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バッドエンド

五二 思いの果てと旅の果て

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「やっぱり来たわね」
 女神はあたしを見るなりふんぞり返った。
「あんた、嘘吐いたでしょ!」
「えーっ? 嘘なんて吐いてないしぃ」
 もう、相変わらずムカつく。
「『邪神の復活を阻止しろ』とか言ってたけど、嘘じゃない! 大体、あんた自身が邪神なんじゃないの!?」
「えーっ。『邪神の復活を阻止しようとしている人間達を手伝え』とは言ったけど、『邪神の復活を阻止しろ』とは言ってないしぃ」
「え?」
 あー、うん。確かに言われてみればそうだった。でも、ちょっと待って? そしたら……。
「騙されたーっ!」
「あーっはっはっはっはっ!」
 頭を抱えるあたしを女神は指を指して笑う。ほんとにムカつく奴だ。
「はあああぁぁ。もうそれはいいわ。それよりこの世界を破壊するってどう言うこと?」
「その通りの意味よぉ?」
「どうしてそんな事をするの?」
「さあ? どうしてかしらぁ?」
 まったく、のらりくらりと!
「止めなさいよ」
「それは駄ー目っ」
 女神は人差し指を立て、妙に真剣な顔をした。
「どうしてよ!? やめなさいよ!」
 握り拳を振り下ろしながら叫ぶあたしを見て、女神は不思議そうにした。
「あんたはこの世を儚んでいたんじゃないのぉ? そのあんたが何でこの世界を惜しむの?」
「幸せであって欲しい人が居るのよ! その人達を死なせる訳にはいかないわ!」
「ふぅん、だったらあたしを倒すしかないわねぇ」
 女神は妙に不満そうに言った。
「どうしても?」
「どうしても」
「判ったわ。あんたを倒す」
「だったら、表にでやがれ!」

 女神が叫んだ瞬間、あたしは星空の下に居た。周りを見回せば遺跡のような場所だ。
『ふっふー。一度言ってみたかったのよねぇ』
 女神の声が頭に響くので見回してみると、居た。だけど何かおかしい。女神の足は地平線に隠れ、頭は雲の上に有る。身体がほんのりと光っているために、夜でもくっきりとその姿が見えた。
「何、あれ?」
『ふっふー。ほーら、あたしはここよぉ? 倒せるかしらぁ?』
 女神は意地の悪い顔をした。
 良いわよ。やってやろうじゃないの!
 そう勢い込み、あたしは拘束魔法を緩めて魔力を解放した。そしてその瞬間――。
 どうん。
 そんな音ともつかない音と共に、あたしの視線がぐんぐん高くなり、ついには女神と同じ視線になってしまった。
 瞠目して自分の手を見ると、ほんのりと光っている。周りを見回すと、雲の下に大陸全体が見える。
「何、これ?」
「あー、やっぱりねぇ」
 女神が呆れたように言った。
「『やっぱり』って何か知ってるの?」
「あんたはもう、神に等しくなっちゃったのよぉ」
「どう言うことよ!?」
「気付いてたんでしょう? 自分の力がどんどん強くなっていることに」
「それは気付いてたけど……」
「その上で神殺しをして、力を受け継いじゃったからねぇ」
「はあ? あたしはそんなことしてないわよ!」
 この女神はなんてことを言うのだ。
「あー、迷宮の像、あれが神そのものなのよぉ。硬かったでしょ?」
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 確かに硬かった。だけど、あれが神? あたしが神殺し? え? え? えーっ!?
「迷宮は七人の神がそれぞれ司っていて、生き残りを賭けてお互いに攻略しあうのが神の理なのよぉ。で、クーロンスの迷宮を司っていたあたしが生き残ったって訳ぇ」
「何? そのゲーム感覚」
「あたしが知るわけないでしょーっ」
 あれ? でも、ちょーっと待って。少しおかしくない? 何故、この女神はあたしをクーロンスに転移させたのだ? 攻略し合うなら、他の迷宮の近くにするものじゃないの?
「それはそうと、あたしもあんたに言いたいことがあるのよぉ」
「え?」
「あんたって何なのぁ? 折角、力をあげたのに碌でもないことにばかり使ってぇ。自分で自分を追い詰めるようなことばかりして、最後は自殺しようとまでするなんて、ほんと、馬っ鹿じゃないの!?」
「わ、悪かったわね! 元はと言えばあんたの所為じゃないの!」
「人の所為にしないで!」
 バチーン!
 あれ? 左のほっぺたが痛い。そして、何であたしは右を向いてるの?
 あ、そうだ。この女神に引っぱたかれたのだ。
「何すんのよ!」
 バチーン!
 ふふん。お返しだ。
「いったいわね!」
 バチーン!
 痛っ!
「こんのぉ!」
「何よぉ!」
 バチーン! バチーン! バチーン! バチーン! バチーン! バチーン!
 バチーン! バチーン! バチーン! バチーン! バチーン! バチーン!
「もう、あったま来た!」
 あたしは握り拳を作り、大きく振りかぶって殴りかかった。
 だけど、女神は無防備なまま微笑みを浮かべる。
 その時、あたしは背筋に冷たいものを感じ、すんでの所で止めた。
「何故止めたの?」
「何故はこっちの台詞よ! 何故避けようともしなかったの!?」
「気付かれちゃったかぁ」
 女神は掌を上に向けながら斜め上を見た。
「あんた、まさか!?」
「そのまさかだったらどうするぅ?」
「どうもできないわよ! あたしには馬鹿だとか言っていながら、なんであんたが死のうとするのよ!?」
「あーあ、きっと今のが最後のチャンスだったのにぃ」
 女神がそう呟いた途端、迷宮の最奥に戻った。女神もあたしも人の大きさだ。
「どうして?」
「人間に聞かせられる話じゃないからぁ」
「あっそう。え? ちょっと待て!」
「どうかした?」
「まさかさっきまでのは、他人に聞こえてたの!?」
「そりゃ、最終決戦なんだからぁ、大陸中の人間に見えるように、聞こえるようになってたわよぉ」
「あ、あ、あ……」
 迂闊だった。あたしから大陸全体が見えていたのだから、大陸中からあたしが見えていた筈だ。さっきの……。
 ああ! 恥ずかしすぎる!
「あーっはっはっはっはっ! 馬鹿だ! 馬鹿が居る!」
 また女神に指を指されて笑われるが、言い返せない。
 悔しい! もどかしい!
「もう、あたしのことはいいのよ! 死のうとした理由を言いなさい!」
 結果、話を逸らして元に戻すことにした。
 すると、女神はそっぽを向く。
「独りぼっちは、もう嫌なの」
「え?」
 ボソッと呟かれた言葉の理解をあたしの脳が拒否している感じだ。
「だから! 独りぼっちは懲り懲りなの!」
「女神なのにどうして!?」
「女神なんて好きで成ったんじゃない」
「女神って生まれたときから女神なんでしょ? 生まれは選べないだろうけど……」
「あたしは、元々人間なの!」
 そう絶叫する女神の目には大粒の涙が光っていた。
「人間って、まさか……」
「そうよ、元々はあんたと同じ転移者よ。迷宮を攻略したら神様になったの」
「はあ? よく判らないんだけど……」
「仕方ないわねぇ。いい?」

 世界と共に七つの迷宮は生まれた。
 それぞれの迷宮を最初に攻略した者は神となる。
 七柱の神が揃った時から神同士での生き残りを賭けた戦いが始まる。
 神は顕現しなければ直接力を行使できないため、戦いは代理戦争を呈する。
 自らが司る迷宮の最奥に成長する神の実体としての像を破壊されると、神は消滅する。
 最後に残った神は絶対神として顕現する。
 もし、残っている神の像が全て完成すると、残った神全てが顕現して最終戦争となり、最後の一柱が絶対神となる。
 絶対神は世界を破壊と再生を行い、新たな神の誕生を待つ。

 女神が語ったのはそんな感じだ。
「破壊と再生は絶対なの?」
「別にぃ」
 女神はむすーっと口を尖らせながら答えた。
「だったら、破壊なんてしないでよ!」
「嫌よ」
「何でよ!?」
「このまま永久にぼっちなんて、あたしは絶対に嫌!」
「はあっ!? それって関係なくない?」
「関係大有りよ! あたしはもう消えてしまいたいの!」
「だったら、独りで勝手に死になさいよ!」
「それができたら苦労しないわよ! あんたができない自殺を、神のあたしができる筈がないでしょ! なんの為にあんたをクーロンスに転移させたと思ってんの!」
 そう、判らなかったのはそこだ。絶対神になるつもりなら、自分を危険に晒したりはしない筈だ。それなのに、この女神は自分の司る迷宮の傍にあたしを送り込んだ。それも、純三さん曰く「無敵」と言う力を与えてだ。
「あたしに、あんたの像を破壊させようとしていた……の?」
「そうよ。それなのにあんたったら他の迷宮を潰すんだから、乾いた笑いしか出なかったわよ」
「それは、何と言っていいやら……」
 思わず頬を掻いた。
「だから、あたしが消えるにはもう、破壊と再生を行ったら生まれてくる新しい神に期待するしか無いの」

「判ったわ。だったらあんたをその呪縛から解き放ってあげる」
「できる訳ないでしょ」
 言い募る女神の言葉を無視して、あたしは女神を抱き締める。今ならできそうな気がする。
 そして、力の全てを解放した。
 辺りは目映い光に包まれる。
 拘束魔法を逆転させるように女神へと使う。光の中で女神から何かが剥がれ落ちていくのが判る。
「あああああ!」
 女神が苦しげに身悶え、叫び声を上げる。あたしは尚も力を注ぐ。無理な力の使い方をしているためか、あたしからも何かが剥がれ落ちていっている。
 やがて、女神の叫び声が止み、息を整えるかのような荒い息をするだけになった。
 女神が穏やかな表情になったのを確認して、あたしは力の放出を止める。
 瞬間、脚に来て膝を付いた。息苦しくて息が荒くなり、身体も重い。魔力の殆どを失った気がする。
 女神が座り込んで苦笑する。
「あんたの方が疲労困憊じゃないの」
「そうね。だけどその甲斐は有ったんじゃないかしら」
「有ったわ」
 女神はあたしを軽く抱き締めた後、儚げに微笑む。
 何故そんなに儚げなのか。あたしは思わず女神の左手を掴んだ。
 すると、女神の左手が灰になって砕けた。
「ああ!」
「ありがとう。まさか人に戻れるとは思わなかったわ」
 女神が右手であたしの頬を優しく撫でる。
「だけど、人としてのあたしの寿命は随分昔に終わってるのよ」
「それって、まさか!?」
「そう、あたしは死ぬ。やっとあのコの所へ行けるわ。本当にありがとう」
 その一言に合わせるように女神は足もとからみるみる灰になって砕けた。
「待って! 『あのコ』って誰!? あたしはこんなの望んでない!」

 一頻り泣いたあたしは地上へと戻った。迷宮の魔物が消えたので、歩くのに時間が掛かりながらも戻れたのだ。
 失った力は戻らない。殆どの力を失ったため、腕力も拘束魔法無しで転移前の十倍程度になっている。恐らくギルドランク5に成れるかどうかの水準だろう。
「千佳さん! その姿は!?」
 エクローネさんに迎えられた。あたしのボロボロの服に驚いたようだ。七日ほど掛かって地上に着いたのだけど、この人はずっと待っていたのだろうか。
 しかし、そんな事は今はどうでも良い。ただ、今は疲れて眠い。
「千佳さん!」
 エクローネさんの声が遠くに聞こえた。

 気が付けば、見慣れた酒場の一室だった。身体は清められ、ボロボロだった服は着替えさせられている。
 しかし、心は血を流し続ける。

 地上へ戻る途中、遭遇した冒険者達に尊厳も何もかもを踏みにじられた。力を失ったあたしには抗いきれなかった。
 このまま殺されるのかと思っていると、どこかで会った気もする別の冒険者に助けられた。だけど、その時のあたしは助けてくれた冒険者に悪態を吐いた気がする。記憶が曖昧なのだ。
 その後は冒険者を避けながら、冒険者達が食べ残して捨てていったものを拾って食べながら地上を目指した。不思議な事に殆ど手つかずで残されている食べ物もあった。

 おかみさんや旦那さん、ミクーナさんは優しく微笑みかけてくれるが、今のあたしには全てが灰色に見える。
 そして、あたしの身体には変調が訪れた。時折、手足が痙攣する。

 あたしはクーロンスから旅立つ事にした。もう戻る事は無い。この町では辛い事が有りすぎた。優しい人にも出会えた町だったが、今はその優しい笑顔すら辛い。
 未だあたしの持ち物だった家を売り、帆を付けた荷車を特注して完成するまでの約一ヶ月、あたしは殆ど部屋に引き籠もっていた。

 そして出発の日、ミクーナさんがどうしても付いて来ると言うので了承した。レクバさんも、と言うのは断った。
 涙ぐみながら見送ってくれるおかみさんに精一杯の作り笑いを送る。作り笑いでも笑った顔を覚えていて欲しい。だけど、おかみさんの目から溢れる涙は更に増えてしまった。
 魔法で帆に風を張り、最期の旅が始まった。

 まずは純三さんへの別れを告げるためにファラドナへと向かう。
 この時にはもうあたしに残された時間が殆ど無い事を知っていた。自殺志願者として彷徨った日々はあたしの身体に深刻な影響を及ぼしていた。力の殆どを失った事で、それが顕在化してしまったのだ。
 ファラドナへの旅は比較的順調だった。
 ミクーナさんは時折通話石を使っている。恐らくはレクバさんと話しているのだろう。
 ファラドナへ着いて純三さんと会った。純三さんを泣かせるつもりは無かったのだけど、泣かせてしまった。

 最後の目的地はメリラさんの店だ。
 しかし、ファラドナからウェーバルまでの旅はしばしば中断した。
 発作のようにあたしの身体が悲鳴を上げる。どこかが壊れる苦痛に文字通りに悲鳴を上げてのたうち回る。
 やがて、発作が起きても悲鳴を上げなくなった。いや、上げられなくなっていた。
 それでも石に齧り付く思いでメリラさんの店の前へと辿り着いた。ミクーナさんが付き添いだ。
 ノックをする。
 ノックをした右手が砕け散る。
「はーい」
 メリラさんの声だ。
 あたしはそっと目を閉じた。

  ◆

 メリラが扉を開けると、そこには一着の服を抱き締めて泣き腫らす女性が一人で待っていた。
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