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第三五話 蠢く腰
しおりを挟む 第三九週火曜午後、迷宮――。
「迷宮商店の商業組合への登録が決まりました」
この報告のためにシルビアは迷宮を訪れていた。登録のために尽力したのもシルビアである。
時間は遡って一〇日前。
シルビアはモドロフを訪ねてモドロフ商会に居た。応接室でモドロフの向かいに座り、端から自身の迷宮を全開にしている。
「本日は折り入ってモドロフ様にお願いが有って参りました」
「お願いでございますか?」
モドロフが生唾を飲み込みながらシルビアの迷宮に見入る。
「迷宮商店が営業を再開できるようにしたいのです」
「シルビア様のご希望でも社員を危険な場所に送る訳には参りません」
「それは承知しております」
テーブルの上を四つん這いでモドロフに躙り寄る。
「そこで、迷宮商店を商業組合に加入させたいのです」
モドロフの膝に跨って座り、モドロフの両頬を両手で撫で付ける。
シルビアを凝視するモドロフは呼吸不全に陥ったかのように息が荒い。
「モドロフ様にはその推薦者になっていただきたいのです」
「し、しかしシルビア様の口利きで紹介したと知られればシルビア様が解雇されてしまいます」
商業組合への加入には二年間の屋台営業、あるいは三年間の組合員相手の行商の実績を必要としている。これには例外が有り、組合員の推薦と別の組合員五人以上の同意が有ればそれらが免除される。この時、組合職員が推薦や斡旋をするのは禁止されている。
そのため、モドロフはシルビアの肌の感触と香りに脳を焦がしながらも拒否するのだ。甘い囁きで請われても拒否し続ける。
幾度目かの後、シルビアが表情を消して立ち上がった。
「これだけお願いしてもお聞き入れくださらないとは、私とモドロフ様の関係もこの場限りでございますね」
「そんな!」
「モドロフ様とは迷宮で繋がっていた関係ですから、それが自然ではありませんか?」
口をあんぐりと開けて放心すること暫し、モドロフは慌てた。もうシルビア無しではいられない身体になっている。どうにか関係の継続をと願うがシルビアが首を縦に振らない。
結局はモドロフが折れてシルビアの要求を呑んでしまった。
「ありがとうございます。ご褒美をあげましょう。しかしその前に、素直ではなかったのでお仕置きです」
シルビアは鞭を取り出してパチンと鳴らした。どこに持っていたのかは誰も知らない。
それを見たモドロフが顔を紅潮させていそいそと服を脱ぎ、シルビアへと背を差し出してくる。
シルビアはバシンといつもより強く鞭を振るう。
モドロフは呻き声を上げ、苦痛と恍惚が綯い交ぜになった表情を浮かべる。お仕置きの筈だがご褒美にしかなっていない。
しかしそれで良いのだ。そうして高まっていくのだから。
そして同様の調子でシルビアは他の組合員からも同意を取り付けたのだった。
「それは喜ばしいんだが、何であんたはこっちに尻を向けて悦んでるんだ?」
カトラがげんなりした顔で言った。シルビアの前に居るのはカトラの他、ザムトとサシャ。そのザムトに向かってシルビアは自らの迷宮を弄びつつ誇示している。
ここまでくると、ザムトでも少々引いている。
「折角ですから、主様の寵愛を戴きたいものと思いましてお誘いしております」
「このヘンタイには恥も外聞もあったもんじゃないね」
「お褒めいただきありがとうございます」
「褒めてないよ! だけど前より酷くなってないかい?」
「そう見えるのでしたら、ハジリに戻ってからは満足できていないからかも知れません」
「あんたの事だから毎日男とやってるんじゃないのかい? ハジリじゃ他のコの稼ぎを気にしなくてもいいんだからさ」
「はい。一日に一〇人ほどでしょうか」
「一〇人!?」
聞いていた三人は目を剥いた。幾ら何でも多すぎる。
「それだけ励んでおいて満足できないのかい?」
「はい。しかし一〇人と申しましても半数は本番前に終わってしまわれますし、他の方も一分もすれば満足なさいまして、私の方は残念ながら……」
「そっか……。シルビアじゃ相手が保たないのか……」
三人は渋い顔になった。
「治療スライムに弄ばれれば満足できるのですが、生憎とハジリに住んでいてはそれも叶いません」
「そりゃそうだろうね」
「ですから今日のこの機会に、十二分に満足させていただけないものかと考えている次第なのです」
話す間にも自らの迷宮を弄ぶシルビアの手の動きは激しさを増している。
「師匠が主様の寵愛を受けられた後の艶やかさは存じておりますので、きっと主様なら治療スライム以上の快楽をお与えくださると思い、こうしております」
「あー、うん。言いたい事は判った。だけど、あんたじゃ旦那に抱かれてもそこまで気持ち良くはなれないよ」
カトラは掻い摘んで説明した。
「それでは私もその眷属にしていただけませんか?」
「おいおい、そんなに簡単に決めていいものじゃないだろ」
「カトラさんが言っても説得力はありませんよ」
突っ込みを入れられたカトラはサシャを見る。
暫くサシャと見つめ合った後、カトラはにぱっと笑って誤魔化した。
少々強引に治療スライムに放り込む事で、シルビアの希望については先送りだ。
「旦那、シルビアを眷属にするのかい?」
二人だけの時間、話をする時にはカトラはザムトに跨って自身だけが動いてザムトを感じる。ザムトに触れるだけで快楽を感じる身体になってしまっていて直ぐにでも絶頂を迎えそうになるが、自分で加減できるのでどうにか押し止めて話もできるのだ。触れられてしまえば話をする余裕など全く無くなる。
「どうしたものかね。カトラはどう思う?」
「あたしは……」
言い淀んだ。正直を言えば眷属にして欲しくない。眷属が増えればザムトと愛し合う自分の時間が減るのだ。だが、そんな浅ましい感情は吐露できない。
「カトラは可愛いな」
「え?」
「俺とお前は繋がっているのに、そんなに強い感情を抱いたら俺に伝わるだろ」
「あ……、あ……」
羞恥に顔を染めるカトラをザムトが愛しげに見る。
「そんな嫉妬深いカトラにはお仕置きが必要だな」
少々にやけ気味に言うザムトにカトラは少し怯えた。
怯えた通り、ザムトはいつになく激しかった。カトラが気絶しても起こしてまた激しく犯すのだ。それを朝まで続けた。
翌朝、眷属の件は保留のままシルビアは迷宮を後にした。
◆
冒険者組合出張所に今日もカトラは詰めている。
「何なのよ、その下半身が充実してますって感じのにやけ顔は?」
「えへへ、昨夜の旦那が激しくてさ。許してって言っても許してくれなくて朝まで責め立てられちゃった」
一睡もしていないせいもあってか普段より浮かれている。
「はいはい、ごちそうさま」
ヨハンナはと言えば、話を振って後悔した。いくら気になっても、問えば惚気が返ってくるのは見えていたのだ。
だが、あっさり切り捨てられてはカトラも面白くない。
「ヨハンナこそ、あれから毎日治療スライムを使ってるみたいじゃないか。子供はどうしたんだい?」
「う……」
思わぬ報復にヨハンナが胸を押さえて突っ伏した。
「しょ、しょうがないじゃない。肌も艶々になるし、体調もすこぶる良くなるし、気持ちいいし……」
「うんうん、そうやってみんな駄目になっていくんだ」
カトラは納得げにうんうんと頷く。カトラも肌つやや体調については十分に恩恵を受けている。
「他人事みたいに言わないでよ!」
「他人事だろ?」
ヨハンナの抗議にきょとんと返した。
「だけど『気持ちいい』か……」
やおら立ち上がってヨハンナの背後に回り、ヨハンナを抱きすくめる。
「何!?」
驚いたヨハンナが身を捩るが、カトラの腕はビクともしない。
「ちょっとした実験さ」
そう言ってヨハンナの身体をまさぐり始めた。
「や、止め……、あん!」
程なくヨハンナは喘ぎ声を発し始め、息遣いも荒くなった。
「何なんだい、この感じやすい身体は。これで満足できてなかったなんておかしいじゃないか」
ヨハンナが切羽詰まったところでカトラは離れた。
寸止めされた形のヨハンナの方は堪らない。
「ちょっと! 酷いじゃない! もうちょっとだったのに!」
身悶えるヨハンナを見てカトラは溜め息を吐いた。
「あんた、抱かれる時、いつも旦那さんに任せっきりなんだろ」
「え? 男の人に任せるものじゃないの?」
「女が男をその気にさせなきゃ駄目に決まってるじゃないか」
「それでヨハンナの見ている前でするのか」
夜にカトラを抱く間際、ザムトが溜め息混じりに言った。エリザを抱く時はある意味で仕方ないとは言え、散々人前で抱いているのだから今更恥ずかしがるような神経は持っていない。しかし、見られるのと見せるのとでは微妙に違うのだ。
「その代わり、あたしがたっぷりとサービスするよ」
カトラは手始めに口付けをして舌を絡めるが、直ぐに離れた。もう淫欲に溺れそうな表情をし、乳首を固くしこらせている。
「ヨハンナに手本を見せる約束だからね。旦那は暫く手出し無用で頼むよ」
そうして最初こそヨハンナに向けた解説をしつつザムトを愛撫するカトラだったが、然程時間が掛からず行為に没頭した。
普段とは明らかに違うカトラの淫靡さにヨハンナは固唾を呑んで凝視する。
やがて愛撫をせがむように身体を擦り付け始めたカトラをザムトも愛撫し始める。
激しい嬌声。
聞いているヨハンナの理性も焦がされた。
翌日。
「ヘンタイ達の気持ちが少し判った気がするわ」
「どうしたんだい? 藪から棒に」
「あなたの喘ぎ声を聞いてた時、我慢できなくなったのよ。自己嫌悪だわ」
「何してたか憶えてはいるんだろ? だったら大した事ないよ。エリザの声だと何にも憶えてないらしいからね」
「そうなの?」
ヨハンナは冷や汗を垂らした。
「まあ、姫さんはもっとやばいけどね」
「え?」
「あの声は女をヘンタイにさせる。シルビアも少しそんな感じだけど、比べものにならない。それどころか治療スライムが足下にも及ばないくらいだよ」
ローニャの特訓後でも余力が残るようになってきたミランダやメリッサは、ザムトの許へと向かうフィーリアに付き従うようになっていた。実際には危険は無く、ローニャも居るのだが、護衛の位置付けである。
そんな二人を慮ってか、はたまた単に自身の性癖故かフィーリアは二人の前でザムトに抱かれる。三叉路の傍、エリザの目の前でだ。
それに付き合うザムトもザムトだが、色々と今更なので深く考えてはいない。
そしてフィーリアの嬌声を聞いた二人も我知らず淫欲の淵に落ちていくのだ。メリッサより一足早く観賞しているミランダは既に取り返しが付かなくなっていて、メリッサももう手遅れだった。元よりそうした傾向の強い二人なだけに、転がり落ちるのは早かった。
カトラもフィーリアの嬌声を聞けば自らの秘所を掻き回したい衝動に駆られる。エリザの嬌声を聞いた時より強くだ。ローニャですら時折自身を慰める。
エリザだけはただ冷ややかに見る。ザムト以外に影響される事がないためである。
話を聞き終えたヨハンナは少し青ざめた。
「……お願いだから他の人に声が聞こえない所でやって貰って」
◆
第三九週金曜、開拓地――。
東の街道の北側に建築していた店舗は予定通り前日に完成した。壁の周囲の壕には水が引かれ、濠に変わっている。傍にはコロンによって馬の水飲み場も作られている。
今日は朝から商品を運び込み、早速の開店である。店番は元々店員をしていたモニカと娼婦だったレベッカがする。
昨日の今日で開店可能だったのは、商品点数が少なく、水甕に入った水を除けば誰でも携帯可能なものばかりだからだ。初日の売り上げも零を見込んでいる。
それでも一応サンドイッチなどの軽食も用意している。売れ残れば昼食や夕食にしてしまえば良いのだから無駄にはならない。
幅四メートルの店舗には片側二メートルに販売台を置いて商品を並べ、もう片側に水甕を置いている。
いざ開店。すると予想外に客足が伸びた。レベッカが街道沿いに立って案内をしていたのだが、通り掛かった者の殆どが足を止める。裸の女が立っていれば話し掛けたくもなろう。壁の事を尋ね、迷宮商店が営業を始めたと聞くと寄っていく。
客の行儀は良い。品の無い商人であれば「ねえちゃん、町まで連れてってやろうか」などと唆して馬車に乗せ、猥褻行為に及びながら町まで揺られて行こうとするところだが、なに分迷宮の麓の事。下手な手出しをすれば怖いお姉さんがやってくる。行儀も良くなろうと言うものである。
そんな商人達への売れ筋は一〇リットル一〇〇〇円の水と一食分一〇〇〇円の軽食だ。彼らの最大の目的は牛馬に水を飲ませる事であり、何も買わないのもバツが悪くて買っていくのである。高価な品物を買う者はそうそう居ない。
尤も、張形が一つ売れるだけで水の数百倍の売り上げなのだから、週に一つ売れれば売る側としては御の字である。
水は迷宮まで行けば只なのであるが、商人達は買う。それを不思議に思ったモニカが理由を尋ねると、迷宮が襲撃される怖れよりも馬車を離れるのが不安なのだと言う。荷を盗まれたら生活ができなくなるのだ。迷宮に行こうと思えばハジリで馬車を預けるか、馬車の番をする者が必要らしい。
◆
第三九週土曜午前、迷宮――。
「商業組合を解雇されてしまいました」
朝から迷宮に訪れているシルビアは、むしろ清々しい様子で言った。
名目上の解雇理由は迷宮商店の商業組合加入の件での口利き。これが名目でしかないのは、迷宮商店の加入取り消しや口利きに応じたモドロフ商会や他の商店への処分が無い事から、誰の目にも明らかである。
それに規定では禁止されていても実際には過去に幾度となく行わていて、叩けば現組合長からも埃が出る。金銭が動いていない分だけシルビアの方が健全なくらいで、処分をしようとすれば影響が計り知れない。
裏の理由は組合員に広がり始めた不公平感を抑えきれなくなった事だ。シルビアが受け持っている組合員はシルビアの肉体を観賞する機会と特殊なサービスを受ける機会に恵まれる。それもシルビア自身が望んで積極的にサービスする。
それを他の組合員が小耳に挟めば不満たらたらだ。特にシルビアに懸想する者は収まらない。シルビアを担当にして欲しいと組合に陳情する始末である。そしてそれは日に日に強くなる一方だった。
故にその元を断ったのだ。
テーブルを囲んで話を聞いていたザムト、サシャ、カトラは酸っぱいものを食べたような顔になった。
「あんたはそれでいいのかい?」
「はい。解雇されなくとも退職する心づもりでした」
「早まった事を……」
「ここから通うのが不可能な以上、ここに住むには退職するしかありませんから。幸いな事に、ここでは食費以外を必要としませんので、自宅を処分すれば数十年は暮らせるでしょう」
「肉は狩りをすれば食えるし、バジルも食えるから金が無くても何とかなりはするな……」
ザムトがチラッとサシャを見た。目が合った。
「確かに何とかはなりましたね。味気なかったですけど……」
サシャがクスクスと笑う。
「何なんだい? 二人だけで分かり合ったような雰囲気出してさ」
カトラは若干不満だ。ザムトとサシャだけが知る時間があったと判っていてもちょっと悔しい。
「麦芋団が住み着くまではそれしか食うもの無かったんだ。調味料もな」
「私は何日かだけでしたけど、ザムトさんはもっと長かったんですよね」
サシャが「あっ」と失敗した顔になる。
「すみません。主さん」
「ん? ああ。名前はもう気にしなくていい。知られた方が舐めて掛かられて好都合かも知れない」
「そうなんですか?」
「あの頃は一四級程度だったからな。この間の虫の大群の一〇分の一でも来たらお陀仏だった。今はもう俺もサシャも強くなったろ? だから大丈夫だ」
「それじゃ、これからはみんなの前でも『ザムトさん』とお呼びしますね」
「だーっ!」
カトラがザムトとサシャの間にダイブして、じたばたと暴れる。
「もう! あたしが居るのに二人の世界を作らないでおくれよ!」
「あらあら、子供みたいに。カトラさんってほんとにザムトさんの事が大好きですよね」
サシャがクスクスと笑う。カトラは顔が真っ赤だ。
「ば、馬鹿! そんな事、旦那の前で言うんじゃないよ!」
「大丈夫ですよ。ザムトさんもカトラさんの事が大好きですから。ね?」
サシャが視線を向けた先のザムトは口をあうあうさせていた。
「そんな訳ですから、眷属の件は我慢してください。シルビアさん」
サシャはシルビアに真剣な顔を向けた。
「私は末席で構いませんのに」
サシャが首を横に振る。
「焼き餅焼きなお姉さんが悲しみますから」
今度は微笑みながらカトラの頭を撫でる。
カトラは口を尖らせながらも頬が緩んだ顔をしてされるがままになり、ザムトは腰が浮いていた。
「残念ですが、諦めます」
「良かった。ところでシルビアさん?」
「何でしょう?」
「いつまでお尻をザムトさんに向け続けるのですか?」
「ずっとです」
「え?」
「いつでも殿方を迎え入れられるように準備しているのです」
「まさか、商業組合でもそうしていたんですか?」
「当然ではありませんか」
誇らしげに答えるシルビアに、三人は冷や汗を垂らす。そして、解雇の真の理由を知った気がした。
このヘンタイが職場に居たら仕事にならない。
そのヘンタイは当面は迷宮商店の売り子である。
結果、襲撃される危険の有る迷宮からシルビアを遠ざけようとしたモドロフの思惑も脆くも崩れ去った。
◆
当面の店舗が完成し、シルビアも迷宮に再度居を移した事で、マッチョ達も迷宮へと居を移した。
ジャックは続けて店舗の建築、ジムはザムトが四九階の二階部分に作った炉で鍛冶、ジュードは服の縫製、ジョーは毎日の料理が主な仕事になる。鍛冶製品、服、料理は迷宮商店での販売品目にも加わる。
ジムが鍛冶に使う火はザムトの魔法陣で賄う。以前とは違い、魔力に余裕ができたのでそうできたのだ。
また、ジム、ジュード、ジョーの三人は建築が終わるまでは一日の半分程度をジャックの手伝いに充てる。
マッチョ達が迷宮に引っ越した事で夜の店舗の警備は荷役一号と荷役三号の出番となった。店舗を囲む壁には丸太を組み合わせて作った門が取り付けられており、夜にはゴーレム達が中から閂を掛ける。朝になってモニカ、レベッカ、シルビア、それに荷役二号が店舗まで行くと閂を外して門を開ける。
昼間の警備は荷役二号が一端を担う。
一晩の役目を終えたゴーレム達は一旦迷宮へと戻り、魔素を補給してまた夕方に店舗へと行くのだ。
荷役とは別にツバメの数体も交替で常時監視している。何らかの異変、特にゴーレム達に異変が有ればそれで察知する。
ゴーレム達に異変によって門が開かない場合、中に入る方法は幾つか有る。ローニャなら空を飛んで、イリスやコロンなら土で階段を作って、アーシアなら水の流れに乗って門を乗り越える事が可能だ。カトラなら門を破壊できる。
最悪、サシャが門を燃やす事になるが、その場合は店舗も危険なので本当に最後の手段である。
◆
開拓地ではコロンが魔法で土を引っ繰り返し、麦芋団が表に出た石を拾い集める作業を繰り返している。この作業は年末までの見込みである。コロンの魔法無しであれば少なくとも数年は掛かる広さだから随分と早い。
その隣接地で娘子軍が新たに開拓を始めた。娘子軍にも土の魔法の素養が有る者が一人居たため、魔法の練習も兼ねての事である。
迷宮内では迷宮の壁の影響で土の魔法を思うように使えない。せいぜい持ち込んだ土砂を動かす程度になる。外でなければ練習らしい練習ができないのだ。他の火、水、風と言った魔法でも一般的には外の方が練習しやすい。
例外はサシャ。もしサシャが外で全力をもって魔法を放ってしまえば熔岩の海ができる。そうなれば暫く草も生えない。迷宮内なら全力でもそうはならないのだ。それでもサシャ以外の者が居合わせれば灰になるのでサシャの全力が危険な事に変わりはない。
ただ、魔法の練習と言っても隊員の魔法はコロンに遠く及ばない威力なため、他の隊員達も鍬やツルハシを振るって進捗を補っている。とどのつまり、普通に開拓しているのである。
勿論の事ながら娘子軍は開拓ばかりをしているのではない。午後は迷宮内での特訓を続けていて、午前中の三割は剣や槍などの形稽古を麦芋団指南の元で行っている。
娘子軍による買い出しは三日に一回の頻度で行われていた。
数回目にはハジリ住民の反応が薄くなった。洪水以降、単独の痴女や裸女はそう珍しいものでもなく、当たり前の光景ともなっているのだ。それが集団になっただけなのだから町民が慣れるのも早かった。
ただ、反応が薄すぎてフィーリアなどは不満である。
その買い出しも、迷宮商店での軽食の売り上げが好調なために二日に一回の頻度に変わった。
◆
第四〇週水曜午後、迷宮――。
「お疲れ様でした」
ヨハンナへの伝言を終えると冒険者組合からの連絡員はそそくさと立ち去った。
それを見送ったヨハンナは項垂れて溜め息を吐いた。来るべき時が来てしまった。
尤もヨハンナ自身の事ではない。ソレーヌの解雇が決まったのだ。副組合長のロブスが昨日、王都から戻り、ソレーヌの失踪を知るやいなや解雇を決定した。その事を職員の一人が知らせに来たのである。
いの一番にソレーヌの解雇をしたような拙速さに疑問を投げかけると、連絡員はロブスが甚だ不機嫌だと言う。冒険者中央組合の欠員募集の試験の出来が芳しくなかったのだろうと専らの噂だとか。
正式な合否が判るのはまだまだ先だが、組合職員でロブスが採用されると思っている者は居ない。神経質で、野心が滲み出ていて、職員の扱いがぞんざい。採用されても困るのだ。上司であり続けられるのも困りものだと思ってもいるが。
そんなロブスが八つ当たりのようにソレーヌを解雇したのは気に入らない。しかし、ソレーヌはとうの昔に解雇されてしかるべき状況だから怒るのは筋違いなのだ。
ヨハンナは再度大きく溜め息を吐いた。
そんなヨハンナの頭を優しく撫でる手がある。
「ヨっちゃん……」
アーシアだ。姉妹揃って優しい。辛い過去を背負っているのに優しい。
だから「もう少し自分も頑張らなきゃ」と思ってしまう。
「ありがとう。もう大丈夫よ」
アーシアに微笑み返した。
中央組合ではロブスの不採用が決定している。原因は迷宮に関する報告書の欠陥である。
迷宮の存在は国にとって一大事でもあるため、王族も皆報告書を読んでいた。その報告書に明らかな欠陥が有ったのだから能力不足、あるいは二心有りと推測もするのはフィーリアだけではなかったのである。結果、国王の通達の形で不採用が決まっていた。
それでも応募そのものを弾かなかったのは、叛乱への加担の可能性を吟味するためである。
ロブスにとって不幸だったのは、国王や王妃とその腹心らが叛乱に対して神経質になっていた点だ。厳しい視線が向けられた。現に個人的野心だけだとしても二心は有ったためにロブスはその対応に苦慮した。
そして、野心は強いものの叛乱に加担はしていないとの判断が下った。しかし、その強すぎる野心故に将来的にも採用しない決定が下っている。
これはロブスにとってむしろ幸運だったろう。もし、叛乱の疑いが有ると判断されていればハジリへ帰る事すら叶わなかったのだ。
東の街道に出没した盗賊の解決が遅れた件については全く考慮外だった。ハジリの冒険者は駆け出しの者が殆どであるため、冒険者組合が解決する事は期待されていなかったのだ。麦芋団が居たからと言って、一つのパーティで全てが解決できるものではない。そのため、ハジリの冒険者組合や衛兵隊に期待されていたのは盗賊の実体を掴むまでだった。
とどのつまり、何もしなければ可能性だけは残されたのだが、ロブスは一人で空回って自滅したのだった。
「迷宮商店の商業組合への登録が決まりました」
この報告のためにシルビアは迷宮を訪れていた。登録のために尽力したのもシルビアである。
時間は遡って一〇日前。
シルビアはモドロフを訪ねてモドロフ商会に居た。応接室でモドロフの向かいに座り、端から自身の迷宮を全開にしている。
「本日は折り入ってモドロフ様にお願いが有って参りました」
「お願いでございますか?」
モドロフが生唾を飲み込みながらシルビアの迷宮に見入る。
「迷宮商店が営業を再開できるようにしたいのです」
「シルビア様のご希望でも社員を危険な場所に送る訳には参りません」
「それは承知しております」
テーブルの上を四つん這いでモドロフに躙り寄る。
「そこで、迷宮商店を商業組合に加入させたいのです」
モドロフの膝に跨って座り、モドロフの両頬を両手で撫で付ける。
シルビアを凝視するモドロフは呼吸不全に陥ったかのように息が荒い。
「モドロフ様にはその推薦者になっていただきたいのです」
「し、しかしシルビア様の口利きで紹介したと知られればシルビア様が解雇されてしまいます」
商業組合への加入には二年間の屋台営業、あるいは三年間の組合員相手の行商の実績を必要としている。これには例外が有り、組合員の推薦と別の組合員五人以上の同意が有ればそれらが免除される。この時、組合職員が推薦や斡旋をするのは禁止されている。
そのため、モドロフはシルビアの肌の感触と香りに脳を焦がしながらも拒否するのだ。甘い囁きで請われても拒否し続ける。
幾度目かの後、シルビアが表情を消して立ち上がった。
「これだけお願いしてもお聞き入れくださらないとは、私とモドロフ様の関係もこの場限りでございますね」
「そんな!」
「モドロフ様とは迷宮で繋がっていた関係ですから、それが自然ではありませんか?」
口をあんぐりと開けて放心すること暫し、モドロフは慌てた。もうシルビア無しではいられない身体になっている。どうにか関係の継続をと願うがシルビアが首を縦に振らない。
結局はモドロフが折れてシルビアの要求を呑んでしまった。
「ありがとうございます。ご褒美をあげましょう。しかしその前に、素直ではなかったのでお仕置きです」
シルビアは鞭を取り出してパチンと鳴らした。どこに持っていたのかは誰も知らない。
それを見たモドロフが顔を紅潮させていそいそと服を脱ぎ、シルビアへと背を差し出してくる。
シルビアはバシンといつもより強く鞭を振るう。
モドロフは呻き声を上げ、苦痛と恍惚が綯い交ぜになった表情を浮かべる。お仕置きの筈だがご褒美にしかなっていない。
しかしそれで良いのだ。そうして高まっていくのだから。
そして同様の調子でシルビアは他の組合員からも同意を取り付けたのだった。
「それは喜ばしいんだが、何であんたはこっちに尻を向けて悦んでるんだ?」
カトラがげんなりした顔で言った。シルビアの前に居るのはカトラの他、ザムトとサシャ。そのザムトに向かってシルビアは自らの迷宮を弄びつつ誇示している。
ここまでくると、ザムトでも少々引いている。
「折角ですから、主様の寵愛を戴きたいものと思いましてお誘いしております」
「このヘンタイには恥も外聞もあったもんじゃないね」
「お褒めいただきありがとうございます」
「褒めてないよ! だけど前より酷くなってないかい?」
「そう見えるのでしたら、ハジリに戻ってからは満足できていないからかも知れません」
「あんたの事だから毎日男とやってるんじゃないのかい? ハジリじゃ他のコの稼ぎを気にしなくてもいいんだからさ」
「はい。一日に一〇人ほどでしょうか」
「一〇人!?」
聞いていた三人は目を剥いた。幾ら何でも多すぎる。
「それだけ励んでおいて満足できないのかい?」
「はい。しかし一〇人と申しましても半数は本番前に終わってしまわれますし、他の方も一分もすれば満足なさいまして、私の方は残念ながら……」
「そっか……。シルビアじゃ相手が保たないのか……」
三人は渋い顔になった。
「治療スライムに弄ばれれば満足できるのですが、生憎とハジリに住んでいてはそれも叶いません」
「そりゃそうだろうね」
「ですから今日のこの機会に、十二分に満足させていただけないものかと考えている次第なのです」
話す間にも自らの迷宮を弄ぶシルビアの手の動きは激しさを増している。
「師匠が主様の寵愛を受けられた後の艶やかさは存じておりますので、きっと主様なら治療スライム以上の快楽をお与えくださると思い、こうしております」
「あー、うん。言いたい事は判った。だけど、あんたじゃ旦那に抱かれてもそこまで気持ち良くはなれないよ」
カトラは掻い摘んで説明した。
「それでは私もその眷属にしていただけませんか?」
「おいおい、そんなに簡単に決めていいものじゃないだろ」
「カトラさんが言っても説得力はありませんよ」
突っ込みを入れられたカトラはサシャを見る。
暫くサシャと見つめ合った後、カトラはにぱっと笑って誤魔化した。
少々強引に治療スライムに放り込む事で、シルビアの希望については先送りだ。
「旦那、シルビアを眷属にするのかい?」
二人だけの時間、話をする時にはカトラはザムトに跨って自身だけが動いてザムトを感じる。ザムトに触れるだけで快楽を感じる身体になってしまっていて直ぐにでも絶頂を迎えそうになるが、自分で加減できるのでどうにか押し止めて話もできるのだ。触れられてしまえば話をする余裕など全く無くなる。
「どうしたものかね。カトラはどう思う?」
「あたしは……」
言い淀んだ。正直を言えば眷属にして欲しくない。眷属が増えればザムトと愛し合う自分の時間が減るのだ。だが、そんな浅ましい感情は吐露できない。
「カトラは可愛いな」
「え?」
「俺とお前は繋がっているのに、そんなに強い感情を抱いたら俺に伝わるだろ」
「あ……、あ……」
羞恥に顔を染めるカトラをザムトが愛しげに見る。
「そんな嫉妬深いカトラにはお仕置きが必要だな」
少々にやけ気味に言うザムトにカトラは少し怯えた。
怯えた通り、ザムトはいつになく激しかった。カトラが気絶しても起こしてまた激しく犯すのだ。それを朝まで続けた。
翌朝、眷属の件は保留のままシルビアは迷宮を後にした。
◆
冒険者組合出張所に今日もカトラは詰めている。
「何なのよ、その下半身が充実してますって感じのにやけ顔は?」
「えへへ、昨夜の旦那が激しくてさ。許してって言っても許してくれなくて朝まで責め立てられちゃった」
一睡もしていないせいもあってか普段より浮かれている。
「はいはい、ごちそうさま」
ヨハンナはと言えば、話を振って後悔した。いくら気になっても、問えば惚気が返ってくるのは見えていたのだ。
だが、あっさり切り捨てられてはカトラも面白くない。
「ヨハンナこそ、あれから毎日治療スライムを使ってるみたいじゃないか。子供はどうしたんだい?」
「う……」
思わぬ報復にヨハンナが胸を押さえて突っ伏した。
「しょ、しょうがないじゃない。肌も艶々になるし、体調もすこぶる良くなるし、気持ちいいし……」
「うんうん、そうやってみんな駄目になっていくんだ」
カトラは納得げにうんうんと頷く。カトラも肌つやや体調については十分に恩恵を受けている。
「他人事みたいに言わないでよ!」
「他人事だろ?」
ヨハンナの抗議にきょとんと返した。
「だけど『気持ちいい』か……」
やおら立ち上がってヨハンナの背後に回り、ヨハンナを抱きすくめる。
「何!?」
驚いたヨハンナが身を捩るが、カトラの腕はビクともしない。
「ちょっとした実験さ」
そう言ってヨハンナの身体をまさぐり始めた。
「や、止め……、あん!」
程なくヨハンナは喘ぎ声を発し始め、息遣いも荒くなった。
「何なんだい、この感じやすい身体は。これで満足できてなかったなんておかしいじゃないか」
ヨハンナが切羽詰まったところでカトラは離れた。
寸止めされた形のヨハンナの方は堪らない。
「ちょっと! 酷いじゃない! もうちょっとだったのに!」
身悶えるヨハンナを見てカトラは溜め息を吐いた。
「あんた、抱かれる時、いつも旦那さんに任せっきりなんだろ」
「え? 男の人に任せるものじゃないの?」
「女が男をその気にさせなきゃ駄目に決まってるじゃないか」
「それでヨハンナの見ている前でするのか」
夜にカトラを抱く間際、ザムトが溜め息混じりに言った。エリザを抱く時はある意味で仕方ないとは言え、散々人前で抱いているのだから今更恥ずかしがるような神経は持っていない。しかし、見られるのと見せるのとでは微妙に違うのだ。
「その代わり、あたしがたっぷりとサービスするよ」
カトラは手始めに口付けをして舌を絡めるが、直ぐに離れた。もう淫欲に溺れそうな表情をし、乳首を固くしこらせている。
「ヨハンナに手本を見せる約束だからね。旦那は暫く手出し無用で頼むよ」
そうして最初こそヨハンナに向けた解説をしつつザムトを愛撫するカトラだったが、然程時間が掛からず行為に没頭した。
普段とは明らかに違うカトラの淫靡さにヨハンナは固唾を呑んで凝視する。
やがて愛撫をせがむように身体を擦り付け始めたカトラをザムトも愛撫し始める。
激しい嬌声。
聞いているヨハンナの理性も焦がされた。
翌日。
「ヘンタイ達の気持ちが少し判った気がするわ」
「どうしたんだい? 藪から棒に」
「あなたの喘ぎ声を聞いてた時、我慢できなくなったのよ。自己嫌悪だわ」
「何してたか憶えてはいるんだろ? だったら大した事ないよ。エリザの声だと何にも憶えてないらしいからね」
「そうなの?」
ヨハンナは冷や汗を垂らした。
「まあ、姫さんはもっとやばいけどね」
「え?」
「あの声は女をヘンタイにさせる。シルビアも少しそんな感じだけど、比べものにならない。それどころか治療スライムが足下にも及ばないくらいだよ」
ローニャの特訓後でも余力が残るようになってきたミランダやメリッサは、ザムトの許へと向かうフィーリアに付き従うようになっていた。実際には危険は無く、ローニャも居るのだが、護衛の位置付けである。
そんな二人を慮ってか、はたまた単に自身の性癖故かフィーリアは二人の前でザムトに抱かれる。三叉路の傍、エリザの目の前でだ。
それに付き合うザムトもザムトだが、色々と今更なので深く考えてはいない。
そしてフィーリアの嬌声を聞いた二人も我知らず淫欲の淵に落ちていくのだ。メリッサより一足早く観賞しているミランダは既に取り返しが付かなくなっていて、メリッサももう手遅れだった。元よりそうした傾向の強い二人なだけに、転がり落ちるのは早かった。
カトラもフィーリアの嬌声を聞けば自らの秘所を掻き回したい衝動に駆られる。エリザの嬌声を聞いた時より強くだ。ローニャですら時折自身を慰める。
エリザだけはただ冷ややかに見る。ザムト以外に影響される事がないためである。
話を聞き終えたヨハンナは少し青ざめた。
「……お願いだから他の人に声が聞こえない所でやって貰って」
◆
第三九週金曜、開拓地――。
東の街道の北側に建築していた店舗は予定通り前日に完成した。壁の周囲の壕には水が引かれ、濠に変わっている。傍にはコロンによって馬の水飲み場も作られている。
今日は朝から商品を運び込み、早速の開店である。店番は元々店員をしていたモニカと娼婦だったレベッカがする。
昨日の今日で開店可能だったのは、商品点数が少なく、水甕に入った水を除けば誰でも携帯可能なものばかりだからだ。初日の売り上げも零を見込んでいる。
それでも一応サンドイッチなどの軽食も用意している。売れ残れば昼食や夕食にしてしまえば良いのだから無駄にはならない。
幅四メートルの店舗には片側二メートルに販売台を置いて商品を並べ、もう片側に水甕を置いている。
いざ開店。すると予想外に客足が伸びた。レベッカが街道沿いに立って案内をしていたのだが、通り掛かった者の殆どが足を止める。裸の女が立っていれば話し掛けたくもなろう。壁の事を尋ね、迷宮商店が営業を始めたと聞くと寄っていく。
客の行儀は良い。品の無い商人であれば「ねえちゃん、町まで連れてってやろうか」などと唆して馬車に乗せ、猥褻行為に及びながら町まで揺られて行こうとするところだが、なに分迷宮の麓の事。下手な手出しをすれば怖いお姉さんがやってくる。行儀も良くなろうと言うものである。
そんな商人達への売れ筋は一〇リットル一〇〇〇円の水と一食分一〇〇〇円の軽食だ。彼らの最大の目的は牛馬に水を飲ませる事であり、何も買わないのもバツが悪くて買っていくのである。高価な品物を買う者はそうそう居ない。
尤も、張形が一つ売れるだけで水の数百倍の売り上げなのだから、週に一つ売れれば売る側としては御の字である。
水は迷宮まで行けば只なのであるが、商人達は買う。それを不思議に思ったモニカが理由を尋ねると、迷宮が襲撃される怖れよりも馬車を離れるのが不安なのだと言う。荷を盗まれたら生活ができなくなるのだ。迷宮に行こうと思えばハジリで馬車を預けるか、馬車の番をする者が必要らしい。
◆
第三九週土曜午前、迷宮――。
「商業組合を解雇されてしまいました」
朝から迷宮に訪れているシルビアは、むしろ清々しい様子で言った。
名目上の解雇理由は迷宮商店の商業組合加入の件での口利き。これが名目でしかないのは、迷宮商店の加入取り消しや口利きに応じたモドロフ商会や他の商店への処分が無い事から、誰の目にも明らかである。
それに規定では禁止されていても実際には過去に幾度となく行わていて、叩けば現組合長からも埃が出る。金銭が動いていない分だけシルビアの方が健全なくらいで、処分をしようとすれば影響が計り知れない。
裏の理由は組合員に広がり始めた不公平感を抑えきれなくなった事だ。シルビアが受け持っている組合員はシルビアの肉体を観賞する機会と特殊なサービスを受ける機会に恵まれる。それもシルビア自身が望んで積極的にサービスする。
それを他の組合員が小耳に挟めば不満たらたらだ。特にシルビアに懸想する者は収まらない。シルビアを担当にして欲しいと組合に陳情する始末である。そしてそれは日に日に強くなる一方だった。
故にその元を断ったのだ。
テーブルを囲んで話を聞いていたザムト、サシャ、カトラは酸っぱいものを食べたような顔になった。
「あんたはそれでいいのかい?」
「はい。解雇されなくとも退職する心づもりでした」
「早まった事を……」
「ここから通うのが不可能な以上、ここに住むには退職するしかありませんから。幸いな事に、ここでは食費以外を必要としませんので、自宅を処分すれば数十年は暮らせるでしょう」
「肉は狩りをすれば食えるし、バジルも食えるから金が無くても何とかなりはするな……」
ザムトがチラッとサシャを見た。目が合った。
「確かに何とかはなりましたね。味気なかったですけど……」
サシャがクスクスと笑う。
「何なんだい? 二人だけで分かり合ったような雰囲気出してさ」
カトラは若干不満だ。ザムトとサシャだけが知る時間があったと判っていてもちょっと悔しい。
「麦芋団が住み着くまではそれしか食うもの無かったんだ。調味料もな」
「私は何日かだけでしたけど、ザムトさんはもっと長かったんですよね」
サシャが「あっ」と失敗した顔になる。
「すみません。主さん」
「ん? ああ。名前はもう気にしなくていい。知られた方が舐めて掛かられて好都合かも知れない」
「そうなんですか?」
「あの頃は一四級程度だったからな。この間の虫の大群の一〇分の一でも来たらお陀仏だった。今はもう俺もサシャも強くなったろ? だから大丈夫だ」
「それじゃ、これからはみんなの前でも『ザムトさん』とお呼びしますね」
「だーっ!」
カトラがザムトとサシャの間にダイブして、じたばたと暴れる。
「もう! あたしが居るのに二人の世界を作らないでおくれよ!」
「あらあら、子供みたいに。カトラさんってほんとにザムトさんの事が大好きですよね」
サシャがクスクスと笑う。カトラは顔が真っ赤だ。
「ば、馬鹿! そんな事、旦那の前で言うんじゃないよ!」
「大丈夫ですよ。ザムトさんもカトラさんの事が大好きですから。ね?」
サシャが視線を向けた先のザムトは口をあうあうさせていた。
「そんな訳ですから、眷属の件は我慢してください。シルビアさん」
サシャはシルビアに真剣な顔を向けた。
「私は末席で構いませんのに」
サシャが首を横に振る。
「焼き餅焼きなお姉さんが悲しみますから」
今度は微笑みながらカトラの頭を撫でる。
カトラは口を尖らせながらも頬が緩んだ顔をしてされるがままになり、ザムトは腰が浮いていた。
「残念ですが、諦めます」
「良かった。ところでシルビアさん?」
「何でしょう?」
「いつまでお尻をザムトさんに向け続けるのですか?」
「ずっとです」
「え?」
「いつでも殿方を迎え入れられるように準備しているのです」
「まさか、商業組合でもそうしていたんですか?」
「当然ではありませんか」
誇らしげに答えるシルビアに、三人は冷や汗を垂らす。そして、解雇の真の理由を知った気がした。
このヘンタイが職場に居たら仕事にならない。
そのヘンタイは当面は迷宮商店の売り子である。
結果、襲撃される危険の有る迷宮からシルビアを遠ざけようとしたモドロフの思惑も脆くも崩れ去った。
◆
当面の店舗が完成し、シルビアも迷宮に再度居を移した事で、マッチョ達も迷宮へと居を移した。
ジャックは続けて店舗の建築、ジムはザムトが四九階の二階部分に作った炉で鍛冶、ジュードは服の縫製、ジョーは毎日の料理が主な仕事になる。鍛冶製品、服、料理は迷宮商店での販売品目にも加わる。
ジムが鍛冶に使う火はザムトの魔法陣で賄う。以前とは違い、魔力に余裕ができたのでそうできたのだ。
また、ジム、ジュード、ジョーの三人は建築が終わるまでは一日の半分程度をジャックの手伝いに充てる。
マッチョ達が迷宮に引っ越した事で夜の店舗の警備は荷役一号と荷役三号の出番となった。店舗を囲む壁には丸太を組み合わせて作った門が取り付けられており、夜にはゴーレム達が中から閂を掛ける。朝になってモニカ、レベッカ、シルビア、それに荷役二号が店舗まで行くと閂を外して門を開ける。
昼間の警備は荷役二号が一端を担う。
一晩の役目を終えたゴーレム達は一旦迷宮へと戻り、魔素を補給してまた夕方に店舗へと行くのだ。
荷役とは別にツバメの数体も交替で常時監視している。何らかの異変、特にゴーレム達に異変が有ればそれで察知する。
ゴーレム達に異変によって門が開かない場合、中に入る方法は幾つか有る。ローニャなら空を飛んで、イリスやコロンなら土で階段を作って、アーシアなら水の流れに乗って門を乗り越える事が可能だ。カトラなら門を破壊できる。
最悪、サシャが門を燃やす事になるが、その場合は店舗も危険なので本当に最後の手段である。
◆
開拓地ではコロンが魔法で土を引っ繰り返し、麦芋団が表に出た石を拾い集める作業を繰り返している。この作業は年末までの見込みである。コロンの魔法無しであれば少なくとも数年は掛かる広さだから随分と早い。
その隣接地で娘子軍が新たに開拓を始めた。娘子軍にも土の魔法の素養が有る者が一人居たため、魔法の練習も兼ねての事である。
迷宮内では迷宮の壁の影響で土の魔法を思うように使えない。せいぜい持ち込んだ土砂を動かす程度になる。外でなければ練習らしい練習ができないのだ。他の火、水、風と言った魔法でも一般的には外の方が練習しやすい。
例外はサシャ。もしサシャが外で全力をもって魔法を放ってしまえば熔岩の海ができる。そうなれば暫く草も生えない。迷宮内なら全力でもそうはならないのだ。それでもサシャ以外の者が居合わせれば灰になるのでサシャの全力が危険な事に変わりはない。
ただ、魔法の練習と言っても隊員の魔法はコロンに遠く及ばない威力なため、他の隊員達も鍬やツルハシを振るって進捗を補っている。とどのつまり、普通に開拓しているのである。
勿論の事ながら娘子軍は開拓ばかりをしているのではない。午後は迷宮内での特訓を続けていて、午前中の三割は剣や槍などの形稽古を麦芋団指南の元で行っている。
娘子軍による買い出しは三日に一回の頻度で行われていた。
数回目にはハジリ住民の反応が薄くなった。洪水以降、単独の痴女や裸女はそう珍しいものでもなく、当たり前の光景ともなっているのだ。それが集団になっただけなのだから町民が慣れるのも早かった。
ただ、反応が薄すぎてフィーリアなどは不満である。
その買い出しも、迷宮商店での軽食の売り上げが好調なために二日に一回の頻度に変わった。
◆
第四〇週水曜午後、迷宮――。
「お疲れ様でした」
ヨハンナへの伝言を終えると冒険者組合からの連絡員はそそくさと立ち去った。
それを見送ったヨハンナは項垂れて溜め息を吐いた。来るべき時が来てしまった。
尤もヨハンナ自身の事ではない。ソレーヌの解雇が決まったのだ。副組合長のロブスが昨日、王都から戻り、ソレーヌの失踪を知るやいなや解雇を決定した。その事を職員の一人が知らせに来たのである。
いの一番にソレーヌの解雇をしたような拙速さに疑問を投げかけると、連絡員はロブスが甚だ不機嫌だと言う。冒険者中央組合の欠員募集の試験の出来が芳しくなかったのだろうと専らの噂だとか。
正式な合否が判るのはまだまだ先だが、組合職員でロブスが採用されると思っている者は居ない。神経質で、野心が滲み出ていて、職員の扱いがぞんざい。採用されても困るのだ。上司であり続けられるのも困りものだと思ってもいるが。
そんなロブスが八つ当たりのようにソレーヌを解雇したのは気に入らない。しかし、ソレーヌはとうの昔に解雇されてしかるべき状況だから怒るのは筋違いなのだ。
ヨハンナは再度大きく溜め息を吐いた。
そんなヨハンナの頭を優しく撫でる手がある。
「ヨっちゃん……」
アーシアだ。姉妹揃って優しい。辛い過去を背負っているのに優しい。
だから「もう少し自分も頑張らなきゃ」と思ってしまう。
「ありがとう。もう大丈夫よ」
アーシアに微笑み返した。
中央組合ではロブスの不採用が決定している。原因は迷宮に関する報告書の欠陥である。
迷宮の存在は国にとって一大事でもあるため、王族も皆報告書を読んでいた。その報告書に明らかな欠陥が有ったのだから能力不足、あるいは二心有りと推測もするのはフィーリアだけではなかったのである。結果、国王の通達の形で不採用が決まっていた。
それでも応募そのものを弾かなかったのは、叛乱への加担の可能性を吟味するためである。
ロブスにとって不幸だったのは、国王や王妃とその腹心らが叛乱に対して神経質になっていた点だ。厳しい視線が向けられた。現に個人的野心だけだとしても二心は有ったためにロブスはその対応に苦慮した。
そして、野心は強いものの叛乱に加担はしていないとの判断が下った。しかし、その強すぎる野心故に将来的にも採用しない決定が下っている。
これはロブスにとってむしろ幸運だったろう。もし、叛乱の疑いが有ると判断されていればハジリへ帰る事すら叶わなかったのだ。
東の街道に出没した盗賊の解決が遅れた件については全く考慮外だった。ハジリの冒険者は駆け出しの者が殆どであるため、冒険者組合が解決する事は期待されていなかったのだ。麦芋団が居たからと言って、一つのパーティで全てが解決できるものではない。そのため、ハジリの冒険者組合や衛兵隊に期待されていたのは盗賊の実体を掴むまでだった。
とどのつまり、何もしなければ可能性だけは残されたのだが、ロブスは一人で空回って自滅したのだった。
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