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第一三話 執着-1

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「ハイデルフトめ」
 国王は我知らず呟いた。就寝しようとベッドに座ったところだった。気にしないようにしていても、どうしても怨霊のことが頭に引っ掛かる。死んでからも前に立ち塞がる者などはなはだ許し難い。
 国王には理想に基づく信念が有る。「国王たる者、絶対的権力者たれ」だ。
 これには絶対王制による中央集権化が不可欠になる。ハイデルフトはその理想の実現にとって前々から最も邪魔な存在だった。辺境に位置するメストロアルはそこまででもないが、ハイデルフトの中央での権力は絶大で、国政への関与も大きい。日々、国王の権力が削られていた。
 少なくとも王太子時代の国王はそう考えていた。自らが国王の座に就く頃には国王が形骸化して名前だけの地位になっていかねないとの危惧もだ。
 だから権力を奪われないため、そして権力を奪い返すため、計画を立て、王立学園入学に合わせて実行に移した。
 当初の進捗はかんばしくない。在籍していたエカテリーナ・ハイデルフトとシルフィエット・メストロアルの影響が強すぎ、排除するべき相手、それも下っ端の弱みを掴むのも難儀した。
 状況が変わったのはシルフィエットが卒業した二年目。入れ替わりで淫売が入学したところからである。淫売が学園内の男を幾人も籠絡し、彼らを通じて影響力を持ち始めた。
 これを利用しない手は無いのだが、焦らず自重する。向こうから近付いてくると予想するのは容易だったのだ。不用意に接触を試みれば譲歩を強いられる。相手に譲歩させてこそ交渉と言うものである。
 果たして予想は的中する。淫売からの接触を受け、将来の王妃の座を餌に言うことを聞かせることに成功した。
 ここからは早い。淫売を通じて王立学園の掌握し、それだけに留まらず、淫売が籠絡した相手の実家をも取り込んだ。
 続けてこれらの権力を背景に、反抗的な相手を小者から屈服させ、時には排除する。最後の標的はエカテリーナである。ただこれは夏期休暇に入ったことで学園内で孤立させるまでに留まった。
 ところがエカテリーナを学園から追い出すまでもなく、ハイデルフト家が叛乱を起こす。何も情報を得られていなければ危ないところだったが、ボナレス伯爵の密告によって事前に計画を掌握、そして粛正した。
 それで終わった筈だったのである。

 国王は、ふと視線を感じた。その感じた方を見やると、ワインレッドの豪奢なドレスに身を包んだ若い女の姿が帷帳いちょうの陰にたたずんでいる。
「何者だ!?」
 誰何すいかに応じて女はクスッとわらい、闇に消えた。
 直後、声を聞き付けた二名の近衛兵が駆け込んで来る。一名は入り口付近に留まって周囲の警戒だ。
「陛下! ご無事ですか!?」
大事だいじ無い。それより侵入者だ! 入り口の警備は何をしていた!?」
「御寝所の入り口は何者も通過しておりません!」
 近衛兵が敬礼しつつ返答した。
「ならば窓だ!」
 近衛兵は窓を調べるが、三つ有る全てが内側から閂を掛けられて固く閉ざされたままだった。
「馬鹿な! 捜せ! どこかに居る筈だ!」
 近衛兵は寝室内を隈無く捜索したが、女の姿は終ぞ見つけることが叶わなかった。
 仕方なく、国王は近衛兵への命令を解除する。そして近衛兵が部屋を出てドアを閉めるのを見極めてから呟く。
「ハイデルフトめ……」
 女の顔は記憶に残るエカテリーナ・ハイデルフトのものであった。

   ◆

 深夜。眠りが浅く、夢現ゆめうつつはざま微睡まどろむ国王の顔を何かがくすぐる。
 さわさわ、さわさわ。
 まぶたこそ重く閉ざしたままなれど、感覚がうつつに傾いたことではっきりと感じる。
 さわさわ、さわさわ。
 なかば無意識に手で払うのだが、何かは尚もくすぐる。
 さわさわ、さわさわ。
 寝台の中、我慢できなくなった国王が目を開ける。眼前には女のわらう顔が在った。
「貴様!」
 国王は女を掴もうとするが、女はその手をするりと擦り抜けてしまう。女は声も無く嗤い、音も無く入り口の方へと走り去る。
 傍らの剣を掴んで追い掛ける。ドアを突き破るかのような勢いで開け放つ。
 寝室前で警備中の近衛兵が音に驚いてか目を白黒させた。
「女が出て行かなかったか!?」
 国王は尋ねた。
「いえ、何者も出入りしておりません!」
「何だと? それは本当か!?」
「はい! 誓って嘘は申しておりません!」
「ならば侵入者がまだ部屋の中に居る筈だ! 捜せ!」
「はい!」
 近衛兵達は急ぎ国王の居室を隅々まで捜索する。だが侵入者も、その痕跡も、何も見つからない。
 その報告に国王は渋面を作る。近衛兵達は冷や汗を垂らすばかりだ。
「もう良い!」
 苛立たしげに国王は寝室に戻る。見送る近衛兵達は音を立てずに安堵の溜め息を吐いた。

「ハイデルフトめ!」
 国王は女の顔を思い出す。どうしてもエカテリーナ・ハイデルフトとしか思えなかった。

   ◆

 ジョキッ、ジョキッ、ジョキッ。
 深夜の寝室に布を切る音が響く。
 ジョキッ、ジョキッ、ジョキッ。
 王妃はその音に揺り起こされた。時折半眼になりつつ片肘を突いて、一糸纏わぬ上体を起こす。
「何の音?」
 そう声に出した瞬間、カシャンと金属がぶつかる音がした。王妃は眠気で焦点の定まらない目を開けては閉じを繰り返しつつ暫く耳を澄ませたが、その後は何も聞こえない。いつしかまた眠りへと戻っていった。

 翌朝。
「キャアアアアア!!」
 侍女の甲高い悲鳴が響き渡った。
 悲鳴に叩き起こされた形の王妃であったが、夜中にも奇妙な音で起こされていたことで頭の芯が少し重い。完全には目覚められずにいる間に他の侍女や近衛兵も駆け付ける。
「どうしたって言うのよ?」
 王妃は上体を起こし、目をこじ開けるようにしながら苛立たしげに問うた。
「も、申し訳ございません」
 悲鳴を上げた侍女が頭を下げる。
帷帳いちょうがこのような有り様となっておりましたもので、動転いたしました」
 侍女が指し示す先に有るのは、切り裂かれた帷帳と床に落ちた一本の裁ち切りばさみだった。ベッドを囲むように張られた帷帳が無惨な姿となっている。
 ここで漸く昨夜の音の正体を知った王妃だが、それを知ったからと治まるものではない。肌を隠そうともせずにベッドから下りる。
「誰よ!? こんなことをしたのは!?」
 怒声を響かせて問うたが、皆、首を横に振る。その様子に王妃は更に怒りを露わにする。
「近衛兵は一体何をしていたの!?」
「はい! 交替で扉の外を警護しておりましたが、何者も通過しておりません!」
 近衛兵は姿勢を正して答えた。姿勢こそ正しているものの、王妃を前に顔を赤らめ、視線を彷徨さまよわせるばかりだ。
 王妃はそんな近衛兵の様子に一切構わない。
「そんな筈が無いでしょ!? 誰かが忍び込んだ筈よ!」
「御寝所を捜索しても宜しいでしょうか?」
「さっさとしなさい!」
「はい!」
 敬礼しつつ返答し、近衛兵は捜索に掛かる。侍女も捜索に加わる。王妃は苛つきながらそれを見守る。
 しかし侵入者は見つからない。侵入者の痕跡と思われるものも何も見つからなかった。窓も全て閉まっており、内側から閂が掛けられている。誰かが侵入したようには見えない。自然、視線が王妃に集まった。侵入者が見つからない一方、少し癇癪持ちの王妃が物に当たって壊したことが過去に幾度かあるためだ。
「何? あんた達はあたしがやったとでも言いたい訳!?」
「め、滅相もございません」
 侍女の一人が否定し、他の侍女も近衛兵も首を横に振る。だが、言葉は白々しく、彼らの目は雄弁に疑いの感情を表している。近衛兵の顔もつい先まで王妃を見て赤らめていた顔もどこへやら、疑うものに変わった。
 そのさまが王妃には腹立たしい。理由にも察しが付くだけに余計にだ。ものを壊したことは有っても、一回を除いて全て人前で、怒りを向ける相手にその強さをアピールするためにしたことだ。独りの時は精々枕を殴ったり投げたりするだけしかしない。その投げた枕がたまたま運悪く明後日の方向に飛んで花瓶に当たり、落ちて割れたのが除いた一回である。
「白々しいわね! んな訳ないでしょ!」
 王妃は白々しい返事をした侍女の右肩を左手で掴み、服の首元を右手で掴む。
「あたしだったら自分の手でやるわよ!」
 思い切り右手に力を籠めて侍女の服を引き破る。
「きゃあああ!」
「こんな風に!」
 服が破れたのはほんの僅かで、殆どボタンが飛んだだけのことであったが、侍女の胸元、普段は服に隠されている肌や下着が露わになった。
 侍女がその胸元を隠しつつしゃがみ込む。
 その時にはもう、王妃はもうその侍女を見ていない。もう一人の侍女の頬に向けて左手を振り、パンと音が響かせる。
「ひっ!」
「こんな風に!」
 侍女は叩かれた頬を押さえ、首をすくめて王妃を見やる。
 王妃は近衛兵の顔に右拳を叩き込む。ぐきっと少し鈍い音がする。
「ぐっ……」
「こんな風に!」
 近衛兵は小さく声を漏らしつつ軽く顔を引いただけ。
 殴った右手に鈍痛に、かえって自分の方がダメージを負ったことを王妃は気付く。しかし今はそれを我慢して、もう一人の近衛兵の膝をに足の裏で蹴り付ける。
「こんな風に!」
 近衛兵は殆ど痛痒も感じなかったらしく、無反応。
 彼らに思ったような制裁を加えられないことに王妃は苛立ち、歯噛みする。
「もしや怨霊では……」
 服を破かれた侍女がぼそりと呟いた。一同がその言葉にハッとし、ほんの微かに肩をすくめる。ただ一人を除いて。
「怨霊なんて居る訳ないでしょ! さっさと犯人を見つけなさいよ!」
「しかし……」
 既に捜索した後なのだ。近衛兵らは顔を見合わせて思案顔をするばかり。
 それがまた王妃には苛立たしい。
「役に立たないわね! もういいわよ! みんな出て行きなさい!」
「侵入者はもうよろしいのですか?」
 近衛兵の一人が意外そうに言った。遊びに満足したのかを尋ねるような口振りでだ。怨霊ごっこと思ったらしい。
「信じてない癖に! 侵入者なんてどうせ居ないと思ってる癖に! 御為顔おためがおなんてしないで!」
 王妃は絶叫する。
「いいから出て行きなさい!」
かしこまりました」
 近衛兵らは敬礼してきびすを返し、服を破かれた侍女は胸元を押さえて小走りに寝室から飛び出す。もう一人の侍女はこの場に留まって帷帳いちょうの残骸を片付け始めた。
「出て行け! って言ってんのよ!」
 王妃は残った侍女に怒鳴り散らした。
「し、しかし……」
「何度も言わせないで!」
「か、かしこまりました」
 一度は躊躇ためらった侍女だったが、王妃の剣幕にされ、一礼した顔を上げないまま小走りに寝室を後にした。
 そうして王妃を残し、皆が部屋を出た。この場で一部始終を、近衛兵や侍女の目の前をうろうろしながら捜索を見ていた存在を、誰一人として気付かぬままに。

 独りになった王妃はベッドに上がる。膝立ちになって両の拳を握り締める。
 そして痛まない方の拳を枕に叩き付ける。目には涙が浮かぶ。
「馬鹿にして! 馬鹿にして! 馬鹿にして!」
 何度も叩き付ける。叫ぶ合間に漏れるのは嗚咽おえつ
「うぁあああ……!」
 堰を切ったように泣いた。
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