悪役令嬢の慟哭

浜柔

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悪役令嬢の慟哭

第9話 尽きるもの

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「ハイデルフトか」
 国王は呟く。気にすまいとしても、どうしても怨霊の事が頭に引っかかる。ふと視線を感じた気がして帷帳を見やると、女の姿があった。
「何者だ!?」
 国王が誰何すると女はクスッとわらって闇に消えた。
 何事かと駆け込んできた衛兵に女を捜させたが、女は見つからなかった。

 ――深夜。
 さわさわ、さわさわ。
 何かが顔をくすぐる。
 さわさわ、さわさわ。
 手で払っても尚もくすぐる。
 さわさわ、さわさわ。
 寝台の中、我慢できずに国王が目を開けると、目の前にいたのはわらう女だった。
「貴様!」
 国王は女を掴もうとするが、女はその手をするりと擦り抜けてしまう。女は声もなく嗤い、音もなく走って寝室から出て行った。
 国王は傍らの剣を掴んで女を追い掛ける。
「女が出て行かなかったか!?」
 居室を出てその前で警備している衛兵の一人に国王は尋ねた。
「いえ、誰も出てきておりません!」
「何だと? それは本当か!?」
「はい! 誓って嘘は申しておりません!」
「では侵入者がまだ部屋の中に居るはずだ! 捜せ!」
「はっ!」
 衛兵達は慌てて国王の居室を隅々まで捜索する。だが、侵入者もその痕跡も何も見つからなかった。
 その報告に渋面を作る国王に、衛兵達は冷や汗を垂らす。
「もう良い!」
 一言だけ言って寝室に戻る国王を見送ると、衛兵達は安堵の溜め息をついた。

「ハイデルフトめ!」
 国王の見た女を思い出す。それは、記憶にあるエカテリーナ・ハイデルフトに違いなかった。

   ◆

 ジョキッ、ジョキッ、ジョキッ。
 近くで布を切る音がする。
 ジョキッ、ジョキッ、ジョキッ。
 その音に揺り起こされるように王妃は目を覚ました。
「何の音?」
 そう声に出した瞬間、カシャンと金属がぶつかる音がした。王妃は暫く耳を澄ませたが、その後は何も音は聞こえず、何時しかまた眠りへと戻っていった。

 翌朝。
「キャアアアアア!!!」
 侍女の悲鳴が響き渡った。その悲鳴に起こされてしまった王妃と、悲鳴を聞いて駆け付けた他の侍女や衛兵の目の前に有るのは、切り裂かれた帷帳いちょうと床に落ちた一本の鋏だった。
「誰よ!? こんな事をしたのは!?」
 王妃は怒声を響かせ問うが、皆首を横に振る。その様子に王妃は更に怒りを露わにする。
「衛兵は一体何をしていたの!?」
「はい! 交替で扉の外を警護しておりましたが、誰も通っておりません!」
 衛兵は姿勢を正して答えた。
「そんな筈が無いでしょ!? 忍び込んだ者が居るはずよ!」
 一同が部屋を見回しても、どの窓も閉まっており内側から閂が掛けられている。誰かが侵入したようには見えなかった。自然、視線が王妃に集まっていった。
「何!? あなた達はあたしがやったとでも言いたい訳? んな訳ないでしょ!」
 喚き散らす王妃を前に誰かが「怨霊」とぽつりと呟いた。一同はその言葉にハッとする。ただ一人を除いて。
「怨霊なんて居るわけないでしょ! さっさと犯人を見つけなさいよ!」

 いらつきながら見守る王妃の前で調査は行われたが、侵入者の痕跡と思われる物は何も見つからなかった。
 そして、その場には衛兵の目の前をうろうろしながら調査を見守る者が居たことにも、誰一人として気付く事はなかった。

   ◆

 ――深夜。
 さわさわ、さわさわ。
 何かが顔をくすぐる。
 さわさわ、さわさわ。
 手で払っても尚もくすぐる。
 さわさわ、さわさわ。
 寝台の中、我慢できずに国王が目を開けると、目の前にいたのは短剣を振り上げたエカテリーナだった。
 エカテリーナは短剣を国王の顔へと振り下ろす。国王は咄嗟に避ける。髪の毛が数本散った。
 国王は傍らの剣を取りエカテリーナへと斬り掛かるが、短剣を弾き飛ばした以外に手応えがない。踊るように動き回るエカテリーナを幾ら切っても素通りするだけだ。壁、床、テーブルなどに剣がぶつかり、次第に部屋が荒れていく。花瓶を割るに至って衛兵達が駆け込んで来た。
「陛下! ご無事ですか!?」
 怒りに燃える国王は歯軋りをするのみで何も答えない。
 国王の返事が無くともその様子から無事であると推し量った衛兵は部屋を見回す。そして、その酷い有り様に息を呑む。
 衛兵は何が起きたのかを国王に尋ねてみたが、国王は何も答えなかった。

 毎夜エカテリーナに襲われるようになって数日、国王の疲労は頂点に達していた。
 そこで国王は衛兵に寝室での警護を申し付けた。そのお陰かその夜は数日ぶりに熟睡した。しかし、翌朝寝台の横には首から血を流した衛兵の骸が二つ転がっていた。
 次の夜は手練れを選んで警護させた。その衛兵を無視して国王へ迫るエカテリーナの短剣を叩き落とさんと剣が振るわれる。目の前を通り過ぎる剣尖と、響き渡る剣の衝突音とで眠れたものではなかった。
 次の夜からまた一般的な衛兵に警護させた。三夜目までは翌朝に衛兵の骸が二つ転がっているだけだった。

 その夜、剣戟の音に国王は目を醒ました。何事かと見れば、同僚を叩き伏せた衛兵が国王に向かって剣を振り上げている。殆ど無意識の内に国王は傍らの剣を抜いて衛兵を斬り殺した。
 叩き伏せられていた衛兵が目を覚ましたので国王は事の次第を問い質した。
「彼は『毎夜仲間を殺しているのは陛下に違いない。俺は殺される前に陛下を殺す』と申しておりました」
 その答えに「何を馬鹿な事を」と国王は吐き捨てたが、次の夜からは警護の衛兵は置かなかった。
 そして、眠れぬ夜が続く。

   ◆

「人柱じゃ、人柱を立てるのじゃー。人柱を城の周りに巡らせれば悪霊除けとなるのじゃー」
 王城の前で老婆が叫ぶ。
「何の騒ぎだ!?」
 騒ぎを聞きつけた国王が出向いてきた。
「はい! 呪い師を名乗る老婆が騒いでおります」
 門兵の答えに導かれるように視線を動かせば、以前、呪い師の面接にいた老婆がまた騒いでいる。その姿には憤りしか感じない。
「そうか、そんなに人柱を望むなら、お前を最初の柱としてやろう」
 国王はそう言いながら老婆の胸を剣で貫いた。そして門兵の持つ槍を受け取ると、老婆の股間に突き立て、そのまま口まで貫いた。
「おい、こいつをその辺に立てて柱にしておけ」
 その場に居る門兵達に国王は命じるが門兵達は尻込みする。
「余の命令が聞けぬと言うのか? では、お前達の家族に代わりをやって貰わねばなるまいな」
 その言葉に門兵達は慌てて作業を行った。その作業の最中、門兵の一人は嘔吐を堪える事ができなかった。

 その夜、エカテリーナは国王の寝室に現れなかった。
「人柱が利いたのか? あんな呪い師でも役に立つこともあるのだな」
 そうほくそ笑みながら国王は起き上がった。
 朝の支度をするために侍女達が居室へと入ってくる。その中の一人に国王が目を向けると、その侍女はエカテリーナの顔でにやりと嗤い、腕を振り上げ短剣を突き刺すように振り下ろしてくる。咄嗟に国王はその侍女を斬り捨てた。
「ギャッ」
 短い悲鳴を上げてその侍女は息絶えた。だが、その顔はエカテリーナに似ても似つかない。
「キャーーーーー!!!」
 他の侍女達が悲鳴を上げる。衛兵達が駆け込んでくる。
「こいつが余を害そうとしたのだ。だから斬った。そうだ、こいつも人柱にしておけ!」
 国王の言葉にその場の者は疑問を感じずにはいられなかったが、口に出すことは無かった。

   ◆

「ギャッ!」
 乳首に走る激痛に王妃は叩き起こされた。見れば乳首に針が突き刺さっている。憎々しげに針を抜き取ると、王妃はやり場のない怒りに叫び声を上げた。
 侍女達が駆け付け手当を施すが、癒える間もなく新しい傷が付けられるために、傷は悪化する一方だ。
 帷帳が切り裂かれて以降、王妃は毎夜身体に針を刺され続けている。特に乳房と股間を集中的に刺されており、その幾つかは膿んで爛れ、痛みとなって常に王妃を苛んでいる。
 侍女に番をさせた事もある。だが、翌朝にはその侍女が骸となって横たわっていた。
 防具を着けて寝たこともある。だが、どうしてか隙間から入ったのであろう針が突き刺さり、更に防具に押されて余計に身体を針が抉る結果となった。
 鬱憤を快楽で晴らそうにもその快楽の源となる部分が痛みで触れない。劣情が王妃の心を焦がしても、もはや消す術は無い。

 王妃は気晴らしをしようと庭を歩いてみた。だが、傷で痛む身体では気晴らし所ではなかった。後悔しつつ自室へ戻る事にした。
「どうしたんだい? 君らしくない格好じゃないか」
 一人の男が王妃に後ろから抱きつき、その胸に手を這わす。男は王妃の遊び相手の一人だ。
 王妃は身体の全てを覆う服を纏っていた。
「痛っ! 放して!」
 王妃は男を突き飛ばした。
「どうしたって言うんだい?」
 男は疑問を口にする。
「どうだっていいでしょ! あんたには関係ないわ! どっか行ってよ!」
「はっ! なんだそれ。売女の癖に」
 男は捨て台詞を呟いて背を向けた。
「ごふぁっ! な…」
 男は突然血を吐いて頽れた。背中には短剣が刺さっている。
「馬鹿にしないでっ!」
 王妃は男から短剣を引き抜くと、男の服で血を拭って腰の鞘に収めた。
「この男も人柱にしてしまいなさい!」
 近くの衛兵に命じると、王妃は自室へと戻っていった。

 更に数日が経つと、針を刺される度に王妃は「もう、許して」と許しを請うようになった。
 だが、針は止まない。
 ここに至っては、怨霊になったエカテリーナに襲われている事を王妃も疑っていない。
 王妃は回想する。エカテリーナを見る度に自らの不出来を思い知らされて目障りだった。昔から男を籠絡して言うことを聞かせる事ができたため、その力を発揮してエカテリーナを追い詰めた。エカテリーナの顔が苦渋に歪むのを見るのは痛快だった。
 それがこんな事になるのであればそんな事をしなければ良かったと、今となっては後悔の念さえ浮かぶ。

 その更に数日が経つと、王妃は痛みで身を起こせなくなった。
 そして、「もう、殺して」と死を願うようにさえなっていた。

 また更に数日が経った。
「あははははははははははははははははははは」
 王妃の寝室には王妃の哄笑が響き渡る。
 王妃は心が先に死んだ。

   ◆

 エカテリーナは人柱が以前1日で立てられた数より多く立てられた日の夜だけ、国王の寝室に現れなかった。
 国王はそれに気付くと毎日人柱を立て続けた。犯罪者に始まり、宿無し、孤児、命令に逆らった部下の家族と徐々にその範囲を広げ、ついには手当たり次第になっていった。
 王都から逃げだそうとする者は居たが、直ぐに城門が閉じられ住民は王都に閉じこめられた。そして徐々に住民の怨嗟が国王へと向かうようになっていった。

 人柱が三千を超えた頃、住民の怨嗟は爆発した。軍の一部と手を結び王城を攻撃したのだ。
 そして、住民達は抵抗らしいものを受けないままに王城を蹂躙していった。

「貴様はこれで満足なのか?」
 自らの居室で椅子に座したまま、国王は目の前で嗤う女に問う。女はおかしそうに首を傾げるだけで答えない。
「できることなら、貴様を捻り殺してやりたい。ハイデルフト!」
 エカテリーナは肩を竦めてまた嗤って、部屋から出て行った。国王の歯軋りだけが部屋に響いた。

 エカテリーナは最後の仕上げとばかりに王城に火を放つ。
 王城に攻め込んでいる住民達は未だ熱狂の中にいる。

 国王の居室へと戻り住民達の手で串刺しにされる国王を見送り、王妃の居室へ赴いて火に捲かれる王妃を見送ると、エカテリーナは燃え盛る火の中を塔の上へと登っていった。下からは火に捲かれて逃げまどう住民達の悲鳴が聞こえる。今更になって叛旗を翻す者など死んでしまえばいいとエカテリーナは思う。

 エカテリーナは塔の上から下を見渡した。これで最後だから王都の事も目に焼き付けようと考えたのだ。しかし、そこに立ち並ぶのは人柱である。あまり目に焼き付けるようなものではないと思った所で、一つの光景が頭に浮かんだ。
 それは、前世で遊んだ乙女ゲームの後日談の一枚画。その後日談で狂王となった国王が住民を殺してどうしていたかを示すものだ。その画は正に今眼下に広がる人柱が立ち並ぶものにそっくりではなかっただろうか。
「あはははははははははははははははは!!!」
 エカテリーナは哄笑した。元は悲惨な運命から逃れようとしていた筈なのに後日談まで含めてゲーム通りに進んでいるとはなんと滑稽なことか。
 そして気付いた。自らが行ったことが国王を狂王と成し、この光景を生んでしまったのだ。
「嫌ああああああああああああああああああ!!!!」
 エカテリーナは叫んだ。その声は王都中の人々の耳に届いた。
 それは、いつしか降り始めた雨が豪雨となり、雨音が全ての音を呑み込むまで響き続けた。
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