魔王へのレクイエム

浜柔

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第五章 聖女の心ここに在らず

第七十五話

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 元事務員の両親は嫁の身体からだを揺すりながら幾度となくその名前を呼ぶ。そうして嫁の息が無いことを理解して憤る。
「何てことをしてくれたんだ!」
「この、人殺し!」
 父親がサーシャに掴み掛かろうと迫る。それは立ち塞がったシーリスの障壁バリアで阻まれるが、サーシャに恐怖を与えるには十分だった。
 気を失い、操り人形の糸が切れたかのようにくずおれるサーシャ。咄嗟に庇ったマリアンのお陰で事なきを得る。
 サーシャが気を失ったからと言って、両親からの糾弾が止まるものでもない。嫁が最後に感謝していたことなど、彼らの頭からは綺麗さっぱり消え去っている。
「嫁を返してくれ!」
「こんなことなら頼むんじゃなかったわ!」
 取り乱した祖父母の怒鳴り声に、幼い孫が大声で泣き始める。父親が手近にあった花瓶をサーシャ目掛けて投げ付けるが、バリアに当たり、ガシャンと音を立てて砕けただけだ。すると父親はバリアを叩き始める。
「このっ! クソッ! このっ!」
 花瓶を投げ付けてもビクともしないものが叩いてどうにかできるものではないのだが、父親は幾度となく叩き続ける。そしてどうにもできないものだと悟ると、頽れて手を床に突き、咽び泣いた。
「どうして……、どうしてあのが死ななきゃいけないんだ……」
 そんな彼らの様子に、マリアンは目を瞑り、耳を塞ぎたい衝動に駆られたが、必至に堪えた。サーシャを守ると言う使命を抱いてなければ、とっくに逃げ出していた。
 平静なのはシーリスだけだ。幾度も見た光景。慣れたくなくても慣れてしまった。
「騒がしいようですが、何かございましたか?」
 家族達の声は外にまで届き、ドレッドとロイエンがその出所でどころたるこの部屋に踏み入った。ドレッドは気を失ったサーシャ、サーシャを介抱しながら項垂れるマリアン、咽び泣く家族達、割れた花瓶、そして一人毅然と佇むシーリスを見る。
「何……が、起きた?」
「彼の者が死したり」
「何を馬鹿な……」
 一般常識では治癒魔法で人が死ぬことは無い。だからドレッドは否定しようとした。だが、目の前の状況はどうだ。シーリスの言う通りではないか。
「後を頼む也」
 シーリスはドレッドの返事も待たずにマリアンを促し、サーシャを連れ出した。
 部屋のドアが閉められる段になって気を取り直したドレッドは、もしも病が治らなかった場合のために用意したものを取り出す。平均的な四人家族が一年に費やす金額の四十倍の金額が入った袋だ。
「気の毒なことになった。これはその見舞金だ。慎ましくすれば、その子が大人になるまでは暮らせるだろう」
 謝罪はしない。する意味が無いからだ。
「か、金で誤魔化そうと言うのか!」
「見舞金を貰えるだけ有り難いと思え」
 声を荒らげる父親をドレッドは冷たく言い放つ。
「もう一つ伝えることが有る。お前の息子は職務怠慢を理由に解雇された腹いせに守備隊隊長を殺害した。近い内に処刑される」
「そんな! 何かの間違いだ!」
「守備隊屯所内での犯行でもか?」
「絶対に息子はやってない!」
「そうですよ! 言い掛かりよ!」
喝ーっかーつっ!」
 母親も混じってを詰り始めるのをドレッドは一喝した。ビクッと縮こまる両親。
「元々は貴様らの息子がしでかしたことだ。遺される貴様らを不憫に思ったあの方が貴様らの嫁の治療を買って出られたのだ。そのあの方に不敬を働いた貴様らはこの場で斬って捨てても良いのだぞ?」
「なな……」
 両親は怯えて言葉を失った。聞かされた内容よりもドレッドの迫力に怯えている。
「さあ、この場で斬り捨てられるか、見舞金を受け取ってここで起きた一切を忘れるか、今直ぐ選べ」
 すっかり悪役のドレッドだが、言って解りそうにない相手なら脅すのみ。時間を掛ければ言って理解させることも可能かも知れないが、そんな悠長なことはしていられない。
 両親は見舞金を受け入れた。
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