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女神のお使い

第二話 ミクーナ

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 天ぷらを食べて腹も膨れたので移動を始める。
 重箱は少し悩んだがこの場に放置する。端っこを少し囓ってみたら、とっても不味かったから食べる気にはならなかった。プラスチックみたいな人工物は一切入っていないようなので、放置していてもその内分解される筈だ。
 使った割り箸も一緒に放置する。アイテムボックス内の天ぷらセット一食毎に使い捨てしても余るほどの数が有るのだから、まだ洗って使う段階ではない。それより枠が足りなくて未使用と使用済みが一緒になってしまうのを避けたい。
「よっこいしょ」
 掛け声を洩らしながら立ち上がる途中、着ているトレーナーの腹の所に穴が空いて血がべっとり付いているのが目に入った。腹の痛みも無くなって忘れていたが、兎に腹を刺されたのだから穴も空けば血も滲みもする。
 どうしようかと一瞬悩んだが、フリースは無事なのでフリースの前を合わせて隠す。
 ただ、そうすると暑い。日本では十一月だったのだけど、ここはどう見ても夏だ。湿度が低いようで日本の夏より過ごしやすいが、暑い事に変わりはない。
 いっその事トレーナーを脱いでしまおうかとも思ったが、頭を振ってその考えを追い出した。得体の知れない場所で肌を晒すのは危険だし、フリースを素肌に直に着るのも少々気持ち悪い。
 今のあたしは、薄手のトレーナー、膝丈のキュロット、そしてフリースを着ている。全て地味な色合いをしていて、言ってしまえば部屋着だ。履いているのは運動靴で、これは目的を達成するのに必要だったためである。
 暑さで思いだしたが、喉も渇いた。
 アイテムボックスに入っているのが割り箸じゃなく水だったら良かったのに。
 無いものねだりをしていても始まらないので移動を始める。目指すは向こうに見える町だ。
 太陽の位置を考えると町の方向は多分東になる。北から西にかけては森が広がっていて、南は草原のように見える。今居る場所は町と森の間の草原だ。
 一時間も歩くと町に着いた。
 町には城壁が有り、城壁の外にも町並みが広がっている。その町並みは南に偏っていて、掘っ立て小屋のような建物が多い。丁度町並みが切れた辺りに門が有り、門より北側には建物が全く無い。南の方は城壁よりかなり離れた所まで町並みが続いて見える。
 フリースの前を合わせ、門へと行くと、出入りするには手続きが必要らしく行列ができている。剣などをぶら下げている人が多くて足が竦みがちになってしまうが、我慢して列に並んで順番を待つ。
 フリースの前を合わせたせいか汗が増えた。順番が来た頃には喉もカラカラになっていた。
「身分証をどうぞ」
「持ってないんですけど……」
「紛失か?」
「いえ、最初からです」
「辺境からでも来たのか? それならこれに名前を書いてくれ」
 あたしは差し出された用紙に「塚井はしり」と書く。
「これでいいでしょうか?」
「何だ? これは文字なのか?」
「はい」
「それならいいだろう。次はこの板に触ってくれ」
 言われるままに用紙に貼り付けられている板に触る。微かに何かが指先から抜ける感覚が有った。そして番号札を渡されて手続きは終わった。料金を取られる訳でもなく手続きも至って簡単だった。
「身分証を作らないのなら中に滞在できるのは明日の日暮れまでだ。身分証を作るのなら冒険者ギルドにでも行ってくれ。そして作ったら番号札を返しにここに来てくれ。そうじゃないと明後日には警備兵が捕まえに行くからな。それじゃもう通っていいぞ」
「あの、この町は何て名前なんでしょう?」
「は? クーロンスだと判ってて来たんじゃないのか?」
「それは、その……あはは、それと水を飲める場所は有りませんか?」
 笑って誤魔化したら少しムッとされてしまった。
「水が欲しけりゃそこら辺の店で買いな」
 それだけ言うと門番は次の通行人の対応を始め、もうあたしを見向きもしなかった。だけど、ここが目的地の一つなのは判った。
 門をくぐれば中世ヨーロッパって感じの町並みが広がっていた。改めて異世界を感じさせてくれる。
 最初の目標は酒場だったのだけど、滞在期限を考えると身分証を作りに冒険者ギルドとやらに行った方がいいのかも知れない。
 だけど悩んでも仕方ない。近い方を先に行くとしよう。
 道行く人に尋ねてみると、冒険者ギルドの方が近かったのでそちらへ向かった。
 冒険者ギルドに入ると、役所みたいな光景が広がっていた。あたしは受け付けの列に並んで順番を待つ。
「身分証を作りたいんですけど」
「登録ですね。では、この用紙に名前を書いてください」
 差し出された用紙には何やら沢山書かれているが読めない。今更ながらにここの言葉を話せるのが不思議だが、それはあの女神だか悪魔だかが話せるようにしてくれたのだろう。
「あの、これには何が書かれているのでしょう?」
「規約などです。失礼ですが、読み書きに不自由されていますか?」
「不自由って言うか、この文字は読めません」
「そうですか。それでは一通り読みますね」
 内容はざっくり言うと「全て自己責任でギルドは何の補償も保障もしない」だった。
「お名前は何とおっしゃいますか?」
塚井葉詩璃つかいはしりです」
 受付嬢は別の紙にさらさらと何かを書いた。そして登録用紙と今し方何かを書いた紙を指差しながら言う。
「それではここにこれを真似て書いてください」
 どうやら書いたのはあたしの名前だったらしい。あたしはそれを必死に真似て書く。だけど残念ながら少し間違っている気がする。
「次にここに指で触ってください」
 受付嬢が新書版の本くらいの大きさの黒い石のようなものを差し出してきたのでそれに触る。暫くするとピカッと光った。
「はい、もう結構ですよ」
 受付嬢は黒い石のようなものに填め込まれていた小さな板を登録用紙に貼り付け、同じく填め込まれていたキャッシュカードみたいなものを差し出してきた。
「これがギルドカードです。新規登録は無料ですが、再登録には料金が掛かりますので注意してください。それでは、ツカイッパシリさん、登録ありがとうございました」
「ええ!?」
「何か?」
「何でも、ありません……」
 あたしはとぼとぼとギルドを後にした。字が読めないのに名前の事でごねてもどうにもならない。おまけに水の事を訊くのも忘れた。
 一旦門に戻ろうかとも思ったが、ギルドで結構時間も掛かったし何より門では水を調達できないので酒場を目指す。道行く人に尋ねながら行くと、割りと簡単に見つかった。かなり有名な店のようだ。
「こんいちあー」
 大きな声を出そうとしたら、もう喉が痛くて変な発音になってしまった。
「まだ開店してないわよ」
 掃除をしていた初老のほっそりした女性がこちらを振り向いた。
「いえ、ちょっと人を捜していまして……。こちらにリドルさんって方とミクーナさんって方はいらっしゃいませんか?」
「ミクーナは私だけど、リドルは居ないわよ」
「はい? リドルさんは今どこに?」
「土の中よ。もう一〇年になるかしらね」
「そんな……」
 配達先が亡くなってるなんて想定外もいいとこだ。だけどそれは後回しにして先に配達を一つ済ませてしまおう。
「えっと、リドルさんにもだったんですが、ミクーナさんへある人からのお届け物が有ります」
「ある人って誰?」
 そう言えば名前を聞いていない。だから、白い世界の事を想い出す。
「えーと、天ぷら屋さん? 女神?」
「天ぷら屋……。あ! その人は今どこに居るの!?」
 ミクーナがあたしの両方の二の腕を掴んで迫ってくる。腕は細く見えるのに力はやたらに強くて握られた所が痛い。
「痛たたたたっ、白い世界です! 天ぷら屋以外何も無い世界!」
「ご、ごめんなさい」
 ミクーナはバツが悪そうに手を放してくれた。そして「やっぱり、もう会うことはできないのね」と寂しそうにした。
 あたしは少し居たたまれなくなって、その場を誤魔化すようにあたふたとアイテムボックスからお土産を取り出す。するとそれは漆塗りの大きな三段重ねの重箱だった。天ぷらセットとは一線を画している。
「これがお届け物です」
「とても綺麗ね!」
 うきうきした様子でミクーナは重箱を開ける。その瞬間、動きが止まった。そして両目に涙が溢れる。暫くして「あの頃のままなのね」と呟いてまた動き出した。
 重箱の一段目には各種天ぷらがぎっしり詰まっている。二段目には二種類の薩摩揚げ。三段目は全てチーカマだ。
 薩摩揚げとチーカマが多すぎでしょ?
「きゃーっ!」
 ところが、ミクーナは少女のような歓声をあげてチーカマに手を伸ばす。
「これよ、これ! 夢にまで見たチーカマだわ!」
 そして感動に咽び泣きながら次々にチーカマを口に運んだ。時折薩摩揚げや天ぷらにも手を伸ばすが、殆どチーカマばかりを食べる。
 チーカマ、全然多くなかった。
「何を騒いでるんだ?」
 奥から初老の男性が出てきた。格好からすると料理人のようだ。
「レクバ、神様からの贈り物よ!」
「神様? 何の冗談だ?」
「これを見なさい!」
 レクバが指し示された重箱を見て目を見開いた。
「あんたも食べていいわよ。チーカマは駄目だけどね」
「取ったりしねーよ。いや、それよりお前のその姿は一体……」
 何に驚いているのかとミクーナを見ると、若い? どう見ても二十代に見える。あたしは声もなく叫んだ。
 喉が痛くて声が出なかったんだよ。
「うふふん。さっきから身体が軽いと思ったら若返っちゃったのね」
 ミクーナは身体の感触を確かめるようにあちこちを捻る。驚いた様子が無い。
「だけど、その事は後にして今は食べましょう」
「お、おう」
 レクバも薩摩揚げや天ぷらを口に運ぶ。
「あなたも食べていいわよ」
「いえ、天ぷらは沢山貰っていますから、それはお二人で食べてください」
 ミクーナにあたしも勧められたが断らせて貰った。彼女も無理に勧めるつもりは無いらしい。
「薩摩揚げなんて四〇年ぶりか?」
「そうね、そのくらいだわ」
 言葉少なに二人は食べ続ける。そして半分を平らげた辺りで手を止めた。
「堪能したわ。残りのチーカマと薩摩揚げは乾燥させる事にしましょう」
 そう言ってミクーナが呪文らしきものを唱えるとチーカマと薩摩揚げが凍った。その後もう一度呪文らしきものを唱えるとチーカマと薩摩揚げが乾いていく。
「私の四〇年も伊達ではないわね」
 ミクーナは満足そうに独りごちた。
「そうそう、あなたにも贈り物を届けてくれたお礼をしなきゃいけないわね。何でも言ってちょうだい」
「それじゃ、あの、水をください」
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