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序章
悪役令嬢の追憶
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思い出した時には手遅れでした。
手遅れなのだから思い出さなければ良かったのに、と何度嘆いたことでしょう。しかしそれが叶わぬだろう事も悟っていました。何故なら、全てを思い出すずっと前から知らない筈の事を知っていたり、見た事のない光景が頭に浮かんだりする事があったからです。
それ故に、もっと早く思い出していれば、と思った事は数知れません。
思い出したのは前世の記憶です。乙女ゲームに夢中になっている私と、その乙女ゲームの内容でした。そして今、私の居る世界はその乙女ゲームの設定とそっくりなのです。
ゲームは、貴族の通う学園を舞台に庶民出身の主人公が王太子や上位貴族の子息の心を射止めると言う、一見ありふれたものです。
ところが、主人公が主人公とは思えない悪女なのです。愚鈍で身勝手で嘘も付けば悪事も働くビッチです。ネットでも話題になったものです。
ただ、逆ハーレムエンドが有るゲームの主人公はどれもビッチと言えますので、単にビッチなだけであれば話題にはならなかったでしょう。それはもうビッチ中のビッチ、クイーン・オブ・ビッチとでも言うビッチですから話題になりました。誰にでも股を開く、水素が詰まっているのではないかと思える程にお尻の軽い女性なのです。
ゲームの流れは、主人公が身体を使って男性を籠絡し、その男性を使って女性を陵辱したり罠に嵌めたりしながらライバルの女性や障害になる男性を排除して攻略対象の男性を手に入れる、と言うものです。主人公自体は愚鈍なため、考えるのも実行するのも籠絡された男性が行います。誰をどの順番で籠絡するか、誰を排除するか等で攻略の成否が変わります。時には、主人公自ら攻略対象を強姦するなんて事もありました。
このような内容でも成年向けではありませんので直接陵辱シーン等は描かれてはいません。しかし、婉曲表現ながら妙に生々しく描かれていました。はっきり申しまして主人公のビッチさに気持ち悪くなりました。
気持ち悪くなる主人公でありながら私が夢中になったのには理由があります。それは、どのルートでも主人公の障害になる令嬢、エカテリーナ・ハイデルフトの存在です。彼女は眉目秀麗で頭脳明晰、機知に富み、驕らず慈愛に満ちており、私の理想とも言うべき人物でした。ところが、主人公の障害になると言うだけで悪役として紹介されているだけでなく、主人公が誰かと結ばれるエンディングを迎えると必ず死亡してしまいます。エカテリーナに感情移入してしまった私は彼女の薄幸な運命を避けるルートを探すべく全ルートの攻略を目指しました。しかし結果は惨く、彼女の命が助かるルートを一つの例外を除いて見つける事ができませんでした。
原因は分かっています。主人公が何もしなくても勝手に主人公に熱を上げる王太子の存在です。そのために攻略を一切しない場合でも王太子とのエンディングを迎えてしまいます。そしてエカテリーナの死亡原因の殆どがこの王太子なのです。
王太子には高級貴族の一族を人前では殺さない程度の理性しか有りません。下級貴族程度ですと何か気に入らない事があれば人前でも平気で剣で斬りつけます。高級貴族に対しても安易に暗殺を試みます。学舎でも本来禁止されている帯剣をしており、学内で他の学生を斬り殺す事もあります。
それがまかり通るのも、暗愚を画に描いたような国王が全て揉み消す為です。
後日譚では、国王となった王太子は王都市民の大半を串刺しで殺して屍体の森を築いた狂王として描かれていました。
そのような醜悪な王族が支配する国に、私はエカテリーナ・ハイデルフトとして転生していました。そしてそれに気付いたのは主人公と遭遇した時で、ゲームであれば既に開始された後の事になります。主人公は私になにやら言い募っていたようですが、記憶の整理に必死だった私は全く聞いていませんでした。ひとしきり言い募った後「いい気にならないでよ」等と言い残して主人公は去っていきました。その後ろ姿を見送っている途中で漸く現実に立ち返った私は、主人公の後ろを歩く王太子を見て思わず叫びそうになりました。唯一見つけたエカテリーナが死亡しないルート、即ち主人公が王太子を避ける事で二人が出会わないルートは既に塞がっていたのです。
最初は主人公や王太子とは関わらないようにしようとも考えました。しかし、主人公の方から私に絡んでくるのです。それも理不尽な言い掛かりを付けてきます。彼女が私を排除しようとするのですから、そうなるのは推し量るべきでした。結果的に後手に回ってしまったように思います。
主人公の言い掛かりに反論して言い込めるのは簡単なのですが、彼女が憎々しげに沈黙する頃になるとどこからともなく王太子が現れ、脈絡のない暴言をひたすら吐き出して話を逸らしてしまいます。仕方なく王太子を相手にしている隙に彼女は何処かへ遁走していると言うことの繰り返しです。
そうして対応に苦慮している間に、主人公の吐く毒が学舎を蝕んでいました。この世界の主人公はゲームが霞むほどにビッチでした。最初こそ人目を避けていたのだろうとは思いますが、気付けば彼女の淫らな行いは人目に付くところで行われていました。そして徐々に人目を憚らなくなり皆の知る所となったのですが、咎められる事もありませんでした。それはどう考えても異常なことで、今思えば学舎自体が病んでいたのでしょう。
私自身、彼女が男性とまぐわっているのを何度も見掛けました。もしかすると私に見せ付けるつもりだったのかも知れません。私と目が合うとニヤニヤと嗤います。そんな彼女とその相手に苦言を呈すると、男性はそそくさと逃げ去る事が多かったのですが、彼女は悠々と衣服を整える事もなく勝ち誇ったように高笑いをして去っていきます。気持ち悪さに背筋が凍る思いでした。
私の友人にまで害が及ぶに至って、私は積極的にビッチを糾弾する方向へと態度を改めました。私の憧れたエカテリーナにはそぐわない行いのように思えましたが我慢できませんでした。しかし、ビッチを糾弾していると王太子に必ずと言って良いほど邪魔をされます。なんとも歯痒いのですが、権力者が権力を振り翳す影響力は大きく、私の方が徐々に孤立していく有り様でした。ビッチが授業中に教室で情事に耽っているのを力ずくで教室から追い出した時には、私の方が冷ややかな目で見られる始末です。その時にこの国自体がもう駄目だと悟りました。
それこそ今更ではありますが、きっと私は自らの手を汚すのを恐れていたのでしょう。国民を道連れに国が破滅する未来から目を逸らしていたのだと思います。私は自らの心の弱さを嘆きつつも王太子とビッチを亡き者にする決心をしました。殺られる前に殺るの精神です。
王太子とビッチを抹殺しようにも私一人でどうにか出来る事ではありません。巻き込むことを申し訳なく思いつつもお父様に助力をお願いしました。理由をお尋ねになるお父様に彼らの所行と未来の予測を熱弁してしまいました。少々具体的に申してしまった未来予測についてお父様は少し訝しげにしてらしたようですが、特に問い質すような事はなさらずに了承してくださいました。今後はお父様の指示に従うようにと言い付けられた私は、安堵と共に幾許か焦燥を覚えつつも従うことにしました。結果的にそれは全てが終わるのを待つに等しい事でした。
王太子やビッチを相手にした変わらぬ日々に我慢の限界を超えそうになった頃、漸くお父様からの指示が来ました。お屋敷に戻って外に出ないようにとの指示です。日々ビッチ達を相手取って口論を繰り広げて疲労困憊だった私はそれが何を意味するのか全く気付きませんでした。気付いていたとしても何ができた訳でもありませんが。
疲労のため、屋敷に戻ると直ぐにベッドに潜って熟睡してしまった私は、その始まりに気付きませんでした。メイド長に起こされて漸く都を揺るがす喧騒に気付きました。その理由は促されるままに摂った遅い朝食の後で執事長から聞かされました。そう、反体制派による反乱の始まりです。
それを聞いて私は手が震えました。ゲームでも反乱が発生するルートが有った事を完全に失念していました。反乱は裏切りに遭って失敗に終わり、反体制派筆頭のハイデルフト侯爵とその一族は悉く非業の死を迎えるのがゲームでの結末です。
その事をお父様に伝えるため屋敷を出ようとした所で私は足を止められました。「何処へお出かけですか、お嬢様?」などと言いつつ下品に嗤う男性が兵隊を引き連れて屋敷を取り囲んでいます。遅きに失したことを悔やみましたが少しでも情報は得ておくべきだと、まずは目の前の男性の名を問いました。すると何故か男性が激高します。どうやら男性はビッチの取り巻きである事が自慢らしく、誇らしげにその事を語ります。そしてそんな彼を私が知らないのを許せないらしいのです。何やら名乗ってもいましたが、所詮ビッチの犬みたいなものですから「ポチ男」で十分でしょう。私がポチ男のことを知らないと正直に告げると彼が更に逆上しました。むしろビッチの取り巻きである事は恥ずべき汚点だと私は思うのですが、取り巻きにとってはビッチは崇拝の対象で、その近くに居る事が自慢の種らしいです。私には全く理解できません。
随分とお調子者らしいポチ男に裏切りについて水を向けると、陶酔したようにペラペラと語ってくれました。ポチ男の家が裏切り者の筆頭で、私が親しい友人だと思っていた者の殆ど全ての家もお父様を裏切っていたのだと言います。
◆
裏切りについて聞いたときには半信半疑でしたが、今ここから見える元友人達のこちらを見てニヤニヤと嘲笑うかのような顔を見ると、ポチ男の話が真実であったのだと分かります。彼らが友人の振りをしていた事に気付かなかった私はなんと愚かだったのでしょう。だとしても彼らの行いを私は忘れることはありませんし、彼らは必ず報いを受けると信じてもいます。
王太子とビッチに目を向けると、彼らは私に見せ付けるようにまぐわいながら嫌らしく嗤っています。曲がりなりにも公の場であるここで破廉恥な振る舞いに耽る王族なぞ聞いたこともありません。この国は既に国の体を為していないようです。
国がどのような状態であるにせよ、民衆、特にハイデルフト侯爵領の人々に平安がある事を願わずにはいられません。
長々と続いていた宰相による口上が終わりました。
ふと、空を見上げると澄み渡った青空が広がっています。ピクニックをするときっと楽しいことでしょう。
昔、家族で行ったピクニックに思いを馳せていると、衝撃と強い圧力とで空を見ることが叶わなくなりました。私は反体制派の首謀者の一人としてギロチンに繋がれたのです。首謀者の一人に数えられるとは光栄に思わなければいけないかも知れません。
国王の演説が始まりました。何時の世でも偉そうにする者達の話は長いようです。
そんな中、突然叫び声と共に国王の声が途切れ喧騒が巻き起こりました。首を巡らせて国王の方を見ると近衛兵が集まっています。国王とは少し離れていた王太子を見ると口角を吊り上げています。国王暗殺の首謀者なのが表情だけでモロバレです。
ひとしきりの喧騒の後、いつの間にか正装した王太子が登壇します。
「国王陛下が反乱を企てた逆賊の手に掛かり崩御された! 余はこれをけして許さないであろう! そして今ここに余の国王即位を宣言する!」
歓声が巻き起こります。新国王が狂王だと知らない民衆は、暗愚な王による悪政からの解放を期待しているのかも知れません。しかし私としてはそのような民衆に対して心がささくれ立ちます。
「王として、今より前国王を暗殺した逆賊の処刑を行う!」
また歓声が上がります。民衆の愚かさに、先ほどまで民衆の平安を望んでいた心が消えていくのを感じます。
一人の男がギロチン台の前へと引き立てられて来ました。焦点の定まらない目をしたその男はポチ男です。若干の驚きと共に納得もしました。ビッチへの執着心が強そうな事や口の軽さを考えると、捨て駒にされてもおかしくはないでしょう。
そして狂王もギロチン台の前へと姿を現すと、剣を抜き高く掲げます。そして口角を高く持ち上げたまま私の方を向いて「悔しかろう」などと挑発してきます。その通りであるため私としては舌打ちしかできません。
「余の手により逆賊を討ち果たしてくれよう!」
そして狂王はゆっくりとポチ男に向き直るとその首に剣を振り下ろしました。
ゴトンと言う音と液体の滴る音が聞こえた後、またまた歓声が上がります。私は民衆の愚かしさに笑いが込み上げてきます。
「あーっはっはっはははは! あはっあーっはっはっはははは!」
私の哄笑に周りは冷や水を被せられたように静まります。
「愚かな民衆よ! お前達の地獄は今より始まる事を知れ!」
そう叫んだ私からは民衆への愛情がすっかり消えていました。
「えーい! 此奴を黙らせろ!」
狂王が叫びます。
「貴方には呪いを与えましょう」
狂王に答えて私がそう言い終わるかどうかの刹那、ぶつんと何かが切れる音に続いて硬い物が擦れる音が響きます。お父様の叫び声が聞こえたと思った瞬間に私の目に写る景色が回ります。
だけど今の台詞は悪役っぽかったですね。思わず笑ってしまいます。目の端に写る狂王が恐怖に引き攣ったような顔をして私を見ています。彼がそのような顔をするのを見られるとは楽しくて仕方ありません。
最期に見る空は、赤く染まって見えます。
手遅れなのだから思い出さなければ良かったのに、と何度嘆いたことでしょう。しかしそれが叶わぬだろう事も悟っていました。何故なら、全てを思い出すずっと前から知らない筈の事を知っていたり、見た事のない光景が頭に浮かんだりする事があったからです。
それ故に、もっと早く思い出していれば、と思った事は数知れません。
思い出したのは前世の記憶です。乙女ゲームに夢中になっている私と、その乙女ゲームの内容でした。そして今、私の居る世界はその乙女ゲームの設定とそっくりなのです。
ゲームは、貴族の通う学園を舞台に庶民出身の主人公が王太子や上位貴族の子息の心を射止めると言う、一見ありふれたものです。
ところが、主人公が主人公とは思えない悪女なのです。愚鈍で身勝手で嘘も付けば悪事も働くビッチです。ネットでも話題になったものです。
ただ、逆ハーレムエンドが有るゲームの主人公はどれもビッチと言えますので、単にビッチなだけであれば話題にはならなかったでしょう。それはもうビッチ中のビッチ、クイーン・オブ・ビッチとでも言うビッチですから話題になりました。誰にでも股を開く、水素が詰まっているのではないかと思える程にお尻の軽い女性なのです。
ゲームの流れは、主人公が身体を使って男性を籠絡し、その男性を使って女性を陵辱したり罠に嵌めたりしながらライバルの女性や障害になる男性を排除して攻略対象の男性を手に入れる、と言うものです。主人公自体は愚鈍なため、考えるのも実行するのも籠絡された男性が行います。誰をどの順番で籠絡するか、誰を排除するか等で攻略の成否が変わります。時には、主人公自ら攻略対象を強姦するなんて事もありました。
このような内容でも成年向けではありませんので直接陵辱シーン等は描かれてはいません。しかし、婉曲表現ながら妙に生々しく描かれていました。はっきり申しまして主人公のビッチさに気持ち悪くなりました。
気持ち悪くなる主人公でありながら私が夢中になったのには理由があります。それは、どのルートでも主人公の障害になる令嬢、エカテリーナ・ハイデルフトの存在です。彼女は眉目秀麗で頭脳明晰、機知に富み、驕らず慈愛に満ちており、私の理想とも言うべき人物でした。ところが、主人公の障害になると言うだけで悪役として紹介されているだけでなく、主人公が誰かと結ばれるエンディングを迎えると必ず死亡してしまいます。エカテリーナに感情移入してしまった私は彼女の薄幸な運命を避けるルートを探すべく全ルートの攻略を目指しました。しかし結果は惨く、彼女の命が助かるルートを一つの例外を除いて見つける事ができませんでした。
原因は分かっています。主人公が何もしなくても勝手に主人公に熱を上げる王太子の存在です。そのために攻略を一切しない場合でも王太子とのエンディングを迎えてしまいます。そしてエカテリーナの死亡原因の殆どがこの王太子なのです。
王太子には高級貴族の一族を人前では殺さない程度の理性しか有りません。下級貴族程度ですと何か気に入らない事があれば人前でも平気で剣で斬りつけます。高級貴族に対しても安易に暗殺を試みます。学舎でも本来禁止されている帯剣をしており、学内で他の学生を斬り殺す事もあります。
それがまかり通るのも、暗愚を画に描いたような国王が全て揉み消す為です。
後日譚では、国王となった王太子は王都市民の大半を串刺しで殺して屍体の森を築いた狂王として描かれていました。
そのような醜悪な王族が支配する国に、私はエカテリーナ・ハイデルフトとして転生していました。そしてそれに気付いたのは主人公と遭遇した時で、ゲームであれば既に開始された後の事になります。主人公は私になにやら言い募っていたようですが、記憶の整理に必死だった私は全く聞いていませんでした。ひとしきり言い募った後「いい気にならないでよ」等と言い残して主人公は去っていきました。その後ろ姿を見送っている途中で漸く現実に立ち返った私は、主人公の後ろを歩く王太子を見て思わず叫びそうになりました。唯一見つけたエカテリーナが死亡しないルート、即ち主人公が王太子を避ける事で二人が出会わないルートは既に塞がっていたのです。
最初は主人公や王太子とは関わらないようにしようとも考えました。しかし、主人公の方から私に絡んでくるのです。それも理不尽な言い掛かりを付けてきます。彼女が私を排除しようとするのですから、そうなるのは推し量るべきでした。結果的に後手に回ってしまったように思います。
主人公の言い掛かりに反論して言い込めるのは簡単なのですが、彼女が憎々しげに沈黙する頃になるとどこからともなく王太子が現れ、脈絡のない暴言をひたすら吐き出して話を逸らしてしまいます。仕方なく王太子を相手にしている隙に彼女は何処かへ遁走していると言うことの繰り返しです。
そうして対応に苦慮している間に、主人公の吐く毒が学舎を蝕んでいました。この世界の主人公はゲームが霞むほどにビッチでした。最初こそ人目を避けていたのだろうとは思いますが、気付けば彼女の淫らな行いは人目に付くところで行われていました。そして徐々に人目を憚らなくなり皆の知る所となったのですが、咎められる事もありませんでした。それはどう考えても異常なことで、今思えば学舎自体が病んでいたのでしょう。
私自身、彼女が男性とまぐわっているのを何度も見掛けました。もしかすると私に見せ付けるつもりだったのかも知れません。私と目が合うとニヤニヤと嗤います。そんな彼女とその相手に苦言を呈すると、男性はそそくさと逃げ去る事が多かったのですが、彼女は悠々と衣服を整える事もなく勝ち誇ったように高笑いをして去っていきます。気持ち悪さに背筋が凍る思いでした。
私の友人にまで害が及ぶに至って、私は積極的にビッチを糾弾する方向へと態度を改めました。私の憧れたエカテリーナにはそぐわない行いのように思えましたが我慢できませんでした。しかし、ビッチを糾弾していると王太子に必ずと言って良いほど邪魔をされます。なんとも歯痒いのですが、権力者が権力を振り翳す影響力は大きく、私の方が徐々に孤立していく有り様でした。ビッチが授業中に教室で情事に耽っているのを力ずくで教室から追い出した時には、私の方が冷ややかな目で見られる始末です。その時にこの国自体がもう駄目だと悟りました。
それこそ今更ではありますが、きっと私は自らの手を汚すのを恐れていたのでしょう。国民を道連れに国が破滅する未来から目を逸らしていたのだと思います。私は自らの心の弱さを嘆きつつも王太子とビッチを亡き者にする決心をしました。殺られる前に殺るの精神です。
王太子とビッチを抹殺しようにも私一人でどうにか出来る事ではありません。巻き込むことを申し訳なく思いつつもお父様に助力をお願いしました。理由をお尋ねになるお父様に彼らの所行と未来の予測を熱弁してしまいました。少々具体的に申してしまった未来予測についてお父様は少し訝しげにしてらしたようですが、特に問い質すような事はなさらずに了承してくださいました。今後はお父様の指示に従うようにと言い付けられた私は、安堵と共に幾許か焦燥を覚えつつも従うことにしました。結果的にそれは全てが終わるのを待つに等しい事でした。
王太子やビッチを相手にした変わらぬ日々に我慢の限界を超えそうになった頃、漸くお父様からの指示が来ました。お屋敷に戻って外に出ないようにとの指示です。日々ビッチ達を相手取って口論を繰り広げて疲労困憊だった私はそれが何を意味するのか全く気付きませんでした。気付いていたとしても何ができた訳でもありませんが。
疲労のため、屋敷に戻ると直ぐにベッドに潜って熟睡してしまった私は、その始まりに気付きませんでした。メイド長に起こされて漸く都を揺るがす喧騒に気付きました。その理由は促されるままに摂った遅い朝食の後で執事長から聞かされました。そう、反体制派による反乱の始まりです。
それを聞いて私は手が震えました。ゲームでも反乱が発生するルートが有った事を完全に失念していました。反乱は裏切りに遭って失敗に終わり、反体制派筆頭のハイデルフト侯爵とその一族は悉く非業の死を迎えるのがゲームでの結末です。
その事をお父様に伝えるため屋敷を出ようとした所で私は足を止められました。「何処へお出かけですか、お嬢様?」などと言いつつ下品に嗤う男性が兵隊を引き連れて屋敷を取り囲んでいます。遅きに失したことを悔やみましたが少しでも情報は得ておくべきだと、まずは目の前の男性の名を問いました。すると何故か男性が激高します。どうやら男性はビッチの取り巻きである事が自慢らしく、誇らしげにその事を語ります。そしてそんな彼を私が知らないのを許せないらしいのです。何やら名乗ってもいましたが、所詮ビッチの犬みたいなものですから「ポチ男」で十分でしょう。私がポチ男のことを知らないと正直に告げると彼が更に逆上しました。むしろビッチの取り巻きである事は恥ずべき汚点だと私は思うのですが、取り巻きにとってはビッチは崇拝の対象で、その近くに居る事が自慢の種らしいです。私には全く理解できません。
随分とお調子者らしいポチ男に裏切りについて水を向けると、陶酔したようにペラペラと語ってくれました。ポチ男の家が裏切り者の筆頭で、私が親しい友人だと思っていた者の殆ど全ての家もお父様を裏切っていたのだと言います。
◆
裏切りについて聞いたときには半信半疑でしたが、今ここから見える元友人達のこちらを見てニヤニヤと嘲笑うかのような顔を見ると、ポチ男の話が真実であったのだと分かります。彼らが友人の振りをしていた事に気付かなかった私はなんと愚かだったのでしょう。だとしても彼らの行いを私は忘れることはありませんし、彼らは必ず報いを受けると信じてもいます。
王太子とビッチに目を向けると、彼らは私に見せ付けるようにまぐわいながら嫌らしく嗤っています。曲がりなりにも公の場であるここで破廉恥な振る舞いに耽る王族なぞ聞いたこともありません。この国は既に国の体を為していないようです。
国がどのような状態であるにせよ、民衆、特にハイデルフト侯爵領の人々に平安がある事を願わずにはいられません。
長々と続いていた宰相による口上が終わりました。
ふと、空を見上げると澄み渡った青空が広がっています。ピクニックをするときっと楽しいことでしょう。
昔、家族で行ったピクニックに思いを馳せていると、衝撃と強い圧力とで空を見ることが叶わなくなりました。私は反体制派の首謀者の一人としてギロチンに繋がれたのです。首謀者の一人に数えられるとは光栄に思わなければいけないかも知れません。
国王の演説が始まりました。何時の世でも偉そうにする者達の話は長いようです。
そんな中、突然叫び声と共に国王の声が途切れ喧騒が巻き起こりました。首を巡らせて国王の方を見ると近衛兵が集まっています。国王とは少し離れていた王太子を見ると口角を吊り上げています。国王暗殺の首謀者なのが表情だけでモロバレです。
ひとしきりの喧騒の後、いつの間にか正装した王太子が登壇します。
「国王陛下が反乱を企てた逆賊の手に掛かり崩御された! 余はこれをけして許さないであろう! そして今ここに余の国王即位を宣言する!」
歓声が巻き起こります。新国王が狂王だと知らない民衆は、暗愚な王による悪政からの解放を期待しているのかも知れません。しかし私としてはそのような民衆に対して心がささくれ立ちます。
「王として、今より前国王を暗殺した逆賊の処刑を行う!」
また歓声が上がります。民衆の愚かさに、先ほどまで民衆の平安を望んでいた心が消えていくのを感じます。
一人の男がギロチン台の前へと引き立てられて来ました。焦点の定まらない目をしたその男はポチ男です。若干の驚きと共に納得もしました。ビッチへの執着心が強そうな事や口の軽さを考えると、捨て駒にされてもおかしくはないでしょう。
そして狂王もギロチン台の前へと姿を現すと、剣を抜き高く掲げます。そして口角を高く持ち上げたまま私の方を向いて「悔しかろう」などと挑発してきます。その通りであるため私としては舌打ちしかできません。
「余の手により逆賊を討ち果たしてくれよう!」
そして狂王はゆっくりとポチ男に向き直るとその首に剣を振り下ろしました。
ゴトンと言う音と液体の滴る音が聞こえた後、またまた歓声が上がります。私は民衆の愚かしさに笑いが込み上げてきます。
「あーっはっはっはははは! あはっあーっはっはっはははは!」
私の哄笑に周りは冷や水を被せられたように静まります。
「愚かな民衆よ! お前達の地獄は今より始まる事を知れ!」
そう叫んだ私からは民衆への愛情がすっかり消えていました。
「えーい! 此奴を黙らせろ!」
狂王が叫びます。
「貴方には呪いを与えましょう」
狂王に答えて私がそう言い終わるかどうかの刹那、ぶつんと何かが切れる音に続いて硬い物が擦れる音が響きます。お父様の叫び声が聞こえたと思った瞬間に私の目に写る景色が回ります。
だけど今の台詞は悪役っぽかったですね。思わず笑ってしまいます。目の端に写る狂王が恐怖に引き攣ったような顔をして私を見ています。彼がそのような顔をするのを見られるとは楽しくて仕方ありません。
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