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おかえり、ローガちゃん
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ふと気づくと、五十年が経っていた。
金婚式ではないか。
取り立ててお祝いすることもないが、
「まあ旅行ぐらいしとく?」
って感じで、十月末、函館に行くことにした。
城跡好きの夫の趣味を優先して、五稜郭へ。
おー、なんてけなげな良き妻!
「ここまできたのもひとえに私の忍耐やねえ」
「ほんま、そうや、そうや」
「えらい素直やね」
「いや、ここで反論したら、言葉のつぶてが襲いかかって来る。それを学習する時間は、まあたっぷりあったな」
私の発熱を案じながらも秋晴れの当日を迎え、伊丹空港から函館空港までのルンルンの空の旅。
仲のいいふりをして、バスで五稜郭に到着。
説明のパンフレットを見ようとして、思わず声が出た。
「あっ、ローガちゃんがいない!」
リュックもバッグも中を全部出してみたけれど、老眼鏡が見当たらない。
朝からずっと遠近両用メガネをかけていたが、やはり小さな字は老眼鏡でないと見にくい。
いつもいつもお世話になっている相棒で『ローガちゃん』と呼んでいる。
日常的にかけているのは『エンキンさん』
どこかで落としたのか、まさか飛行機? あれほどあれほど確認したのにー。
ないものはない。ずっとエンキンさんに頼るしか。
まあ、しゃーないなと。忘れ物名人、諦めは早い。
五稜郭タワーは、想像以上に立派で楽しんだ。
外に出ると、流石に北国。周りは見事な紅葉。
空は晴れ渡り、空気も澄んでいる(気がする)。
気分爽快で、函館中の空気を吸い込んだ。
レンガ倉庫街もぶらぶら歩き、お寿司もおいしかった。
夜、読もうと思って持ってきた新書が読みづらい。
(いつも本ばかり読んでるんだから、旅先でまで読まんでもいい)
そう言い聞かせるのだが、習慣とは恐ろしい。本が離せない。
あー、ローガちゃんでないとやっぱあかんわ。
翌日は『特急北斗』で札幌へ。
本をリュックにしまって、車窓からの景色を堪能した。
広やかな草原や海岸沿いはうっとりとする。
ただ、単線のところも多く、木の枝が窓に触れバチバチ音がするんやないかと、
勝手にJR北海道の行く末を案じるくらい山が迫っている。
着いた快晴の札幌の街も何とも心地よく、あちこちのんびり歩き回り、空気を全部吸い込んできた。
帰路の三日目は、途中下車して、
夫の趣味に合わせて『エスコンフィールド』という日本ハムのドーム球場へ寄ってきた。
もちろん試合はしていなかったが、無料で入ることができ、夫はご満悦であった。
おー、なんてけなげな良き妻!
そして、新千歳空港へ。
どでかいキャリーバッグをゴロゴロ転がす観光客でものすごく込み合っていた。
とりあえず搭乗手続きだけ済ませようと、JALのカウンターへ急ぐ。
ウロウロしていると、ばっちりメイクしたグランドスタッフの素敵な女性が声をかけてくれた。
「予約番号はお分かりですか?」
夫がスマホを心配げに差し出す。
「ここに入ってるんですが」
「予約番号とか書いたメモとかお持ちではないですか?」
「全部ここに。予約した旅行社で、これで大丈夫と言われたものですから」
スマホを手にしたそのスッタフさん、目にも止まらぬ速さで、スワイプする。
(あんなに動かしたらもうどこにあるか分からへんのにー)
彼女のイライラ感は横にいるのもつらく、怖くさえなってくる。
質問とスマホシュパーシュパーを繰り返す。
かなりの時間を要した後、
「有人のカウンターへお並びください」
うわー、ものすごい列、しかも外国の方ばかり。
げんなりとして最後尾につくと、優しそうなスタッフが
「お困りですか?」
声をかけてくださった。
事情を話すと、カウンターでパソコンに入力して、あっという間に搭乗手続きを済ませてくれた。
(この人だったらちょっと尋ねてみようかな)
「あのー、函館空港着の便で忘れ物したみたいなんですけど」
「あーそれでしたら、こちらでは無理なんです。ホームページからお問い合わせくださいませ」
「ありがとうございました」
(今どきは人間にお願いするのは無理なんやわ。ゴメンねローガちゃん、今どこにいるんだろう? グスン)
まあダメもとで、帰ってから検索しよう。
旅行代プラス眼鏡代、うっかりバアサンの余分な出費やなあ。
混み合う中、なんとか食事をし、お土産物屋さんをひやかして、無事に帰ってきた。
翌日、満を持して、自宅のパソコンでJALのホームページへ。
まず、海外の旅行案内の美しい夢のような画像が流れる。
ほーっと見とれる。
(そうや! のんびりこんなん眺めてる場合やなかった)
ローガちゃん不在で見にくい。
背中を丸め、必死にホームページの奥へ分け入る。
(なんて分かりにくいんやろ。
忘れ物のページなんてどこにあるん?
どこかで落としたかもしれんし、諦めよかな)
パソコンを閉じようと思いかけたとき、『お忘れ物問い合わせフォーム』なるものにたどりついた。
一覧表を見ると、あるではないか!
『眼鏡1』
小躍りしながら、詳しい状況を伝えるメールを送る。
翌日電話がかかってきた。
「お預かりいたしておりますので。函館空港まで取りにお越しくださいませ」
私は、スマホをにぎりしめ思わず叫んだ。
「無理です!!!」
着払いで送ってもらうことで話がついた。
二日後、小さな宅配便が届いた。
開けて、思わずほおずりした。目になじむ。うるうる。
「おかえり、ローガちゃん」
金婚式ではないか。
取り立ててお祝いすることもないが、
「まあ旅行ぐらいしとく?」
って感じで、十月末、函館に行くことにした。
城跡好きの夫の趣味を優先して、五稜郭へ。
おー、なんてけなげな良き妻!
「ここまできたのもひとえに私の忍耐やねえ」
「ほんま、そうや、そうや」
「えらい素直やね」
「いや、ここで反論したら、言葉のつぶてが襲いかかって来る。それを学習する時間は、まあたっぷりあったな」
私の発熱を案じながらも秋晴れの当日を迎え、伊丹空港から函館空港までのルンルンの空の旅。
仲のいいふりをして、バスで五稜郭に到着。
説明のパンフレットを見ようとして、思わず声が出た。
「あっ、ローガちゃんがいない!」
リュックもバッグも中を全部出してみたけれど、老眼鏡が見当たらない。
朝からずっと遠近両用メガネをかけていたが、やはり小さな字は老眼鏡でないと見にくい。
いつもいつもお世話になっている相棒で『ローガちゃん』と呼んでいる。
日常的にかけているのは『エンキンさん』
どこかで落としたのか、まさか飛行機? あれほどあれほど確認したのにー。
ないものはない。ずっとエンキンさんに頼るしか。
まあ、しゃーないなと。忘れ物名人、諦めは早い。
五稜郭タワーは、想像以上に立派で楽しんだ。
外に出ると、流石に北国。周りは見事な紅葉。
空は晴れ渡り、空気も澄んでいる(気がする)。
気分爽快で、函館中の空気を吸い込んだ。
レンガ倉庫街もぶらぶら歩き、お寿司もおいしかった。
夜、読もうと思って持ってきた新書が読みづらい。
(いつも本ばかり読んでるんだから、旅先でまで読まんでもいい)
そう言い聞かせるのだが、習慣とは恐ろしい。本が離せない。
あー、ローガちゃんでないとやっぱあかんわ。
翌日は『特急北斗』で札幌へ。
本をリュックにしまって、車窓からの景色を堪能した。
広やかな草原や海岸沿いはうっとりとする。
ただ、単線のところも多く、木の枝が窓に触れバチバチ音がするんやないかと、
勝手にJR北海道の行く末を案じるくらい山が迫っている。
着いた快晴の札幌の街も何とも心地よく、あちこちのんびり歩き回り、空気を全部吸い込んできた。
帰路の三日目は、途中下車して、
夫の趣味に合わせて『エスコンフィールド』という日本ハムのドーム球場へ寄ってきた。
もちろん試合はしていなかったが、無料で入ることができ、夫はご満悦であった。
おー、なんてけなげな良き妻!
そして、新千歳空港へ。
どでかいキャリーバッグをゴロゴロ転がす観光客でものすごく込み合っていた。
とりあえず搭乗手続きだけ済ませようと、JALのカウンターへ急ぐ。
ウロウロしていると、ばっちりメイクしたグランドスタッフの素敵な女性が声をかけてくれた。
「予約番号はお分かりですか?」
夫がスマホを心配げに差し出す。
「ここに入ってるんですが」
「予約番号とか書いたメモとかお持ちではないですか?」
「全部ここに。予約した旅行社で、これで大丈夫と言われたものですから」
スマホを手にしたそのスッタフさん、目にも止まらぬ速さで、スワイプする。
(あんなに動かしたらもうどこにあるか分からへんのにー)
彼女のイライラ感は横にいるのもつらく、怖くさえなってくる。
質問とスマホシュパーシュパーを繰り返す。
かなりの時間を要した後、
「有人のカウンターへお並びください」
うわー、ものすごい列、しかも外国の方ばかり。
げんなりとして最後尾につくと、優しそうなスタッフが
「お困りですか?」
声をかけてくださった。
事情を話すと、カウンターでパソコンに入力して、あっという間に搭乗手続きを済ませてくれた。
(この人だったらちょっと尋ねてみようかな)
「あのー、函館空港着の便で忘れ物したみたいなんですけど」
「あーそれでしたら、こちらでは無理なんです。ホームページからお問い合わせくださいませ」
「ありがとうございました」
(今どきは人間にお願いするのは無理なんやわ。ゴメンねローガちゃん、今どこにいるんだろう? グスン)
まあダメもとで、帰ってから検索しよう。
旅行代プラス眼鏡代、うっかりバアサンの余分な出費やなあ。
混み合う中、なんとか食事をし、お土産物屋さんをひやかして、無事に帰ってきた。
翌日、満を持して、自宅のパソコンでJALのホームページへ。
まず、海外の旅行案内の美しい夢のような画像が流れる。
ほーっと見とれる。
(そうや! のんびりこんなん眺めてる場合やなかった)
ローガちゃん不在で見にくい。
背中を丸め、必死にホームページの奥へ分け入る。
(なんて分かりにくいんやろ。
忘れ物のページなんてどこにあるん?
どこかで落としたかもしれんし、諦めよかな)
パソコンを閉じようと思いかけたとき、『お忘れ物問い合わせフォーム』なるものにたどりついた。
一覧表を見ると、あるではないか!
『眼鏡1』
小躍りしながら、詳しい状況を伝えるメールを送る。
翌日電話がかかってきた。
「お預かりいたしておりますので。函館空港まで取りにお越しくださいませ」
私は、スマホをにぎりしめ思わず叫んだ。
「無理です!!!」
着払いで送ってもらうことで話がついた。
二日後、小さな宅配便が届いた。
開けて、思わずほおずりした。目になじむ。うるうる。
「おかえり、ローガちゃん」
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