魔王へのレクイエム

浜柔

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第九章 魔王はここに

第百十話

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 シーリスはロイエンの部屋を後にして、ルセアが横たわる自分の部屋に入る。
「直ぐに出るわ」
 待機しておけば着地して直ぐに出発できる。
「判りました」
 シーリスが簡潔に宣言し、リリナが簡潔に答えた。待機していたオリエは黙って頷いて、開いたドアを手で押さえる。
 シーリスは慎重にルセアを移動ムービングで浮かばせる。ゆっくり慎重に足が前になるように向きを変え、ゆっくりと出入り口を通す。筈だった。
 廊下が狭いために、ルセアを寝かせたままだと廊下の壁に支えて通れなかった。一瞬、息を呑む三人。部屋を移す時は正面の部屋だったために両方の部屋のドアを開け放てば真っ直ぐ移動できたのだが、廊下に出るとなったら話が別だった。
「少し立てるわ。お願い!」
「はい!」
 ルセアの怪我はリリナが居なければ既に命を落としているほどに酷い。上下の向きを少し変えるだけでも容態の急変を招きかねないのだ。だからこうした場合、リリナはより慎重に、より多くの魔力を使って生命の維持を行わなければならない。すると当然の如くタイムリミットも近くなる。
 そしてここまでルセアの治療を休むこと無く続けていたリリナの顔には疲労の色が強く出ている。
 シーリスはルセアの脚を軽く曲げさせ、ゆっくりと頭側を起こしてゆく。そして若干の余裕を持って出られそうになったところで廊下へと移動させる。
 この時微かながらルセアにより強い苦痛の表情が浮かんだため、表情が落ち着くまでまた少し寝かせた。まだ完全には寝かせない。ゴンドラの出口が若干の上り階段になっているので、外に出た後で寝かせることになる。
 リビングで待っていたのはサーシャとマリアン。サーシャは記憶結晶を手に、神妙な面持ちをしている。マリアンは苦々しげな表情を浮かべるが、何かを言うことは無い。
『行きたり』
『はい』
 サーシャは頷くと、記憶結晶をカバンに入れて前に抱え、小走りに甲板に上がる。その場に留まっていても邪魔になるだけだと、さすがに理解していたのだ。
 残された形のマリアンはそれ以上何も言わずに通り過ぎるシーリスに頭を下げる。
『姫様をどうかよろしくお願いします』
 サーシャの説得に失敗した以上、そうするしか無かったのだ。そして、下を向いたままだったため、ひらひらと手を振って返しただけのシーリスの姿を終ぞ目にすることが無かった。
 シーリスはルセアを階段の上に慎重に上げ、オリエが開いて押さえたドアから甲板に出る。オリエも用意していた敷物を丸めた包みを掴んで直ぐに追い掛ける。ゴンドラは既に地表すれすれを滞空した状態だ。着陸には大きな振動が伴うので敢えてこうしている。
 待っていたのはエミリー、ノルト、そして先に出たサーシャである。クインクトは既に襲い来る魔物の迎撃を始めている。
 エミリーの顔にもリリナ同様に疲労の色が濃い。ここまで魔法を使い続けだ。途切れること無く光を灯し続け、今し方はゴンドラを停泊させる場所を確保するために魔の森の一角を焼き払った。さしものエミリーでも魔力が空になりつつある。
「御武運を」
 ノルトはもう多くを語らずに操縦台へと登った。
 シーリスはリリナ、オリエ、サーシャにもムービングを掛ける。エミリーだけは自前の魔法を使う。
「あれ? 姫さんも行くのか?」
「本人が行きたいって言うから」
「……まあ、ねえさんがそれでいいならいいんだけどよ」
 エミリーはサーシャも行くことをあまり良く思いもしないが、特段口を出す気も持ち合わせていなかった。
 結局のところ、マリアンを除く誰もがサーシャの希望を真剣に聞くことが無かったためにサーシャの同行が認められたのである。

 ゴンドラを飛び立った六人は真っ直ぐ縦穴に向かって降りて行く。縦穴に入った直後から五月蠅いほどに響いていた地上のフクロウの鳴き声が遠ざかって行く。不思議と魔物が姿を現さない。
「この縦穴はもうダンジョンみたいだな」
「外に通じてるのに普通の開口部とも違うようだ」
 エミリーの呟きにはオリエが応えた。
 一般的な開口部からは瘴気が自然に流れ出すために、内から外へと徐々に濃度も薄まる。境界が曖昧なのだ。ところがこの縦穴に限ってははっきりとした境界が有った。
「よっぽど特別な場所なんだろうな」
 エミリーはそれ以上の考察を綺麗さっぱり投げ捨てた。どれだけ考えても推論以下にしか成り得ないものを考え続ける場合ではない。
「判らないのは町からそう遠くない場所にこんな穴が在るのに誰も知らないことだ」
「案外忘れ去られただけかも知れねぇぞ? こんな危ねぇ場所に空から来るなんて死にに来るようなもんだからな」
「そんなにか?」
「ああ。何しろ怪鳥が余所の倍の大きさだったからな。昼間だったらと思うとゾッとする」
 怪鳥にとって夜は寝る時間であるため、仮令たとえ起き出しても動きが鈍く、あまり飛び回りもしない。昼間に比べると格段に与し易いのだ。それでもこの場所の夜の怪鳥は他の場所の昼の怪鳥並に難物だった。絶好調のエミリーなら何の障害にもならないが、何ぶん今回ばかりは疲れが有った。
「おっと、お喋りはここまでらしい。お客さんだ」
 トビトカゲやコウモリの係累の魔物が襲い掛かって来る。人の半分ほどの大きさしか無いが数が多い。
「おらぁ!」
 エミリーは炎の旋風を巻き起こして魔物をその中に巻き込む。縦穴の壁までの距離が短いので然程威力は出していない。
「はあっ!?」
 魔法を放った結果を見て、エミリーは目を丸くした。魔物はあっさりと全滅し、次が襲って来る様子も無い。
「瘴気の濃さに比べて魔物が弱すぎるし、数も少なすぎるぞ」
「楽でいいじゃないか」
「そうなんだけどよ……」
 地上は凶悪な魔物がひしめいていた。ゴンドラの停泊場所を確保のために焼き払うのもかなり大変だった。最寄りの、エミリー達がこの間まで住んでいた魔物猟師の町が襲撃されないのが不思議に思えるほどにだ。
 実際にはちょっとした事情が有る。エミリー達が顔を合わせていないだけで、魔王に会う前のエミリー達程度には戦闘力の高い魔物猟師らが町に所属しているのだ。そんな彼らが町長の依頼で魔物を対峙して回っている。エミリー達がその依頼を打診されていなかったのは、町に住み着いてから日が浅いのが主な理由だ。定住者でなければ依頼しにくいのである。
「何かこう、釈然としねぇ」
 反動で何かとんでもない化け物が出て来るのではないかと危惧をしてしまうのだ。
 だが、そんなエミリーの疑心を嘲笑うように光球の光に縦穴の終わりが映し出される。
「穴の底だ」
「あれは家か?」
「小さな畑もだ」
 縦穴の底には一軒の家が在り、その敷地には作物の葉が青々と繁る小さな畑も在った。
 その家から少し離れた――単に真っ直ぐ降りた――場所で、最初に着地するのはエミリー。エミリーが異常が無いのを確認してから他のメンバーも着地する。ルセアだけはシーリスが浮かせたままだ。
「無事に降りられたな」
 オリエはホッとしたように頷いた。
「結局ここまで何も出なかったぞ」
「出たら困るだろう?」
「そうだけどよ。こう言う場合って、最後ににどーんととんでもねぇ敵と戦ったりするもんじゃねぇのか?」
「お伽噺の読み過ぎだ!」
 オリエはエミリーのぼやきを一刀の下に切り捨てた。
 エミリーはと言うと、今日一番のダメージであった。胸を押さえながら深呼吸で息を整える。この話はこれ以上続けられないと、場違いとも思える一軒家に視線を馳せる。
「それはそうと、こんな所に誰か住んでんのか?」
「行ってみれば判る」
「そんな暇は……、いや、魔王の気配か!」
 オリエやエミリーもリリナほどではないが魔王の気配を感じることができる。そしてその気配が最も強いのが目前の家だったのだ。
 言わずとも通じたことにオリエが満足そうに頷き、さあまた前に進もうとしたところで、ゴンドラを発ってから一言も発していなかったサーシャの切迫した声が響いた。
『シーリス様!』
 シーリスは膝を突いて脂汗を流していた。
「ねえさん! どこか悪いのか!?」
 エミリーは少々浮かれていた自分を自覚した。瘴気の濃い場所に来たことで魔力が回復傾向にあり、障害らしき障害も無かったことから余裕も生まれた。しかしそれはエミリーの事情であって、シーリスのものではない。
「まだ……、大丈夫よ」
「『まだ』って何だよ? 『まだ』って……」
「それより先を急ぎましょう」
 シーリスはシーリスで、ここに来て初めて自覚した。今の肉体が仮初めでしかなかったことをだ。今までも、今も魔力には何の異変も無いためにずっと気付いていなかった。だが、何の不都合も無く時間を超えるなどあり得なかったのだ。
 この時代に現れたのは奇跡の産物だ。幾度となく繰り返され、失敗し続けた勇者召喚の儀で積み重なった魔力が起こしたものなのかも知れない。
「待ってくれ。ここからはわたしが先頭を行く」
 足を踏み出したシーリスを呼び止め、オリエが前に出る。オリエはここまで戦闘をしていないので、気力体力共に不安が無い。突然襲撃されようとも一瞬で閉じ込められるようなことでも無い限り、固有魔法の力も相まって命を失うようなことにもならない。ここで先頭を歩くには最適だ。
 余裕を失っているシーリスは歩みも止めず、返事もしないが、オリエは構わず前を行く。
 家に近付くと、人影が見えた。女性が戸口の前に立っている。
 ところが更に数歩近付くと、女性の姿が掻き消えた。また数歩進むと、今度は畑で鍬を振っている。そしてまた消え、次には家の前を歩いてる。
 オリエは「もしや新手の魔物か」と身構える。だが、シーリスが「幻よ」と言う。女性の動きは普通の人には無理だ。魔法で動いているのなら大きな魔力の揺らぎが観測される。だが、女性の居る場所には多少の揺らぎが有るだけなのだ。
 オリエがエミリーを確かめるように見ると、エミリーは小さく頷いた。
「お前も見覚えがねぇか?」
 オリエは考え込むが、エミリーがサーシャの手にする記憶結晶に視線を動かしたことで察した。
「そうか! アルルか!」
「これは魔王の見ている夢……」
 シーリスは苦しげな息を吐きながら言った。
「ねえさん……」
「シーリス殿……」
『シーリス様……』
 エミリー、オリエ、サーシャの気遣わしげな声にも、シーリスは荒い息を吐くだけ。
 リリナがずっと黙っているのはその余裕が無いためだ。瘴気の濃い場所に来たことで治癒魔法の力が上がっていても、その治癒魔法をどれだけ掛けても、ルセアは底が抜けたように容態の改善が見られない。その上、瘴気からの保護も必要としている。
 オリエはこれ以上誰かに気遣うような言葉を掛けるよりも、一刻も早く先に進むべきだと判断して家の扉をノックした。
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