魔法道具はじめました

浜柔

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第六話 雑貨店の朝(三日目)

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「累造。累造、そろそろ起きな」
 累造は遠くに自分を起こす声を聞いた。まだ殆ど夢の中に居る。
「累造、起きないとおはようのチューをしちゃうぞ?」
 累造は頬を撫でられているような感触に気付いた。だが、前日の疲れのせいか覚醒からは程遠い。
「累造、もっとイケナイ事をしたいのかい? 累造は悪い子だね」
 累造はカッと目を見開いた。
「貞操の危機を感じました」
「危機ってなんだい。こんな美人のおねーさんの手解きなんてそうそう体験できるもんじゃないよ」
 片肘突いて起き上がろうとしている累造の横に座ったまま、ルゼは口を尖らせて言った。
「ものすごく既視感が有ります。昨日の朝と全く同じ流れのような気がします」
 ルゼはますます口を尖らせる。
「累造、そこは『それは否定しません』って言わなきゃ駄目だろ」
「その台詞を発するのは危険だと感じました」
「ちぇーっ」
 ルゼはつまらなそうに頭を揺らした。
「拗ねてるルゼさんは可愛らしいです」
「え? な!? 何言ってんだい!」
 ルゼは顔を真っ赤にして部屋から出て行ってしまった。

たらしだ。誑しがいる」
 累造が声の方を見ると、開け放たれたままのドアから顔を半分だけ覗かせた半眼のチーナが居た。
「はい?」
「いけませんよ? 思わせぶりな態度をする人なんて、おねーさん怒っちゃいますよ?」
 ずずずいっと三白眼で迫るチーナに累造は思わず仰け反った。その迫力に知らず唾を飲み込む。すると、チーナの表情がふわっと和らいだ。
「でもまあ、今回は店長も悪いですし、何より店長が楽しそうなので不問にします」
「あ、ありがとうございます」
 なんとなくお礼を言ってしまった。
「だけど、あんなに楽しそうにする店長は久しぶりです」
「え!? ルゼさんはよく笑う人じゃないんですか?」
 驚いた。一昨日の晩に会って以来、笑い方こそ様々あれど、ルゼは何かと笑っていた印象しかない。
 チーナが軽く頷いて続ける。
「ショウさんの話からすれば元々はそう言う人らしいです。だけど七年前に私がここに来た時にはそんな感じじゃなかったです。特にここ二、三年は、難しい顔ばかりでした」
 疑問しか湧かない。
「それはまたどうして?」
「一番の原因はこの店の経営が思わしくない事でしょうね。売上自体はそこそこ有るので、何もなければそれなりに安定した経営ができていた筈です。しかし、三年程前に事件が起きました」
 チーナは昔を思い出すように少しだけ上目遣いをする。
「その日、店長が一人の男性を連れてきたのです。困っているようだから店員として雇うと言います。丁度今の累造君のような感じですね。その男性は一見しただけでは働き者でした。ところが、数日後にお店のお金を持ち逃げしたのです。それ以降、資金繰りが少々厳しくなっています。何とかしようと店長があちこちから売れそうな商品を探してくるのですが、焼け石に水と言いますか、湯を沸かして水にすると言いますか、成功しているとは言えません」
 累造はショウの余所余所しさの原因を知った気がした。
「だから、店長を騙すような事だけはしないでくださいね? おねーさんとの約束です」
 累造の目の前でピッと人差し指を立て、チーナは釘を刺すのを忘れない。
「は、はい!」
 一も二もなく頷いた。
「さ、朝食ができていますから食堂へ来てください。それと、後で水甕に水をお願いします」
 朝食は、昨晩の残りだった。

 ルゼの店は屋号を「虹の橋雑貨店」と言い、ルゼの祖父と父とで開業してから三〇年余りになる。レザンタの発展を目の当たりにしてきた店であり、レザンタでは老舗に数えられる。八年前に父が早世し、二〇歳のルゼが店を受け継いで今に至っている。
 取り扱っている品は食器、家事用品、文房具の他、数は少ないがハンカチやぬいぐるみ、蒸留酒など取り留めもないものも有る。取り留めもない商品の多くは、ルゼが余所の町で仕入れてきたものだ。
 それらを凌いで稼ぎ頭となっているのは、塩を始めとした調味料と乾物である。日持ちのしない商品の取り扱いはしていない。
 累造が野営の時に食した堅パンと干し肉も商品の一つとなっている。
 累造はそれらの商品を見ても、何が売れて何が売れないのかさっぱりである。普通に店員として店を手伝ってもタダのろくでなしになるだろう事は容易に想像できた。
 それ以上に累造には一つ問題がある。
『働きたくないでござる!』
 そんな事を思わず日本語で叫んでしまうくらい、累造は魔法陣とそれに関する事以外にまるで興味が無い。叫んだ後で『一度言ってみたかった』などと呟きつつ一人悦に入る所は、既に残念な子だ。勿論必要に迫られたり義務的であれば労働もするが、そうでなければその時間を魔法陣の考察や作成に当ててしまおうとするのが累造である。
 加えて今は急務と言える魔法陣の作成もある。水を出す魔法陣の予備と、照明やコンロである。
 板切れに釘で彫った魔法陣は、何日か水を出すと次第に腐って使い物にならなくなるのが目に見えている。鉄板に刻めれば良いが、ハンマーとたがねで鉄板に溝を彫るのは難しい上、確実に騒音が問題になる。現状では木の板に彫刻刀か何かで線を刻んだものを定期的に取り替えるのが現実的だ。
 それでもいずれは鉄板に刻みたいと考える累造である。

「累造? 累造! おい、累造!」
 いつの間にか思索に耽っていた累造の意識が現実に引き戻された。ルゼがしきりに累造を呼んでいる。
「あ、ルゼさん、どうしたんですか?」
「『どうしたんですか』じゃないよ。何やら叫んだかと思ったら、何の反応もしなくなったから驚いたじゃないか」
 ルゼは少々ご立腹である。
「すいません、少し考え事をしてしまいました」
「考え事ならいいんだけどさ、もう少し心臓に優しい考え事の仕方をしてくれ」
「真に申し訳なく……」
「まあ、いいさ」
 そう言うとルゼは累造を抱き締めた。
「だけど、もう心配させるんじゃないよ」
「はい……」
 抱き締められる感覚がこそばゆいやら、胸に当たるルゼの胸の感触が嬉しいやらで累造は少々困惑する。何時から居たのか目の端に映るショウの視線がやたらに痛かった。

「構わないよ」
 累造が描かないといけない魔法陣があるから店は手伝えないとルゼに伝えると、あっさりと了承された。
「え?」
 一大決心して働きたくないと言ったつもりだった累造は呆けてしまった。
「姐さん! 穀潰しを住まわせるほどの余裕なんてありやせんぜ!」
 ショウが叫ぶ。そう、こんな反応をされると思っていたので、どう説得しようかと考えもした。説得するより働いた方が手っ取り早いと言う考え方は無かった。
「二人とも勘違いしてるよ。累造はあたしの取引相手なんだ、店を手伝わせる筈がないじゃないか」
 水の件は確かにそんな感じの話だったと思い出した。
 ショウが不服そうに問う。
「取引相手ってどう言う事でやすか?」
「ん? 累造が魔法で出した水をあたしが仕入れて売るんだ。立派な取引相手だろ」
「そ、そうでやすね……」
 ショウは首を傾げた。煙に巻かれたような気分なのだろう。
「それにわざわざ言ってくるくらいだ。役に立つものなんだろ?」
 ニヤッと笑いながらルゼは問うた。
「はい、それは勿論です」
 力強く頷いた。
「それはそうと、木に溝を彫る道具だっけ? 前に仕入れてなかったっけ?」
 ルゼの言葉に応えてショウが台帳を引っ張り出して捲っていく。暫くするとその手が止まった。
「ありやすね、倉庫に入ってやす」
「じゃ、ちょっと取ってきてくれないか」
「へい」
 ショウは釈然としない顔をしながら倉庫へと向かった。
 倉庫の台帳を作っているのがショウなのは一目瞭然である。見た目に寄らず、ショウの仕事ぶりは几帳面なのだった。

「これでいいでやすか?」
 ショウが幾つかの品物を持って戻ってきた。
 持ってきたのは、きりと柄の先に小さな真っ直ぐな刃が付いている彫刻刀だ。刃先が丸く曲がっていたり直角に曲がっていたりするようなものは無い。だが、魔法陣を刻むのは十分にできそうである。
「どうせ売れないし、累造に全部やるよ」
「いいんですか?」
「ああ、その代わり、いいものを作ってくれよ」
 ニッとルゼは笑った。
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