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四八 あのひとときは思い出に
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翌朝起きたら、予想通りにドラムゴさんが番をしていた。
今の時間は判らないが、多分午前五時半くらいの筈だ。毎日同じ時間に起きていると、自然と目が覚めるようになってしまうものだ。眠ったのは三時間くらいだろう。
時計が無いため、太陽も星も見えない迷宮の中では完全に予想でしかない。
「おはようございます」
「もう起きたのか?」
「はい。朝食の用意をしますから、それまでドラムゴさんも休んでください」
「そう言われてもだな」
「無理にとは言いません」
「そうか」
あたしは米と鍋を取り出し、米を磨ぎ始めた。
磨ぎ汁は部屋の隅に有る凹みに捨てる。
迷宮の部屋や通路の所々に有るこの凹みに何かを捨てると、しばらくすると何故か消えてしまうのだ。凹みは微妙に周囲より低い位置に有り、床に水を零した場合も凹みへと流れるようになっている。
磨ぎ終わったら炊飯だ。だけど竈が無い。仕方がないので、土の魔法で出した土に水を掛けて捏ね、焼き固めて日干しレンガっぽいものを作って積み重ね、そこに置いた。
玄米なので拘束魔法を利用し、圧力を掛けつつ炊く。鍋が大きくはないので、お弁当用と朝食用に二回炊く予定だ。だから、悠長に水に浸していられないのだ。
炊飯している傍ら、干し肉や干し野菜でスープを作る。
それだけだ。煮るか焼くしかできない状況で食材は干したものばかりなのだから、煮る以外の調理法は無いに等しい。
「いい匂い……」
「起こしちゃいましたか。すみません」
「いいのよ。もう起きる頃合いだし」
「もう直ぐ朝食の用意ができますので、少し待っていてください」
「そう、悪いわね」
ミクーナさんはまだ少し眠そうに腰を落ち着けた。
「どうしたの? ドラムゴ。変な顔をして?」
「そう見えるか? そうだろうな。俺は今、猛烈に困惑している」
「何が有ったのよ?」
「見ていれば判る」
そんな会話が聞こえてきた。何を見るのだろう?
それはさておき、ご飯が炊き上がった。
「すみません。お皿が有ったら出していただけますか?」
「判ったわ」
ミクーナさんとドラムゴさんはそれぞれにお皿を出してくれた。まだ寝ているレクバさんとフォリントスさんの分のお皿も一緒だ。
あたしはご飯をお皿によそって鍋を空にし、再度米を磨いで炊く。今度のは、お弁当のおにぎり用だ。
「話に聞いていたけど、中々やるわね」
「パッと見はな」
「どう言うこと?」
「一時間くらい前からずっとあの調子だ」
「えっ? ちょっと待って?」
「どう見る?」
「ま、まあ、あの程度の火力だったら、一時間くらいならできるんじゃないかしら?」
「お前、若干手が震えてるぞ?」
「き、気のせいよ」
「まあ、そう言うことにしておいてやるが、もう一つ気付かないか?」
「気付くって何を?」
「この部屋は暑くないと思わないか?」
「そうね。それがどうかしたの?」
「あれだけ火を燃やしているんだぞ?」
「え? まさか」
「他に考えようが有るか?」
「あー、んー。ねぇ代理人さん? そこで火を燃やしながらこの部屋を冷やしていたりする?」
「あ、はい。少し冷やさないと暑くなりますから」
振り返ってミクーナさんを見ると、ミクーナさんは頭が痛そうに額に手を当てて俯いていた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いいえ。私の価値観が少し崩れただけよ」
「はあ……?」
「魔力さえ有れば、夢が広がるのね……」
ミクーナさんはしみじみと呟いた。
おにぎり用のご飯が炊けるまでにはまだ時間が有る。レクバさんとフォリントスさんに起きて貰って朝食といこう。
ミクーナさんに二人を起こして貰う間に、あたしはスープをよそう。五人分のスープをよそい終わるまでに二人は起き出してきた。
「寝起きがいいんですね?」
「こんな所で寝ぼけてたら命に関わるからな」
「あー、それは失念していました」
「呑気すぎるぞ?」
「野宿は初めてなんですよ」
「おいおい、何処のお嬢様だよ。クーロンスから来たんじゃなかったのか?」
「宿に二、三日泊まるくらいならお金も大丈夫でした」
「二、三日? 二、三ヶ月の間違いじゃないのか?」
「クーロンスからファラドナに来る途中は一泊しただけでした」
「はあ!? どうやって二日ぽっちで来られるんだ?」
「走って?」
「はあ!?」「はあ!?」「はあ!?」「はあ!?」
四人の声が揃った。
「それより、食事にしましょう。冷めてしまいます」
「お、おう」
四人は物言いたげだったが、そこは一線級の冒険者だ。食事を優先してくれた。
「迷宮で暖かいものを食えるとは思わなかったな」
「いつもは堅パンと干し肉を囓るだけだからな」
「火は使わないんですか?」
「燃料を持ち歩くくらいなら食料を増やした方がいいし、魔法はなぁ……」
「いざと言うときに魔力切れじゃお話にならないから、殆ど水を出すだけよ」
「それだけでも水を持ち歩かずに済む分、随分助かってはいるんだけどな」
「その優しさが今は辛いわ……」
「お、おう」
レクバさんが申し訳なさげに頭を掻いた。
「それにね、お湯を作るにしても効率を考えて直接水を温めるのよ。代理人さんみたいに鍋の下から火の玉で加熱するなんて、普通はしないのよ」
「でも、それじゃ、火加減が判らなくはないですか?」
あたしも直接暖めるのを試したことが有るが、加減が判らなくて断念したのだ。
「判らないわよ? だけど効率には代えられないから、経験と勘で補うのよ」
「す、すみません……」
「何で謝るの?」
「何となくです」
「そう」
それっきりミクーナさんは黙り込んでしまった。
その後は黙々と食事を進め、食後におにぎりを作り、鍋を洗い、出発である。
道の途中、どうせ判ることだからと、あたしはあたしの力をぶっちゃけることにした。
「ここを攻略するまでには判ってしまうことなので先にお話しておきますが、この迷宮の魔物の強さがクーロンスのものと同程度であれば、少なくとも九〇階までの魔物なら、あたしは全て一蹴りで倒せます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺達四人でも八二階を諦めたんだ。それなのに九〇階だって?」
「はい。だけど、クーロンスには九〇階まで一人で行けるらしい人が他に三人は居ますから、そんなに珍しくはないのでは?」
「三人!? まさかランク2か!?」
「はい。その通りでランク2の人達です。おかみさん……じゃなくてリドルさんと、ギルダースさんとエクローネさんの三人です」
「え!? リドル!? リドルってあの?」
「『あの』と言われましても……」
ミクーナさんがさっきまでの気落ちした様子からは打って変わって興奮しているが、何のことやら判らない。
「だから『閃光』よ!」
「あー、はい。そんな二つ名が有るとかは人に聞いたことが有ります」
「もしかして、代理人さんは閃光のリドルに会ったの!?」
ミクーナさんは握り拳を合掌するように胸の前で合わせ、目をキラキラと輝かせている。
「はい。酒場を旦那さんと経営していて、あたしは暫くそこで働かせて頂きました」
「ほんとに!?」
「はい」
「きゃーっ! 実在したんだ!」
ミクーナさんがぴょんぴょんと跳ねて有頂天だ。他の三人はその様子を生暖かく見ている。
「あの、ミクーナさんはどうなさったんですか?」
少しレクバさんに顔を寄せ、少し声を潜めてレクバさんに尋ねてみた。
「『閃光のリドル』を描いた絵本がこいつの宝物だと言ったら、何となくでも判って貰えるか?」
「もしかして、子供の時だけじゃなく今でも?」
レクバさんは大きく頷いた。
「ねえ! ねえ! レクバ! 絶対クーロンスに行きましょうね!」
「おう」
ぴょんぴょん跳ねるようにしながらレクバさんに抱きつくミクーナさんに、レクバさんは達観したような顔になった。
「ご本人はかなり豪快で気持ちの良い人ですが、結構お年は召していますよ?」
「そこら辺は大丈夫だと思う」
そう言いつつレクバさんは今一つ自信が無い様子である。
「クーロンスで酒場と言えばリドルさんご夫妻経営のお店のことになるみたいですから、行けば直ぐに判るとは思います」
「うん、うん。きっと行くわ!」
レクバさんに言ったつもりだったが、ミクーナさんがあたしの手を握って答えた。顔が近い。
「喜んで頂けて幸いです?」
自分で言っていながら、その微妙な台詞に最後は疑問形になってしまった。
「ねえ! ねえ! リドルのこと、もっと教えて!」
「は、はい」
ミクーナさんは、まだ興奮冷めやらぬ様子だ。歩きながら話す程度であれば問題ないだろう。
「おかみさんで一番印象深いのは、移動の時にはいつも走っていることでしょうか。それがまた速い上に、人混みもすいすいと擦り抜けていくんです」
「何で? 何で走るの?」
「鍛練の一貫だそうです」
「そうなの? じゃ、私も走る!」
「あの、止めといた方が……」
憧れの人を真似したいのは判るが、魔法士がおかみさんの真似をしてもと思う。
「止めとけ。直ぐに音を上げるだけだ」
「魔法士のやることじゃない」
「無理すんな」
「何よ、みんなして……」
ミクーナさんはむくれてしまうが、止めておいた方が無難だ。おかみさんの真似は、チートのあたしでも大変だったのだ。
「それより、これ、おかみさんに貰ったものです」
あたしはおかみさんに貰ったナイフを見せた。
「ほんとに? 凄い! 良いなー、良いなー!」
「良かったら差し上げますよ」
「ほんとに!? 良いの!?」
「はい。あたしにはもう使う機会は無いでしょうから」
今までも使う機会がなかった。実際には有ったかも知れないが、咄嗟に出せたりはしていない。出せなければ無いのと一緒だ。
「わーい! リドルが持っていたナイフだー!」
「すまんな。大事なものじゃないのか?」
「えーと、きっと大事にしてくれる人に持っていて貰った方がナイフも幸せだと思います」
「大事にすることだけは保証できる」
その後、ナイフを貰った経緯や、ギルドでの一件などなどを話した。
そして、おかみさんの話が一段落して暫く黙々と歩いた。
「それにしても、魔物が全く襲ってこないってのは、どう言うことだ?」
「確かに変だな」
ドラムゴさんの呟きに応えるように他の三人が周りを見回した。だが、勿論のように魔物の姿は無い。
「えーと、多分八〇階くらいまでは出て来ないと思います」
「何故だ?」
「これだけゆっくりだと、魔物に逃げる時間が有るからでしょうか」
「魔物が逃げるなんて聞いたことが無いが……」
「魔法の本に書いていたことですが、魔力を発するものに対して著しく弱い魔物は魔力の元から逃げ、それ程弱くない魔物は逆に引き寄せられると言う法則じゃないかと」
「つまり、この階の魔物からすれば著しく魔力が強い相手が居るってことか?」
「あたしはそう理解しています」
「それじゃ、その魔力の元ってのは……」
「はい。少し魔力を放出する感じにしています。魔物が来ない方が移動が楽なので」
「権力を持った奴が欲に目を眩ませるのも判る気がするよ」
レクバさんのそんな言葉で締め括られてしまった。
やっぱり、人前で手の内を見せるのは良くなさそうだ。今後が有ればもっと注意することにしよう。
「米ってのも美味いもんだな」
ただの塩むすびなのだけど、四人には好評だ。多分、迷宮補正とも言うべきものも加算されているだろう。普段が堅パンと干し肉だったのなら、柔らかい食事は余計に美味しく感じるに違いない。
「隠し部屋でもないのに、こんなにのんびり飯が食えるってのも不思議な感覚だ」
「そうね。滅多に有るものじゃないから、十分に楽しみましょう」
「おう」
昼食後はまた魔法での移動だ。途中で休憩を挟みつつ、夜までには八一階へと辿り着いた。
あたしだけは少し忙しかった。普段は四人の後ろに付いていて、魔物が出たら前に出て蹴り飛ばすと言う作業をしていたので、結構頻繁に止まったり走ったりになったのだ。
「見るのと聞くのとじゃ大違いだったな」
「代理人さんを見ていながら利用しようと考える連中が理解できないわ」
「ああ、前言を撤回しなきゃならんな」
むぅ、若干気恥ずかしい。
迷宮に入って二日目の今日は、魔物が湧く壁の無い部屋で一夜を過ごした。
今の時間は判らないが、多分午前五時半くらいの筈だ。毎日同じ時間に起きていると、自然と目が覚めるようになってしまうものだ。眠ったのは三時間くらいだろう。
時計が無いため、太陽も星も見えない迷宮の中では完全に予想でしかない。
「おはようございます」
「もう起きたのか?」
「はい。朝食の用意をしますから、それまでドラムゴさんも休んでください」
「そう言われてもだな」
「無理にとは言いません」
「そうか」
あたしは米と鍋を取り出し、米を磨ぎ始めた。
磨ぎ汁は部屋の隅に有る凹みに捨てる。
迷宮の部屋や通路の所々に有るこの凹みに何かを捨てると、しばらくすると何故か消えてしまうのだ。凹みは微妙に周囲より低い位置に有り、床に水を零した場合も凹みへと流れるようになっている。
磨ぎ終わったら炊飯だ。だけど竈が無い。仕方がないので、土の魔法で出した土に水を掛けて捏ね、焼き固めて日干しレンガっぽいものを作って積み重ね、そこに置いた。
玄米なので拘束魔法を利用し、圧力を掛けつつ炊く。鍋が大きくはないので、お弁当用と朝食用に二回炊く予定だ。だから、悠長に水に浸していられないのだ。
炊飯している傍ら、干し肉や干し野菜でスープを作る。
それだけだ。煮るか焼くしかできない状況で食材は干したものばかりなのだから、煮る以外の調理法は無いに等しい。
「いい匂い……」
「起こしちゃいましたか。すみません」
「いいのよ。もう起きる頃合いだし」
「もう直ぐ朝食の用意ができますので、少し待っていてください」
「そう、悪いわね」
ミクーナさんはまだ少し眠そうに腰を落ち着けた。
「どうしたの? ドラムゴ。変な顔をして?」
「そう見えるか? そうだろうな。俺は今、猛烈に困惑している」
「何が有ったのよ?」
「見ていれば判る」
そんな会話が聞こえてきた。何を見るのだろう?
それはさておき、ご飯が炊き上がった。
「すみません。お皿が有ったら出していただけますか?」
「判ったわ」
ミクーナさんとドラムゴさんはそれぞれにお皿を出してくれた。まだ寝ているレクバさんとフォリントスさんの分のお皿も一緒だ。
あたしはご飯をお皿によそって鍋を空にし、再度米を磨いで炊く。今度のは、お弁当のおにぎり用だ。
「話に聞いていたけど、中々やるわね」
「パッと見はな」
「どう言うこと?」
「一時間くらい前からずっとあの調子だ」
「えっ? ちょっと待って?」
「どう見る?」
「ま、まあ、あの程度の火力だったら、一時間くらいならできるんじゃないかしら?」
「お前、若干手が震えてるぞ?」
「き、気のせいよ」
「まあ、そう言うことにしておいてやるが、もう一つ気付かないか?」
「気付くって何を?」
「この部屋は暑くないと思わないか?」
「そうね。それがどうかしたの?」
「あれだけ火を燃やしているんだぞ?」
「え? まさか」
「他に考えようが有るか?」
「あー、んー。ねぇ代理人さん? そこで火を燃やしながらこの部屋を冷やしていたりする?」
「あ、はい。少し冷やさないと暑くなりますから」
振り返ってミクーナさんを見ると、ミクーナさんは頭が痛そうに額に手を当てて俯いていた。
「あの、どうかなさいましたか?」
「いいえ。私の価値観が少し崩れただけよ」
「はあ……?」
「魔力さえ有れば、夢が広がるのね……」
ミクーナさんはしみじみと呟いた。
おにぎり用のご飯が炊けるまでにはまだ時間が有る。レクバさんとフォリントスさんに起きて貰って朝食といこう。
ミクーナさんに二人を起こして貰う間に、あたしはスープをよそう。五人分のスープをよそい終わるまでに二人は起き出してきた。
「寝起きがいいんですね?」
「こんな所で寝ぼけてたら命に関わるからな」
「あー、それは失念していました」
「呑気すぎるぞ?」
「野宿は初めてなんですよ」
「おいおい、何処のお嬢様だよ。クーロンスから来たんじゃなかったのか?」
「宿に二、三日泊まるくらいならお金も大丈夫でした」
「二、三日? 二、三ヶ月の間違いじゃないのか?」
「クーロンスからファラドナに来る途中は一泊しただけでした」
「はあ!? どうやって二日ぽっちで来られるんだ?」
「走って?」
「はあ!?」「はあ!?」「はあ!?」「はあ!?」
四人の声が揃った。
「それより、食事にしましょう。冷めてしまいます」
「お、おう」
四人は物言いたげだったが、そこは一線級の冒険者だ。食事を優先してくれた。
「迷宮で暖かいものを食えるとは思わなかったな」
「いつもは堅パンと干し肉を囓るだけだからな」
「火は使わないんですか?」
「燃料を持ち歩くくらいなら食料を増やした方がいいし、魔法はなぁ……」
「いざと言うときに魔力切れじゃお話にならないから、殆ど水を出すだけよ」
「それだけでも水を持ち歩かずに済む分、随分助かってはいるんだけどな」
「その優しさが今は辛いわ……」
「お、おう」
レクバさんが申し訳なさげに頭を掻いた。
「それにね、お湯を作るにしても効率を考えて直接水を温めるのよ。代理人さんみたいに鍋の下から火の玉で加熱するなんて、普通はしないのよ」
「でも、それじゃ、火加減が判らなくはないですか?」
あたしも直接暖めるのを試したことが有るが、加減が判らなくて断念したのだ。
「判らないわよ? だけど効率には代えられないから、経験と勘で補うのよ」
「す、すみません……」
「何で謝るの?」
「何となくです」
「そう」
それっきりミクーナさんは黙り込んでしまった。
その後は黙々と食事を進め、食後におにぎりを作り、鍋を洗い、出発である。
道の途中、どうせ判ることだからと、あたしはあたしの力をぶっちゃけることにした。
「ここを攻略するまでには判ってしまうことなので先にお話しておきますが、この迷宮の魔物の強さがクーロンスのものと同程度であれば、少なくとも九〇階までの魔物なら、あたしは全て一蹴りで倒せます」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺達四人でも八二階を諦めたんだ。それなのに九〇階だって?」
「はい。だけど、クーロンスには九〇階まで一人で行けるらしい人が他に三人は居ますから、そんなに珍しくはないのでは?」
「三人!? まさかランク2か!?」
「はい。その通りでランク2の人達です。おかみさん……じゃなくてリドルさんと、ギルダースさんとエクローネさんの三人です」
「え!? リドル!? リドルってあの?」
「『あの』と言われましても……」
ミクーナさんがさっきまでの気落ちした様子からは打って変わって興奮しているが、何のことやら判らない。
「だから『閃光』よ!」
「あー、はい。そんな二つ名が有るとかは人に聞いたことが有ります」
「もしかして、代理人さんは閃光のリドルに会ったの!?」
ミクーナさんは握り拳を合掌するように胸の前で合わせ、目をキラキラと輝かせている。
「はい。酒場を旦那さんと経営していて、あたしは暫くそこで働かせて頂きました」
「ほんとに!?」
「はい」
「きゃーっ! 実在したんだ!」
ミクーナさんがぴょんぴょんと跳ねて有頂天だ。他の三人はその様子を生暖かく見ている。
「あの、ミクーナさんはどうなさったんですか?」
少しレクバさんに顔を寄せ、少し声を潜めてレクバさんに尋ねてみた。
「『閃光のリドル』を描いた絵本がこいつの宝物だと言ったら、何となくでも判って貰えるか?」
「もしかして、子供の時だけじゃなく今でも?」
レクバさんは大きく頷いた。
「ねえ! ねえ! レクバ! 絶対クーロンスに行きましょうね!」
「おう」
ぴょんぴょん跳ねるようにしながらレクバさんに抱きつくミクーナさんに、レクバさんは達観したような顔になった。
「ご本人はかなり豪快で気持ちの良い人ですが、結構お年は召していますよ?」
「そこら辺は大丈夫だと思う」
そう言いつつレクバさんは今一つ自信が無い様子である。
「クーロンスで酒場と言えばリドルさんご夫妻経営のお店のことになるみたいですから、行けば直ぐに判るとは思います」
「うん、うん。きっと行くわ!」
レクバさんに言ったつもりだったが、ミクーナさんがあたしの手を握って答えた。顔が近い。
「喜んで頂けて幸いです?」
自分で言っていながら、その微妙な台詞に最後は疑問形になってしまった。
「ねえ! ねえ! リドルのこと、もっと教えて!」
「は、はい」
ミクーナさんは、まだ興奮冷めやらぬ様子だ。歩きながら話す程度であれば問題ないだろう。
「おかみさんで一番印象深いのは、移動の時にはいつも走っていることでしょうか。それがまた速い上に、人混みもすいすいと擦り抜けていくんです」
「何で? 何で走るの?」
「鍛練の一貫だそうです」
「そうなの? じゃ、私も走る!」
「あの、止めといた方が……」
憧れの人を真似したいのは判るが、魔法士がおかみさんの真似をしてもと思う。
「止めとけ。直ぐに音を上げるだけだ」
「魔法士のやることじゃない」
「無理すんな」
「何よ、みんなして……」
ミクーナさんはむくれてしまうが、止めておいた方が無難だ。おかみさんの真似は、チートのあたしでも大変だったのだ。
「それより、これ、おかみさんに貰ったものです」
あたしはおかみさんに貰ったナイフを見せた。
「ほんとに? 凄い! 良いなー、良いなー!」
「良かったら差し上げますよ」
「ほんとに!? 良いの!?」
「はい。あたしにはもう使う機会は無いでしょうから」
今までも使う機会がなかった。実際には有ったかも知れないが、咄嗟に出せたりはしていない。出せなければ無いのと一緒だ。
「わーい! リドルが持っていたナイフだー!」
「すまんな。大事なものじゃないのか?」
「えーと、きっと大事にしてくれる人に持っていて貰った方がナイフも幸せだと思います」
「大事にすることだけは保証できる」
その後、ナイフを貰った経緯や、ギルドでの一件などなどを話した。
そして、おかみさんの話が一段落して暫く黙々と歩いた。
「それにしても、魔物が全く襲ってこないってのは、どう言うことだ?」
「確かに変だな」
ドラムゴさんの呟きに応えるように他の三人が周りを見回した。だが、勿論のように魔物の姿は無い。
「えーと、多分八〇階くらいまでは出て来ないと思います」
「何故だ?」
「これだけゆっくりだと、魔物に逃げる時間が有るからでしょうか」
「魔物が逃げるなんて聞いたことが無いが……」
「魔法の本に書いていたことですが、魔力を発するものに対して著しく弱い魔物は魔力の元から逃げ、それ程弱くない魔物は逆に引き寄せられると言う法則じゃないかと」
「つまり、この階の魔物からすれば著しく魔力が強い相手が居るってことか?」
「あたしはそう理解しています」
「それじゃ、その魔力の元ってのは……」
「はい。少し魔力を放出する感じにしています。魔物が来ない方が移動が楽なので」
「権力を持った奴が欲に目を眩ませるのも判る気がするよ」
レクバさんのそんな言葉で締め括られてしまった。
やっぱり、人前で手の内を見せるのは良くなさそうだ。今後が有ればもっと注意することにしよう。
「米ってのも美味いもんだな」
ただの塩むすびなのだけど、四人には好評だ。多分、迷宮補正とも言うべきものも加算されているだろう。普段が堅パンと干し肉だったのなら、柔らかい食事は余計に美味しく感じるに違いない。
「隠し部屋でもないのに、こんなにのんびり飯が食えるってのも不思議な感覚だ」
「そうね。滅多に有るものじゃないから、十分に楽しみましょう」
「おう」
昼食後はまた魔法での移動だ。途中で休憩を挟みつつ、夜までには八一階へと辿り着いた。
あたしだけは少し忙しかった。普段は四人の後ろに付いていて、魔物が出たら前に出て蹴り飛ばすと言う作業をしていたので、結構頻繁に止まったり走ったりになったのだ。
「見るのと聞くのとじゃ大違いだったな」
「代理人さんを見ていながら利用しようと考える連中が理解できないわ」
「ああ、前言を撤回しなきゃならんな」
むぅ、若干気恥ずかしい。
迷宮に入って二日目の今日は、魔物が湧く壁の無い部屋で一夜を過ごした。
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