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悪役令嬢の慟哭
第3話 払うもの
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「一体、これはどう言う事だ!」
ボナレス伯爵は叫んだ。商人からの見積書を見て逆上したのだ。
「どう言う事と言われましても」
執事のヘンドリックは困惑を返すのみである。
「どうして宝石を売る筈が、金を出して引き取って貰わきゃならんのだ!?」
「商人の話に因りますと、ハイデルフト侯爵由来の品を持っていると呪いに掛かって死ぬと言う噂が広まっているそうです。そのため、由来の判らない品は手放そうとする者が多く、商人も引き取ろうとしないのだそうです」
「呪いだと!? そんな迷信を信じる商人が何処にいると言うんだ!」
「そう言われましても、商人がそう言ったのです」
ヘンドリックとしては、自分に言われても困る直接商人に言ってくれ、と言う気分だった。
当代のボナレス伯爵は目先の金銭にしか興味が無く、産業の育成や投資など考えもしなかった。官吏達は伯爵の性格を受けて目先の結果だけを求め、領民達に鞭打つ形で税を搾り取るようになった。その結果、税を搾り取られる領民は活気を失い、日増しに生産力が落ちていった。
更に伯爵には浪費癖が有った。年々税収が減る中での浪費である。忽ち先代の残した遺産を食い潰し、借金まで抱えてしまった。借金しても返す当てなど無い。悉く焦げ付かせる事になり、返済を請われたら武力で脅して踏み倒した。そして伯爵に金を貸した商人から一人また一人とに一家心中する者が現れるに至った。
金を貸したら返して貰えないとなれば誰も貸しはしない。だが伯爵は金を貸さなければ剣を突き付けてくるのだ。既に強盗である。為政者自身が強盗を働くような領地に住みたい者など居ない。商人達は次々と他の領へと逃げ出した。
そして伯爵は借金さえできなくなった。
「金が足りないなら税を十割にしてしまえ」
伯爵がそんな事を言い出した時には、ヘンドリックは必死に止めた。そんな事をすれば領民が皆餓死してしまう。ごねる伯爵をなんとか宥め賺して税率が上がらないようにした。それでも税率は七割も有り、領民は貧困に喘いで難民として他領へ流出してしまう。
その難民に手を焼いたのが周辺の領主達だ。難民が盗賊団となって領内を荒らし回りさえするのだから迷惑この上ない。
そこで、ハイデルフト侯爵は難民の発生そのものを抑えるべく、ボナレス領の税率を下げるのを条件に、ボナレス領への援助を始めた。その援助は功を奏して難民の発生は抑えられた。
ところが、ボナレス伯爵の浪費は止まらない。伯爵は援助された金銭では足りないのだと条件を違えて税率を上げようとまでする。それをヘンドリックが必死に押し止める日々が続いた。
我慢しているつもりの伯爵は日々恨み言を言う。それもハイデルフト侯爵に対してだ。内政干渉だだの、端金で恩着せがましいだのと言う逆恨みである。
ヘンドリックとしては先代から頼まれていなければ伯爵をとっくに見限っていた。
ある日、ハイデルフト侯爵が反乱を起こすと言う話が舞い込んできた。侯爵から直接の話ではない。ヘンドリックは当然だと考えるが伯爵はそう思わなかったらしい。「俺に相談も無く、勝手なことをしおって!」等と恨み言さえ口にする。ヘンドリックは伯爵の身の程知らずに呆れ果てた。
だが、悪事にだけは行動の速い伯爵は、ヘンドリックを介する事もなくハイデルフト領と隣接した領の領主達に根回しをし、ハイデルフト領に攻め込む準備をした。
そして、伯爵は傭兵を集めて僅かな手付け金だけを払い、ハイデルフト侯爵の挙兵に合わせてハイデルフト領へと送り込む。その結果多数の財貨の略奪には成功した。
そこで伯爵は欲を出した。ハイデルフト侯爵邸から略奪された宝飾品が大量に市場に溢れる事で暴落した相場が持ち直すのを待ってしまったのだ。傭兵への報酬も支払っていない。宝飾品が売れれば報酬を支払ってやらない事もない程度にしか伯爵は考えていなかった。
支払うべきものを支払わずとも浪費癖のあるボナレス伯爵のこと、現金は半年の間に使い果たした。
そこで今回仕方なく宝飾品を売ることにしたのだ。
ところがどうだ、宝飾品の相場は持ち直すのではなく、完全に崩壊している。
ハイデルフト家から奪った品を売って悠々自適に暮らすと言うボナレス伯爵の思惑が頓挫した瞬間だった。
「それでどうなさいますか? 宝飾品は手放されますか?」
ヘンドリックは問うが伯爵の答えは決まっている。
「馬鹿なことを言うな! 金なんぞ支払える訳がなかろう!」
「それではどうなさいますか?」
「ふん、だったら、ハイデルフト領から奪ってくるまでのことだ」
伯爵は不敵に笑うが、ヘンドリックは驚愕に目を見開く。
「本気ですか?」
「当たり前だ!」
「傭兵達の報酬の支払いは如何なさいますか?」
「そんなもの、ハイデルフト領で略奪すれば済む事だろう」
「判りました。こんな事は他の者には任せられませんので、私自ら伝えに参ります」
伯爵に軽く応えて一礼するとヘンドリックは退出した。その素早さには、伯爵が呼び止める暇も無かった。
◆
ヘンドリックはハイデルフト領へ赴き、駐留している軍の隊長のハロルドに伯爵の指示を伝えた。ボナレス伯爵が兵士達に支払っていない理由も伝え、後はハロルドの判断に任せる事にした。
そして、ヘンドリックはそのまま何処かへ去り、伯爵の前へ姿を現すことは二度と無かった。
「一踏ん張りすれば楽しいことになるかも知れませんわね」
ヘンドリックの連絡を横で聞いていたエカテリーナは呟いた。
彼女がそこに居た理由、それは、ボナレス兵を目標にするならその司令所を監視するのが効率的だろうと言う単純な発想である。
◆
「面倒事を押し付けやがって!」
遅い昼食を摂りながら、ハロルドは既に立ち去って居ないヘンドリックに毒づいた。
ただでさえ、相次ぐ不審死やボナレス兵を狙った盗賊の被害で兵士達がささくれ立っている。報酬は領主が着服しただとか、金銭は略奪して賄えだとか言おうものなら、兵士達は何をしでかすか判らない。
「俺も逃げるか?」
ハロルドの口からはそんな独り言がこぼれてしまう。フォークを置いて食べ終わった皿を脇に避け、テーブルに肘を突き頭を抱えるように考え込んでいると、首筋を何かがチクリと刺した。手で触っても振り返っても何も無い。変だと思いつつ前に向き直ると目の前にフォークが浮いている。驚愕に目を見開くとその目に向かってフォークが動いた。
「うわーっ!」
思わず悲鳴を上げながらフォークを手で払い飛ばすと、フォークは軽い音を立てて床に落ちた。床に落ちたフォークを突いてみても、持ち上げてみても、ぶらぶら振り回してみても何も起きない、ただのフォークだ。ハロルドの頭に「呪い」と言う言葉が浮かぶ。話には聞いているがどこか信じられなかった。だが目の前で起きた得体の知れない現象はなんなのだ。呪いと言う言葉がしっくり来るのではないか。ハロルドは戦慄を覚えた。
「鍛えている相手には、フォークは刺さりませんね」
エカテリーナは自らの非力さが恨めしかった。鍛えている兵士に直接攻撃しても嫌がらせ程度にしかならない。今回は嫌がらせで撤退を誘うつもりなので問題は無いが、今後を考えるとやはり力は欲しい。
「隊長、どうしたんです?」
副隊長のベックがハロルドの声を聞いてめんどくさげに部屋に入ってきた。それだけで平静を取り戻したハロルドが軽口のように言う。
「なーに、フォークが飛んできただけだ」
「何言ってんですか? 呪いじゃあるまいし」
ベックは首を竦めた。
「その呪いかも知れんのだ。丁度あんな具合に」
ハロルドが視線で示した先にはペンが浮いていた。そしてペンはベックへ向けて真っ直ぐに飛ぶ。
「なっ!」
ベックは驚いたが、軽くペンを叩き落とす。
「でも、大したことはないですね」
ベックは鼻で笑った。
「きーーーーっ! 大したことないくらい判ってるわよ! だけど、他人に言われると腹が立つわ!」
エカテリーナは手当たり次第物を投げ始めた。投げても遠くへは飛ばない。
エカテリーナは非力さを小手先で補って目標を葬っていたが、成功して嬉しかったのは最初の頃だけだ。復讐を始めて一ヶ月、繰り返す毎に失敗が増えていき苛立ちだけが募る。成功した時も達成感よりも安堵感の方が強くなっていた。
小物が宙に浮いては床に散らばる様子を見ながらベックは言う。
「大したことなくても、鬱陶しいことに変わりはありませんね」
「ああ、これじゃ落ち着いて寝ることもできないな」
二人はその場から退散した。
残される形になったエカテリーナは悔しさに満ちていた。剣を振るうだけの力があれば簡単に闇討ちもできるし、あんな余裕を与える事もなかったのだ。悔しさの余り椅子を蹴りつけた。
その時、エカテリーナは亡霊となって以降、初めて椅子を倒すのに成功した。
◆
「どう考える?」
ハロルドはベックにヘンドリックから伝えられた事を相談した。
「自分らはもう盗賊みたいなもんだし、既に盗賊そのものになってる連中を抱えていますがね、これ以上の略奪は統制が全く執れなくなりやしませんか?」
「やっぱりそう思うか」
「ええ、引き時だと思いますね。それにあのヘンドリックが見限ったんでしょう? 自分らも伯爵を見限った方がいいんじゃないですかね」
「確かにな」
ハロルドは眉根を寄せて考え込んだ。
「それに、多分あの呪いはしつこいですよ。ここに居たんじゃほんとに死ぬまでまとわり憑かれるんじゃないですかね」
「判った。引き上げるとして、傭兵達にはどう言う?」
「伯爵に全部責任を取って貰いましょう」
その夜には派兵された兵士の報酬をボナレス伯爵が着服していると言う噂がボナレス兵達に広がった。
噂が広がったところでハロルドが兵士を集め、ボナレス領へ帰還するため翌朝には出立する事を伝えた。その際、帰還すれば伯爵から報酬が支払われるのだとも言った。勿論報酬の支払いについては嘘である。
翌朝、一部の兵士を除いてボナレス兵達は出立した。
そして、ボナレス領の領主城に到着する直前、ハロルドとベックの姿が軍列から消えた。
◆
ハイデンに残ったボナレス兵の殆どは盗賊と成り果てた者達である。彼らはボナレス兵の殆どがハイデンを去った後も以前と同じように商店から商品を奪えるものと信じていた。だが、ハイデンにて俄に組織された自警団によって次々と討伐されていった。
自警団が組織された裏に一人の女盗賊が居ると言う噂があるが、定かではない。
◆
後日、ボナレス伯爵の死が近隣に伝えられる。
雇った傭兵への報酬を踏み倒そうとしたために傭兵達から襲撃され、殺される直前に塔から身を投げたと言う。その時、ボナレス伯爵は「ハイデルフトの娘が何故ここに居る!?」と叫んだとも言うが、その娘の姿を見た者は誰も居なかった。
だが、この事が切っ掛けに、呪いを為すものとしてエカテリーナの名前が囁かれるようになっていった。
ボナレス伯爵は叫んだ。商人からの見積書を見て逆上したのだ。
「どう言う事と言われましても」
執事のヘンドリックは困惑を返すのみである。
「どうして宝石を売る筈が、金を出して引き取って貰わきゃならんのだ!?」
「商人の話に因りますと、ハイデルフト侯爵由来の品を持っていると呪いに掛かって死ぬと言う噂が広まっているそうです。そのため、由来の判らない品は手放そうとする者が多く、商人も引き取ろうとしないのだそうです」
「呪いだと!? そんな迷信を信じる商人が何処にいると言うんだ!」
「そう言われましても、商人がそう言ったのです」
ヘンドリックとしては、自分に言われても困る直接商人に言ってくれ、と言う気分だった。
当代のボナレス伯爵は目先の金銭にしか興味が無く、産業の育成や投資など考えもしなかった。官吏達は伯爵の性格を受けて目先の結果だけを求め、領民達に鞭打つ形で税を搾り取るようになった。その結果、税を搾り取られる領民は活気を失い、日増しに生産力が落ちていった。
更に伯爵には浪費癖が有った。年々税収が減る中での浪費である。忽ち先代の残した遺産を食い潰し、借金まで抱えてしまった。借金しても返す当てなど無い。悉く焦げ付かせる事になり、返済を請われたら武力で脅して踏み倒した。そして伯爵に金を貸した商人から一人また一人とに一家心中する者が現れるに至った。
金を貸したら返して貰えないとなれば誰も貸しはしない。だが伯爵は金を貸さなければ剣を突き付けてくるのだ。既に強盗である。為政者自身が強盗を働くような領地に住みたい者など居ない。商人達は次々と他の領へと逃げ出した。
そして伯爵は借金さえできなくなった。
「金が足りないなら税を十割にしてしまえ」
伯爵がそんな事を言い出した時には、ヘンドリックは必死に止めた。そんな事をすれば領民が皆餓死してしまう。ごねる伯爵をなんとか宥め賺して税率が上がらないようにした。それでも税率は七割も有り、領民は貧困に喘いで難民として他領へ流出してしまう。
その難民に手を焼いたのが周辺の領主達だ。難民が盗賊団となって領内を荒らし回りさえするのだから迷惑この上ない。
そこで、ハイデルフト侯爵は難民の発生そのものを抑えるべく、ボナレス領の税率を下げるのを条件に、ボナレス領への援助を始めた。その援助は功を奏して難民の発生は抑えられた。
ところが、ボナレス伯爵の浪費は止まらない。伯爵は援助された金銭では足りないのだと条件を違えて税率を上げようとまでする。それをヘンドリックが必死に押し止める日々が続いた。
我慢しているつもりの伯爵は日々恨み言を言う。それもハイデルフト侯爵に対してだ。内政干渉だだの、端金で恩着せがましいだのと言う逆恨みである。
ヘンドリックとしては先代から頼まれていなければ伯爵をとっくに見限っていた。
ある日、ハイデルフト侯爵が反乱を起こすと言う話が舞い込んできた。侯爵から直接の話ではない。ヘンドリックは当然だと考えるが伯爵はそう思わなかったらしい。「俺に相談も無く、勝手なことをしおって!」等と恨み言さえ口にする。ヘンドリックは伯爵の身の程知らずに呆れ果てた。
だが、悪事にだけは行動の速い伯爵は、ヘンドリックを介する事もなくハイデルフト領と隣接した領の領主達に根回しをし、ハイデルフト領に攻め込む準備をした。
そして、伯爵は傭兵を集めて僅かな手付け金だけを払い、ハイデルフト侯爵の挙兵に合わせてハイデルフト領へと送り込む。その結果多数の財貨の略奪には成功した。
そこで伯爵は欲を出した。ハイデルフト侯爵邸から略奪された宝飾品が大量に市場に溢れる事で暴落した相場が持ち直すのを待ってしまったのだ。傭兵への報酬も支払っていない。宝飾品が売れれば報酬を支払ってやらない事もない程度にしか伯爵は考えていなかった。
支払うべきものを支払わずとも浪費癖のあるボナレス伯爵のこと、現金は半年の間に使い果たした。
そこで今回仕方なく宝飾品を売ることにしたのだ。
ところがどうだ、宝飾品の相場は持ち直すのではなく、完全に崩壊している。
ハイデルフト家から奪った品を売って悠々自適に暮らすと言うボナレス伯爵の思惑が頓挫した瞬間だった。
「それでどうなさいますか? 宝飾品は手放されますか?」
ヘンドリックは問うが伯爵の答えは決まっている。
「馬鹿なことを言うな! 金なんぞ支払える訳がなかろう!」
「それではどうなさいますか?」
「ふん、だったら、ハイデルフト領から奪ってくるまでのことだ」
伯爵は不敵に笑うが、ヘンドリックは驚愕に目を見開く。
「本気ですか?」
「当たり前だ!」
「傭兵達の報酬の支払いは如何なさいますか?」
「そんなもの、ハイデルフト領で略奪すれば済む事だろう」
「判りました。こんな事は他の者には任せられませんので、私自ら伝えに参ります」
伯爵に軽く応えて一礼するとヘンドリックは退出した。その素早さには、伯爵が呼び止める暇も無かった。
◆
ヘンドリックはハイデルフト領へ赴き、駐留している軍の隊長のハロルドに伯爵の指示を伝えた。ボナレス伯爵が兵士達に支払っていない理由も伝え、後はハロルドの判断に任せる事にした。
そして、ヘンドリックはそのまま何処かへ去り、伯爵の前へ姿を現すことは二度と無かった。
「一踏ん張りすれば楽しいことになるかも知れませんわね」
ヘンドリックの連絡を横で聞いていたエカテリーナは呟いた。
彼女がそこに居た理由、それは、ボナレス兵を目標にするならその司令所を監視するのが効率的だろうと言う単純な発想である。
◆
「面倒事を押し付けやがって!」
遅い昼食を摂りながら、ハロルドは既に立ち去って居ないヘンドリックに毒づいた。
ただでさえ、相次ぐ不審死やボナレス兵を狙った盗賊の被害で兵士達がささくれ立っている。報酬は領主が着服しただとか、金銭は略奪して賄えだとか言おうものなら、兵士達は何をしでかすか判らない。
「俺も逃げるか?」
ハロルドの口からはそんな独り言がこぼれてしまう。フォークを置いて食べ終わった皿を脇に避け、テーブルに肘を突き頭を抱えるように考え込んでいると、首筋を何かがチクリと刺した。手で触っても振り返っても何も無い。変だと思いつつ前に向き直ると目の前にフォークが浮いている。驚愕に目を見開くとその目に向かってフォークが動いた。
「うわーっ!」
思わず悲鳴を上げながらフォークを手で払い飛ばすと、フォークは軽い音を立てて床に落ちた。床に落ちたフォークを突いてみても、持ち上げてみても、ぶらぶら振り回してみても何も起きない、ただのフォークだ。ハロルドの頭に「呪い」と言う言葉が浮かぶ。話には聞いているがどこか信じられなかった。だが目の前で起きた得体の知れない現象はなんなのだ。呪いと言う言葉がしっくり来るのではないか。ハロルドは戦慄を覚えた。
「鍛えている相手には、フォークは刺さりませんね」
エカテリーナは自らの非力さが恨めしかった。鍛えている兵士に直接攻撃しても嫌がらせ程度にしかならない。今回は嫌がらせで撤退を誘うつもりなので問題は無いが、今後を考えるとやはり力は欲しい。
「隊長、どうしたんです?」
副隊長のベックがハロルドの声を聞いてめんどくさげに部屋に入ってきた。それだけで平静を取り戻したハロルドが軽口のように言う。
「なーに、フォークが飛んできただけだ」
「何言ってんですか? 呪いじゃあるまいし」
ベックは首を竦めた。
「その呪いかも知れんのだ。丁度あんな具合に」
ハロルドが視線で示した先にはペンが浮いていた。そしてペンはベックへ向けて真っ直ぐに飛ぶ。
「なっ!」
ベックは驚いたが、軽くペンを叩き落とす。
「でも、大したことはないですね」
ベックは鼻で笑った。
「きーーーーっ! 大したことないくらい判ってるわよ! だけど、他人に言われると腹が立つわ!」
エカテリーナは手当たり次第物を投げ始めた。投げても遠くへは飛ばない。
エカテリーナは非力さを小手先で補って目標を葬っていたが、成功して嬉しかったのは最初の頃だけだ。復讐を始めて一ヶ月、繰り返す毎に失敗が増えていき苛立ちだけが募る。成功した時も達成感よりも安堵感の方が強くなっていた。
小物が宙に浮いては床に散らばる様子を見ながらベックは言う。
「大したことなくても、鬱陶しいことに変わりはありませんね」
「ああ、これじゃ落ち着いて寝ることもできないな」
二人はその場から退散した。
残される形になったエカテリーナは悔しさに満ちていた。剣を振るうだけの力があれば簡単に闇討ちもできるし、あんな余裕を与える事もなかったのだ。悔しさの余り椅子を蹴りつけた。
その時、エカテリーナは亡霊となって以降、初めて椅子を倒すのに成功した。
◆
「どう考える?」
ハロルドはベックにヘンドリックから伝えられた事を相談した。
「自分らはもう盗賊みたいなもんだし、既に盗賊そのものになってる連中を抱えていますがね、これ以上の略奪は統制が全く執れなくなりやしませんか?」
「やっぱりそう思うか」
「ええ、引き時だと思いますね。それにあのヘンドリックが見限ったんでしょう? 自分らも伯爵を見限った方がいいんじゃないですかね」
「確かにな」
ハロルドは眉根を寄せて考え込んだ。
「それに、多分あの呪いはしつこいですよ。ここに居たんじゃほんとに死ぬまでまとわり憑かれるんじゃないですかね」
「判った。引き上げるとして、傭兵達にはどう言う?」
「伯爵に全部責任を取って貰いましょう」
その夜には派兵された兵士の報酬をボナレス伯爵が着服していると言う噂がボナレス兵達に広がった。
噂が広がったところでハロルドが兵士を集め、ボナレス領へ帰還するため翌朝には出立する事を伝えた。その際、帰還すれば伯爵から報酬が支払われるのだとも言った。勿論報酬の支払いについては嘘である。
翌朝、一部の兵士を除いてボナレス兵達は出立した。
そして、ボナレス領の領主城に到着する直前、ハロルドとベックの姿が軍列から消えた。
◆
ハイデンに残ったボナレス兵の殆どは盗賊と成り果てた者達である。彼らはボナレス兵の殆どがハイデンを去った後も以前と同じように商店から商品を奪えるものと信じていた。だが、ハイデンにて俄に組織された自警団によって次々と討伐されていった。
自警団が組織された裏に一人の女盗賊が居ると言う噂があるが、定かではない。
◆
後日、ボナレス伯爵の死が近隣に伝えられる。
雇った傭兵への報酬を踏み倒そうとしたために傭兵達から襲撃され、殺される直前に塔から身を投げたと言う。その時、ボナレス伯爵は「ハイデルフトの娘が何故ここに居る!?」と叫んだとも言うが、その娘の姿を見た者は誰も居なかった。
だが、この事が切っ掛けに、呪いを為すものとしてエカテリーナの名前が囁かれるようになっていった。
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