悪役令嬢の慟哭

浜柔

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悪役令嬢の慟哭

第6話 広がるもの

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 メストロアルの惨劇の知らせを聞いて以降、ベグロンド伯爵はいつ訪れるかも知れない死の恐怖に怯えていた。その姿は日に日にやつれ、実年齢より遙かに年老いて見えた。そこにはもう往年の精悍さは無い。
 その余りの窶れ方に、側近達はベグロンド伯爵が呪いに掛かっているのだと囁き合った。
 エカテリーナがそこに居れば鼻で笑ったことだろう。だが、彼らは噂でしか呪いを聞いたことが無い。そのため、想像だけが一人歩きしてしまっているのだ。

 ベグロンド伯爵にとって頭の痛い事はまだ有る。ハイデルフト領で急速に台頭し始めた自警団が、元はボナレスやモーダルタが治安維持を担当していた地域を越え、元よりベグロンドが担当していた地域まで広がった。自警団は糾合し、一部の地域でベグロンド軍を駆逐するまでに至った。
 撤退と言う不名誉を受け入れられないベグロンド伯爵は、自警団に対抗して軍を派遣したが、戦いは泥沼化する。住民達がベグロンドに非協力的なのである。その事に業を煮やした一部の兵士が住民を傷つけるに至り、ベグロンド兵と住民との間での凄惨な殺し合いへと発展していった。
 そこで伯爵は多数の傭兵を雇い入れ、傭兵団として反抗的な住民達の粛正を行わせた。だが、傭兵は一人、また一人と何者かによって屠られていく。その周辺では必ずと言って良いほど、執事服の男が目撃されているか女盗賊の出現が噂されていた。
 傭兵がある数まで屠られると、傭兵の中から逃亡する者が現れ始めた。胸の悪くなるような仕事の上に、いつ殺されるか判らない不安に耐えられなくなったのだ。そうして傭兵団は徐々に瓦解していった。

 メストロアルの惨劇から半年、既に7人の領主が一族諸共に謎の死を遂げている。災禍は住民にまで及ぶが、領毎にその様相は異なる。人々の一致する見解は、ハイデルフトとの関わりが深いほど降り掛かる災禍は酸鼻なものとなる、と言うことである。
 そして最早、その災禍をもたらす者がエカテリーナ・ハイデルフトだと言うことを疑う者は居ない。何故なら、メストロアルを基点に災禍が誰かの足跡のように点々と振りまかれ、変死を遂げた領主を結んでいるのだ。時折、その進路が不自然に曲がるために、人々の恐怖を一層掻き立てた。
 そして、その災禍を真似た模倣犯が多発することで真の災禍の進路が曖昧となり、災禍への恐怖が消えない染みとなって人々の心を染めていった。

   ◆

「やっとベグロンドに着きましたわ」
 エカテリーナはベグロンド領主城を擁する町ベグローナを臨んで呟いた。
 メストロアルから真っ直ぐベグロンドへ向かったつもりだったが、辿り着くのに半年掛かってしまった。寝食も不要で疲れることも無い身のエカテリーナには、本来であれば徒歩でも一ヶ月掛からない距離である。
 だが、掛かってしまったものは仕方がない。途中で他の4人の領主への復讐を果たす事もできたのだから掛かった時間の事は考えないようにしよう。そうエカテリーナは誓った。

   ◆

 ベグローナの町は普段の賑わいを見せている。しかし、以前に比べると活気が無く、商店主の呼び込みの声が虚しく響き渡る。
 金物屋の店主が言う。
「商売あがったりだ」
 それに答えて雑貨屋の店主が言う。
「怨霊の噂が流れてこっち、物価も上がってどうにもならんな」
 特に食料がな、と呟く雑貨屋の喉を何かが撫でるように横切った。
 そこに通り掛かった女性の顔に液体が降り掛かる。女性は何気なく手で顔を拭いて見てみれば、手が真っ赤に血で染まっている。女性が振り返ると、雑貨屋が喉から鮮血を噴き出しながら倒れていった。
「きゃあああああああ!!!」
 女性は悲鳴を上げた。だが直ぐにくぐもった声を出して地に臥してしまう。その喉から地面に赤い液体が広がっていった。
 そして、ベグローナは阿鼻叫喚に彩られていく。

「何でも人のせいにしないで欲しいですわね」
 ベグロンドでの物価の上昇はハイデルフトへの派兵が原因だ。糧食の現地調達には限界がある以上、輸送が必要になる。軍が食料を大量に調達するために食料価格が上昇し、輸送力がハイデルフト領への輸送に振り向けられる事で物流が滞り、その他の物価も上昇する。輸送力を上げる努力は為されたが、実際には輸送力は減じた。酷使されれば馬は死に馬車は壊れる。加えて盗賊や飢えた住民により襲撃される事もあり、馬車の生産が追いつかない。何より馬の減少が致命的だった。
 これまでエカテリーナが通った場所であればエカテリーナの影響もあっただろう。だが、ベグロンドでは経済に影響が出る程の事はしていない。にもかかわらず、エカテリーナが原因のように言われるのだ。エカテリーナとしては面白い筈がない。
 それだけではない。エカテリーナが屠った領主は4人だったが、屠ったとされる領主は7人である。「3人は一体誰が殺したのかしらね」とエカテリーナは便乗した者達へ怒りを感じずにいられなかった。

 ベグロンド城外から巻き起こった叫喚は次第にベグロンド城へと近付いた。次第に城内もざわつき始める。
 ベグロンド伯爵はその叫喚とざわつきに心を蝕まれた。噂を聞いてからこれまでずっと怨霊に恐怖してきた。その恐れていた事が現実になってしまった。現実になると予想したよりも遙かに恐ろしい。それでも伯爵は頭をかき毟り歯を食い縛り恐怖に耐えようとした。
 だが、城内のざわつきが悲鳴に変わるに至って張り詰めた糸が切れてしまった。ベグロンド伯爵はゆっくりと短剣へと手を伸ばした。

「これは何? どう言うことですか? お母様を! お兄様を! 殺した貴方がこんな終わり方をして良いと思っているのですか!」
 エカテリーナはベグロンド伯爵の変わり果てた姿を見て叫んだ。そして行き場を失った怒りが心を掻き乱す。目の前が真っ暗になる思いがした。

 そして、ベグローナには三日三晩に渡って灼熱と叫喚の渦が続いた。
 その渦が消えた後には、ベグローナには瓦礫と骸のみが残された。

   ◆

 怨霊は一度通り過ぎると二度と現れないと言う噂も流れていた。そのため、怨霊に領主が殺されたとされているその町では、もう怨霊に襲われることはないとの弛緩した空気が流れていた。
 後日、それが思い違いであった事を知ると同時に、その町の住民は絶望を味わう事になる。
 そしてこの事は国内を混沌とさせる一因となった。
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