慟哭の螺旋(「悪役令嬢の慟哭」加筆修正版)

浜柔

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第四話 誕生-1

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 レミアにとって解雇はあまりに唐突だった。ハイデルフト家の令嬢エカテリーナの専属で、彼女からの信頼もあつく、護衛も兼ねていている。護衛としては行きずりの暴漢二、三人を制圧できる程度だが、同性で殆どの場所に同行できるのが強みだ。解雇される可能性は執事長やメイド長の次くらいに低いと考えていた。
 事実、そうだった。
 ところがそのあり得ないと思っていた解雇の通告を受けたのだ。青天の霹靂へきれきである。
 最初に通告を受けた時点では執事長とメイド長の他にもまだ使用人が残っていたのでこばんだ。せったままのエカテリーナのことも心配なのだ。
 しかし、瞬く間に使用人が居なくなり、執事長とメイド長、そしてレミアが残されるのみとなって尚も解雇を言い渡されるとあってはもう拒めない。そもそも拒めるものではなく、他の使用人が屋敷から去るまでの間、猶予を与えられていただけだ。
 受け取った退職金は給金の約三年分。住み込みのそれまでとは違い、部屋を借りるなどの出費が必要になるが、それでも一年や二年は働かずに暮らせるほども有る。
 財政的な問題での解雇ではないことは容易に知れる。ならば何故か。全く想像もできなかった。
 この解雇の理由、すなわち叛乱を知ったのはハイデンに帰郷してからである。

 帰郷した時、ハイデンの様子がおかしいとは感じた。最初の違和感は見知らぬ軍服だ。ハイデルフト領軍が二列ボタンの黒シャツと赤いズボンなのに対し、見掛けるのは一列ボタンでカーキ色のシャツと同色のズボン。しかもその姿の兵士が殺気を振りきつつ検問を行っている。
 そしてその検問で身体検査をされ、見つけられた所持金を全て奪われてしまった。抗議すれば、「物足りないのなら裸にひん剥いてやるぜ」と訳のわからないことを言い出す始末だ。その場で戦いを挑んでも多勢に無勢なため、勝てる見込みも無い。悔しいかな引き下がらざるを得なかった。
 町に入ると、あちこちで壊れた家屋も目に付いた。明らかな異変だ。急ぎ、領主館へと向かう。
 我が目を疑った。領主館が焼け落ちて、見るも無惨な姿と化している。ハイデルフト家の人々や、住み込みで勤めていた両親はどうなったのか。見ているだけでは何も判らないのだが、この時はただ呆然と立ち尽くした。
 不意に腕を引っ張られた。見れば、領主館に勤めていたメイド仲間だ。そのまま周囲を警戒し続ける彼女に連れられ、小走りにその場から立ち去った。
 路地裏に入り、物陰に隠れ、一息吐いてから彼女が口を開く。
「あんな所に居たら、どんな因縁を付けられるか判らないわよ」
 領主館は突然、ボナレス領軍に攻め込まれて焼き払われたと言う。見知らぬ軍服とはボナレス領軍のものだったのだ。
 そのボナレス兵がハイデンの住民に何かと因縁を付けて回っているらしい。領主館周辺ではハイデルフト家の縁者を捕らえようとする兵士のせいで余計に多いのだとか。
 もしもハイデルフト家の使用人だったことが判れば、捕まって何をされるか判ったものではないと言うことだ。
 ならば彼女はどうしてあそこに足を運んだのかと尋ねれば、「田舎に帰るから、その前に一目だけでも見ておきたかったのよ」との答えだった。
 ハイデルフト家の人々や他の使用人の安否を尋ねると、表情を一瞬で神妙に変える。皆、殺されてしまったのだと言う。彼女は非番を利用して買い物に出掛けていたことで、たまたま難を逃れたらしい。
 彼女は今日明日にでもハイデンから出ると言って別れた。普通に街道を通ろうとすればボナレス兵の検問で有り金を全て奪われるので、こっそりと出て行くらしい。
 自分も事前に知っていればと嘆きも出るレミアであった。

 レミアは気付いた時には天涯孤独になっていた。しかし、そうならざるを得なかった理由がまだ判らない。それを求めて適当な酒場で聞き耳を立てる。代金は靴底に隠していて見つからずに済んだなけなしの所持金で賄った。
 そうして、叛乱らしいと聞いた。だがはっきりとしない。噂をしていたのがボナレス兵で、真実を語っていたかが疑わしいのだ。
 ただ、自らの境遇と照らし合わせれば、真実のように思われた。少なくとも解雇が何らかの異変を予見したものだったことは確実だ。
 エカテリーナはこのことを知っていたのだろうかとの疑問が浮かぶ。それとは関係なしに彼女の安否も気になる。
 はたから見たエカテリーナは凜としたたたずまいをしているが、おごらず気さくだ。どこかお茶目で可愛らしくもある。生涯を共にする主君と仰ぐこともやぶさかではなかった。
 しかし今、遠く離れた場所にあっては、無事であって欲しいと願うことしかできない。
 更なる情報が必要だった。
 自らの今後も問題だ。事と次第によっては、ハイデルフト家に勤めていたと言うだけで死ぬまで逃亡生活を余儀なくされる。追われる前に逃げるのも視野に入れねばならない。
 だがその前に、ボナレス兵に殆どを奪われてしまって先立つものが無い。生活費を稼ぐために働き口を探した。
 ところが、いくさで荒らされて混乱の最中さなかにあるハイデンには失業者が溢れており、まともな仕事など見つからない。他の町まで行こうにも、旅費どころか今日の食費にも事欠く有り様だ。こうなっては背に腹は代えられない。仕方なく、実体が娼館である酒場に女給として勤め始めた。

 娼婦に身を堕とすまでに然程さほどの時間は掛からなかった。
 一番の理由は食糧の高騰。ボナレス兵は検問を通るのに法外な賄賂を要求し、拒否すれば、あるいは問答無用で金銭や荷物を全て没収するのだ。
 ある商人がそうして全てを奪われた結果、家族を道連れにして首をくくった。その知らせは瞬く間に商人の間に広まり、町の出入りを見合わせた。勢い、物流がとどこおる。
 ある農作物を売りに訪れた農民は売上金を全て巻き上げられた。その知らせも瞬く間に広がって、農作物を売りに訪れる農民も減る。そんな中でもハイデンの住民のためにと農作物を売りに訪れ、現金では没収されるからと農機具などを購入して帰る農民は残っていたが、それだけでは需要に対して不足し、食糧の高騰が避けられなかった。
 レミアが娼婦に身を墜としたのもこの頃である。エカテリーナが処刑されたと聞き及んでいたこともあり、捨て鉢だったのだ。
 食糧供給が滞ってボナレス領軍への影響が避けられなくなると、彼らは農作物を没収した。ここに至り、訪れる農民が完全に途絶える。食糧が益々ますます高騰し、住民は餓死の恐怖に震えるようになる。
 ボナレス領軍もまた食糧不足に陥り、自身のための食糧を得んがために農村で徴発を行おうとした。ところがその際に農家の子供を人質に取った挙げ句に殺害してしまう。激高した農民が「ボナレスに渡すくらいなら」と全ての農産物に火を掛け、自らも火に飛び込んだことで食糧を得られずに終わる。
 農家の惨劇の知らせは密輸ルートを通してハイデン市内にもたらされ、このままでは餓死を待つばかりとして一斉蜂起の機運が高まってゆく。
 そこで突然、検問が解除された。
 狐につままれたようにしながらも、人々は徐々に元の生活へと戻っていった。
 レミアもまた検問の無くなった街道を見ては、ボナレスに対する怒りと、やり場のない憤りが込み上げる。もしも数ヶ月遅れて帰っていたなら、もしもあの日、異変を感じたハイデン前に引き返していたなら。どちらであっても今よりはマシな生活を送れていた筈なのだ。
 それとも、仮に一度引き返したとしても、結局は入っただろうか。領主館が心配で、あるいは領主館にさえ着けば何とかなると思っただろうか。
 答えは判らない。答えが有るのは過去なのだ。もう戻れはしない。
 この日ばかりは声を上げて泣いた。

 そして今。既に娼婦としての収入の方が多いが、店主によるピンハネが酷くて生活はやはり苦しい。住み込みの部屋代としてピンハネされ、食費としてピンハネされ、客の紹介料としてピンハネされる。その酷さに店主を絞め殺してやりたいとさえ思うのだが、そうすれば直ぐにでも生活に困るからと自らを戒める。短気に事を運ばないだけの自制心は取りあえず健在である。
 ただ、仮に店主を絞め殺したとして、お尋ね者になるかどうかは未知数だ。治安を維持するはずのボナレス兵自身がやらかしていて、彼らが捜査するかも怪しいのであった。

 酒場で働いている最中に知ったのは、駐留しているボナレス領軍が三つの大隊から成る連隊で、一枚岩ではないことだ。連隊長が直接指揮する第一大隊、別の隊長が指揮する第二大隊、傭兵で構成された第三大隊が有り、自らは非道をしない第二大隊と野蛮人の群れである他の大隊とで少々の対立が有る。
 レミアの勤める酒場は第二大隊が押さえているので比較的安心できる。ただこれも必ずしもではない。

 レミアには幾人かの同僚が居る。以前はよわい四〇にも届こうとしていた年増も一人居た。その年増は先輩だからと威張り散らすは、誰彼構わず当たり散らすはで迷惑この上なく、はなはだ嫌いでもあった。レミアが娼婦になった時にも年増は心底馬鹿にした台詞を口にしてくれた。
「はっ! 女給だけだなんてお高くとまっていた癖にそのザマかい。いい気味だよ!」
 更にその場で「ここじゃあたしに絶対服従するんだよ!」と口に指を突っ込まれて舐めさせられた。その後も何かと「売女の分際でお高くとまってんじゃないよ!」と自分のことを棚に上げて罵しられた。
 そんな年増だったから好きになれる筈がないのだ。
 ところがある日、第三大隊隊長が開店前の酒場にふらりとやって来て、女を買うと言い出した。うに非道なことで悪名が轟いている男だ。この時ばかりは強突張りの店主も苦しげな表情で「誰か頼む」と言った。普段、客の指名が無ければ店主が指名するところをしないばかりか「頼む」とまで言ったのだ。
 だが、レミアは声を出せなかった。他の同僚もそうだ。年増を除いて誰も。
「いいよ。あたしが行くよ」
 年増は静かに言った。
 年増が部屋のドアハンドルに手を掛ける。一呼吸ほど動きを止めてから振り返る。
「いいかい、あんた達。何があってもあいつが出て行くまでここから出るんじゃないよ」
 いつになく優しげな声音でそう言い残してから部屋を出た。
 それがレミアの聞いた最後の年増の声でもある。
 年増が男の相手をする間に店主が第二大隊に走ったのだろう。暫くして怒声が響き、酒場を第二大隊が常に監視して第三大隊を出入り禁止にするのだと聞こえた。以降、その言葉通りになったことで酒場は一応の平穏を得たが、年増が還ったのは土にだった。
 レミアにも思うところは有る。それでも年増のことは嫌いなままだ。
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