浦上の犬 後編

はまだかよこ

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浦上の犬 後編

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 「お母さん、これ何? いつにまして面白くないよ、ダラダラ長いだけで。何が書きたかったん? 」
「いや、だから浦上の犬」
「訳分からないわ。どんな表紙描け言うの」
「なんやったら、水色と茶色半分ずつ塗っとってもらったらええわ」
「あほらし。去年から『長崎』『長崎』って騒いでたけど、何なん」
「書きたかったから」
「何で縁もゆかりもない長崎を書きたくなったん? すぐ影響されて思い込みの激しい人やから、何かがあったとは思うけど」
 一応書き終えたものを、娘にメール添付で送った。厳しい(すぎる)グサッとくる感想が返ってくるのは常なのだが、表紙を描いてもらっているので送らないわけにはいかない。
しかも、いつも的を射ているのが悔しい。
 
 去年の夏、友人の麻衣子さんが『少年と犬』というごく短いエッセイを書いた。ご夫君、敬一氏の少年時代の長崎市浦上を舞台にした犬の話だった。それを読んだ私が、とっさに言った。
「面白いテーマやねえ、もっと長いストーリーに仕立てたらいいのに」
「私は無理、かよこさんにあげるから書いて」
それにひょいとのっかり、猛然と書きたくなってしまったのだ。一所懸命考え、大阪府内の麻衣子さんのご自宅にまで押しかけ、敬一氏にもお目にかかった。
(書きたい! でもどうしたら? )
 本をかなり読み、慣れないインターネットも検索した。当日の爆心地の地図や資料も入手した。でも、モヤッとしたままだった。
(とにかく一度長崎へ行かなければ始まらない)
そう思い込んだ。ただ、難題が二つあった。

 まず、ころな禍で『不要不急の外出を控える』という世間の常識。こんな用事は、その最たるものに間違いない。
次に、私の体調。普段は元気なのだが、月に一度くらいのペースで(それもランダムに、予兆なく)高熱を出す。
主治医公認の『胆管炎』なのだが、
(まあなんとかなるわ)
 持ち前の能天気な性格で、ルンルンと、十一月に往復飛行機の旅行の予約を取った。しかし、案の定、四日前に発熱。夫に、
「やめてくれ、長崎まで迎えによう行かん」
 そう言われ、泣く泣くキャンセルしてもらった。迷惑かけて無駄遣いをして落ち込んだ。

 再度のチャレンジと、三月にまた予約を入れた。今度は新幹線だ。ずっと体調が良かったので自信があった。ところが、またしても発熱。
「でも大丈夫。まだ四日ある。経験上治るのは間違いない」
 そう言いながら、冷えピタをおでこに貼って、準備をした。薬も保険証もリュックに入れ万全だ。ところが、前日に娘からものすごい勢いの電話がかかってきたのだ。どうもラインに私がチラッと書いたようだ。
「ころなの中、何考えてるの! 発熱の婆さんが一泊旅行なんて! お母さん、いっぱしの作家気取り? 信じられない」
 またしても、泣く泣くキャンセルしてもらった。直前なのでキャンセル料が悲しすぎた。

 でもしつこく『三度目の正直』と、五月にホテルを現地払いの予約だけ取り、誰にも言わず、まるで反社会行動している老婆のごとく、こっそりと出発した。長崎駅の近くで食べた『皿うどん』のおいしかったこと。きっと、
(やっとこれたあ)
そんなうれしさが加わっていたのだろう。

 長崎は緑の溢れる美しい街。『原爆資料館』では胸えぐられるパネル、平和を希求する様々な映像や、ていねいな展示をたくさん見た。それから、『原爆落下中心地』を通って路面電車に乗り、ホテルに着いた。夜うろうろして疲れるとだめなので、コンビニのおにぎりを食べて、すぐベッドに入った。
 翌朝、早すぎたが、またコンビニのサンドイッチで朝食を済ませ、ホテルを出た。
 方向音痴で迷いながら『浦上天主堂』へ。坂道を上って『如己堂資料館』を訪れた。永井博士の長男の誠一氏のご子息が館長を務めておられた。長女の茅乃さんも亡くなられたそうだ。館長は無口な方で、関西のおばちゃんもそれ以上は伺えなかった。   
 その後、まるで教会のような赤煉瓦造りの立派な『山里小学校』へ立ち寄った。そして、『平和公園』へはゆっくりと坂道を下った。天まで届くのかと思うようなエスカレーターに乗ったところに、静かな公園が広がっていた。吹き上げる噴水が全てを浄化するように水しぶきをあげ、心まで洗われるようだった。奥に建つ『平和記念像』の前で、静かに手を合わせた。
 タクシーで、長崎大学医学部の前を通り、『一本鳥居』へ。大きな『クスノキ』を見て、帰路についた。まだ日は高く、ちょっと観光もと、未練があったけれど、
(欲を出したらあかん。来られただけで十分)
と自分に言い聞かせた。

(さあ、書こう)
 無事に帰った私は、そう思ったけれど、長崎へ行ったからといって話が書けると思ったのは甘すぎた。
以前放映していた『NHK特集』を見つけたが、ころな禍で、放送局で観ることは断られ、途方にくれた。
困る度に敬一氏にメールでお尋ねし、教えて頂いた。
 四苦八苦して、なんとか書き終えたけれど、困ったのが長崎弁だ。ネットで調べてメモしながら、書いてみたものの、果たしてこれでいいのか調べようもない。少女時代を長崎で過ごした友人が、
「私の義理の弟が、長崎弁そのまんま、電話で確かめてあげる」
そう言ってくれた。ほんと迷惑な婆さんである。そうして無理やり書き上げた作品が、『浦上の犬 前編』なのだ。
見せた娘に、
「ボツにすれば」
と、冷たく言われたけれど、それは余りに切ない。

 「後編」(あとがきと言うべきこれをそう呼んでいいものかどうか)を書き、言い訳をしている私もみっともない。
 ただ私自身は、一年間真摯に向き合って書いたこの作品は、とても心に大きなものを残してくれた気がする。
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