはどうやら再度喧嘩ごっこのようなものを期待していたからだったらしい。
露骨に喜色満面で、ぶんぶんと左右に振れる尻尾が見えるようだ。
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