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二九 心の汗も糧ならば

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 クーロンスの南には、農場や牧場を営んでいる集落がある。
 農場の主な作物はとうもろこしとじゃがいもである。野菜類も数多く栽培され、クーロンスで消費される野菜の殆どはここで栽培されたものだ。
 牧場では牛、豚、鶏、羊などが飼われている。鶏や豚についてはその多くが冬前に干し肉などに加工されてしまう。これはこの地域の冬が厳しいためである。
 酪農も営まれ、チーズ作りも行われている。チェダーチーズやカマンベールチーズに相当するものが主な生産品だ。
 そんな集落からも配達の依頼が入るようになった。冒険者達が家族へのお土産として薩摩揚げを買って帰ったのがきっかけらしい。
「お待たせしました、天ぷら屋です」
「あら? もう来たの?」
「はい、それが売りですから」
「二時間は掛かると思ったのだけど不思議な事ね」
「こちら、ご注文の薩摩揚げ二〇個です。配達料と合わせて三〇〇〇ゴールドになります」
「それじゃ、これ」
「毎度ありがとうございます」
 配達料の方が高いのは気にならないのだろうか。不思議だ。

  ◆

 三月になり、寒さも和らいできた。そんなある日のことだった。
「今日は貴女に伝えることが有るの」
 メリラさんは神妙な面持ちだ。自然とあたしの顔も引き締まる。
「私ね、今度結婚するのよ」
「え? それはおめでとうございます!」
 神妙な顔をしているからちょっと焦ってしまったけれど、朗報でホッとした。
「それでもう、この店に来られなくなるの」
「ええ!? どうして!?」
 思わず大きな声が出た。そんなあたしにメリラさんは苦笑を漏らす。
「嫁ぎ先がね、大陸の反対側なのよ。片道で一年掛かりだから、もうこの町に戻ることはできないわね」
「そんな遠くのお相手って、一体……」
「親同士が決めた相手なのよ。会ったことも無い相手に嫁ぐなんてお笑い種よね」
 メリラさんは自嘲気味に笑った。
 掛ける言葉が見つからない。
「そうだったんですか……」
「私ね、この店みたいな店を開きたかったの」
「はい?」
 初めて聞く話だ。
「これでも料理は得意なのよ? だから、それを活かして自立を目指していたの。必死にお金を貯めながらね。ここを見つけた時は嬉しかったわ。私の目指している店に近いのだもの」
 メリラさんは少し遠い目をした。
「だけど全く流行ってないじゃない? それなのに貴女ったらのほほんとして、少し腹が立ったわね」
「それは、その……」
 元々は手立てが無かったからとは言え、耳が痛い。
「でもね、この店の品物と値段を考えると売れない筈がなかったのよ。意味が判らなかったわ。そして私だと貴女と同じようにできないと判った時には絶望したわ。それでもどうにかならないか必死に考えたのだけど、どう計算しても経営が成り立たないのよ。結局、親に決められた期限までに全く形にならなくて、これもまた親に決められた縁談相手のお迎えが来てしまったって訳」
「そう、ですか……」
「私も貴女のように女一人で生きてみたかったわ」
 メリラさんはまた少し遠い目をした。
「心残りは貴女が成功するのを見届けられなかったことかしらね」
「すみません」
「いいのよ。貴女なりに頑張っていたのは知っているから、貴女の成功を祈ってるわ」
 メリラさんは微笑んだ。
「それで、あの、いつ出発されるんですか?」
「明日の昼前よ」
「明日!?」
「ええ。だから今日来たのよ」
 そんな、そんな! えっと、えっと……。
「あの! 出発前に一度来て頂けませんか!? いつでも構いませんから!」
「え?」
 勢い込んでお願いしたらメリラさんに若干引かれているが、もう機会は無いのだ。
「お願いします!」
「判ったわ」
 メリラさんは苦笑して聞いてくれた。

 今日はもう店を閉じ、市場で鶏を一羽と野菜を買ってくる。そしてヘルツグへと走る。海老、鮭、貝類など、今まで使っていなかった食材を買う。
 もうメリラさんに食べて貰える機会は無いかも知れない。だから、あたしが本当に売りたかったもの、食べて欲しいと思うものを沢山、沢山作るのだ。各種野菜の天ぷら、海老、鱈、鮭の天ぷら、貝柱のかき揚げ、鯵フライ、鯖のから揚げ、鯖の塩焼き、鶏のから揚げ、ササミカツ、焼き鳥などなど。但し、メリラさんが嫌いなイカの天ぷらは作らない。
 今夜は夜を徹しての料理になる。鶏を捌き、魚を捌き、貝を捌き、野菜を捌き、油を絞る。そして揚げる。焼く。
 今のあたしに出来ることはこれだけだ。だから料理をする。あたしの精一杯で料理しよう。
 どんな形であれ、メリラさんの門出には違いはないのだ。だから祝おう。あたしの精一杯を送ろう。
「えぐっ、えぐっ、えぐっ、えぐっ」
 だけど口から変な声が漏れる。頬を何かが伝う。
 別れは残される方が辛いのかも知れない。ぽっかりと心に穴が空いてしまうだけだからだ。だけど旅立つ方だって不安な筈だ。だから、せめてメリラさんを笑って見送ろう。そう、きっとあたしは笑える筈だ。

「この店は暖かいわ」
 午前九時前訪れたメリラさんは、そんなことを呟いた。
「はい、お客さんが寒くないように暖めていますから」
「ふふ、本当にそうね」
 メリラさんはあたしを見て微笑んだ。
 あたしは料理を盛った大きな皿を手渡した。蓋代わりに紙を貼り合わせて覆って麻袋に入れているので、外見は麻袋だ。それともう一つ、乾燥天ぷらを入れた袋も手渡した。
「これは?」
「餞別です。こっちの袋のは今日明日くらいで食べてください」
 皿に盛っている方を指し示しながら言った。
「そう、ありがとう」
「いえ……」
 メリラさんは優しく微笑むと、あたしの頬を撫でた。
「もう、酷い顔ね。涙でくしゃくしゃじゃない」
「え?」
 笑ってる筈だったのに、なんたる失態!
「だけど、ありがとう。私は貴女に会えて幸せだったわ」
「メリラさん……」
「じゃあ、そろそろ行くわね。お別れは言わないわよ。だから見送らないでね」
「はい……」
 そして、メリラさんは旅立っていった。
 見送るなと言われたけれど、見送らずにはいられなかった。南門を出て、遠ざかっていくメリラさんの乗る馬車をこっそりと見送った。見えなくなるまでずっと。ずっと。

 メリラさんとの別れは辛い。だけど、この辛さを乗り越えればきっと彼女との思い出が、心の宝石に変わると信じている。
 願わくば、メリラさんの前途に幸、多からんことを。
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